街の出来上がり
1
それからのクリッジ市はにわかに活気付いたように見える日々が続いた。
結局ほとんどの市民が中州へ移住をすることとなったため、彼らの家財道具と、彼らが住んでいた家屋も建材として運ぶ作業が始まったのだ。
このため中州側でも急遽マプロなどへ帰っていた工夫たちを呼び戻して作業に加わった。
クリッジ市の一切をリコローニ家が肩代わりしてニールが買い上げた形になっていたため、市民が住んでいた家の他にも、とうとう一度も営業しなかった店舗なども建材として解体されて運ばれた。
中州のぺリアー馬はもちろんのこと、馬という馬はすべて馬車に繋がれてクリッジ市と中州を何往復もした。
クリッジ市では建物の解体が行われる一方で、中州では運び込まれた木材で急に増える人々が住むための家が突貫工事で立てられ続けていった。
移住してくる人々は四千人ほどになるため、工夫たちがマプロなどから今後呼び寄せる家族を合わせると、中州はいきなり一万人に届きそうな人口を抱えることとなりそうだった。
建設作業には中州もクリッジも関係なく従事することとなり、クリッジ市で解体作業を行う人手も併せて、クリッジ市民の男手はほとんど参加していた。
幸いにも中州の暗渠排水は大成功といってよい出来であり、冬の終わりの今頃にはずいぶんしっかりとした地面が広がっていた。
そして、これらの工事と平行して大運河の最終工事も着々と進められていた。
掘削は、これも冬に入る直前に終わっていたため、後は耐水性に優れる石材で固めて水門を開けば完成だ。
運河の南北に設けられた水門のうち、北のものは川の曲がりばなからやや離して設けているが、これを建設するため岩盤の一部を掘削していた。
そのため、このままでは岩盤の侵食により将来的に水門の強度が心配であるというパエトリウスの進言により、急遽川の東へ曲がり始める部分を北側へと広げることで流れを穏やかにする工事が開始された。
まだリドーテ川全体で水量が増える時期ではなかったが、もう一月ほどで雪解けを迎えるため、この工事は家屋の建設や運河の最終工程と並んで優先度の高いものとなった。
この工事には冬に入る直前に終了した川の護岸工事に従事していた人員があてられた。
2
夢の工事があと少しという段階でいきなりすべき事が増えたため、パエトリウスはもちろんのこと、アムテッロやマディ、ロッカといった現場監督を務める面々も連日太陽が昇りきる前から工夫の指揮を執り、太陽が沈めば食堂で細部や進捗の打ち合わせを夜遅くまで行っていた。
しかし、それでも皆の表情に疲れは感じられず、むしろ体の内側から力が湧き出て仕方がないように日々溌剌と各人の仕事に打ち込んでいた。
トゥホールもクリッジ市の方で解体作業を毎日激励して回っており、その声を掛けられる者の中にはダライランの姿も見られた。
クリッジ市民は以外にもダライランをそれほどわだかまりなく再び迎え入れていたのであった。
ゴロツキを引き連れて戻った際には困惑したものの、皆それまでの彼の私利私欲を排した高潔さと実務能力を高く評価していたのである。
そして当の本人は罪を償うことに専念することにしたのか、周りからの視線の善し悪しには一切目もくれず、ひたすら板を剥がす作業を黙々とこなしていったのだった。
そしてカイやトーニ、それにヴィーノといった剣士たちも、事ここに至って握るものは剣でなくスコップや木槌となっていた。
トーニはアムテッロに付いて中州北岸の拡大工事にのめり込んでいたし、クリッジ側の剣士は市民と並んで次々に建物を取り壊しては木材を馬車に詰め込んでいた。
カイも毎日のほとんどを運河への石材運搬と設置に費やしていたのだが、これは自分の身体の幼さを久しぶりに痛感する仕事であった。
けれど、陽が落ちてくたくたになっても食堂の進捗会議に顔を出すことだけはやめなかった。
他にすべき事がないならば、その間はニール・チェモーニの剣士であろうと心がけたからだった。
ある時、最後の購入した資材が搬入されると同時に、いまや懐かしいとさえ思える者も一緒に中州へとやってきた。
ナタルーゴである。
彼は完成した街に一番乗りする商人の座を密かに狙って最後の資材に同伴してやってきたのだが、その目に映ったものは未だ終わる気配のない工事の風景であった。
そこで、今更出直す気にもなれない彼も軽い気持ちで工事に参加することにしたのだが、毎日家を建てては次の家へ取り掛かる日々で、夜は工夫たちと同じ小屋に寝泊りするはめとなったことをすぐに後悔した。
そのまま彼は後悔し続けたまま工事に最後まで従事したのであった。
そして彼から中州の面々が聞いたところでは、マプロではかなり反コアディ的な風潮が蔓延しつつあるようで、しばらくはコアディ派の商人も共和国評議会議員も表立った行動は起こしそうにないとのことだった。
3
冬が本格的に終わり春の訪れが感じられる頃には、木材の運び入れも終わり、クリッジ市民もほとんどが中州へと移住して工事に加わった。
元々中州で工事に携わっていた者たちも既に家族を続々と呼び寄せており、北岸の工事がやや他と比べて遅れ気味であったので男手をそちらに回したため、家屋の建築現場にはにわかに女性が増えていった。
彼女たちもこの地に人生を賭けていることでは男たちと変わるところがないので、誰も弱音を吐かず懸命に働いて家を次々に建てていった。
中州側とクリッジ市民の融合も、まずは彼女たちから始まっていった。
いきなり慣れない工事に従事させられた同士、助け合う心が芽生えていったのだ。
そのまま家族ぐるみで仲良くなる者たちも生まれ、街が完成する前から随所で近所付き合いが始まっていたのだった。
四月の半ばには懸念された北岸の工事も一先ずの完成を迎えた。まだ理想的な状態に程遠くはあるが、それは街の発展に合わせた将来の事業でよいだろうとされた。
その頃丁度北のハクサ山脈で雪解けの季節が訪れており、流量が増えた川は、しかし幅の増えたところまで達すると流れをゆったりとさせ、これまで激しくぶつかっていた岩盤も優しく撫でるように流れていった。
この様子を見て大運河の北水門も開放され、おずおずと流れ込んだ水は石材で固められた水路を滑るように進み、南水門からまた元の川へと合流していった。
大運河の工事も成功に終わったのだった。
それらの工事の合間を縫って、チェモーニ家をはじめとした面々が集った小屋の周囲と、そして小屋自体にも工事の手が入れられた。
小屋に住んだ者たちは一時的に近くへ立てられた別の小屋へと移り、その場所はロンドバルドの墓所を兼ねた神殿とされた。
そこは後日誰ともなくチェモーナ大聖堂と呼ばれ、将来石造りの立派なものに立て替えることを前提として周囲に用地確保のため柵が設けられた。
聖堂を北辺として広場も整備され、その南辺には市庁舎が建設されることも決定された。
広場は、これも後日にロンドバルド広場と呼ばれることとなるのであった。
工事に携わる者たちの多くは、最初は仮住まいの長屋に全員が住んだが、日が経つにつれて高齢者や幼子を抱える家族から新居に住まい出した。
この新居でさえも誰にとっても終の棲家ではなく、より街が発展して中心部に公共物の需要が増せば家を周縁部へ建替えることが決まっていた。
しかし誰もそれを問題にせず、むしろ皆がその日を今から心待ちにしているのであった。




