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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
幕間
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神宮寺雄座

 秋も深まり、朝夕はすっかりと冷え込む。日が昇らんとする朝方。雄座は綿の潰れた布団に包まる。この冷える時間にうっかりと目が覚めてしまった自分に苛立ちを覚えつつ、布団に包まったまま、日が差し込み部屋が暖まるのを待つ。


 雄座の自宅は親戚の金子子爵から借り受けている金子邸離れの平屋である。金子子爵は雄座の母方の親戚に当たる。雄座の物書きになると言う夢を馬鹿にする事なく、心から応援してくれている。元々、長屋でも借りようとしていた雄座をほぼ無理やりに邸に呼び込んだ。邸内に部屋を用意して、雄座を迎えたのだが、そこは雄座。ありがたくは思うが、自らの稼ぎで生きて行く旨を子爵に伝えると、せめて子爵邸の敷地内にある平屋を使ってほしいと言う子爵に根負けし、今に至る。


 ふと、布団の間から壁の際に積まれる書籍が目に留まる。


「あぁ、今日だったか。」


 雄座は一人呟くと、布団から這い出た。朝の寒さが体中を覆う。慌てて綿入れを着込むと、からりと雨戸を開ける。朝の光が部屋を満たすが、暖めるには程遠い。雄座は先ほど目に留まった書籍を拾い上げると、布団の上に胡座に座り、掛布で体を覆う。


 ぱらぱらと本をめくる。厚めの本は羊皮紙装の洋書である。表紙から物語から、全て外国語で記されている。数頁めくると、静かに本を閉じる。


「やはり読めんな。でも母さんのおかげで、物語は全部頭に入ってるよ。」









 母は雄座が十歳の時にこの世を去った。雄座に父はおらず、元々病気がちな母は女手一つで育てていた。貧しくとも、優しい母の下で雄座は幼少期を過ごす。

 女親だけのため、決して裕福ではなかったが、母は元々、良家の出であったらしく、若き頃に収集した洋書を読む事が好きであった。そして雄座は毎夜、寝る時にその物語を子守唄代わりに聴いていた。雄座は母が話す物語が好きだった。民を導き国を築いた異国の王の物語。王女に仕える勇敢な騎士の物語。不思議な妖精の冒険譚。母の口からは様々な物語が語られる。物語を聞きながら眠りにつくのが、雄座は好きであった。


 いつしか雄座は想像力豊かな少年となり、自分で作った稚拙な物語を母や遊び仲間に話したりする様になった。母は仕事をしながらでも、いつでも雄座の作る物語を笑顔で聴いた。聴き終えると、面白かった。とっても楽しかった、と雄座を撫でてくれた。母の喜ぶ顔が見たくて、物話を思い付くと母に聞かせる。寝る時には母が語る物語で眠りに付く。


 雄座が九歳の頃、母が倒れた。診療所に行けば金が掛かる。その為母は無理をしていたのだろう。病を誤魔化しながら働き続けた結果、起きる事も出来なくなった。

 頼るべき親類など雄座は知らない。金を稼ぐ術も知らない。どうして良いか判らずに泣く。母はそんな雄座の頭を撫でながら、ごめんね、すぐ良くなるからね、そう言いながら優しい微笑みを向ける。幸い、人望のある母は近所の者達が日替わりでやってきて介抱してくれた。それは雄座に大きく安堵を与える。


 雄座は母に少しでも元気になってもらいたくて、母が楽しいと言ってくれる自分が作る物語を沢山話した。布団に横になったまま、話を聴く。時々、息が苦しく咳き込むと、雄座は話を止めて母の背中をさする。やがて落ち着くと、「ごめんね。続きを聞かせて。」と、母の言葉でまた雄座は話始める。物語が終わると、母は笑顔で感想を伝えてくれた。


 母が倒れて2週間後、金子子爵が見舞いにやって来た。これが子爵と雄座の出会いである。

 金子子爵は母の遠縁の親戚筋であったが、母の雇い主でもあった。金子子爵の事業で用いる外国語で書かれた建築技術や設計書を翻訳するのが母の仕事であった。母は洋書好きが高じて、多国の語を理解する事ができた。金子子爵は、その母の能力を高く評価し、雇ってくれた。そして時々、母が好みそうな海外の文学小説を送ってくれたりもしていた。

