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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第四幕 河童化け
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河童化け 玖

 雄座とあやめが石垣の穴を見つけ、洞穴を進んでみると、奥から不快な嫌らしい笑い声が聞こえる。暗い穴を走り抜け、明るく広がる空間へたどり着いた時、それを見た。


 月丸よりも遥かに大きい黒く大きな妖が、まさに月丸に拳を振り下ろす瞬間であった。目に入った刹那、雄座は月丸の名を叫んだ。それと同時に月丸を助けるべく駆け出す。


「月丸ーー!」


 ごきん


 河童化けが拳を振り下ろす方が早かった。穴の中に骨の折れる鈍い音が響き、雄座とあやめの動きが止まる。月丸がやられた。そう思った。


「つ…月丸…」



「己!なんて事を!」


 青ざめ立ち尽くす雄座。あやめは小太刀を両手に現し、怒りを露わに河童化けに向かって行く。月丸の背から河童化けを斬り付ける。

 だが、その刃は河童化けを裂く寸前で月丸の手により止められた。

 そして誰にも聞こえぬ声で月丸が呟いた。


「力が…戻った。」




「ぎゃぁぁぁぁぁぁ…痛え…痛えぇ」


 叫ぶのは殴り付けた河童化け。手首より先がまるで鋼鉄でも殴ったかのように骨が砕け、砕けた骨が飛び出している。あやめは小太刀を止める月丸と、叫ぶ河童化けを交互に見ながら動揺している。


「つ…月ちゃん?」


 雄座も河童化けの叫びで我にかえり、月丸の元へ駆け付ける。帯はちぎられ、着物がはだけ長襦袢の見える月丸の姿を見て雄座は顔を青くする。真っ青な雄座を月丸はあやめの小太刀を掴んだまま、じっと見つめる。


「月丸……大丈夫か?怪我はしてないか?」


 自分の身を案じてくれる雄座の優しさが月丸の心を落ち着かせた。


「助かったよ。雄座、もう…大丈夫だ。ありがとう。」


 そう言うと月丸は目線を合わせてしゃがんでくれている雄座の頭を撫でた。そして振り向きあやめの小太刀を離す。


「あやめ、よく雄座を連れてきてくれた。すまないがこいつは俺に任せてくれ。」


 そう言うと河童化けに向かって行く月丸。右腕を押さえて痛い痛いと騒ぐ河童化けの前に立つ。月丸を睨み付ける河童化け。


手前てめぇ何をしやがった?俺の腕を壊しやがって!」


 そう言いながら河童化けの口から黒い霧が月丸に吹き付けられた。あやめは雄座を掴み大袈裟なまでに後ろに跳ね飛んだ。


「月ちゃん!」


 あやめが月丸を案じて叫ぶ。雄座にはあの黒い霧が何か判らない。


「何だ?あの黒いモヤは…」


 雄座の呟きにあやめが前を睨みながら答えた。


「あれはあの妖の妖術。瘴気よ。月ちゃんなら大丈夫だと思うけど、雄座さんが吸い込んだらたちまち体が腐り落ちてしまうわ。」


 それであれほど慌ててあやめが掴んで距離をあけてくれたのか。そう納得する。しかしその目はあやめ同様、前の黒い霧、月丸を見ている。


 やがて霧が薄くなると、やはり何事もなく立っている月丸。その姿に一瞬驚きの表情を浮かべる河童化け。しかしすぐに怒りに顔を歪ませる。


「いいか!俺は河童も女妖怪も喰らい続けてきたんだ。てめぇみたいな小娘がきにゃ負けねえ!」


 そういうと河童化けの左手から水が飛び出した。こぼれ落ちるでもなく、その水は棒の様な、刀の様な、真っ直ぐ伸びた形で止まっている。


「てめぇはもう良い!さっさと殺して喰ってやる!」


 そう言うと水の刀を月丸目掛けて振り下ろした。月丸は動かないのか、反応しきれなかったのか、動く様子はない。


「月丸!避けろ!」


 雄座の声が響く中、振り下ろす中、洞穴を補強している天井の梁をいとも簡単に切り裂いた水の刀は、そのまま月丸の首元へと当たった。


きいいいいいいん。



 雄座は覚えのある音。


 野狐の牙を防いだ時。


 あやめの術を止めた時。


 相手の妖術と月丸の結界がぶつかった音である。


 案の定、水の刀は月丸の首元で止まり、月丸は平然としている。そして驚き慄く河童化けの脇腹にそっと手を添えた。



どん



 雄座が何かの衝撃を感じた刹那。月丸が手を当てた河童化けの横腹に大きな穴が開いている。


「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 けたたましい河童化けの叫び声が穴に響く。痛みに錯乱する河童化けを無視して目の前で自らの手を眺めている。そして何かに気付いたように雄座に目を移しながら小さな声で呟いた。


