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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第陸幕 しき
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しき 拾肆

「あやめさん!しっかり!」


 あやめを抱き抱え、声をかける雄座。あやめはふと笑みを浮かべたかと思うと、そのまま脱力してしまったので、雄座は慌てた。


「月丸!あやめさんが!」


 月丸はすたすたと、死姫と雄座達の間に歩み立った。その目は死姫から離すことなく警戒する。

 月丸にはあやめの妖気がとても弱くなっているのに気付いている。しかし、弱く、小さくなっているだけで、消失しているわけではない。妖怪が、しかも高位の存在である天狗が、その程度で死ぬはずもない。先ずは、目の前の死姫を止める事を優先した。


 月丸は振り向くことなく、雄座に言う。


「恐らく、安堵して気を失ったのだろう。雄座、介抱してやってくれ。」


 言うと同じく、雄座達は淡い光の球に包まれた。雄座にも、それが月丸の結界であるのは直ぐに理解できた。


「分かった。気を付けろよ、月丸。」


 雄座は懐から手拭いを取り出すと、あやめの腕の傷の上から縛り、血止めをすると、着ていた綿入れを脱ぎ、抱き抱えるあやめに掛けた。



「ああああああああああ!」



 恐ろしい雄叫びにびくりと肩を竦ませる雄座。吹き飛ばされ、二間程離れた桜の木にぶつかり倒れていた死姫が起き上がり空に向かって声を上げていた。


「誰だぁぁ!私の腕を切りやがって!」


 死姫は大きな目を見開き、辺りを見回す。ふと、それに気付く。

 あやめの側に、昨日見た式神の男が居る。その前には肩ほどの長さで薄紅の髪、肌は白く、この暗がりですらそれとわかる真紅の目と相まって、異質を放つが、その見目は随分と愛らしく、少女の様である。

 死姫は雄座を見遣るとにまりと怪しい笑みを浮かべ、声を上げた。


「よく見れば昨日の男じゃないか。生きててくれてよかったよ。私の腕を切ったのはお前だね?」


 雄座は答えない。しかし、死姫は言葉を続ける。


「今日は良い日だよ。昨日のお前から吸った霊力、そしてその天狗から吸った霊力。そしてもう一度お前さんから吸い上げれば、私は大神にでもなっちまうんじゃないか?この腕だって元に戻るだろうしね。」


 恍惚の表情でゆっくりと、きゃははと笑いながらゆるりと雄座に近づく。その姿に雄座は顔を顰め目を背ける。


「お前の相手は俺がしてやろう。」


 死姫の前に月丸が立ち塞がる。死姫は初めて見る月丸を注視する。その見目から、何某の妖怪であろうが、その者が放つ霊気は小さく、弱いものである。不快そうに死姫の眉間に皺が寄った。


「相手だぁ?何だい小娘。今更お前程度の妖には用がないんだよ。」


 そう言いながら、死姫は月丸に向けて手を払った。


ぶん


 数百年狩り続けた妖の妖気。月丸の分身の妖気、あやめの妖気を蓄えた死姫は、手を払っただけで、その手から月丸に向かって黒い瘴気でできた刃が現れ放たれた。


 月丸は避けることなく、自身を守る結界で受け止める。




ぎいいん


ばりん



 月丸の結界は死姫の瘴気の刃により、容易く破れた。月丸はさっとその刃を叩き上げると、瘴気の刃は軌道を変え、空へと消えていった。


「月丸!大丈夫か?」


 不安そうに声をかける雄座に、月丸はいつもの笑みで振り返った。


「心配するな。先程も言ったであろう?妖霊の力を見せてやると。任せておけ。」


 月丸は死姫に向き直す。


 この死姫。昨日は雄座の姿での式神程度ではあるが、妖霊の妖気を吸い取り、そして今、あやめの力も得た様である。先程の技で月丸は理解した。まだ風を操れず、瘴気となったが、あやめの風刃を模した技である。そして妖気だけなら、月丸の分身を遥かに凌ぐ妖気を放つ。


 神の力を全て体に宿した道満ですら、月丸の結界を破るには、幾多の撃を重ねた。しかし、今の死姫は腕のひと撫でで破った。その力は高位の神に匹敵するのであろう。存分な力を出せない分身体の月丸には些か分が悪かった。


