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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第漆幕 絡新婦
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絡新婦 壱

 しんしんと空から舞う雪が、雄座の肩を冷やす。ぶるっと身震いすると、雄座は空を見上げる。


 二月も終わろうとしているのに、この寒さには辟易する。麹町から有楽町に向かう内堀通りには、桜が点々と植えられている。来月には咲き乱れよう桜の木々も、今は静かに黙し、そのさみしく伸ばす枝々が、見る者の目からも寒さを伝えてくる。なにより、この江戸城跡、宮城きゅうじょうの桜田濠に沿って続くこの道は、有楽町に向かって下って行く。北から吹き下ろすような冷たい風は、容赦なく雄座の背から吹き付ける。


「こんな日は大人しく月丸のところで酒でも飲んでいたいがな。」


 着古し、つぶれた綿入れを体に押し付けながら、雄座は背を丸めて歩いた。




 さて、銀座の煉瓦街といえば、今や東京の、いや、日本の最先端の商業施設や品々が集まるほか、作家や芸術家などがカフェーにて情報を交換する社交の場。そして、新聞社なども未だ多く居を構える情報の発信源たる場所でもある。

 華族や目新しい物好きな青年や淑女などは、ショウウィンドウを眺めながら散策し、レストランで洋食に舌鼓を打つ。

 通りのシンボルともなっている四丁目交差点に位置する時計台は、待ち合わせるには丁度良い目印であり、多くの人々が時計台の下に集まっている。道路の真ん中には、市電が走り、その外側を自動車が走る。和風家屋と洋風家屋が入り乱れ、独特の雰囲気を作り出す華々しくも喧騒に包まれた町である。


 そんな煉瓦街の一角にある洋食店「カフェ・モストロ」。小さいながら、まるでヨーロッパのサロンのような落ち着いた雰囲気の店内は、白く塗られた壁が明るい印象を与える。店の中央には煉瓦で積まれた暖炉があり、中で揺れる炎が店内の暖を取りながらも、穏やかな雰囲気を醸し出す。暖炉の上には適度な調度品やヨーロッパの人形等が飾られる。暖炉の周りに配置された客用のテーブルや椅子はなどは、ロココ調の装飾で程よく纏められている。どちらかというと、愛らしい店内である。

 少し前までは、カフェーといえば、プラムタンと謳われ、大層な人気であったが、こちらは客層が著名人や芸術家、流行り好きなお調子者の青年、新橋や赤坂の芸妓などであり、一般の淑女にはどうも敷居が高い。


 そういうこともあり、店内で奏でられるピアノを聞きながら、気軽に洋食やコーヒーが楽しめるカフェ・モスロトはヨーロッパの雰囲気を味わってみたいという一般の淑女に大人気のカフェとなっていた。店内は、和装、洋装の淑女が店内のテーブルを埋め、皆それぞれに歓談している。そんな中でも、他の客から、ちらりちらりと注目を浴び、綺麗だ、可愛らしいと囁かれる一席。


 味わっていたコーヒーのカップを花柄をあしらったソーサーにことりと置き、細かく細工のされた背もたれに背を預ける女性。ふわりと整えられたボブカットに花柄のワンピースと合わせて幾分か幼く見える。


「如何ですか?このお店ならゆっくりと楽しめるかと思いまして。」


 満面の笑顔で同席の女性に告げる洋髪、洋装の女性。同席するのは、桜をあしらった着物を上品に着こなし、美しく光を反射させる黒髪をリボンで後ろに纏め、穏やかな笑みを浮かべながら店内を見回す。


「お料理も美味しいし、このテーブルやカップもとっても可愛らしくて。ピアノの演奏まで聞けるなんて、本当に素敵なお店ね。連れてきてくれてありがとう。あやめさん。」


 あやめの前に座るのは、和代であった。

 あやめは普段は神田財閥の娘である神田和代の使用人として、神田邸に住み込みで働いている。天狗である身分を隠し、人として日常を送るが、裏では密かに、この東京に現れる人に仇をなす妖を討つという地の守護を行っている。