 母の翻訳した書を受け取りに来た使いの者に、病気のために、暫く仕事を受けるのは出来そうにない。と母が言う。それを使いの者は子爵に伝えたところ、それはいかん、と慌ててやってきたのである。


 子爵は、世話をしてくれた近隣の住人に礼を行い、今後は一切の面倒を見ると言ってくれた。早々に医者を呼び、母を治療に専念させ、身の回りの世話をする者として、子爵邸で働く女中で、子爵が信頼できる者を一人呼び寄せた。

 子爵は雄座にとっては、母を救ってくれる優しい貴族であった。当時の子爵は年も三十前半であり、雄座にとっては優しく、力強く、頼れる存在だと感じていた。

 子爵は二日程滞在した。その際に幼い雄座は、


「子爵様の様な人がお父さんだったら良かった。」


 と言った。そんな雄座の頭を鷲掴み、力強く撫でながら、


「本当の父親ではないが、お前がそう思ってくれるなら、俺はお前やお母さんのために何でもしてやる。だからお前も、お母さんが元気になる様にしっかりするのだぞ。」


 そう言いながら、暖かい笑顔を向けられた。


 やがて仕事のため、子爵は帰っていった。子爵が頼んだ医者も、定期的に容態を見にきてくれ、母の身の世話も、女中が懸命に行ってくれた。寝たきりではあるが、暫くは先の不安もなく、穏やかな日々が流れた。

 雄座は母を元気付けるため、相変わらず物語を作っては母に聞かせる。笑顔で聴いてくれる母を見ていると、明日にでも治るのではないかという期待が、雄座に沸く。勿論それで回復するわけでもないが、雄座は母の笑顔で明日の期待があった。

 ある日の夜、雄座の物語を聴いた母が言う。


「雄座のお話はとっても優しいね。それに、お母さんが読んだどんなお話よりも面白いわ。将来、雄座が作ったお話が本になったら、お母さん、ずっと読んでしまうでしょうね。」


 そう言ってくれた母の嬉しそうな、それでいて儚げな笑顔を雄座は忘れる事がない。


 翌朝、母は帰らぬ人となった。眠る様に、笑みを残した安らかな顔だった。雄座は泣かなかった。母が残してくれた想像力は、雄座の中に母を作り出していた。


(お母さん、死んじゃったの?)


 雄座がそう考えると、心の中の母が言う。


(そうね。体がなくなっちゃった。でも、これからはずっと雄座と一緒に居られるね。)


 ずっと世話をしてくれた女中が、泣き腫らした顔で雄座を慰めるが、雄座は側からみれば呆然としているのだろうが、雄座自身は心の中の元気になった母と話をしていた。


(ずっと居てくれるの?)


(雄座の中に居るんだもん。ずっと居るよ。)



(お母さん、元気になれた?)


(うん。すっかり良くなったわ。とっても体が軽いの。)


 自然と悲しくはなかった。母の体は病で動かなくなったが、心は一緒にいてくれるのだ。雄座は泣かなかった。


 金子子爵がその日の内にやってきてくれた。母の手を取り、あの力強く大人の子爵が、おんおんと声を上げて泣いているのが、雄座には不思議な光景であった。翌日夜には通夜が営まれた。子爵は地元の新聞に訃報を載せ、母の友人や知る人に知らせた。

 そして通夜に訪れた神宮寺子爵。金子子爵と雄座に、雄座の本当の父親であることを告げた。


 その時、雄座が知ったのは、


 母は元々、有名な神社の宮司の娘であったこと。神宮寺は母に一目惚れして、将来嫁に貰うと約束したこと。しかしその約束は、神宮寺子爵の親が決めた婚姻で果たせなかったことを聞いた。