 それでも月丸はすたすたと死姫に無造作に歩み寄る。死姫も、月丸を脅威と感じていないらしく、にやにやと不敵な笑みを浮かべながら、月丸が側に来るのを待っていた。

 やがて、死姫が手を伸ばせば、月丸に届く程の面前にやってきた月丸。


「今の俺は式神みたいなものだから、全ての力は出せぬ。雄座も居るし、あやめも心配なのでな。さっさと終わらせてやる。」


 月丸の言葉に死姫は声を上げて笑った。


「あははは。あんたが私を討とうと言うのかい?面白い事を言うわ。」


 死姫はふぅっと笑いを止めると、苛立った様に声を荒げた。


「今更お前程度の雑魚妖怪には用はない!消えな!」


 そう言うと、死姫は掌を月丸に向けた。その手の内より、煙の様な、黒く、禍々しい瘴気が噴き出し、あっという間に月丸を包んだ。


 雄座はあやめを抱き抱えたまま、月丸を見守る。月丸は心配するなと言った。だからこそ雄座は月丸が無事で戻る事を信じ、見守るのみであった。


 瘴気はまるで生きているかの様に、月丸に纏わり付く。死姫はふん、とその瘴気を見下すと、ゆっくりと雄座を見やる。


「こんな矮小な奴の霊気なんか要らないわ。この瘴気はね。生ける者に纏わり付き、溶かし尽くす。でも、あんたとその天狗は美味しく頂いてあげるわ。」


 そう言いながら、死姫は霊気を吸い取ろうと、雄座に向けて指を向けた。


 その刹那。


 ぼとりと死姫のもう片方の腕が落ちる。唖然と落ちた自分の腕を見る死姫。


「ぎゃぁぁぁぁ」


 死姫は驚きと痛みに声を上げ、膝をついた。


「これでその癖の悪い爪は使えまい?」


 その声と同時に、月丸を包んでいた黒い瘴気はしゅるしゅると巻き取られる様に、月丸の手に集まっていった。そしてそれは小豆ほどの小さな玉となり、月丸の手の中に収まった。


 何事もなかった様に、月丸はにこりと死姫に笑いかけた。驚きに目を見開く死姫。


「ほら。返してやろう。」


 月丸はそう言うと、先程の小さな瘴気の玉を死姫に向け、軽く放った。

 玉は山なりにゆっくりと死姫に飛び、胸元にとん、と当たった。


ごう


 玉が死姫に当たった刹那。ぶわりとその玉から瘴気が広がり、死姫を包む。


「ぎゃぁぁぁぁ」


 瘴気に包まれ、何が起こっているのかは判らないが、中より死姫の叫びが響く。


「強くなったお前自身が産んだ瘴気だ。満足に操れないお前では、自らも消し去るぞ。」


 もうもうと形を変える瘴気を見据え、月丸はふむ、と小さく頷くと、くるりと雄座の元へ駆けてきた。


「もう、倒したのか?」


 訊ねる雄座に月丸が応える。


「来る。身を低くして動くなよ。」


 そう言うと、雄座に背を向け、月丸にしては珍しく、両の手を前に出すと、まるで空に輝く月の如く、輝く壁の様な結界を作り出した。その結界は、雄座の目からもそれと分かるほど、周りに張られる結界よりも輝きが強く、厚い。


 次の瞬間、死姫を包む瘴気が月丸に向かって弾け飛んだ。

 月丸は結界で瘴気のかけらを受け止める。


きいいん、きいいいん、と結界に瘴気のかけらがぶつかる。甲高い音が千鳥ヶ淵に幾つも響く。音がする度に月丸の体が揺れる。

 これまで雄座が見てきた月丸の結界は、妖狐の牙も、河童化けの瘴気も、道満の術も、月丸は涼しい顔で弾いた。今、目の前の月丸は、吹き飛ぶ瘴気のかけらが当たる度に押され、体を揺らし、必死に踏ん張っている様にも見える。


(神であれば太刀打ちできぬよ。)


 雄座は以前、妖狐退治の際にその様な事を言ったのを思い出す。死姫は自らを神と言った。雄座の頭に不安が過るが、今はただ、月丸を信じる他ない。


 やがて瘴気が収まり月丸が結界を解いた。手を下ろし、ふう、と一呼吸すると、後ろ手に雄座に手を向けた。


「何だ?」


 月丸の所作の意味はすぐに理解した。雄座とあやめの周りに、また、球状の淡く光る結界が張られたのだ。

 月丸は正面を見据え、言う。


「すまんな。全力で護らねば、先程の瘴気を受け止められなかったのだ。」


 月丸はあの弾けた瘴気から雄座を護るため、自らが今できる最大限の結界を持って、雄座の前に立った。そのため、事前に雄座に張った結界すら、解いて力を集中させる必要があった。


 雄座はああ、と小さく頷くと、ゆっくりと死姫に目を遣る。

 既に果てたのか、体は黒く変色し、所々溶け落ちている。既に顔すらわからない。


「終わったようだな。」


 雄座の言葉を月丸が否定する。


「まだだ。死姫が現れるぞ。」


 月丸の言葉に、雄座は暗がりで目を凝らす。死姫の体はぶるぶると震え始め、腹を破り六本の長い竿に大きく毛に覆われた楕円の何かが、ぎりぎりと音を立てて現れた。


「月丸…。」


 あまりの光景に、雄座は一言、月丸の名を呼ぶ事しかできなかった。


 死姫の腹を裂いて現れたのは、八尺程度もある巨大な蜘蛛であった。いや、蜘蛛のような姿をした者であった。前二本の足は死姫の腕だったのであろう。斬られて既に無い。頭の上には、先程までの死姫の体が、まるで糸の無い操り人形の如く、だらりと傾き付いている。