「そうか。やはりそう言う事か。」


 雄座は月丸が無事であったことに安堵する。ちらりと月丸がこちらを見たのが気にはなるが、まずは河童化けに視線を戻す。


 月丸も河童化けに目を戻し、淡々と語り掛ける。


「よく聞け河童化け。人の恨みは神をも穿つ力を持つ。お前自身の欲により命を奪った者達の恨みの強さと怒り、哀しみ、受けた苦痛と苦悩を今これより味わい続け、犯した罪の重さを知れ。」


 月丸が口を閉じると同時、河童化けの周りから音もなく黒い炎のようなものが現れ、河童化けを包んでいく。


「やめろ!死にたくねえ!俺はまだ満足しちゃいねぇ」


 黒い炎に包まれた河童化けは足掻き炎から逃れようとするが、叶うことなく炎の中で徐々に溶けてゆくかの如く、小さくなってゆく。やがて炎も小さくなり河童化けと共に消えていった。


 雄座とあやめは立ち尽くし、その光景を眺めていたが、炎が消えると共に、二人は正気に帰り月丸の元に駆け付けた。あやめは涙を浮かべ月丸を抱きしめた。


「ごめんね月ちゃん。もっと早く来ていれば…。月ちゃんの気をちゃんと掴んでいれば…。ごめんね」


 月丸はいつもの穏やかな微笑みを浮かべながらあやめの頭を撫でた。


「悪かったな。咄嗟に思い付いた手だったので、あやめには迷惑をかけた。お前が雄座を連れてきてくれたおかげで、面倒なことにならずに済んだよ。ありがとう。」


 二人を見ながら雄座も文句をこぼす。


「本当に…心配した。お前に何かあってからでは遅いのだぞ。それなのに勝手に動くものだから…。」


 そこまでいうと雄座は深くため息をついた。


 二人の気持ちが嬉しかったが、今はそれどころではない。

まだ佳乃が生きている。何とかしてやらなければならない。


「雄座、あやめ、手を貸してくれ。佳乃を見つけた。」


 そう言いながらあやめの抱擁を抜け、佳乃の元へ二人を連れて行く。佳乃の姿にあやめは口を両手で押さえる。


「何でひどい事を…。」


 一言、それ以上何も言えないあやめに、ただ唖然と沈黙する雄座。これでは助かったとしても、これほど体にも心にも傷を受けて立ち直れる者がいるだろうか。雄座の中に助けてやらなかった悲痛な感情が広がる。何も言えなかった。


 月丸は佳乃に与えた結界を解くと、あやめに言う。


「この佳乃、これほど酷い事をされながら、まだ千代の事を考えていた優しい娘だ。出来れば助けてやりたい。あやめ、すまないが佳乃を社まで運んでもらえないか?」


 助ける。その言葉を聞きあやめはこくりと頷いた。それを確認し、月丸は雄座に目をやる。


「雄座、ここには河童化けに拐われ、亡くなった娘達の骸がある。せめて、安らかに眠らせてやりたい。手伝ってくれないか?」


 雄座も月丸の言葉にこくりと頷く。




 あやめは一足先に佳乃を抱いて社に向かった。飛んで行けば、五分と掛からない。雄座は娘達の亡骸を見て、改めて河童化けに怒りを感じる。そんな雄座の考えを見抜いてか、それとも雄座の顔に出ていたか。月丸が静かに語る。


「帰ったら詳しく教えよう。ただ今はこの娘達を安らかにしてやろう。ここに留まるのも嫌かも知れないが、俺の側に居てくれ。」


 月丸の言葉に雄座は一時間を置いた後、


「…分かった。だが、どんな地獄だろうともお前が居る場所が、今の俺が居るべき場所だ。余計な気を回さなくても良いよ。」


 月丸は雄座の言葉を聞き、静かに頷き舞を始める。小さい声で聞き取りづらいが、祝詞の様にも聞こえる。ただ雄座は静かに、月丸の舞に見惚れる。手の動き、足の運び、表情、月丸のそれはあまりにも優しく、死者の無念を代弁するかの様に哀しく、しかし全てを癒そうとする神々しささえ感じる舞。


