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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第陸幕 しき
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しき 拾参

 銀座より少し離れた麹町の一角。そこに神田男爵邸がある。敷地の周りは、白い塀で覆われ、奥に見える屋敷は洋風の煉瓦造りで、遠目に見れば、華族会館(旧鹿鳴館)の様な美しい建物である。

 夜でも門前には警備が立ち、洋燈で明るく照らされているため、おいそれとは敷地の中に入る事は叶わない。無論、近隣の者はここが神田男爵邸である事は有名であり、そもそも敷地に入ろうなどという者も居ない。




 深夜、この神田邸の屋根に一人、あやめが座っていた。もう何時間、こうしているだろうか。今宵は月も薄い雲に隠れており、庭を警備する者も、あやめの存在に気付かない。


 銀座の方角を眺めながら、先程から感じる強く、邪な気配を警戒していた。


「何があったんだろう。」


 独り言の様に呟く。もう何度、同じことを呟いただろうか。


 あやめは月丸に任されてから以降、和代の身の護衛に勤めている。そして、天狐の守りし地に和をもたらすため、時々、市井で悪さを行う邪な妖の討伐なども片手間でやっていた。

 その為、邪な妖気を探るのはあやめにとっては容易な事である。それが、今日は恐ろしい程の悪しき妖気を感じる。昼間にも見た怪しい男女。あの者達も怪しい妖気を纏っていた。そして、今。昼間の二人が霞むほどの大きな力を感じる。その力は突然現れた。まるで結界から飛び出したかの様に。


 暫くは様子を見ていた。何故ならこの不快な妖気を感じるのが、月丸の神社の方角からであったから。あの神社の周りで何かが起これば、きっと月丸と雄座が出向くであろう。あやめはそう思っていた。しかし、巨大で邪な妖気は、如何やら此方に向かっている様である。月丸の神社の方向で、直ぐに消えてしまったが、鬼神と思われる巨大な妖気を感じた。月丸達が動けない何かが起こっているのかもしれない。


「近付くこの妖気…。月丸さんの気にも似ている。でも明らかに違う。何なの?」


 一言呟くと、あやめの体が一陣の竜巻に巻かれた。風が消えると、いつもの洋装ではなく、真っ白な狩衣を纏い、腰には二刀の小太刀を佩く姿に変わっている。天狗の姫、あやめの戦装束である。

 幼き日より、鞍馬天狗と共に悪妖討伐に向かう際などに纏うものである。そこいらに現れる妖程度ではあやめがこの姿を見せる事はない。しかし、今目の前に感じる妖気は決して侮ってはならない存在であることを、本能で感じる。


「ここまで来られると、和代様にも危害が及ぶかも知れない。迎え撃つ。」


 あやめは一言溢すと、背から真白な翼を開き、夜の空に飛び出した。





 死姫は鼻歌まじりに闇の通りを歩いている。銀座から内堀に出ると、まるで行き先がわかっている様に内堀沿いを麹町へと向かう。


「あの式神の霊気は、とんでもないねぇ。道満はああ言うけど、今の私なら神にも負けないよ。」


 誰もいない、暗がりの内堀通りに、死姫の笑いが響いた。


 死姫は、月丸の分身である雄座から霊気ようきを吸い、自分の力としたことで、月丸の分身程度の力を得ていた。道満を引き連れ数百年、闇に紛れ数多の妖怪の霊気を吸い取り、自らの力としていた死姫は、月丸の力を吸った事で、驚く程大きく強くなった己の霊気を自慢げに放ちながら歩いていた。

 恐らく、帝都にいる矮小な妖怪などは、震えながら身を隠しているだろう。しかし、強い力を得た死姫には、そんな事は如何でもよかった。目的はこの先に感じる、強い妖気。天狗である。


