絡新婦 参
「もし、神宮寺さんが、妖と人との恋愛話を書こうとするなら、どんなお話になりますか?」
女将は酌をしながら雄座に尋ねた。女将の問いは、唐突ではあるものの、雄座の頭を直ぐに文士に戻した。人情味のある妖怪譚を書く雄座ではあったが、妖怪と人が恋をする、という話はこれまで書いていない。面白いかもしれないな。そう思うと、ビールを片手に物語を考え始める。
暫し考え込むと、雄座が口を開く。
「鬼やらが人の姫を見初めて、攫いに来る話などは昔からありますな。人の男に惚れた妖怪が男の元に嫁いで、正体を知られてしまい、消えて行くなんぞも…。」
雄座の話を女将は、うん、うん、と聞いている。雄座は昔から語られる怪奇譚を口に出すと、また、暫く考え込んだ。女将は雄座の次の言葉を笑みを浮かべたまま、静かに待った。
「いや、違うな。昔から言われる話もあるが、悲恋が多い。正体を知られ姿を消したり、相手を呪い殺したり…。こんなのは人の恐怖が作った話だ。恋をする妖怪も居るだろう。相手が人だとしても、語りかけたいであろうし、相手の幸せを望むだろうな。」
雄座はまるでここに自分しかいないかの様に、独り言を呟き、女将に言われたお題を考え込んだ。
暫くの沈黙が続いた後、雄座がぽん、と手を叩いた。
「女将さん。こう言うのはどうだろう。」
そう言うと、雄座は自分で作った話を女将に聞かせた。
ある街に気も優しく、美しい娘がいた。しかし、重い病いを患っており、床から出ることが叶わなかった。そんな娘の寝る部屋に、羽を怪我をした一羽の雀が迷い込んだ。娘は可哀と思い、雀の看病した。やがて数日で雀は怪我が癒えると、飛び立っていき、娘はまた、部屋で一人となった。
ある日、娘の元に一人の青年がやってくる。青年は、寝たままの娘に、求婚する。娘は端正な顔付きで、真剣に語る青年を好きになるが、病いで寝たままの自分では、役に立てないと申し出を断る。
すると青年は、自分は妖怪だと言う。雀の姿をしていたが、優しく介抱してくれる娘を見初めたのだという。妖怪ならば、娘の病いを癒す術を見つけて来る。その時は、どうか妻となってほしいと言い残し、去って行く。
妖怪は、何日も彷徨い、天狗と出会う。天狗に病いを癒す術を訊ねると、天狗が答える。
男の妖怪としての力と、娘の幸福を願う祈りを一つの丸薬に込めて、娘に飲ませると言うもの。しかし、妖怪の力を全て込める為、妖術を使う力も、長きを生きる命も失ってしまい、男は力のない人として生きることになる。
だが、男は喜んで力を投げ出し、その丸薬を作り、娘の元に戻った。娘はその丸薬を飲むと、すっかり病は治り、約束通り、男の妻となり、子を生み、幸せに過ごした。
「即興で考えたものなので、あまり面白味がないかな?」
話終えると雄座は女将に尋ねた。女将は惚けた様な表情で、雄座を見る。
「何て良いお話でしょう。でも丸薬を作るのに、男は妖から人になるなんて、男としては願ったり叶ったりでしょうね。」
女将の言葉に雄座が頷く。
「ええ。天狗は思いつきですが、妖怪は色んな不思議な力を持っている。そして長らく生きられる命も。その全てを投げ捨てて、矮小な人になったとしてもその娘と添い遂げたならば、それもまた幸せなのかと思いましてね。」
雄座の言葉を聞きながら、つと、女将の頬を涙が伝う。雄座はそれを見て慌てたが、女将が懐からハンカチを取り出し、目を拭いながら口を開く。
「あら嫌だ。ごめんなさい。よくよく聞けばとても良いお話だったので、感動してしまいました。きっとその妖も、好いた娘と子を守る為に、人として短命になっても、幸せな生を送ったのでしょうね。」
女将の言葉に安堵する雄座。
「長門石も。きっと貴女の幸せを望んでいるんですよ。きっと願わくば、その貴女の幸せを自分で与えてやりたいのでしょう。」
雄座は自分の考えを伝えると、ビールを喉に流し込んだ。
「神宮寺さんの考える妖は、まるで本当に居るみたいな感じにさせられます。怖い、恐ろしいだけではないと思います。妖だって、好いた相手を守りたいのは、人と同じでしょうしね。」
女将は、ふう、とため息を溢すと、言葉を続けた。
「長門石さんは、本当に素敵な方です。どこまでも優しくて、お心が暖かくて、私の事を真っ直ぐに見ていただけて…。恥ずかしい話ですが、私の方が長門石さんに惚れ込んでしまいまして…。」
顔を真っ赤にしながら話す女将を雄座は微笑ましく眺めながら、相槌を打つ。
「長門石さんがお仕事がお忙しいと知り、精の付くものを食べてもらって、せめてお疲れを癒せればとこの店を開きました。」
雄座はほう、と声を上げた。
好いた者の為に店まで開くとは、随分と入れ込んでいるようである。そこまでするならば、長門石の結婚の申し出を断る理由がない。妻として、長門石の側で、支えてやれば良い。それでも考える必要があるというのは、どういうことであろうか。雄座の頭の中に、僅かな疑問が湧く。
「こうして、お店で料理をお出しして、それを嬉しそうに食べてくださる長門石さんの幸せそうなお顔を見るだけでも、私は幸せでした。それが夫婦になってほしいなんて…、嬉しくて嬉しくて…。でも…。」
言いかけ、女将の顔が曇ってゆく。雄座は静かに次の言葉を待った。
