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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第漆幕 絡新婦
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絡新婦 弍

 東京の玄関口とも言える新橋駅。明治三年に開業して以降、多くの人や物を運び、新橋や銀座の発展を促した東京の玄関口である。

 雄座は新橋駅の側にある和菓子屋の軒先に置かれた長椅子に座り、甘酒を啜っていた。雪がちらちらと舞ってはいるが、積もるほどではない。懐中時計はまだ午後二時を指しており、日もある。温かい甘酒と目の前に行きかう人々を眺めていれば、まぁ、我慢のできる程度の寒さであろう。


「おうい。神宮寺君。」


 灰色の背広に、黒い洋風外套コート姿の男が手を振りながら走り寄って来る。雄座は立ち上がると男に向かって軽く会釈した。男は雄座の元まで来ると、長椅子の横に腰を下ろした。


「すまないね。こんな場所を待ち合わせ場所にして。せめて、店の中にいてくれたらよかったのに。」


 雄座がいる店は、新橋駅が開業する前の年から営業する和菓子屋である。田舎に帰る者などは、ここで名物の団子を買って土産にするなど、それなりに繁盛している。店の中にも、座敷があり、暖もある。しかし、生真面目な雄座は、待ち人が来るのを外で待つ事とした様であった。


「気にするな。甘酒も美味いし、この新橋駅前の往来を眺めているのも、なかなか楽しいぞ。」


 雄座は男に笑って答えた。


 この男、姓を長門石ながといしという。雄座がまだ芝居小屋の題目を書いていた頃からの知人である。歳は雄座と同年代でありながら、新聞社で政治関連の記者として勤めていた。記者として記事を書く同じ新聞に、昨年から雄座の天狐御伽草紙が掲載される様になり、再び会う様になった。


「すまなかったな。神宮寺君。原稿を届けにきただけだったのに、呼び止めてしまって。しかも、人気文士様をこんな寒空の下で待たせちまったよ。」


 笑いながら自分の頭をぱしりと叩く長門石。

 長門石の言う様に、雄座は丸の内にある新聞社に、原稿を届けに行っただけであった。その帰りに月丸の元へ遊びに行こうと思っていたが、帰ろうとする雄座を長門石が呼び止め、この菓子屋で待っている様に伝えたのだ。


「何が人気文士だよ。ところで、有楽町でもなく、銀座でもなく、新橋で待ち合わせるとは、何かあるのか?」


 雄座が訊ねると、長門石は自分の胸をどんと叩いた。


「いろいろ話したい事があってね。呑みに行こう。神宮寺君。今日は僕が奢るから。」


 雄座は上機嫌な長門石に驚きながら、言葉を返す。


「こんな昼間からか?随分と機嫌がいいじゃないか。何かいいことがあったのかい?」


 雄座の問いに、長門石は急かす様に立ち上がり、雄座を促しながら答えた。


「ああ。良い事だ。それに最近の君の活躍の事も聞きたいしね。」


 急く様に動く長門石に、雄座は渋々と立ち上がると、店の者に湯呑みと銭を渡した。


「活躍出来てはいないけどね。とは言え、奢ってもらえるのは嬉しい限りだよ。」


 雄座は笑いながら訊ねると、長門石はおう、と一声上げると、その店に向かって歩き始めた。雄座も長門石の後に続いた。


「おい、長門石。ビアサロンはあっちだよ。」


 雄座の言うビアサロンは、新橋ではすっかりお馴染みとなった新橋の橋詰にあるビール専科のバーである。新橋で呑むとなれば、ビアサロンと言うくらい、馴染みのものであるが、長門石は笑いながら否定した。


「ビアサロンもいいけど、もっと良い店を知っているんだ。神宮寺君も気にいると思うよ。」


 そう言うと、長門石は付いておいでよと手招きしながらまた歩き始めた。雄座も付いて行く。

 店は数分と歩かずに到着した。新橋駅からやや北側、小道に入ったところにあった。小さくも小綺麗な小料理屋である。入り口には皺一つなく、ぴん、と張られた暖簾、表には申し訳程度の小さな看板が掲げられている。


 食事処 雲庵

 この店の名であった。


「ここだよ。神宮寺君。酒も肴も絶品だよ。」


 そう言うと、長門石は暖簾を手で除けると、からりと店の戸を開け、入ってゆく。


「多恵子ちゃん。お邪魔するよ。」


 入るなり、長門石は店の奥に立つ女主人に声を掛けた。雄座もふと、視線を上げる。


「あら、長門石さん。いらっしゃい。お待ちしておりました。」


 満面の笑みで長門石に応える女主人。そこには、年の頃なら二十程であろうか。和服に、割烹着を着込む。髪を日本髪に結い上げてはいるが、まだ明るい時分の日の光を受け、きらきらと光っている。少し目尻の垂れた人懐こそうな大きな目は穏やかな印象を与え、すらっとした鼻、真っ赤な紅が塗られた口元に優しい笑みを蓄えている。所謂、美人である。雄座は、ほう、と声を漏らした。長門石は女主人に手を振る。雄座の耳元に顔を近づけ、囁いた。


