しき 陸
雄座は腕を抱えて小走りで月丸の元へ向かった。
「どうだった?」
そう聞く雄座に、月丸は苦笑いを浮かべ答えた。
「すまない。やられてしまった。」
月丸の言葉に雄座は驚いた。妖狐よりも河童化けよりも、天狗であるあやめよりも強いであろう妖霊の月丸が負けたと言うのは、雄座にとって衝撃的であった。
月丸はそうなる可能性は感じていたため、気にする事もない。分身が雄座から離れていたため、徐々に力が薄れていくのを知っていた。事前に鳩の式神でどこまで離れられるかも確認していた。だが、社から近過ぎては社の外にいる雄座を危険に晒す可能性がある。だからこそ、力が消失するぎりぎりの場所を戦いの場に選んだ。そのせいで、妖力が弱り負けてしまったのだが、雄座に知らせれば、身の危険を顧みずに自ら赴き力を貸そうとするだろう。だからこそ、その事は雄座には伏せたままとなった。
「寒かっただろう。雄座。小屋の火鉢は暖まっているから、先ずは暖を取ってくれ。」
驚く雄座に、月丸は優しく声をかけ、背中を押しながら小屋へと向かった。
小屋に入ると、雄座を火鉢の元へ連れて行き座らせると、月丸は沸かしておいた湯でお茶を入れ、雄座に手渡した。そして自分も、雄座の前に腰を下ろした。
「あの男はお前が負けるほどの強敵であったのか?」
心配そうに訊ねる雄座に、月丸はいつもの調子で応える。
「まぁ強いは強い。古い時代の陰陽師だそうだ。死して後、黄泉返ったそうだ。名を「芦屋道満」と名乗っていた。」
月丸の言葉に今度は驚いたように雄座が声を上げる。
「芦屋道満だと?それは本当か?」
雄座の驚きように、月丸も目を丸くした。
「雄座。芦屋道満を知っているのか?」
そう訊ねる月丸に雄座が興奮したように床板にばん、と、手を付きながら身を乗り出して答えた。
「知っているも何も、古くは簠簋内伝や安倍晴明物語などで語られる平安の世の陰陽師だぞ。歌舞伎や町芝居の演目でも出てくる。土地によっては神と奉られる道摩法師その人だ。物語の中では安倍晴明に次ぐ力を持つ陰陽師だ。」
雄座の言葉に月丸は先程の男、道満を頭に思い浮かべた。
「ほう。書に描かれるほどの男であったか。どおりでぽんぽんと式や術が出るわけだ。」
雄座は体を起こすと、腕を組み道満の出てきた物語や歌舞伎を思い出す。
芦屋道満。
後に平安時代と呼ばれる時期に現れた陰陽師である。伝説的な陰陽師である安倍晴明の活躍を描いた書や芝居が多くある中で、その宿敵として、又は悪役として現れる。
欲深く、自らの悲願の為なら、晴明はおろか、公卿、帝にも牙を剥く悪の塊たる陰陽師。
それが雄座の知る芦屋道満であった。
考え込む雄座に月丸が笑みを浮かべ、語りかけた。
「やられてしまったのは、俺の油断だ。すまない。だが彼奴らの狙いは分かった。どうやらお前を妖怪と思って力を奪おうとしていたようだ。」
月丸の言葉に雄座が驚いた。
「以前もあやめさんに妖怪と思われたが…。また月丸の妖気が移ったか?着物はそれなりに洗っているのだがな…。」
自分の服をくんくんと嗅ぎ、匂うはずのない妖気を確認する雄座。月丸はそんな雄座をくすりと笑い、語りかける。
「雄座。本来なら言うべきではないのだろうが、お前を護ってくれる者がおる。その者はお前がこの社に来る度に俺の妖気を浴び続け、いつしかとても強い力を得たようだ。」
心当たりのない雄座は首を傾げる。月丸はうん、と頷くと、今度はまるで雄座の側に誰か居るかのように語りを続けた。