「…心の内では、長門石さんの妻として、あの人の側にずっと居たい…。でも如何しても、叶わないのです。」
女将は下を向いたまま、ハンカチを目に当て、肩を震わせた。雄座はその理由を訊ねようとしたが、ふと、これまでの女将の話を思い出し、違和感を覚える。その違和感が何であるかは、雄座の頭にすぐに浮かんだ。
「あ」
雄座は気付き、つい短く声を出した。体ごと女将に向き直すと、雄座は訊ねる。
「女将さん、貴女、妖怪だね。」
雄座の一言に、驚いたように顔を跳ね上げる女将。雄座は言葉を続けた。
「長門石の事。好いておるのだろう。彼奴の為に店まで構えて。そこまで想っていて、一緒にはなれぬ。それは貴女が妖怪だからだ。」
女将は驚いた顔を浮かべなら、涙を浮かべた目で怒ったように雄座を睨む。
「突然何を言われるかと思えば、私はこの通り、ただの女でございますよ。」
女将の言葉に雄座が応えた。
「いえ、貴女を揶揄っているのではないですよ。妖怪ってね、自分達の事を言う時、妖怪ではなく「妖」って呼ぶんですよ。俺が妖怪と言って、貴女は妖と返した。先程から違和感があったのですが、今、気付きました。」
ははは、と頭を掻きながら、雄座は笑って見せた。そんな雄座に、女将も苦笑いを浮かべる。
「…流石は長門石さんが怪奇譚の随一のお方と言うだけありますね。口癖になっていたのか、言われるまで、私も気付きませんでした。」
ふふ、と女将も笑い返す。
「神宮寺さんのおっしゃる通り、私は妖です。だからこそ、長門石さんを思えばこそ、一緒になるわけにはまいりません。」
女将は諦めたような笑みを浮かべながら、目から溢れる涙をハンカチで抑えている。雄座は、月丸のお陰で慣れたのであろうか。女将が妖怪であると伝えられても、特に態度が変わる事はない。
「一緒になると、長門石に何かあるのかい?不幸になることはないんだろう?」
雄座の言葉に女将はこくりと頷く。
「不幸にするくらいなら、最初からあの人の前に姿を見せませんよ。あの人の幸せを願うからこそ、こうして人の姿であの人の前に立っては居ますが、騙している様で気が引けましてね。」
雄座はふむ、と頷く。
「でも今は人の姿をしているんだ。妖怪だなんて言われなければ分からないよ。その姿のままであれば、それこそただの女として、長門石の側にいてあげられるんじゃないか?」
そう言う雄座の言葉に、女将は首を横に振った。
「側にいても、あの人と共に歳をとることができません。そうなれば、いつか気付かれるでしょう?それに、あの人の子を授かることも出来ません。あの人の為と思えば、諦めるしかないでしょう?」
女将は切ない笑みを浮かべ、まるで離れた長門石を見るかのように、遠い目をしながら言う。
「先程、神宮寺さんがお話ししてくれた妖…。作り話とはいえ、私が夢見たお話でした。長い命も、妖術も、あの人のためなら投げ出せますわ。」
女将はすっと障子の外に出て、土間に立った。
「ご覧くださいな。こんな姿を見たら、きっとあの人に嫌われてしまうでしょう。」
そう言う女将は、みるみると姿を変えた。そこにいるのは、六尺はあるだろうか。雄座よりも遥かに大きい一匹の蜘蛛であった。頭や体は小さく、大きな尻は黄色と黒のまだら模様。黒く長い足も、やはり黄色い斑点のようにまだらになっている。強いて言うなら、女郎蜘蛛に似ている。狭い店内では足を伸ばす事が出来ず、足を畳んでいる。
しかし、雄座は驚く事なく落ち着いていた。先月などは同じ蜘蛛でも、強く禍々しい神を見ていた。あの姿は忘れられないほど、不気味で、恐ろしく、邪気に満ち満ちていた。だが、不思議と、今、目の前に居る蜘蛛の妖怪、女将は恐ろしくも何ともない。寧ろ、正体を明かし、悲しげな、切なさを感じる。
恋心を見せて男に近づき、男がその気になったら、生気を吸い取る。そんな蜘蛛の妖怪の逸話がある。そんな考えが雄座の頭をよぎるが、目の前の蜘蛛からはそんな気配はない。ただ、好きな者と添い遂げる事が出来ない悲しみに満ちている。
「如何ですが?神宮寺さん。驚いて声も出ないでしょう?きっとあの人も同じ。怖がらせてしまい、逃げてゆくでしょう。そんな光景を想像するだけで、悲しくて胸が張り裂けそうになるの。」
雄座は考えた。これ程好きあって、お互い相手のこと思いやりながらも、結ばれぬと言う。何とか幸せにしてやりたい。しかし考えても、すぐには思い付かない。
「神宮寺さん。もう少しだけ、私はあの人を側で見ていたい。もう少しだけ。そうすれば、私は何処かに消えましょう。だからお願いです。この事はあの人には言わないでください。」
雄座はこくりと頷くと、口を開いた。
「大丈夫。誰にも言わないよ。女将さん。それに俺は驚いているわけではないんだ。どうしたら良いかを考えていた。実はね、妖の友人が居てね。良い妖怪だから、何とかならないか其奴にだけ、相談してみるよ。」
そう言うと、雄座は小上がりから降り、自分の下駄を履くと蜘蛛に言う。
「貴女と長門石、二人とも好きあっているなら、一緒にさせてあげたい。妖の友達を連れてすぐに戻るから、待っていてくれないか?」
女将は人の姿に戻ると、唖然としながらも走って銀座へ向かう雄座の背を見送った。
「妖の…友達?」
見送りながら雄座の言葉を小さく繰り返した。