「美人だろう?穴井多恵子さんといって、ここの女将さんだ。気立ても良くて、愛嬌もあってさ。」


 突然、その様な事を言う長門石に、雄座はくすりと笑う。長門石の女主人を見る目は、すっかり惚れ込んでいる目である。


「成る程。長門石の馴染みの店か。」


 長門石と雄座は小上がりの小さな座敷に通された。四人程度が座れる小さな座敷には、真ん中にはちゃぶ台が置かれ、質素ではあるが、落ち着き、寛げる雰囲気の部屋である。


 雄座達が座ると、多恵子がビールの瓶を運んできた。二人の前にグラスを置くと、両手で上品に瓶を持つと、長門石に向かう。長門石は嬉しそうに酌を受けた。続いて雄座も同様に多恵子の酌を受け、グラスにビールを注がれると、多恵子はにこりと笑って、


「ごゆるりと。今お料理をお持ちしますね。」


 そう言うと、指を付いて頭を下げて座敷を後にした。雄座と長門石はお互いのグラスをかちんと当てると、喉にビールを流し込んだ。座敷の部屋は、火鉢で暖められており、良く冷やされたビールが心地良い。雄座はふう、と息を漏らすと、グラスを置いた。


「神宮寺君。君の連載、天狐御伽草紙。うちの部署でも話題になっているよ。あれが載る日は、早々に新聞が売り切れちまう。僕も毎回楽しみに読んでいてね。友人として鼻が高いよ。」


 長門石はそう言いながら、減った雄座のグラスにビールを注ぎ足す。


「そう言う長門石だって、殆ど毎日政治面に記事を載せているじゃないか。随分と忙しくしているんだろう?」


 雄座もビール瓶を掴んで長門石にビールを注ぐ。雄座の酌を受けながら、長門石は苦笑いを浮かべる。


「いやあ、去年末に発足した桂木内閣が、随分と騒動を巻き起こした後、この前総辞職しただろう?政権交代のどたばたのせいでね。暫くは会社とこの店の往復ばかりさ。」


 長門石の言葉に雄座が笑う。


「何だい?忙しくても、この店には来るのかい?余程、あの女将さんに熱を上げている様だね。」


 雄座の言葉に長門石は照れた様に笑いながら頭を掻いた。雄座もつられて笑う。すると、からりと座敷の障子が開き、多恵子が料理を運んできた。

 ことり、ことり、とちゃぶ台の上に料理が並べられる。煮しめや焼き魚、天ぷらや刺身などが並べられる。雄座と目が合うと、女将はにこりと笑った。


「多恵子さん。この方は神宮寺雄座君といってね。ほら、君も毎週読むのを楽しみにしている天狐御伽草紙を書いている文士さんだよ。妖怪やら幽霊やらを書かせたら、今は随一のお人だよ。」


 長門石の紹介に雄座はぺこりと頭を下げると、女将はまぁまぁと驚くように手を合わせた。


「いつも楽しく読ませていただいています。今まで怪奇譚なんて怖くて読んだことはなかったんですが、神宮寺さんの書く狐様はお優しくて高貴で、人情豊かで。早く次のお話が読みたくてやきもきしていますの。」


 あまりに女将が嬉しそうに褒めたたえるものだから、雄座は嬉しくもあり、気恥ずかしくもあり、どうにも気まずい。


「それにね、私、婦人の友も読んでましてね。来月から神宮寺先生の小説が始まると紙面に載っていたので、それはもう楽しみで。」


 婦人の友。丸山書房から発刊される婦人向けの雑誌である。以前月丸に読んでもらった架空の異国の物語は丁度三月から掲載されることとなっていた。女将はその紹介文を読んだのであろう。満面の笑顔を雄座に向けると、ビール瓶を手に取り酌をすると、長門石にもビールを注ぐ。


「あとで是非私にもお話を聞かせてくださいな。」


 そう言うと、女将は笑顔のまま、すっと部屋を出ていった。雄座と長門石は、暫くお互いの近況などを話し合った。長門石は、政治記者である。昨年はオスマン帝国とバルカン諸島連合の戦争や、清王朝が消え中華民国の設立など、世界的な出来事が多く、日本帝国の舵取りを行う政治界隈はやたらと騒がしい年であった。その結果、政治記者である長門石も目の回るような忙しさであったらしい。 それでも、友人である雄座の小説が掲載されるのを知ると、大層喜び、仕事仲間や、仕事で関わる華族連中にも自慢して廻ったそうだ。


