第21話 こういうのしていいよ
数日後。
爆弾はふとした瞬間に投下された。
「浅海くん……私が来るの、もしかして嫌だったりする……?」
急にそんなことを言い出した紗夜さんに、我が家の空気が一瞬で張り詰めた。
この前に勉強を教えてもらってから、紗夜さんはちょこちょこ『勉強教えようか?』と提案してくれるようになった。
正直すごく嬉しい提案だ。
でも同時に申し訳なさもあった。
断るべきだと思いつつも甘えに甘えてしまい、夕食の後とか休日とかたまに一緒に勉強をしてわからない部分を教えてもらっていたのだけど。
「い、嫌なわけないです。なんでそう思ったんですか!?」
「でもなんか表情がレモンとか吸ってるみたいな時があるから……」
しょぼんと指を突き合わせる紗夜さんの話を聞いてみると、たしかに心当たりがあった。
俺は紗夜さんに勉強を教えてもらう時、まず申し訳ないという気持ちが先行する。
食事を用意してくれることについては母さんとも話が付いていて、紗夜さんに野菜を提供したりもしている。紗夜さんのメンタルの事を考えて、『褒める』という行為が情緒を安定させることも俺はわかってる。
でも勉強を教えてもらう事に関しては、本当に頭を撫でるだけでいいの? という思いが抜けない。
料理は家族全員が助かっている。けれど勉強はある種、俺の我が儘だ。
そのせいでたまに申し訳なさが顔に出てしまっているらしい。
「紗夜さん……誤解です。俺が紗夜さんのこと嫌になるわけないです」
「嘘じゃない……?」
「嘘じゃないです!」
それから誤解を解くのにちょっとした話し合いの時間が掛かった。
しかし勘違いをさせてしまったのは間違いなく俺が悪い。
和希は猫みたいにこっそりソファの裏に隠れていた。
「……痴情のもつれってやつ?」
痴情ではないけど、もつれてはいる。
俺は時間をかけて紗夜さんを説得した。
その甲斐あって、なんとか紗夜さんにも俺の事情を納得してもらうことができた。
「……じゃあ浅海くんは、私に頼りすぎだと思ってあんな顔してたんだぁ」
「はい」
「……そっかぁ~」
いつもなら気にしないでよと言いそうな所だけど、紗夜さんも『浅海くんに頼り過ぎかも』と前に似たような事を言っていた。なんとなく気持ちはわかるのかもしれない。
「浅海くん」
「はい」
「塾とかって……行ってないんだもんね」
しばらくしてそう言われたので頷く。
あまり塾に通えるほどうちの貯金に余裕があるわけではない。
どうしてそんな事を聞くのかと首を傾げたら、紗夜さんがぐずと鼻をすすってから言った。
「実は……私の友達が丁度、家庭教師に興味があるみたいで」
「え?」
「浅海くん、受けてみない?」
それはすごくありがたい提案だ。
「でも、あまり費用とかは」
「その辺りは相談だけど、ボランティアでもいいぐらいだって言ってたから、高すぎるってことはないと思う。ちょっと変な子だけど」
「そうなんですか……」
腕を組んで考える。
けれど費用に関して相談できるのはありがたい。
丁度紗夜さんに頼らず、誰か教えてくれる人が欲しいとは思っていた。
(バイト代を少し切り詰めるくらいなら俺でも出せるか……?)