 母は身を引く時、既に雄座を身籠っていた。産めば自身の家族にも、神宮寺にも迷惑がかかる。そう思った母は一人、遠く離れた地で雄座を生み、育てたのだという。

 新聞の訃報の名を見て、母が亡くなったのを知った神宮寺子爵は、何も顧みずに通夜に訪れたのだという。そこで見たのが雄座である。愛した娘の面影を残す我が子。ぼろぼろと泣きながら、せめて雄座を引き取りたいと願い出る。


 金子子爵と、神宮寺子爵の間でどの様な話があったかは知らないが、母の葬儀を終え、四十九日を過ぎた頃、雄座は神宮寺雄座となった。


 神宮寺家に引き取られる日。金子子爵が雄座に言った。


「若い頃な。俺もお前の母が好きだった。しかし、その時、お前の母には想い人がいてな。それが神宮寺子爵なのだろう。お前の本当の父だ。たくさん甘えるといい。」


 そういうと、愛情の籠もった目で雄座を見る。そして言葉を続けた。


「もし、神宮寺家で、嫌なことがあったり、辛く当られたら、俺のもとに来い。俺もまた、お前の父親になるつもりだ。」


 幼い雄座にとっては、母は自分の中に居る。そして二人の父親まで得た。そんな想いが、雄座を幸せにさせた。


 神宮寺の家に着くと、新しく母となる女性と、雄座より三つ年下の義理弟が出迎えてくれた。


(良かったね雄座。お父さんも、家族の人も良い人の様だわ。)


 心の中の母が言う。


(うん。でもお母さんも居てくれるんでしょ?)


(勿論。雄座と一緒よ。心配しないで。)


 雄座は神宮寺雄座として、父からも義弟からもとても良くしてもらえた。時々遊びにやってくる神田男爵の孫娘とも仲良くなり、神田男爵の孫娘、義弟、雄座の三人でよく遊んだ。


 しかし雄座の存在が、義理の母を蝕んだ。

 自分の主人の過去の想い人の子である。神宮寺子爵が、自身の子と雄座を分け隔てなく接する子爵。それは家督を継ぐのが、自分の子ではなく、雄座になってしまう。そんな想いから、雄座に辛く当たる様になった。


 義理母に辛く当られても、雄座は気にしなかった。


(お母さん。最近、僕は義理母さんにたくさん怒られるんだ。それに、出ていく様にも言われたよ。)


 心の中の母が言う。


(義理母さんは、きっと雄座を強い人に育てたいのよ。お母さんが居なくても、一人でも、ちゃんと生きていられるように。その為には厳しさも必要なんじゃないかしら。ごめんね。私が教えてあげなきゃいけなかったのにね。)


(ううん。お母さんはこうして教えてくれるよ。さっきまでは辛かったけど、そう言うことなら頑張れるよ。)


 雄座はそれ以降、何を言われても義理母に感謝する様になった。素直な雄座に、いつしか義理母は雄座に辛く当たるようなことはなくなるが、接しようとはしなくなった。


 優しい父と、義弟が何かと構ってくれるために寂しさはなかった。義弟が雄座の作る話を聞きたがるため、雄座はたくさん話して聞かせた。義弟は楽しい、楽しいと喜んで聴いてくれる。

 そんな義弟を見ながら、雄座は母の願いを思い出す。


「本を作りたい。」そう思うようになった。その為に、雄座はひたすら勉強に勤しみ、多くの書を読み漁るようになった。


 やがて五年の歳月が流れ、雄座は15になっていた。雄座は父に呼ばれ、二人で外出する。行先は母の墓であった。雄座は時々、訪れていたが、母の命日には、父も一緒にやってきた。今日がその命日である。


 墓石を磨き、周りを掃除すると、線香に火をつけて二人は目を閉じて手を合わせた。


 暫くし、ゆっくりと目を開いた雄座に父が言う。


「雄座。神宮寺の家督をお前に譲ろうと思っている。お前に何不自由なく、幸せになってもらうのが、俺のせめてもの罪滅ぼしだ。承知してくれるな?」


 父の言葉に雄座は首を横に振った。


「お父さん。僕はお母さんの願いを叶える為、文士になりたいです。それに養子の僕が家督を継いでは、一生懸命、お父さんの力になろうと勉強している義弟が可哀想です。義母さんも悲しみます。だから承知できません。」


