古代エジプト『九柱戯』
ボウリングには歴史がある。長い長い歴史がある。
古代エジプトの大地で、神官たちはその夜、儀式の準備を進めていた。
この周囲は広い荒野になっている。そんな場所で神官たちが、屈強な男たち三〇人に命じて、大地にあけさせた穴は九つ。
八つの穴には、すでに柱が立っている。地上に出ている部分だけを見ても、石でできた柱は十メートル以上もあった。
神官たちは東の方角へと目をやる。
地平線のあたりは、まだ夜の色をしていた。
が、その色はわずかにだが、薄まってきている。
「おまえたち、急ぐのだ。夜明けが迫っているぞ」
最後の穴に、柱の先端が差し込まれる。
石の柱には、いくつもの太い縄が結びつけられていた。
それらの縄を、屈強な男たちが引っ張っていく。柱のバランスを崩さないように、ゆっくりとだ。男たちの胸を背を、汗が玉のようになって転がっていく。
星天の下、最後の柱が起き上がっていく。
神官の一人がつぶやいた。
「これで王にご満足いただけるはず」
この占いの儀式は本来、ここまで大がかりなものではない。こんな石の柱ではなく、木の棒を地面に突き刺して占うのだ。
しかし、今回は王によるご命令。重要な占いだからと、この大きさを所望されたのだ。
前例がないことに、神官たちは考えた。よほど重要なことを占うに違いない。この国を左右する、そんな何かかもしれない。
最後の柱が立った。
これで九本だ。縦が三列で、横も三列。
○ ○ ○
○ ○ ○
○ ○ ○
神官たちはホッとする。儀式の準備が完了したのだ。
作業に従事した男たちが、腰から崩れるようにして大地に倒れる。本当に過酷な作業だったらしく、彼らは全身で息をしていた。
神官たちは男たちに、労いの言葉をかけてやる。本当によくやった。地平線はまだ日の出前だ。
ところが、これから起こることを、神官たちはまだ知らない。誰か一人でも注意深く周囲を観察していれば、結果は違っていたかもしれない。
この時、九本の柱を遠くから見ている者たちがいた。地面の色と同じ布をかぶって、周囲の荒野にうまく溶け込んでいる。
「姫、すべての柱が立ちました」
三人の一人、神官長の息子が言う。
「全員が柱から離れていきます。水を飲むつもりでしょう。私たちには気づいていないようです」
姫はほほえみを浮かべながら、
「それでは計画通りに」
大男がうなずいた。
「姫さまと坊ちゃまは、ここにいてください。危険ですから」
大男の左腕には、太い縄が巻きつけられていた。
その縄の反対側は網になっていて、網の中には「大きな石の球体」が入っている。
これをどうするのか。
もちろん、ぶつけるのだ。あの九本の柱に。
もともと、この儀式『九柱戯』は、子どもの遊びが始まりとされている。地面に九本の棒を刺して、離れたところから球体を転がす。はたして、何本の棒を倒すことができるのか。
それがいつしか、占いの儀式としても使われるようになった。
その行き着いた先が、あの九本の柱だ。
姫は知っている。父が占いたいのは、「自分の墓の大きさ」だと。
父の本心は、「自分が偉大な王であったことを後世に示すため、大きな墓にしたい」。しかし、人も資源も有限だ。墓のサイズと建設費用の妥協点を探るために、あんな占いに頼ることにしたのである。
それで姫は決心した。あんな物、儀式の前に壊してしまおう。
(そうやって、父の目を覚まさせる)
このあたりには、いくつもの丘があるので、隠れているのは簡単だった。神官たちはまだ気づいていない。
大男は石の球体を両手で抱えると、丘の上へとのぼっていく。
姫と、神官長の息子は、この場で待機だ。あとは、あの大男に任せる。すぐに逃げることができるように、二人の近くには馬が止めてあった。
この計画が成功するよう、姫が祈りの言葉を唱えていると、丘の上から音が聞こえてくる。
風を切る音だ。それが徐々に大きくなっていく。
姫は頭の中に思い浮かべた。大男が縄の端を持って回転している。縄の反対側には、あの石球があった。
この音で、神官たちも気づいたらしい。騒ぐ声が聞こえてくる。
しかし、もう遅い。あの石球を今から防ぐのは、人間には不可能だ。
風の音が変わった。
笛を細く吹くような音だ。それが丘の上から急速に離れていく。
大男が縄から手を離したのだ。
音がつくった道しるべを、姫は両目で追いかけていく。
石球だ。勢いよく飛んでいっている。あの九本の柱に向かって。
そこから先は、意識の方が先回りする。
姫は頭の中で想像した。それからわずかに遅れて、実際の景色が重なる。
命中だ。九本の柱がなぎ倒されていく。
石球の戦果を見届けたところで、
「姫、お急ぎを」
神官長の息子が馬を引いてくる。
「わかりました」
逃走開始だ。丘のふもとから、二頭の馬で駆けていく。
その二頭からほんの少し遅れて、丘の反対側からも、別の馬が走り出した。
こちらに乗っているのは大男だ。姫たちとは別の方角を目指す。
当然ながら、注目されるのは大男の方だ。
神官たちが怒り狂って叫ぶ。
「あいつだ! あいつが犯人だ! 王への反逆者め! 北へ逃げていくぞ!」
しかし、追いかけようにも馬がなかった。人間の足では追いつけない。
神官たちの背後では、せっかく立てたばかりの九本の柱が、無残な状態をさらしている。
そこからいくらか離れた場所では、この惨状をつくり出した石球が、たった今停止したところだった。砂の上には、反逆の道が記されている。
さて、この時に逃げた大男。北にある地中海沿岸へと向かい、そのあと海をわたったらしい。
こうして古代エジプトの『九柱戯』は、「古代ギリシア」にもたらされた。次に「古代ローマ」へと伝わる。
そこからさらに、伝播していく。のちに「欧州」と呼ばれる地域のあちこちに。
その一つが、「英国」だ。ボウリングの歴史は、英国へ飛ぶことになる。
時は流れて、国王エドワード三世の時代だ。
ある事件が、「英仏百年戦争」の最中に発生した。