なんにせよ、一度話を聞いてみた方がいいだろう。
……ちょっと変な子だというのは気になるけど。
紗夜さんから見てちょっと変な子って、どのぐらい変なんだ。
「ありがとうございます。よかったらその方、紹介してください」
◇
家庭教師の先生とは、後日に会うこととなった。
お互いに都合が会う日を紗夜さんがセッティングしてくれたのだ。
なのでそれまでは一人で勉強するわけだけど、今日は和希が珍しく真面目な調子で声を掛けてきた。
「お兄ちゃん早く紗夜さんと付き合いなよ」
「……ええ?」
問題集を閉じて顔をあげる。
我が最愛の妹は急に何を言い出すのか。
「紗夜さんは不安なんだよ。お兄ちゃんが離れるんじゃないかって」
「そんなつもりは全くないけど」
「証拠が欲しいんだよ。女性は」
中学生がどこでそんなことを知ったんだ。
なんて思ってたら和希がポンポンと自分の隣のソファを叩く。
座れ、ということだ。
おっしゃる通り隣に座ると、和希が俺の膝の上に座ってきた。
「ハグ」
「はいはい」
短い要求を受けたので手を回す。
小さい頃はよくこうして膝の上に座られていた。
頭の位置がもう俺の顎を越えていて、和希もずいぶん大きくなったなぁと思う。
そんな和希がぼそぼそと呟く。
「……こういうの、紗夜さんにもしていいよ」
「……え?」
「こういうことしてあげたらたぶん紗夜さんも安心するよ。いきなりはダメだけど」
年上の先輩に膝の上に座らせてハグは姿勢的にも精神的にもやりづらいけど、和希が言ってるのはそうではない。
安心させる手段の一つにハグがあるということだ。
……もう既に頭を撫でるのはやってるとは言いづらいけど。
「……いや、流石に紗夜さんも嫌がるだろ」
「そうかなぁ……普通はそうかもしれないけど……紗夜さんなら喜ぶと思うな……」
言外に紗夜さんは普通ではないと言っている。同意はするけど。
「そうじゃないとしても……もう少し気持ちを言ってあげた方がいいんじゃない?」
「気持ち?」
「お兄ちゃんも紗夜さんも、最近は気使って言ってない事があるような気がする」
なんて周りをよく見てるできた妹なんだ。
俺は和希にハグをして、頭を撫で、言われた事を頭の中に書き留めた。
「一旦、散歩してこようかな」
「うん」
ちょっと頭を冷やすために外に出ることにした。
◇
外は晴れているけど、冬の気温はかなり冷たい。
俺は紗夜さんのことを考えながらぼんやりと歩いていた。
紗夜さんとの関係性は、最近になってから急に変わってきている。
ただの先輩でもない。
ただのお隣さんでもない。
そういう枠に納めるには、紗夜さんとの関係は深すぎる。
ただ、それなら付き合っちゃえばいいじゃんというのは性急な気もする。
他人との仲の良さが最大限まで深まったとして、すぐ恋人へと進化するわけじゃない。俺と紗夜さんの関係性はけっこう深くなってきているけど、これがすぐ恋愛へ切り替わるかと言うと難しい。
ごちゃごちゃと考えているけど、一番の問題は俺が紗夜さんに対して気が引けているというのが大きい。恋愛は対等を望むものだと紗夜さんは言っていたけど、俺も紗夜さんと対等だとは思えない。
だからこそひとまずは大学合格を目標にして気合を入れている。恋愛とかは一旦抜きにして、紗夜さんと対等になれるように、何かできることをやろうと思っている。
(……でも、その間はずっと受け身のままだな)
大学合格が目標なら、そこに辿り着くまでは現状維持になってしまう。
その前に紗夜さんが不安だと言うのなら、その不安を除くことを考えるべきなのかもしれない。
(紗夜さんの小説が出たら、区切りとしては丁度いいのかな)
その辺りなら紗夜さんも落ち着いているはずだ。
何をするかも決まっていないけれど、それまでにできることを考えておきたい。
そんな事を考えていたら、気づいたら駅前まで歩いてしまっていた。
思ったより歩いていたらしい。
ここまで来たならついでに和希と紗夜さんへドーナツでも買って帰ろうか。
「和希が食べたいって言ってた新作も売ってた。良かった」
そうして無事ドーナツを買った帰り道。
なんとなくバイト先を通る道を行こうと行きと別のルートを歩いていたら、
「う~ん、今はいないかなぁ~……?」
バイト先の前に変な人がいた。