 元々は、神に近き存在である天狐が守っていた地であったが、天狐消失後、月丸からも任されていた。

 先月などは、死姫というこの地に現れるはずもないような大きな力を持つ黄泉神との騒動もあった。結果としては、月丸や雄座に助けられることとなったが、守護の任は全うできた。何より、死姫が強く大きく邪な気を放っていたおかげで、それなりの妖は身を隠しているのか、あれ以来、悪事を働こうとする妖は現れていない。そうなると、あやめの表の仕事。和代の使用人としての仕事である。


 最近、和代は銀座に足を運ぶことが増えた。散策であったり、ウィンドウショッピングであったり、かと思えば、書店である作家の本を懸命に探したり。時として、有名店がないような小道にもふらりと足を向ける。そんな和代にあやめはいつも付き添って、ともに銀座を歩いた。


 先程などは、和代は作家などが集まるというカフェープラムタンに行ってみたいと言いだした。華族の娘である和代であれば、プラムタンの敷居など大したものではないが、如何せん、あやめからみても客層に難がある。政治家であったり、芸術家であったりと、あやめから見るに「変な男」が多い。そのため、和代の希望に難色を示したが、渋々同行した。結局、あやめの予感が的中し、席に着いた途端、どこどこの爵家の長男だ、これこれの音楽家だ、私が先に声を掛けたのだ、いやいや自分が、同席したい、お近付きになりたいと、続々と言い寄ってくる男たちに辟易し、早々にプラムタンを後にした。

 店を後にすると、和代がしょんぼりとしている。きっとカフェーでゆっくりと雰囲気を楽しみたかったのであろうと思ったあやめは、ここ、カフェ・モストロを紹介したのだ。


「和代様に喜んで頂けて良かった。私も嬉しいです。」


 和代に礼を言われ、照れたように笑みを返すあやめ。先ほどまで、和代はプラムタンの件で落ち込んでいたが、モストロで音楽を聴きながらコーヒーを堪能し、すっかりと気が晴れたようであった。

 そもそも、和代が街を歩けば、そこらを歩く男が振り返ってみるほど器量がよい。光を返し、輝くようにも見える黒髪に負けず、きらきらと済んだ大きな瞳。優しく穏やかな笑みを含む唇は、紅を差していなくても美しく光る。雪のような白い肌も相まって、まるで天女の様で、女のあやめから見ても惚れ惚れするほどである。そのような和代が押しの強いものが集まるプラムタンに行けば、押しの強い男達に言い寄られるのは想像に容易い。そんな面倒な場所ではなく、和代が安心して、のんびりと寛げるカフェを紹介できたのは、あやめにとっても本当に嬉しいことであった。


「そういえば、どうしてプラムタンに行こうとお考えになったのですか?珍しく、私の忠告も聞いていただけませんでしたが…。」


 悪戯めいた笑みを浮かべてあやめが尋ねた。


「うふふ。ごめんなさい。あそこに行けば、何か分かるかもと思って…。」


 申し訳なさそうに首を傾げ笑う和代。あやめも興味を持つ。


「何かお調べものでもあったのですか?」


 尋ねるあやめに、和代はカップを手に取り、コーヒーを一口含んだ。そして、意を決したように頷くと、語り始めた。


「ねぇあやめさん。私、病が治った時に、一度だけ不思議な体験をしたの。」


 和代の言葉にあやめも聞き入る。


「子供の頃、遊んでもらったり、お伽噺を聞かせてくれたり、とても優しい方が居らしたの。いつかまた、お会いしたいと思っていて。」


 其の者を思い出しながら語っているのだろう。目を輝かせ語る和代にあやめが顔を近づける。


「和代様の想い人ですか?わぁ、どんな方なんでしょう。」


 あやめも天狗とはいえ娘である。色恋話には興味を持ち、目を輝かせる。そんなあやめに和代が言葉を続ける。


「想い人なんてそんな…。小さい頃、私が泣いていたり、寂しがっていたりすると、色んな御伽噺をしてくれて元気付けてくれたり、困ったことがあった時などはすぐに助けてくれたり。優しくて、心強い素敵な方でした。」


