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再起


 陽が西へと傾き始めても、寝室の中ではロンドバルドの人生に幕が下ろされた瞬間から、時間が止まってしまったかのようだった。

 その瞬間から、もう二時間は経っているだろうか。

 誰もがその間、同じ時間が永遠に繰り返されているかのように過ごしていた。


 アムテッロはクラウティーノの頭を抱き寄せたまま俯いてしまい、マディは顔を両手で覆ったが、その所々から涙が溢れだしていた。

 トーニは繰り手がほったらかした人形のように、壁にも寄りかかって座り込んでいる。

 パエトリウスも沈痛な表情はそのままに、マディほどではないが十分にがっしりとした両肩を、今ではしゅんと落としたまま立っていた。


 カイもまた、皆と同じく何も考えられなくなってしまい、少しでも頭を働かせようと試みると、思い浮かぶのは酒場で初めて出会った時の、あの朗らかで自信に溢れた横顔ばかりだった。

 そして、その光景に続いてすぐに、頭の奥まで直接届くかのように聞こえる、よく通る声が思い出される。

 それらが永久に、もう自分の前には現れなくなったのだという事実は、考える度に深い悲しみを伴わないではすまないのだった。

 半年しか共にいなかった自分でさえこれほどに打ちひしがれるのだから、マディやトーニの心中は如何ばかりだろうか。

 それを思えば、自分はまだ落ち着いていられるはずだ。

 ニールらにとってみれば、実の父親の死に直面させられているのだから。


 そう思ってふと考えてみれば、カイは肉親の死というものに対面したことがなかった。

 家族を失った時は、森から帰って来てみれば村は既に燃えてしまっていた。

 やっと家に近付けるようになった頃には、人も物もすべてが変わり果てた姿となっていたのである。

 カイにしてみれば、誰もが自分だけを置いていなくなってしまった、といった感覚だった。

 養父は目の前で最期を看取ったが、血の繋がらないことは最初から承知している人の死である。

 もちろん心から悲しいと思ったが、もし本当の父だったならまた違った悲しみを抱いたのであろうか。

 そんなことを考えられるようになったのは、自分が少しでも冷静になったからなのだろうか。

 久しく床の木目ばかりを眼でなぞってばかりいたのを、顔を上げてみる気になった。

 すぐ無意識のうちに探したのは、ニールの姿だった。



 気を落としているだろうか、と少しでも考えていたが、亡骸の横たわる向かい側のベッドに腰掛けていたのは、カイのいつも思い描くものと変わらないニールだった。

 部屋の中でただ一人、普段通りの明晰さを窺わせる顔つきである。

 彼はこんな状況でも何かを考えている。

 父親を失った、こんな時でさえも。

 カイにはそれを非情だ、と咎める気持ちは一切湧いてこない。

 この少年がそうすべきと思ってしていることなら、きっとそれが正しいのだろう。

 そして自分は、今わの際の父親に誓ったように、か弱くも聡明な少年を支えようと思うのである。

 まだ心は悲しみの沼に浸っていたいようだったが、それを引きずり上げるべく足に力を込めると、ニールの座るベッドへと静かに歩み寄った。


 傍らに来たことに気付いたらしいニールは、こちらへと顔を上げる。

 少し気遣うように向けた眼差しと、柔らかくも鋭く向けられた眼差しが交差した。

 それはいつも通りかと思っていたものより、一層強い意志を物語るかのような瞳だったので、カイは自然と拳を握りしめていた。

 つい先ほど、ロンドバルドが残された力を振り絞って語ってみせたのと、同じくらいに熱い情熱を感じたのである。

 目の前の少年の心を占めるのは悲しみでなく、父の抱いたものをそのまま継いで燃え盛る情熱なのだった。



 ニールが立ち上がったのは、カイが心に最後に残っていたもやを振り払ったのとほぼ同時だった。

 ロンドバルドの死を、自分でさえこれで乗り越えられたとは思わない。

 しかし、悲しみに身を浸すのはそれが許される余裕が生まれてからだ。

 そう、深い青の瞳に言われた気がしたのであった。


「マディおじさん、今まで本当にお世話になりました。父に代わって感謝します」


 それまで顔を両手で隠していた大男は、その言葉に驚いたように手を下ろした。

 まだ目は赤いままだったが、それを大きく見開いて、自分を真っ向から見据える視線を受け止めている。

 死んだ男の遺児の瞳が訴えかけるものが、悲しみなどでないことが彼にもすぐ理解できたようだった。


