付喪神 壱
日も昇りきろうとしている昼前。曇り空からふわりふわりと雪が舞い落ちる。落ち葉を竹箒で集めながら、月丸は境内で空を見上げる。
「火鉢でも用意しておこうかな。今夜は冷えそうだ。」
件の河童化け以来、これといった騒ぎもなく、月丸は穏やかな日常を過ごしている。昨日は、昼間に雄座がやって来て、新しい小説を書いてみたので読んで欲しいと頼まれた。昨日は忙しかったのか、「明日また来る。」そう言い残して夕方には帰っていった。
月丸は昨晩、雄座に預かった小説を読み浸っていた。雄座と出会ってから、雄座が月丸に見せる物語には妖怪が現れた。ある物語では昔から言い伝えられる様な恐ろしい異形の者であったり、また、ある物語では人を救う神の様な者であったり。雄座から様々な空想の話を聞く度、読む度、小説に馴染みのなかった月丸はその物語に引き込まれた。それと同時に、見たこともない、それどころか実在しない物語が、雄座の頭の中で創られ、産まれることが、月丸にとっては神秘的なものに見えた。
雄座の作る物語を読む事は、月丸にとっての楽しみとなっていた。
昨日雄座より預かった小説は、妖怪は出てこない。舞台は、清国の様な、印度国の様な空想の世界。その国に産まれた王子と、天より舞い降りた天女との恋物語である。
父を討たれた王子は逃亡の中で、天より落ちてしまった天女と出会い恋をする。天女を天に戻すためには、地の王が天の王に進言しなければならない。地の王となるべく、父を討った者を倒し、自らが王になり、天の王へ頼み、天女は帰って行くという物語であった。
読む内に、月丸の頭の中にその情景がありありと浮かんだ。読み耽ってる内に、気が付けば朝を迎えていた程である。
感想を伝えようと、雄座が来るのが待ち遠しい。
「さて、火鉢は何処にあったかな?」
そう呟くと、月丸自身が使うことのない火鉢を探しに、足取り軽く、納屋へと向かった。
同じ時刻、雄座は市谷にある出版社へ向かうため、神楽坂付近を外濠沿いにてふてふと歩いていた。吐く息は白く、葉の衣を落とした外濠沿いの桜の木々と、先程からはらはらと舞い落ちる僅かな雪が、より一層冬の到来を感じさせる。雄座は普段、シャツの上から着物を纏い、袴姿の貧乏な文士そのものの姿である。着るものには頓着しないため、同世代の青年の様に、洋風外套などは持っていない。綿の薄くなった厚手の羽織りを纏って寒さをしのぐ。
市谷へは出版社への用向きで行っていた。どうやら新聞で連載されている「天狐御伽草紙」が中々の話題となっており、それにあやかって雄座に自社の婦人誌にも書かせよう、となったらしい。是非来て欲しいというので、本日向かうこととなった。
とはいえ、外濠の通りは風を遮るものがなく、容赦なく冷えた風が雄座に当たる。北から吹く風は、神楽坂にある石鹸工場から香る石鹸の香りを運び、雄座の鼻をつく。淡い匂いが僅かに心地良いが、この北風はよろしくない。
「こう寒いのであれば、市電を使えば良かったな。」
吹く風に腕を抱きながら、雄座は呟いた。雄座の言う「市電」とは、東京市電の路面電車である。元々、東京鉄道という民間会社が鉄道を整備し、路面電車を運行していたが、四銭、五銭の運賃が高く、雄座だけでなく、市民からも不評であったらしい。その為、市営にするべく、つい昨年の明治四十四年に、東京市が買収し、東京市電気局が路面電車を引き継いだため、「市電」と呼ばれる事が一般的となった。しかし、雄座にはそれまでの、路面電車は高く付く。そんな印象が残っているため、どうにも乗る気になれない。雄座自身も、
「路面電車は勤め人の様な忙しい者が乗る乗り物だ。俺みたいな時間のある奴には必要ないだろう。」
勝手にそう思い、未だ乗らず終いである。
寒さはあるが、戦争以来発展し続ける東京の街並みを見ながら歩くのも悪くない。そう思い直し、手に息を当て擦りながら、歩を進めた。
やがて程無く、市谷に着く。市谷には陸軍学校があり、前の通りからでも訓練の声が聞こえる。出版社はそんな陸軍学校の近くにあった。この出版社は雄座が長く世話になっている編集者が勤めている。まだ物書きにならんとしていた時、ここの編集者が拾ってくれた。そして、物語の書き方や、食っていくための芝居の台本の仕事なども与えてくれたのだ。それからずっと付き合いのある出版社である。雄座も通い慣れているため、若い士官達の気合の入った声を聞きながら、するりと建物に入っていった。