 照れたように笑う和代。そんな愛らしい和代にあやめの口元も緩む。


「あらあら。洋書の御伽噺に出て来る白馬の王子様のような方ですね。でも小さい頃と仰られましたが、その方は今は?」


 胸の前で両の手の指をもじもじと絡ませながら和代が答える。


「何年もお会いしていなかったのですが、病が癒えた時、夢の中で可愛らしい小狐と遊ぶ夢を見たの。何故かはっきりと覚えているのよ。小さい狐が座ってる私の膝の上にちょこんと乗って。顔を擦り寄せたり、撫でてあげると喜んでくれるから、私も嬉しくて。そして、ふと目が醒めると、目の前に大人になったその方が居らしたの。」


 瞼の裏にはありありとその光景が呼び起こされているのだろう。和代は目を閉じ、顔を赤らめながら語る。


「目を覚ましたのは知らない神社だったのだけど、私の事を心配してくれていたみたいで、嬉しいやら恥ずかしいやらで、挨拶もそこそこに逃げ出してしまいました。」


 肩を落とす和代。そしてあやめも雄座から話を聞いていたため、容易にその光景を想像できた。そして、天狐が消える刹那に夢として和代に会いに行ったのだろう。そう考える。コーヒーを一口含むと、あやめが気になった事を和代に問う。


「そのお方の事をお知りになりたくて、プラムタンに行こうと言われたのですね。」


 あやめの問いにこくりと頷く。


「ええ。あそこには作家や文士の方々が集まると聞いていたので、もしやと思って…。」


 和代としては残念であったのだろう。話しながら語尾が消え入りそうな声になる。

 あやめには何となく察した。天狐が和代を助け、和代が目覚めたときに居た者。子供の頃の話は知らないが、作家や文士を調べていたこと。何より、日頃、和代に付き添い、銀座の書店で購入する本は、およそ和代が好んで読むとは思えない妖怪譚。何よりその妖怪譚の著者にはいつも同じ名が書かれている。

 あやめの頬が緩む。答えは分かっていたが、和代の反応を見たくて問う。


「和代様の想い人。そのお方は何とおっしゃるのですか?」


 和代は頬どころか、耳まで真っ赤にして、指を動かし押し黙る。暫くあやめが待つと、和代が小さな声で答えた。


「…神宮寺雄座さんといいます。子供の頃も素敵な方だと思っていましたが、この前お会いした時、あの頃の面影もあったのですが、とても凛々しくなられてて。」


 そう言い終わると和代は恥ずかしくなったのか手で顔を覆った。あやめもにこにこと表情を崩しながらそんな愛らしい和代を眺める。


「ではその神社に行けば、その方にまたお会いできるのでは?」


 あやめの提案に和代は顔を横に振る。


「その後、一度だけ行ってみたのですが、その神社を見つけられなくて。お爺様ならお宅をご存知かもしれないけど、恥ずかしくて聞けません。それで、もしかしたらプラムタンで神宮寺さんを知っている人が居るかもと思って…。」


 深いため息を吐きながら、和代は肩を落とす。ころころと変わる和代の表情を愛しそうに眺めながら、あやめは和代の想いを叶えたいと思えた。

 小さな小道も散策していたのは、神社を探していたからであろう。そして和代は、あやめと共に一度、神社の前を通っている。和代にはあの鳥居は見えておらず、目の前を通り過ぎた。ならば、あやめとしては、雄座を捕まえて、和代に逢わせてやりたい。


「和代様。きっと、その神宮寺さん。近いうちにお会いできると思いますよ。」


 喜ぶ和代の顔を想像しながら、あやめは口を手で押さえ、抑えられない笑みを隠した。

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