 てふてふと、千鳥ヶ淵の辺りまで来た時、死姫はにんまりと笑みを溢し、足を止めた。


「まぁ、なんて可愛らしいのかしら。天狗と言うからには絵巻物に出てくる様な赤顔で鼻の高い奴かと思ったわ。」


 空を見上げながら死姫が言う。その視線の先には、翼を広げ、両手に小太刀を手に持つあやめの姿。


 あやめはゆっくりと死姫の面前に降り立った。


「答えなさい。貴女は何者ですか?」


 あやめは静かに、短く問う。


「私の名は死姫。黄泉よもつ神さね。あんたの力を貰おうと、態々歩いて来てやったんだよ。」


 死姫はにやりと不気味な笑いを浮かべ、あやめに応えた。


「随分と悪しき妖気を放つ。この地に害を成すなら只では起きませんよ。」


 あやめは月丸がやった様に、周囲に被害が及ばぬ様、二人の周りに結界を張った。その結界をきょろきょろと眺めながら、嬉々として死姫が言う。


「良いねえ。これ程の結界を刹那に張るなんて。余程の力がないと出来ない芸当よ。ただ…。」


 言葉を止めると、死姫はすっと地を滑り、あやめの目の前に立った。あまりの速さに、あやめは応じることができず、立ち尽くす。


「悪しき妖気なんて失礼よ。私達の言い方では霊気というわ。下賤な妖怪共の気配と一緒にしないで。」


 あやめの顔を覗き込む様に近付き、口が裂ける程に笑いを浮かべる死姫。慌てて飛び退こうとするあやめを、無造作に平手で叩き落とした。


 ばたりと地面に叩きつけられるあやめ。直ぐに飛び起き、小太刀を構える。しかし、その表情は驚きを隠し得ない。


「何なの?この女…。」


 あやめは天狗の中でも、特に早さに長けているという自負がある。その自分が目で追えない動きで迫った死姫に、あやめは警戒の色を強めた。


 そんなあやめを気にも止めず、死姫は嬉々として口を開いた。


「私もね。自分の今の力を試してみたいんだよ。あんたで楽しませて貰おうかね。」


 笑う死姫に、あやめは危険を感じる。小太刀を握り直し、とん、と、死姫に向かって駆け出す。あっという間に間合いを詰め、右の小太刀で袈裟に斬りつける。それを死姫が刀の様に伸びる爪で受け弾く。それと同時に左の小太刀が死姫の下から切り上げられる。死姫はすっと上体を後ろに逸らし、小太刀を避ける。


「まぁ、ひらひらとよく動く事。小太刀にも霊気を纏わせるなんて、器用ね。」


 何事もなかった様に、前髪を指で直しながら、死姫が笑う。あやめは一足飛びに後ろに下がると同時に右の小太刀を袈裟に振るうと、一陣の風刃ふうじんが死姫に向かった。


 死姫は右手をすいっと横に薙ぐ。


 死姫の動きに、あやめは咄嗟に小太刀を体の前で十字に構え、腕に力を入れた。その刹那。


どおん


 

 放った風刃は死姫の腕の動きと共に打ち消された。同時に構えた小太刀に強い衝撃を受け、あやめは後ろに飛ばされ、地面に転がる。


「何?今のは…。」


 考えが追いつかず、痛む体を起こすと、目の前の死姫は飛び跳ねて喜んでいる。


 あやめが咄嗟に構えたのは、意識してではなく、本能で危険を察知したのだろう。そうしなければ、首を刈り取られていたかもしれない。それ程、恐ろしい力を、手を払っただけで放つ死姫。


「この力…。黄泉神と言っていたが、かなりの上神なの?そんな神がなんでここに?」


 頭に浮かんだ疑問が口から漏れる。吹き飛ばされ、距離があるが、死姫はあやめの呟きを耳に入れていた。


「元は黄泉比良坂の番をしている下賤な神だよ。でもね、昨日見つけた式神の力を吸ったおかげで、今や上神程には強いかもねぇ。」


 非下ひげた笑いを浮かべながら、あやめの元にゆっくりと歩み寄る。あやめも何とか立ち上がり小太刀を構え直した。


「我ながら凄い力だわ。これで天狗と妖霊の力を頂ければ、百鬼夜行を操ることも容易そうね。」


 愉悦の表情を浮かべ、掲げた腕を見上げる死姫。

 あやめは余裕を見せる死姫を目にしつつ、大きく深呼吸をすると、声を上げる。


「改めよう。我が名はあやめ。天狗の長、鞍馬の孫にしてこの地にわざわいもたらす穢れを払う者なり!」


 言うと同時に、あやめは死姫に駆けた。右の小太刀を横薙ぎに斬り付ける。その刃を長い爪で弾く死姫。弾かれた勢いのまま、くるりと回り、左の小太刀を逆手に持ち替え、下から切り上げると、死姫はその刃を後ろに下がり避ける。あやめはさらに踏み込み、右の小太刀で突きを放つ。