建物の中の一部屋、ドアには丸山書房と書かれた質素な看板が架けられている。雄座は慣れた様にドアを開けて、部屋を入っていった。
「おう、神宮寺君。来てくれたか。」
入ると、一人の壮年の男が雄座に声をかけた。
「こんにちは。丸山さん。遅くなってしまったよ。」
丸山と呼ばれる壮年の男は、丸眼鏡に口髭、髪は綺麗に七三に整えられる。着ているスーツも綺麗にシワが伸ばされており、その容姿は、本人の几帳面さを窺わせる。この男が、この出版社の社長であり、編集長を務めている。
上京してすぐの雄座は色んな新聞社や出版社に小説を持ち込んだ。当時の雄座が紡ぐ物語は、まるで西洋の難解な物語の様な、一般受けはしないようなものであったため、新聞や出版社に断られ続けた。丸山は持ち込んできた若い雄座に可能性を感じ、雄座を指導してくれたり、物書きの勉強になる仕事などを斡旋してくれた。
元々、天狐御伽草紙は雄座が書き上げた後、丸山の元に持って来た。丸山は天狐御伽草紙を読み、これは面白い話だと絶賛した。そして読者層の殆どが婦人である自身の雑誌より、多くの人の目に留まる新聞でやるべきだと雄座を促した。そして、丸山の思惑通り、多くの人が天狐御伽草紙を楽しみにするようになった。
「何だい。雄座君。この寒いのにまた歩いて来たのか。電車で来ればすぐだろうに。まぁ、金が入っても変わらない君だからいいのか。」
丸山はそう言いながら、薪ストーブの近くに椅子を運んで雄座に座る様に促した。雄座は軽く会釈すると椅子に座り、薪ストーブに手を向けた。
「そんなに金があるわけではないですよ。でも、丸山さんのおかげで天狐御伽草紙も日の目を見られたし、生きていく事ができる程度は稼げる様になりました。」
そう言って、雄座はまた頭を下げた。丸山はもう一つ椅子を運び、雄座の前に置いて座った。それに合わせて、男性社員が、二人にお茶を持って来た。雄座は礼を言いお茶を受け取ると、一口含んで口を潤した。丸山もお茶を受け取ると、笑いながら言う。
「毎週、天狐御伽草紙が載る日の新聞は直ぐに売り切れちまう。活劇も冒険譚も人情も空想も詰め込んだ話を書ける大人気作家、神宮寺君が言うことかよ。」
ずずっと音を立ててお茶を啜ると、丸山が語を続けた。
「この前も伝えたが、人気作家の神宮寺君にうちでも何か連載してくれないかと思って打診したんだが、どうだい?出来そうかい?」
座ったまま前のめりに雄座に問いかける丸山。
雄座はこの丸山に恩を感じている。ここまで来るには、丸山の助力がなければ、物書きにも成れずに終わっていただろう。そんな恩人が言うなら、是非やりたい。雄座は即答した。
「是非お願いします。丸山さんの雑誌で書かせてもらえるなら、こちらもやる気が出ますよ。」
やる気を見せる雄座に丸山も笑顔を溢す。
「人気作家にそう言ってもらえるとこちらも嬉しいよ。うちの読者層は婦人が殆どだ。天狐御伽草紙程難しい話ではなく、活劇も空想も浪漫も詰め込んだ様な物語、やれるかい?」
雄座は丸山の質問にふと気付く。つい最近思い付いて、一通り話の出来上がったものがある。最初に読んでもらおうと、昨日月丸に渡した小説だ。
「やれるかもしれないです。近いうちに持ってこれるかと思いますよ。」
雄座の言葉を聞き、丸山がまた身を乗り出した。
「へぇ。もう何か考えているのかい?どんな話だい?」
雄座は物語の概要を伝えると、丸山は興味を示して、そのまま打ち合わせることとなり、お互い真剣に語り合った。暫くすると、社員から定時になった旨が丸山に伝えられた。窓を見ると既に外は真っ暗になっている。この時期、午後五時には既に日も落ち、夕刻と呼ぶよりは既に夜の様相である。
雄座は丸山に、時間を取らせたことを謝り、改めて数日の内に原稿を持ってくる約束をして出版社を後にした。
建物を出ると、日が落ちた分、寒さもきつくなっている。雄座は体を震わせると、月丸の元へと足を向けた。