「工事は父がお願いしたものです。引き続いて請けていただけるかどうかは、おじさんたちに決める権利があります」


 ニールの表情は、まるで相手を問い詰めるかのようなものだった。

 もしかすると息子たち以上に深い絶望の淵に沈んでいたかもしれない男に、少々酷な仕打ちなのではないか。

 しかし、当の相手の方では、自分に向けられた眼差しを暖かく受け止めたようであった。

 マディはしばらく、もう二度と目を開くことのないロンドバルドの顔を見つめていた。

 そして、再び上げた顔は、年長者が若い者を見守る優しい表情であった。


「ニール、これはお前の父さんとの約束だ。約束はどちらか片方が生きている限りは守られるものさ」

「ありがとう、おじさん」


 そう言うニールの表情は、心からの感謝を表していた。

 マディは大きく鼻をすすり上げると、もう顔を手で覆ってしまうことはなかった。


「兄さん、父さんの夢は僕が継ぐ。だから兄さんにも力を貸してほしい」


 マディと弟との会話を聞いて、アムテッロもすでに立ち上がっていた。

 クラウティーノも泣きはらした顔だったが、小柄な方の兄の眼をしっかりと見つめることができていた。


「もちろんだとも、ニール。兄弟は、家族は一つだ。いつでも力を合わせる。そうだろう、クラウ」


 そう言って優しく頭を撫でられたクラウティーノも、引き締まった顔つきでこくりと頷いた。

 まだ流した涙の跡が乾かないままの頬が、うっすらと窓から差しこむ光によって浮かび上がっていた。

 だが、いい子だ、とアムテッロに抱きしめられると、そのまま兄のシャツを握りしめ、顔をうずめて離れなくなってしまった。

 その背中を、アムテッロはゆっくりと撫で続けていた。


 次に声を掛けられたのはトーニだった。

 こちらはずっと座り込んだままで、立ち上がってくる気配はない。

 まさに放心しているようである。

 そのトーニに向かって、ニールはうなだれた首筋に浴びせるように語りかけた。


「トーニ、君の借金は父さんの死で存在しなくなった。もう君を縛りつけるものはない。これからどうしようと自由になったのだけれど、どうするつもりだい。僕たちとしては、剣士の手はあれば有難いのだけれど」


 すると、今までぐったりとしていた首がぐいと持ち上げられた。

 自分の前に立つ少年をまるで睨み付けるように見上げている。

 そのまま互いにじっと睨み合う時間が過ぎるかと思われたが、不意にトーニが口を開いた。


「このままの稼ぎじゃ旦那の墓に供える花代にもなりゃしない。もう少し雇われとくさ」


 その言葉に、ニールも満足気な表情となる。

 トーニはまたがっくりとうなだれてしまったが、元々は中州に集った面々の中でも一際活力に溢れる男だ。

 きっとまた元通りのはつらつとした姿を取り戻すに違いない。

 それは今日中にではないかもしれないが、それでも、そう遅いことではないだろう。


「そういうことなので、パエトリウスさん、もうしばらくお付き合いください」


 最後に入口近くに立つ技師へと歩み寄る。

 技師ももはや沈んだ顔つきではなくなり、力強い視線に、自身も応えようと努めていることがわかる。

 大きな自分の手で細い手を取り、しっかりと握って正面に立つ。


「この街の完成は私の夢でもありますからね。最後まで責任を持って付き合せてもらいますよ」



 こうして一度は何もかもが終わってしまったかのようだった者たちの顔に、精気が戻った。

 それは、自身も辛い気持ちを抱えているに違いない少年の、確固たる意志によるものであった。

 ふと、カイは横たわるロンドバルドの顔を見た。

 すべてを息子に引き継いで逝った男の顔は、先ほどまでの記憶では苦しそうなものだったが、今見ると安らかなものにも思えた。

 自分の亡き後も、遺志が確実に継がれてゆくことを信じて目を閉じたのだろうか。

 いや、きっとそうなのだろう。

 チェモーニ家の男が漂わせる不思議な雰囲気は、家族への信頼に依るところも大きいのだろう。


 ロンドバルドが自らの思いを遺した家族とは、きっと三人の息子たちだけではないのである。

 それはニールにもよくわかっていた。

 そして、その家族はニールの言葉に、皆しっかりと答えたのであった。

 唯一カイだけ声を掛けられなかったが、そのことをカイ自身もなんら不思議に感じなかった。

 二人は皆が顔を上げる前に、すでに視線で思いを交わし合っていた。

 二人とも互いの気持ちを、言葉を交わすより正確に汲み取っていたのだった。

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