「うぅ」


 小太刀は死姫の横腹を掠め、死姫は短く唸り声を上げる。あやめは横腹を抑え、動きの止まった死姫から、とん、と後ろに跳ね飛びながら、数多の風刃を放った。

 風刃を消し去ろうと、死姫が先程と同じく、腕を横薙ぎに払おうとした刹那。


雷嵐らいらん!」


 死姫の動きよりも早く、あやめの叫びが響く。同時に、死姫の立つ場所から、いかずちを纏う竜巻が現れ、死姫を飲み込んだ。


 天に立ち上がり、轟々と音を立てる竜巻。あやめは構えを解くことなく、己の術の結末を見守る。

 ばちばちと雷が竜巻の中で密度を帯びてゆく。


ばぁん


 轟音と共に、竜巻の中の雷が、一所に収束し、竜巻を消失させながら弾け、一面を煙が覆う。


 雷嵐。

 巻き込まれたものを風刃で切り裂きながら、幾重もの雷により、その身を焦がす。只の妖怪であらばひとたまりもないであろうあやめの得意とする術である。


 あやめは油断することなく、砂煙の中心に向かい、二刀の小太刀を突き向けると、小太刀に風が纏わり付く。


嵐刃らんじん!」


 あやめが叫ぶと、面前の土煙ごと包み込む丸い結界の様なものが現れ、その中を嵐の様に何十、何百の風の刃が乱れ飛ぶ。


 轟々と音を立て、内側に存在を全て切り裂く風を操る天狗の奥義である。


 その様を見ながらも、あやめは構えたまま、嵐刃の球を見据える。やがて嵐刃の球はすっと消えた。

 現れたるは死姫の姿。


 華やかな洋装に身を包んでいた面影はなく、衣服は切り刻まれ、その皮膚は破れ、雷嵐により、黒く焼けている。髪は茫々と乱れ、立ってはいるがふらふらと揺れていた。


「くふ…ふふ。恐ろしい…わ。これが…山神と謳われる…強き妖怪、天狗の力…なのね。」


 真っ黒に焦げた死姫の表情は判らない。しかし、その声は笑っている。その姿に、あやめは背を凍らせる。


「そ…の、力が…私のもの…になるなんて……」


 そういうと、死姫はゆっくりと右手を上げると、手を開いた。その刹那、あやめに向かって、五本の爪が伸びた。


 目に見えぬ程の速さで伸びる爪を、あやめは気配だけで横飛びに避け、小太刀で払う。しかしその全てを避けきる事はできず、右の腕に一本の爪が突き刺さる。


「くう」


 短く呻き声を上げると、あやめは膝から崩れ落ちた。


 からんからん


 あやめの手にしていた小太刀は、その手を離れ、地に転がった。両の手の指には小太刀を握る力すら入らない。指だけではない。あやめは自分の体から、力が抜けていくのを感じる。


「私の妖気を…吸い取っているのか…。」


 何とか顔を上げ、死姫を見据えると、あやめの術によってぼろぼろになったその体は、みるみると傷が癒え、髪も、肌にも艶が戻る。先程までの、黒く焼け、今にも朽ち果てそうな姿はどこにもなかった。


「あやめと言ったわね。凄いわ。貴女の霊力。今や黄泉の上神にも届く私をこれ程痛めつけられるんだから。」


 腕を刺され、ふらふらと今にも気を失いそうなあやめに、死姫は怪しい笑いを浮かべる。


「消え去る間際だったわよ。死ぬかと思った。でも、あんたから受けた傷はほら、あんたの霊気ですっかりと治ったわよ。」


 体は癒えたが、服は破れ、その肢体を露わにしている死姫。自身の体を見ると、改めてあやめに目をやる。


「あんたの霊気、昨日の式神と同じくらいね。この地にこんな強い霊気を持つ妖が二人もいてくれて助かったわ。今や私の力は百鬼夜行も従えられそうよ。」


 そう言うと、あやめに刺さる爪を縮め、抜き取る。その拍子にあやめはどう、と地面に倒れ込んだ。

 満足そうに指を曲げ伸ばしながら、死姫はあやめに歩み寄る。


「あんたのせいで服もぼろぼろになっちまったよ。替わりに服も貰っておくよ。心配しないで。裸で捨て置くことなんてしないから。毛も残さずに喰らい尽くしてあげるわ。」


 意識はまだある。あやめは今、声も出せず、指の一本も動かすことが出来ずにいた。死姫の手が自分に伸びてくるのを感じるが、最早どうする事も出来ない悔しさで、目から涙が流れた。


 死姫はあやめの襟を掴むと、ゆっくりと持ち上げ、あやめの顔を覗き込んだ。


「あら嫌だ。天下の天狗様を泣かせちゃったわね。安心をし。私はこの力を、百鬼夜行を使って黄泉の大神となるわ。その糧となるんだから、喜んでいいのよ?」


 笑いながら、あやめの狩衣を剥ごうとする死姫。



どさり



 

 持ち上げられたあやめの体は、再度地面に倒れ込んだ。その襟には死姫の体から切り離された腕が残る。


 切り落とされた腕の先を見ながら、何が起こったのか分からぬ様に目を見開く死姫。次の瞬間、死姫は強い衝撃を受けて、吹き飛んだ。



「あやめさん!大丈夫か?」


 あやめは何とか目蓋を開く。そこにはあやめを抱き上げ、不安そうに覗き込む雄座の姿。


「来てくれたんですね。雄座さん。」


 そう言おうとしたが、僅かに口を動かせたのみで、声にならなかった。だが、あやめは安堵した。雄座が来たのであれば、此処には妖怪の頂点たる存在、御妖霊である月丸が来ている。ならば、死姫の腕を切ったのは月丸であろう。

 あやめは不安そうな雄座に心配をかけまいと、にこりと笑って見せると、そのまま気を失った。

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