第5話 トラム
喧嘩騒ぎがあってから、数刻も経っていない頃。
宿屋クラークの前にて。
「……それは荷物かい?」
「はい。見学だけの可能性もありますが、一応持ってきました」
「ずいぶん少ないね」
アベルが眉を困ったように上げた。
「財産を王都に来る際に処分してきたというのもあるのですが、そもそも料理道具以外に興味がなくて……」
「そうなんだね」
アベルが少し考えるそぶりを見せた後、納得したように頷く。
「それじゃあ行こうか。とりあえず見学になるし。トラムには乗ったことがあるかい?」
「いえ、まだです。使い方がいまいちわからなくて、乗れてなかったんです。乗れるのですか!」
「ああ。歩いても行ける距離なんだが、トラムに乗ったほうが楽だし、トラムで行こうか。まずはトラムまで少し歩こう」
目を輝かせるエミリアと、苦笑しながら優しい笑みを浮かべるアベル。
アベルがエミリアの荷物を手にとって歩き始めた。
「あ、結構ですよ」
「いいや、女性に荷物を持たせるわけにいかないよ」
荷物を持つジェスチャーをエミリアはしたが、アベルは荷物を返そうとしない。
紳士的に女性扱いされたのなんていつぶりだろうか。
胸の鼓動が高まる。
思わず立ち止まってしまう。
アベルがエミリアの方を振り向いて、歩くのを止めた。
「どうした、大丈夫かい?」
「ええ、大丈夫です」
顔を赤くして元気よくエミリアは答えた。
それを見たアベルは、にっこりと笑い、また歩き始めた。
煉瓦造りの街並みを、二人ゆっくりと歩いていく。
人通りが少なく、とても静かだ。建物が密集していて、日陰は少しひんやりとしている。
チラリとアベルの方を見る。
スラリとした高い鼻筋が見えて、思わずエミリアは目を背けた。
そうして少し歩くと、大通りに出た。
石畳で舗装された地面に、それを囲むように大きな煉瓦造りの建物が並んでいる。
歩道は人でごった返していた。
「じゃあトラムに乗ろうか。乗り方はわからないんだったね」
「はい、すみません」
アベルは首を横に振った。
「いや、大丈夫だよ。ただ、ちょっとコツがいるんだ。けど、今日は荷物も少ないから大丈夫」
そう言ってアベルはイタズラっぽく笑った。
「まずは停留所まで歩こう。そこで待つ」
そう言ってアベルに先導されるままにエミリアは大通りを歩いていく。
空がよく晴れていて、日差しが強かった。
眩しくて立ち止まって手で目を隠す。
「大丈夫かい?」
「はい! すみません、今行きます!」
少し前を歩くアベルに、声を少し張り上げて答える。
アベルが頷いて歩き始めた。
「ここが停留所だ」
道の脇に四角い看板がつけられた木の棒が立てられていた。
アベルがその看板を指差す。
「字は読めるかい?」
「いえ」
「じゃあこの記号で覚えるといい。ここは『商会通り停留所』という停留所だ。停留所のことは駅とも呼ぶ。各駅にトラムは来る。そして、ここの停留所の覚え方は、この建物に囲まれた大きな道だ。このマークで覚えるといい」
「なるほど」
エミリアはまじまじと看板を見る。
二つずつ建物が描かれ、その間に石畳の大きな道が表現されていた。まさに、今いる場所そのものだった。
チリンチリン。
鈴の鳴る音がした。
アベルが、今きた方を指差す。木でできた四角い箱、車輪のついた箱が、近づいてきていた。
「あれがトラムだ。地面に敷かれたレールに沿って動いている。魔力を補給されながら、王都中をぐるぐる円状に回っているから、いつでも乗ることができるよ」
アベルが指を下ろす。
「近づくとこんな感じで音を鳴らせて知らせてくれるから、聞こえたら乗る準備だ。じゃあ、乗るまでもうちょっと待とうか」
「……あの、どうやって乗るのですか?」
エミリアは思わず左右を見ながら聞いた。
トラムが近づいてくる。
アベルが頭をかく。そして再びイタズラっぽく笑った。
「ごめん。説明していなかったね。トラムは完全には止まらない。飛び乗るんだ!」
向こうからトラムが来るのが見えた。
「……え? 飛び乗るのですか?」
「そうだ。ちょっと怖いけど、かなり停留所の近くまで来たら減速するからやってごらん」
チリンチリンチリン。
またトラムから鈴の鳴る音がした。
もうすぐそこに来ている。
「さあ、乗ろう!」
「は、はいっ!」
エミリアの荷物を片方の手で持ち、もう片方の手でエミリアの手を繋いで、アベルは飛び乗った。
エミリアも一緒にぴょいと地面を蹴って、トラムに飛び乗る。
その瞬間、トラムが少し揺れた。
エミリアのバランスが崩れる。
がしっ。
顔を上げると、アベルに抱き抱えられていた。
思わず顔が熱くなる。
「わ、すみません」
「全然大丈夫。簡単だったろう?」
「ええ」
エミリアは手で髪をかきあげ、おでこを出すとにっこりと笑った。
アベルが目を丸くしたのが見えた。けど、すぐに元の笑顔に戻った。
「じゃあ、あとは車掌に運賃を払うだけさ。僕が今日は代わりに払っておくよ」
「ありがとうございます」
「これくらい大丈夫さ」
そう言ってアベルは帽子を被った制服姿の人物を呼び止めた。硬貨を何枚か支払っているのがエミリアに見えた。
すぐにアベルは戻ってくると、エミリアに木の札を渡した。
「はい、これ。切符だ。これを持っていないと、罰金を取られるから注意してね」
「え、そんなことあるんですか」
「ああ、チェックを定期的にしている。だからちゃんと切符を買うようにね」
黙って頷く。
何もかも知らないことばかりだった。
そこにあった柱をエミリアは掴む。人のものとは異なる膨大な魔力を感じた。
先ほど感じたアベルの魔力も凄かったが、トラムから感じる魔力はそれ以上だった。
色々な魔力が混じっていて、思わずびくりと手を離しそうになる。
アベルの方を見ると、アベルは平然としていた。
「全然揺れないんですね。王都まで来た馬車は揺れがひどかったのですが」
「さっきも言ったけど、トラムはレールの上を走っている。だからあまり揺れないんだ」
「そうなんですね! とっても快適で嬉しいです」
エミリアは落ち着いて辺りを見回す。
色々な人が車内にはいた。
幼い女の子と、髭を生やした父親。老婦人。若い男性。
みんな談笑している。
チリンチリン。
その時、鈴の音がまた鳴った。
「次の停留所で降りるから、気をつけてね」
エミリアはごくりと息を呑んだ。




