第1話 お前なんかを好きなフリするの、大変だったよ
よろしくお願いします!
ある春の日、太陽がちょうど上がりはじめた頃。
白い漆喰が塗られた壁の、小さな応接間にて。
「お前と、本当に俺が結婚すると思っていたのか?」
茶色の髪に緑色の瞳の青年の声が、部屋に響いた。
エミリアは凍りついた。
喉がカラカラになった。
目の前で足を組んで座る婚約者のはずだった青年が、嘲るようにエミリアのことを笑っていた。
エミリアの脳裏に、幼いときにダリオが田舎に来てくれた記憶が蘇る。
誕生日に秘密だよと言って、商会に飾られていた綺麗な石をくれたこと。
川沿いで一緒に話していたとき、結婚しようと指切りをしたあの瞬間。
そっと夕陽を見ながら握っていた手の温もり。
「……ダリオ様、どういうことなのですか? 昔、好きと言ってくれたのは、婚約してくださったのは——」
「はあ? お前本当に馬鹿だな?」
やれやれ。そう言わんばかりに首を振るダリオ。
エミリアは、膝の上の手をぎゅっと握りしめた。
「誰がお前みたいな魔物臭い田舎者を、しかも魔力なしの無能を好きになるんだよ。全部演技だっての」
そう言って、口を三日月の形に歪めた。
——全部演技。
あの日の手の温もりを思い出そうとしたけれど、なぜかうまく思い出せない。
「親父が機嫌をとれって言うから従ってきたけど、それも俺たちの親父は両方とも死んだから、もう終わり」
終わり。その言葉がやけに耳に響く。
ダリオがドアを指差す。
「じゃあ、そういうことだから。さっさと荷物持って失せろ」
エミリアは慌てて言葉を振り絞る。
「そ、そんな。少しだけ待ってください。お父様同士が決めた婚約ですし、この結婚のため家財を整理してやって来て——」
「知るか。親父たちはもう亡くなっている。それに、お前がどうなろうと俺の責任じゃない」
喉に何かが詰まったように言葉が出てこない。
そんなエミリアを見て、ダリオが口を開いた。
「いいか、魔力なしのクズ野郎。よく聞け」
低い声音が応接間に響いた。
「三割五分。この数字がわかるか?」
エミリアはダリオが何を言いたいのか察した。
口を閉じて、唇を噛み締める。
「お前の親父さんが死んで、最近お前が追加で請求するようになった金だ」
「それは、今までのハンターさんが亡くなり、他から材料を仕入れるようになったからで——」
「嘘をつくな!」
ダリオの怒声が部屋に響いた。
「そもそも魔力がないお前が、満足に魔物を解体できるはずがないんだ。筋力強化魔法も使えなければ、冷却魔法も使えない。そんなお前が鮮度を保ったまま解体できるはずがない」
「以前説明したとおり——」
「戯言を聞く気はない。どうせ他の解体屋にでも外注するようになったから費用が上がったんだろう。この詐欺師め! お前と関わっている解体屋とは今後は取引しないからな! この話は他の商会にもしておく。もう魔物解体屋として働けると思うな」
唾を飛ばしながら、怒りで顔を真っ赤にするダリオ。
その剣幕にエミリアは思わず俯いてしまう。
「おや? 泣けば許されると思っているのか?」
ダリオが嘲るような調子で笑った。
エミリアは、俯いたまま手に込めた力をさらに強める。
このままじゃいけない。そう思って、なんとか言葉を振り絞る。
「……私は、この先どうやって暮らしていけば?」
「そうだな。俺の言うことをなんでも聞くなら、個人的に雇ってやるぞ。昼も、そしてもちろん夜も絶対服従だ」
思わず顔を上げると、足の方からゆっくりと全身を舐め回すように見てくるダリオがいた。
エミリアの背筋に悪寒が走った。
「なんなら、今雇ってやってもいいぞ。ほら、それなら早速服を脱げ」
ニヤニヤしながらダリオが告げる。
エミリアは反射的に立ち上がった。
「お、お断りします」
「……そうか。じゃあさっさと失せろ」
心底面白くないといった調子でダリオがエミリアに告げた。
♦︎
「さあ、さっさと出ていけ」
ダリオの商会の建物から、追い立てられるエミリア。
「じゃあな……いや、ちょっと待て」
何か考える仕草をした後、ダリオが言った。
「そうだ、最後に言いたいことがあった」
「……なんでしょうか?」