「痛い…痛い…。許さんぞ小娘ぇ…。私の瘴気を返すとは…何奴よ…。」


 怒りに震える死姫の声に、月丸は右手を前に差し出し、人差し指と中指を立て、まるで陰陽師が印を結ぶかのような構えをとると、口を開く。


「お前が数百年、この地で探し続けていたんだろう?俺が妖霊だよ。」


「お…前が。」


「よう…りょう…。」


「妖霊………。」


「力を…」


「力を寄越せーー!」


 死姫は甲高い声で叫ぶと、口から糸を噴き出し、宙に浮かぶと、二本の足が月丸に向かって伸びた。


 月丸の背後には雄座とあやめがいる。月丸は死姫の足を避ける事なく、足を開き踏ん張ると、差し出していた右手の下に左手を開き重ねた。

 刹那、音もなく、辺りに大きな光が広がる。あまりの眩しさに雄座は俯き目を閉じる。


「ああああああぁぁぁぁ…。」


 光が消え、不気味な声に雄座は目を開けると、月丸に向けて突き伸ばした死姫の蜘蛛の足はまるで刃で落とされた様に、先がなくなっている。そしてその痛みからか、死姫は不気味な呻き声を発していた。


「よ…妖霊ぅぅぅ!」


 死姫は辺りある桜の木々に糸を吹き付けると、その糸や木の間を雄座では目で追えぬ程の速さで、飛び跳ね回る。


ぱし


ぱし



 木を蹴る音、糸を弾く音が辺りに響く。それは徐々に早くなり、一つづつであった音は、いつしか、繋がり一つの音になる。


 月丸はさっと駆け出すと、死姫が飛び回っているであろう場所の中心。やや広めの場所で立ち止まる。

 その瞬間、どこからか、蜘蛛の糸が月丸に吐かれる。その速さは、高速で跳ね回る死姫から吐かれているのであろう。見えぬ場所から見えぬ速さで飛んでくる。


 月丸はそれを手より現した焔で焼き落とす。


「妖霊ぅぅぅ、力を寄越せぇ。」


 何処から発しているかすら分からぬ死姫の声。月丸は辺りに気を遣る。


 背後から。


 上から。


 右から。


 左から。


 様々な方向から、月丸を捉えようと、糸が襲い掛かるが、月丸は冷静にその全てを焼き切っていった。


 すると、死姫は更に速く飛び回った。最早木や糸を蹴る音は無く、風を切る音だけになる。月丸の周囲から、先程の瘴気の刃が四方より月丸目掛けて飛んでくる。分身の作る結界ではこの刃を防げない。月丸は右に左に舞う様にそれを避けてゆく。


 四方八方から飛んでくる瘴気の刃。そこに紛れていた一本の蜘蛛の糸が、月丸の右手を捉えた。右手を掴まれた事で、瘴気の刃を避け切る事が出来ず、月丸の腕や足を掠めた。


 次の瞬間、四方八方から糸が襲い掛かり、瞬く間に月丸を縛り上げた。

 四方から伸びる糸に巻かれ、宙に浮く月丸。その目の前に、どすん、と死姫が降り立った。


「捕まえた…。これで私の願いは成就する…。」


 雄座は如何して良いか分からず、ただ目を見開き震えていた。


「月丸!」


 名を呼ぶ声は出ず、あやめを抱える腕の力が抜ける。



 死姫は牙を広げ、月丸を喰おうと顔を近づけた。


「捕まえたのは俺だ。あの速さでは捕まえられたものではないからな。」


 次の瞬間、轟音と共に、空から光が走った。天より巨大な雷が、死姫に落ちたのだ。それは一度ではなく、二度、三度と繰り返す。


「ぎゃ」


 僅かな死姫の叫びは雷の轟音に消えた。


 轟音と衝撃に雄座はあやめを庇いながら身を低くする。雄座には覚えがある。河童化けの住処を壊した時に月丸が使った術である。だが、あの時、この術を使って月丸の分身は解けた。ならば月丸は、これで終わらせる気でいるのだと気付いた。


 

 音が止み、雄座がゆっくりと顔を上げると、死姫の姿があった。月丸の術で討てなかったのであれば、月丸の分身が解けてしまう。


 そう雄座が慌てた時、死姫の体はさらさらと灰のように風に飛ばされ消えていった。月丸は自分を縛る蜘蛛の糸を焔で焼き切ると、すたりと地に立ち、ゆっくりと雄座の元へ歩み寄る。


「終わったよ。雄座。怪我はないか?」


 いつもの、穏やかな笑みを浮かべる月丸。避けきれなかったのであろうか、その体のあちこちに死姫に斬られて、服は破れ、肉が裂けている。分身のためであろうか。裂けた皮膚からは血が出ていないが、その姿から、雄座は戦いの恐ろしさに震えた。


「大丈夫なのか月丸?怪我をしているじゃないか。」


 不安と心配が入り混じる雄座を、月丸はにこりと笑い落ち着かせる。


「大丈夫。ただ、すまない。力を使いすぎて、もう分身を支えられない。あやめを癒すから、社まで連れてきてくれ。」


 そう言うと、月丸は淡く光ると、無数の傷の残る一本の梅の枝となった。

 雄座は一つ、深く息を吐くと、梅の枝を拾い、懐に入れると気を失っているあやめを背負い、銀座へ向けて歩き出した。

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