英仏百年戦争
一三三七年、英国と仏国との間で、大きな戦いが勃発した。
のちに「英仏百年戦争」と呼ばれる戦いである。
英国は「クレシーの戦い(一三四六年)」、「ポワティエの戦い(一三五六年)」と勝利。フランスにおける支配地域を拡大させていった。
しかし、それから十年が経ち、エドワード三世は考える。
あの二つの戦い(「クレシーの戦い」と「ポワティエの戦い」)の間に、ヨーロッパ中で「黒死病」が大流行したのだ。猛威を振るう死の病によって、フランス側の戦力も低下したとはいえ、「黒死病」による人口減少の影響は、英国でも次の世代に及んでいる。
(兵士の数を増やすことが、難しくなってきているな)
つまり、これからの戦いは、「少ない戦力で、いかに結果を出すか」だ。従来の戦い方を、少しずつでも変えていかなければならない。
では、戦い方を変えるといっても、具体的にはどうするのか?
その答えを、すでにエドワード三世は見つけていた。
(各部隊の指揮官たちが、これまで以上に有能であればいい)
同じ兵士数でも、指揮官が有能かどうかで、活躍の度合いは劇的に変わる。少ない兵士を有効に使える、そんな指揮官を増やせばいい。
さて、現状はどうか。
沈黙のあとで、エドワード三世は認める。過去の自分は判断を誤った。「黒死病」の大流行が沈静化した時に、あんな「布告」を出すんじゃなかった。
今や指揮官たちは堕落している。
(誤りは正さなければならない)
一三六六年、王は家臣たちを集めて、次の言葉を告げた。
「禁止令を出そうかと考えている」
家臣たちは少しざわついたものの、王の次の言葉を待った。いったい、何の禁止令なのか。酒か、賭博か、それとも・・・・・・。
王は続ける。
「確認したいことがあるので、正直に挙手してくれ」
といっても、王の前だ。皆が正直者とは限らない。
だから、エドワード三世は先手を打つ。
「この挙手については、書記官に記録させるから、そのつもりで」
偽りの挙手をしていたと、あとでわかれば、罪に問う。
「だが、ここで正直に挙手した者たちに対しては、大目に見ることを約束しよう。この玉座に誓ってだ」
そう前ふりをしてから、エドワード三世は言う。
「今週、弓術の稽古をした者は挙手!」
百人以上の家臣がいる中、数人の手が挙がった。他の者たちは、王から視線をそらしている。
「では次だ。今週、『九柱戯』をした者!」
短い沈黙があって、ばらばらと手が挙がる。その数はすぐに百人を超えた。
エドワード三世は小さくため息をついたが、強引に笑みをつくると、
「正直な者たちが多くて安心した。先に告げたように、弓術の稽古をさぼっていたことは不問にする」
家臣たちの間から、安堵の息がもれた。
そもそも、弓術などの「戦いに関する稽古」の代わりに、『九柱戯』を推奨したのは、エドワード三世である。
すべては「黒死病」の大流行が原因だ。
あの最悪の病をどうにか生き延びることはできたが、筋力の衰えが著しい。そんな家臣たちが少なくなかった。
そこで気楽に無理なく、まずは筋力の回復をと思って、あの「布告」を出したのだ。
――『九柱戯』を推奨する。「戦いに関する稽古」の代わりに、『九柱戯』をすることを許可する。
さらに、王宮の庭に『九柱戯』専用の区域も設けた。
その効果は覿面だった。
芝生の上でのびのびと、玉を転がしてピンを倒す楽しさ。それ目当てに、大勢の者たちが集まってくる。
しかし、そのせいで武芸の稽古がおろそかになっていることに、エドワード三世は気づいたのだ。
家臣たちには、兵を率いて戦ってもらわなければならない。兵たちの良き手本となるよう、弓などの武芸に長けていることが好ましい。実際、仏国に大勝利した二つの会戦――「クレシーの戦い」と「ポワティエの戦い」――において、英国の主力となったのは「長弓兵」たちだった。
武芸に長けた将軍と、『九柱戯』に長けた将軍。
(そのどちらを、戦場の兵士たちが支持するだろうか)
答えは火を見るよりも明らかだ。
「しばらくの間、『九柱戯』を禁止する」
エドワード三世は宣言した。
家臣たちがざわついたが、
「禁止令に反対する者は名乗り出てくれ。その不安を今すぐ消してやる。死刑だ」
この場が静かになった。
物わかりのいい家臣たちに、エドワード三世は満足する。
ところが、これ以降も家臣たちは陰でこっそりと、『九柱戯』を楽しんでいた。
なお、この三年後には、仏国でも禁止令が出る。『九柱戯』などの娯楽を禁止し、代わりに弓の稽古を奨励した。
しかし、こちらも英国と同様、禁止令の効果はあまりなかった。
この頃からすでに、のちに「ボウリング」と呼ばれる娯楽は、大人気だったのである。
そして、時代は下り、エドワード三世の禁止令が撤廃されたのは、一五三〇年のことだった。
なお、とっくの昔に、「英仏百年戦争」は終結している(一四五三年)。
一五三〇年、禁止令を撤廃したのは、英国の国王ヘンリー八世だ。これまでの鬱憤を晴らすかのごとく、王自ら『九柱戯』に熱中した。
そこからさらに英国の王位は、エドワード六世、メアリ一世と続く。
そのあとに訪れたのが、エリザベス一世の時代だ。
この時、英国は大きな危機に直面していた。
強国スペインの大艦隊が英国本土に攻めてくる、そんな情報をつかんだのだ。
相手は当時世界最強の『無敵艦隊』である。
エリザベス一世は、その迎撃を命じた。
総司令官は、チャールズ・ハワード卿。
副司令官には、フランシス・ドレーク提督だ。
普通に戦ったのでは、相手は世界最強の『無敵艦隊』。英国が負けるに違いない。
そこで先手を打つことにした。
一五八七年、スペイン側の準備が整う前に、ドレーク提督が相手の港を次々と襲撃した。奇襲によって、敵の戦力を削いでいく。
しかし、それでも海軍力は、スペインが圧倒的に上だ。
一五八八年、ついに『無敵艦隊』が出航した。その数は一三〇隻である。
それをイングランド軍は、本国近海で迎え撃つことにした。決戦の地はおそらく、ドーバー海峡の沖合。