もしかしたら、考え直してくれたのかもしれない。
少しばかりの期待を込めて、エミリアはダリオを見つめる。
昔ダリオと指切りをした時の体温が思い出せたような気がした。
ダリオが醜悪な笑みを浮かべた。
「魔力なしのクズのお前なんかを好きなフリするの、大変だったよ」
エミリアの目の前で、扉がバタンと閉じた。
ダリオの体温は再び消えた。
エミリアはその場で固まってしまった。
「わざわざ婚約のために、家だけでなく、解体用の機材なども売り渡して来たって言うのに、この仕打ち……?」
瞳には、気がつかないうちに涙が浮かぶ。
慌てて涙を拭う。けれど涙は止まらない。
通行人の目が痛かったが、それでもしばらくその場から動けなかった。
落ち着いてきた頃、エミリアは両手で頬を叩いた。
「……とにかく、ここにはいられないわ。一旦宿に戻りましょう」
エミリアは近場の宿からダリオの商会にやってきていた。
引きずるように足を動かして、王都の大通りを歩き始めた。
宿屋は、商会から少し歩いたところにあった。
茶色の煉瓦造りで、黒い三角形の屋根に、大きめの煙突がつけられているこぢんまりとしたクラークという宿屋だ。
扉を押す。
ちりーん。
呼び鈴が鳴った。
「はい、いらっしゃーい! すみません、まだ昼営業はしてなくて」
汚れたエプロンをつけ忙しなく動いていた、体格が良く気立ての良さそうな女将さんが出てきた。
「誰かと思ったら宿泊客のお嬢ちゃんかい。どうしたんだい? すごく暗い顔をしているけど」
エミリアの様子を見て、女将さんが動きを止めた。
「……すみません、なんでもありません」
「なんでもないって……ちょっと待ってな」
そう言って厨房の奥に消える。
少し経って、ガラスのグラスを持ってきた。
「これ、飲みな」
「いえ、結構です」
「サービスさ」
そう言って椅子の一つに座る。手でエミリアにも座るように示す。
エミリアは少し迷ったが座ることにした。
「飲みな」
そう言って女将がグラスをエミリアの手元に寄せる。
「……ありがとうございます。いただきます」
「それで、何があったんだい?」
エミリアは話すか迷った。
けど、この先どうすればいいのかもわからない。
それなら、今の気持ちを吐き出したかった。
「実は……」
ことのあらましを話すと、女将は口をぽかんと開けた。
そして聞き終わった次の瞬間、拳でテーブルを思いっきり叩いた。
「なんだい、そのクズは! 私が代わりにぶん殴りにいきたいくらいだね!」
「い、いえ良いんです。私に良くないところがあったからだと思うので。ほら、こんな地味な女ですし」
エミリアの髪の毛は、この世界では珍しい黒色だった。小さい時から、地味だと揶揄われていた。また魔物の解体で忙しいせいで手入れのされていないその髪の毛は、ボサボサでお世辞にも綺麗とは言えない。
「顔は整っているから、磨けば輝くと思うんだけどねえ」
「いえ、私なんて……」
「それより、これからどうするんだい? あのダリオのとこが、取引先だったんだろ?」
「はい、その通りです。取引のほとんど全てがダリオ様の商会、いえダリオの商会とだったので、取引先も無くなっちゃいました」
エミリアは力無く笑った。
「そうかい……」
女将が考え込む顔をした。
「あんた、料理はできるかい?」
「料理……ですか? 簡単なものなら。解体は得意なのですが、料理は自己流です」
「そうかい、解体ができるのかい! 女の子で解体ができるのは珍しいね。うちではホーンラビットくらいしか解体しないけど、ちょっと試しにうちで働いてみるかい?」
「え……?」
エミリアは目を大きく開いた。
女将さんがにっこりと笑っている。
「とりあえず一ヶ月解体と料理を手伝ってもらえるかい。その間の給金は出せないが、まかないを三食出すし、その間は宿の一室に泊まっていいよ」
「……良いのですか?」
「ああ、他人事として切り捨てるには、事情を聴きすぎてしまったしね。その代わり、働きがイマイチだったら、悪いけど一ヶ月で出ていってもらうよ」
「あ、ありがとうございます!」
エミリアは立ち上がって、勢いよく頭を下げた。
先ほどとは別の意味で、涙が溢れそうだった。