 二人とも母の墓から目を離すことなく、言葉を溢す。暫くの静寂の後、父が言葉を続けた。


「お前の母さんは、若く、美しく、優しく、そして博学であった。娘ながらに洋書や文学書を楽しそうに読んでいたよ。俺はそんな姿に惚れたのだ。夫婦になることは叶わなかったが、ずっと後悔していた。」


 そう言うと、父は胸元のポケットから紙巻たばこを取り出し、咥えて火をつけた。


「俺には財が出来た。それを雄座に譲り渡して、お前に不自由させないことこそ、罪滅ぼしだと思ったよ。でも、また俺は間違うところだったなぁ。」


 ふう、と煙を吐き出す。雄座は静かに聴く。


「お父さんの代わりに、お母さんの願いを叶えてくれるか?」


 雄座はこくりと頷く。


(本当に良いの?)


(うん。これが僕の本当にやりたい事だから。)


 母と語り終えると、父を見ながら言う。


「じゃあ、僕はお父さんとお母さんの願いを叶える為に、文士になります。それが僕の幸せです。」


 雄座が伝えると、父は咳を切ったかのように、静かに涙をこぼした。


 その日から、義母も優しくなり、数年振りに話しかけてくれた。これまでの事も謝罪されたが、雄座は感謝こそしても恨む事などない。

 そしてそれから僅かに日を過ごし、雄座は東京へと出発した。初めて乗る汽車に戸惑い、東京の街の華やかさに驚く。新橋の駅で雄座を出迎えたのは、金子子爵であった。神宮寺子爵から、雄座が東京に行くと連絡を受け、待っていたと言う。

 雄座は金子子爵の自動車で子爵邸まで案内された。自分の部屋まで用意されており、準備の良さに驚くが、礼を伝えた後、雄座は自分の力で生きてゆく旨を子爵に伝えた。

 雄座としては、母が教えてくれた人の優しさ、義母が培ってくれた、人の厳しさ、それは一人でも生きていけるようにという事であった。ならば一人で生業を行うべきだと思った。子爵も渋々了承し、離れの平家をあてがう事となる。











 日も昇り、部屋も暖まってきた。雄座は布団を剥ぎ、立ち上がると、寝具からいつもの服へと着替えて、洗顔を済ませる。

 先程持っていた本を布団の上から拾い上げ、文机の上に丁寧に置いた。文机の前に座ると、自分と本の前に二つ、茶の入った湯飲みを置いた。机の奥側には綺麗に拭かれている位牌が一つ。

 そして雄座は一人、語り始めた。


「母さん。母さんが喜んでくれていたような文学小説を本にするのはもう少しかかりそうだ。でも妖怪の話は既に本として出ているのだ。ちょっと前までは、芝居用に書かされていたが、月丸という友を得て、本物の妖怪を知った。あいつらは昔、母さんが話してくれた妖精の物語に出てくるような奴らでな……。」


 もう随分、心の中の母の声は聞こえていない。しかし、雄座はこの日だけは自分の近況やとりとめのない話を母に伝えた。毎年続く、母の命日に行う雄座の行事だった。

 そしてもう一つの行事がある。夜には金子子爵と命日には二人で呑み明かす。金子子爵が母とどのように出会ったか、どんな愛らしい娘であったか、どれだけ良い娘であったか神宮寺に取られてどれだけ悔しかったかなど、子爵の昔話が酒の肴である。

 

 一通り話を終えると、雄座は立ち上がった。


「夜には子爵がやってくるので、ちょっと出かけてくるよ。月丸に頼んで母さんのために祝詞を頂こうと思うんだ。良い奴だから母さんにも見せてあげたいんだ。」


 そう言うと小風呂敷に位牌を包んで、胸に収め、出掛けて行く。



 実家からの仕送りには手も付けていない。故にいつも貧しく、苦労も多い。しかし、母や、父、義母や義弟のお陰で、自分は、まぁ相変わらず幸せ者なのだろうな。そんなことを考えつつ、軽い足取りで月丸の神社へと向かった。



 雄座、良かったね。


 そんな母の声が聞こえた気がした。

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