「その者は自分がそれ程強い力を得たとは思ってもみなかったのだな。溢れ出る妖気を抑えられないようだ。俺も世話になったし、せめて、その溢れる妖気をなんとかしよう。」
そう言うと月丸は雄座に向け手を広げ向けた。その刹那に雄座を暖かく包む何かを感じた。決して不快なものではなく、懐かしく、心が休まる。雄座は何故かふと、幼き日の母の姿を思い出した。
暫し、雄座はその心地良さに目を閉じていたが、やがて目を開き、月丸に問う。
「月丸…。今のは?」
既に手を下ろし、お茶を啜っていた月丸が答えた。
「俺も以前は気付かなかったが、お前から出る妖気はお前を護る者の気だよ。お前を護る者の力が溢れ出ぬよう、結界を張っただけだ。その者を封じた訳ではないから安心おし。」
そう言って笑う月丸を見ながら、雄座はその守る者が何者かを尋ねようとしたが、言葉を止めた。
そして懐に手を入れると、普段から持ち歩いている万年筆を取り出し、眺める。
「お前が手を向けた時、何故か母を思い出した。」
万年筆を眺める雄座の目は優しく、その姿を見る月丸もまた、穏やかにうん、と頷いた。
「これでお前の妖怪疑惑は消えた。もう奴らに見つかることはないだろう。妖怪は離れていても妖気で何者かを知ることができるが、人のように妖気を持たない者は目でしか探せぬからな。」
疑惑と言われ、雄座が笑う。
「酷い言いようだな。まぁでも、護って貰えてありがたい事だ。その者にも。お前にも。」
雄座が月丸に軽く頭を下げた。
「ふふ。そう言ってもらえると此方も有り難い。」
月丸も雄座に向け軽く頭を下げ、二人して笑った。
落ち着きを取り戻したところで、月丸は雄座に芦屋道満の逸話をいくつか聞くと、道満との戦い、途中で現れた死姫の事を話して聞かせた。その話を雄座は驚きの声を漏らしつつ、聞き入った。
月丸が事の流れを語り終えると、雄座は驚き疲れ、呟いた。
「式神に鬼に護法童子。これはまるで、安倍晴明物語でも語り聞かされているようだ。」
雄座の呟きに、月丸も笑みを浮かべたまま、お茶を口に運んだ。喉を潤すと、月丸が返す。
「ふむ。俺も実は驚いた。古の陰陽師はあれ程の力を持っているとはな。」
最早伝説として語り継がれる陰陽師の一人である。分身とはいえ月丸を討ち倒した道満に狙われたと思うと、雄座は身震いした。
「ただ、先程の道満の戦い。彼奴は淡々と戦っていたように思える。唯一、感情を浮かばせたのは、妖霊という言葉を聞いた時であった。」
妖霊を打ち滅ぼし、百鬼夜行を放つと言った道満。思い出す月丸の顔は僅かに曇った。雄座はその表情を見逃さなかった。
「何か、思うところがあるのではないか?」
雄座の問いに月丸は笑って首を振った。
「いや、大丈夫だ。しかし、奴らを放っておくのは些か不安だな。お前の妖気は抑えても、町中でばったり会うこともあるやも知れぬしな。」
月丸の言葉に、雄座もむう、と息を溢す。確かに、人混みならともかく、ずっと人の多い道を歩く訳でもない。月丸の言うとおり、町中で遭遇しては雄座としては自分でどうすることもできないだろう。そんな雄座に月丸は言う。
「もう一つ気になるのが、死姫と呼ばれた女だ。俺が居た辺り一帯、人が巻き添えを喰わぬよう、結界を張っていたのだが、その結界すらも破って入ってきた。何より気配を感じさせなかった。一体何者やら…。」
月丸は道満と死姫を思い出す。雄座を狙っている。そして奴らの目的は、百鬼夜行を解き放つこと。その為に自分を討とうとしている。
しかし、それを分かっていても、雄座が居なければ何もできない自分に僅かな苛立ちを感じていた。