 暫し、そのような話を続けて小一時間が経過したころ。長門石は急に真面目な表情で雄座に言った。


「神宮寺君。実はね。僕はこの店の女将さん、多恵子さんに結婚を申し込んだんだ。」


「おお。それはおめでとう。そうか。さてはこの店に通って女将さんを射止めたんだな。」


 雄座も素直に祝福するが、長門石は首を横に振る。


「いや、申し込んだだけで、まだ返事をもらえていないんだ。考えさせてほしいと言われてね。」


 ぐいっとグラスのビールを飲み干す長門石。グラスを置きながらため息を吐き、言葉を続ける。


「もうこの店を知ってから二年程になる。初めて店に入った時に多恵子さんにすっかり惚れ込んでしまってね。ほら、あんなに綺麗なのに、それを鼻にもかけず、気立てもいい。少しでも話をしたくて、こうやって毎日のように通ってね。」


 長門石のグラスにビールを注ぎながら、雄座も口を開く。


「二年前と言ったら、丁度俺と長門石が知り合った頃じゃないか?そんな前からずっと思いを寄せてきたのか。随分と一途な話だなぁ。君らしいと言えば、らしいがね。」


 注がれたビールを持ちながら、長門石は目線をビールに向ける。


「最初はね。この店には日本酒だけだったんだ。僕がビアサロンの話をして、ビールが好きだというと、こうして店に置いてくれるようになったんだ。注文なんかしなくても、僕の好きな肴が出てくる。嬉しくてね。思い切って、一月の頭に僕の妻になってほしいと伝えたんだ。多恵子さん、涙を流して喜んでくれたよ。でも…。」


 長門石は言いかけて、手に持つグラスを口に運んだ。


「その後、悲しそうな顔で、嬉しいが、考えさせてほしい。と言われてね。」


 雄座も自分のグラスにビールを注ぐと、一口含んだ。


「それで、その答えを聞きたくて、相変わらず毎日通っているといったところかい?」


 雄座の問いに笑う長門石。


「それもあるけど、毎日、せめて一目会っておきたいんだよ。答えは、多恵子さんが言ってくれるのを待つだけさ。良くも悪くもね。」


 そう言うと、長門石は煮物を箸で掴むと口に放り込んだ。雄座はくすりと笑うと、長門石に言う。


「成程。久々に出会ったついでに、今日は俺を山車にしてここに来たというわけだ。うまい酒に旨い肴に免じて、惚気自慢は許そう。」


「いや、神宮寺君。多恵子さんが君の小説が好きなんでね。その文士と友人だと言ったら、俺の株も上がるかなって思ったんだよ。そのついでに久々に二人で呑みたかったのさ。」


 二人して声を上げて笑った。

 既に時計は四時を指しており、窓から見える外はすでに薄暗い。長門石はふと時計を見ると、そそくさと上着を羽織った。


「神宮寺君すまん。そろそろ仕事に戻るとするよ。今日は呑めて良かったよ。また、一緒に呑もう。」


 長門石の言葉に雄座は改めて窓を見る。障子越しなので、はっきりと外は見えないが、冬の夕刻である。辺りはまるで闇夜であろうが、新橋駅前に並ぶ街灯の光が入り込み、暗闇を隠している。


「こんな時間から、また仕事に行くのか?記者は大変だなぁ。」


 雄座の言葉に服を着ながら長門石が答える。


「所帯を持つかも知れんしね。しっかりと働くさ。神宮寺君はもう少しゆっくりしていくといいよ。多恵子さんには言っておくからさ。」


 ではまた、と一言残して、長門石は席を立った。少しの間、障子の外で長門石と女将の楽しそうに会話する声が聞こえ、雄座の頬を緩ませた。一人、座敷に残った雄座が、残った料理をつまみにビールを飲んでいると、からりと障子が開き、女将が手を付いて入ってきた。


「長門石さんから伺っておりますので、どうぞ先生。ごゆっくりとなさってくださいね。」


 女将は空いたビール瓶を下げると、新たに冷えたビール瓶を雄座に差し出した。雄座も会釈すると、酌をる。


「聞きましたよ。長門石から結婚の申し込みがあったそうじゃないですか。彼奴は真面目で良い奴です。どうか受けるにしても断るにしても、彼奴が笑えるような答えを挙げてください。」


 雄座は女将に伝えると、注がれたビールに口を付けた。ちらりと女将を見ると、顔を真っ赤にしてまんざらでもないような、嬉しそうな表情をしている。


(あぁ、両想いか。それなら尚良かった。)


 雄座は安心すると、口に当てたグラスからぐいっとビールを喉に流し込んだ。


「あの…。神宮寺先生。もしお時間がおありでしたら、相談に乗っていただけないでしょうか。」


 若い娘であるし、男から求婚されれば、それは悩みもするだろう。相談には応じてやりたいが、如何せん、恋愛話となると雄座では相談に乗れる程の知識も経験もない。聞けば答えてやらねばならぬだろう。とは言え、無碍にもできない。


「長門石の事ですか?俺でよければ聞きますよ。ただ、先生はやめてほしい。どうも気恥ずかしくなります。」


 雄座は女将に笑みを返すと、女将もくすりと笑った。

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