 月丸の祝詞と舞により送り出されるかの様にこの洞穴にて無念の終わりを迎えた骸達から、淡い光の玉がゆるりゆるりと舞い上がる。


 雄座はそんな幻想的な光景を見ながら思う。月丸は、妖霊は命を狩る存在と天狗の伝承は伝える。今の月丸は哀しい命に安らぎを与え、その恨みや哀しみすら浄化しようとしている。それは慈愛に満ちて、見る者に安堵の気持ちを抱かせる。

 月丸は、妖霊は命を狩る存在なのではなく、良くも悪くも命を操る者ではないだろうか。月丸が現れる前の妖霊は命を狩るものと認識した。だから全ての命ある者と敵対したのだろう。月丸は師の吉房をはじめとして様々な人や妖との関わりの中で、命を守る、癒すべきものと認識した。ただそれだけの違いだけなのではなかろうか。そう思った。


 そんな雄座の耳にどこからともなく声が聞こえる。



(あぁ…ついにこの地獄から解放される…)


(あの忌々しい河童化けの呪縛から逃れられる…)


(辛い記憶が…呪いたくなるほど嫌な記憶が洗い流されてゆく…)


(助けてくれてありがとう)


(ありがとう…)



 雄座の頭に様々な声が響き渡る。河童化けに与えられた苦しみ、恐怖を与えられた娘達。月丸が舞の中、何を伝えているのかは雄座にはわからない。ただ朧げに、月丸はその全身全霊を持って、哀しき御霊を救おうとしている、そしてそれはこの娘達に届いたのだ。聞こえる声から素直にそう思った。




 いか程の時間が経ったのか、月丸の舞は静かに終わる。月丸は目を閉じ、浄化し、安らかに成仏した娘達を追悼するかの様に、俯いたまま立ち尽くす。

 やがてゆっくりと目を開き、雄座に向かい直す。軽いため息をこぼすと、月丸が雄座に問うた。


「どうした?雄座。」


 雄座の両の目から、涙が溢れていた。幻想的で切なく、哀しく優しいその光景が雄座の心を揺さぶった。月丸の声ではっと気付き、慌てて目を拭った。


「良かったな月丸。お前の祈りは届いたのだな。」


 そう言う雄座に月丸は改めて亡骸に目を落とす。


「…そうだと良いな。本当に、そうであれば良いが。」


 いつもの笑みはなく、物悲しそうな月丸。雄座は言葉を続ける。


「今の娘達の声は、安堵の声だった。きっと極楽があるなら、そこへ向かったのだろうと思うよ。」


 雄座の言葉に月丸は目を見開いた。


「聞こえたのか?娘達の声が…?」


 うんと頷くが、月丸の表情から見るに、幻聴であったのかとも思う。実のところは判らない。だが、月丸には伝えたかった。


「ありがとう、と。そう聞こえたのだ。」


 雄座の言葉に、月丸が哀しいような、切ないような、しかし安堵と感じる表情を浮かべ、そうか。と一言こぼした。そして亡骸一人一人に着物を着せた。破れ朽ちた着物の代わりに自分の着物も与えて着せた。そんな月丸に、雄座はそれ以上何も言わず、月丸の邪魔をせずに静かに見守った。

 月丸がやり終えた後、二人は穴を出た。




 汐留川の川辺に上がると、月丸は石垣の穴を見ながら雄座に声をかけた。


「雄座。俺は今からこの穴を壊す。多分妖気を放ったら分身が消えるだろう。出来れば、依代とした桜の若枝を持って帰ってくれないか?」


 こくりと頷く雄座。


 月丸の体が淡く光る。やがてその光は月丸の右の手に集まってゆく。光を指先に宿し、その指を口元へ運ぶ。

 ふっと月丸から吐息が聞こえる。



どおおおん



 月丸から吐息が漏れた刹那、空から大きな雷が穴目掛けて落ちた。閃光と音に雄座が驚き目を瞑り顔を腕で隠す。やがて目を開けると、月丸の居た場所に小さな若枝が落ちていた。それを拾って穴があった石垣を見ると、大きく穴が開き、川の水が流れ込んでいる。暫く見ていると、穴の中から娘の姿の残る亡骸が浮かび上がる。それを見て、先程月丸が着物を着せていた理由に気付く。


「人目につけば、あの娘達も家族の元に帰られるだろうか…」


 雄座はそう願いながら、社へと歩を進める。



 数日後、川の下流で行方不明となっていた数名の娘が遺体で上がった。亡くなってから時間が経っていたため、恐らく足を滑らせて川へ転落したのだろうと事故として取り扱われた。ただ、娘の行方を案じていた家族の元へと帰ることができたのは僥倖であったのだろうが、これはまた別の話。


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