2.ホーンラビットのバター焼き
「じゃあ早速だけど、これやってもらえるかい?」
目の前には、ツノが頭部についた兎、ホーンラビットの塊肉の山があった。
すでに皮は剥がれ、内臓は取られている。
「魔道具の冷蔵庫に入っているものも含めて十匹を処理して欲しい。昼までに、全ての前足と後ろ足、ロースを部位分けしておいてくれるかい?」
「分かりました」
「じゃあ私は各部屋の掃除などしておくから、またくるね」
そう言って女将さんは、厨房から出て行った。
箒で床を掃く音が聞こえてきた。
エミリアは目の前のホーンラビットの肉を見る。茶褐色の肉を触って状態を念入りに確かめる。
「血抜きはイマイチね……魔力処理に関しては、ほとんどされて無い。やりがいがあるわね」
肉の状態を確かめたエミリアは、まずは下処理からすることにした。
銀色に淡く光る包丁を取り出す。専用の魔鉄鋼を元に造られた、世界で一本だけの包丁だ。
まずは前足を解体する。
さくっ。肉に包丁が入る。すっと肉の筋に沿って引くように包丁を入れる。
何度か包丁を入れると、前足が取れた。
「ここからね」
エミリアはその次に、切り落とした前足を軽く撫でた。
エミリアには、この世界の普通の人間ならみんな持っている魔力がない。
そのため魔法が、全く使えない。
けれどその代わり、エミリアは魔力の流れを感じることができた。
手で触れることで、魔力の溜まっている箇所を感じ取る。
「ここね」
魔力が抜けるように、包丁で切り目を軽く入れる。
見た目に何も変化はない。けれどエミリアには分かった。
「よしっ!」
下手に切り口を入れると、口当たりが変わってしまう。
いかに小さな切り口で、肉を傷めずに魔力を放出させるかが、解体屋の腕の見せ所だった。
エミリアは次々と、肉を解体しつつ、魔力が抜けるように切り口を入れていった。
しばらくして。
「できたかい?」
「はい、全てできました!」
エミリアが解体した肉は滞っていた魔力が抜けたことで、本来の美しい赤い色味をある程度取り戻していた。
「あら、こんなに色が良いなんて、今日の肉は当たりね。じゃあ、料理を手伝ってもらえる?」
「わかりました」
「うちのメニューは一つだけ。『ホーンラビットのバター焼き。焦がし玉ねぎと赤ワインのソース付き』だけよ。今からレシピを教えるから、それを再現してくれるかい?」
女将が、鉄のフライパンを手に取って魔道具のコンロに火をつける。
肉を並べて、焼き始める。
じゅわっ。肉が焼ける音がする。
「あら、今日の肉は香りも良いわね」
女将が不思議そうな顔をする。
肉に火が通り、表面に狐色の焼き色がついてきた。
「よし、バターを入れるよ」
バターの塊を、鉄のフライパンに入れる。
バターの芳醇な香りが広がる。
「ここで肉に溶かしたバターをかけるのがコツだよ」
「……はい!」
そうしてしばらくバターをかける。だんだんと肉に火が通っていく。
肉の上部を女将が押す。
「親指の付け根くらいの弾力になったら、取り出す」
別の鉄板に肉を乗っけた。
「蓋を置いて、少し休ませる」
エミリアは頷く。
「ここまで、わからないことはあったかい?」
「いえ、大丈夫です。これくらいなら、同時に何皿でも調理できそうです」
「それは、よかった。それにしても、今日の肉は随分と良い肉だね」
女将はにっこり笑った。
「じゃあ取り出すかい」
女将は蓋を取るとホーンラビットの肉を皿へ盛った。
「ここに置いてある、焦がし玉ねぎと赤ワインのソースをかけて、完成だからね!」
完成した。
すごく美味しそうだ。
「今は味見で少しだけ食べて、後で賄いとして食べようか」
エミリアは黙って頷く。
「そこにフォークがあるから、取ってくれるかい?」
「どうぞ」
「じゃあ食べようか」
女将が玉ねぎと肉をまとめて突き刺す。
フォークが肉に抵抗なくぶすりと突き刺さった。
肉汁が、押しつぶされた部分から、どんどんと溢れていく。
女将が少し驚いた表情をした。しかしすぐに元の表情に戻って、フォークを口元に運んだ。
「……」
口を動かす。しばらくそうやって噛んで、女将はやっと飲み込んだ。
黙ってフォークを置く。
「あの、どうしました? お肉、うまく処理できていなかったでしょうか?」
エミリアの肩を女将が掴んだ。
「あんた、どうやったんだい?」
「え?」
「美味しい! 仕入れたのは、いつもの肉のはずだった。こんなに柔らかく、肉の旨みがガツンとくるなんて、どんなに良い状態の肉でもありえない! 何かやっただろう!」
肩を掴んで思いっきり揺らされる。
「あ、あの、ま、魔力処理が、さ、されていなかったので、しておいたくらいです」
肩を揺らす手がぴたりと止まった。
「魔力処理も、やってもらっているはずなんだけどね」
女将が額に皺を寄せる。
「魔力処理の技は秘伝になっていて業者によってやり方に差があるんです」
「そうなのかい! 何にせよ良かった。この調子で、夜も頼むよ!」
エミリアは黙って頷いた。
けど、心臓の鼓動が大きくなっていた。
こんな風に人から期待されるのは、必要とされるのは、いつぶりだろうか。
思わず笑みが浮かぶ。
その日、宿屋クラークに名物料理が誕生した。
誰もが言う。
あそこのホーンラビットの肉は、他とは違ってとても柔らかくジューシーだ。
一度食べたら、他の店のものはもう食べられない、と。




