冬の入口
1
ニールらがヴィンタリからの帰路に着いた翌日も、中州はいつも通りの日々を送っていた。
朝から夕暮までの土木作業である。
本来なら今頃は、今ある小屋以外にもいくつ建てておいて、冬を乗り切りやすくしたいところではあった。
だが、それに必要な資材が足りないのでは仕方がない。
いずれ、ニールの金策が上手くいけば、また工夫たちを受け取りに行かせよう。
その間も、暇ということはまったくないのである。
中州の工事が止まるならば、その分両側の運河と川を仕上げることができる。
運河はもうほぼ掘り終わっていたが、中心をもう少し掘り下げることにした。
中心は八ミンタの深さとなる予定を、十ミンタへ変更とした。
パエトリウスが言うには、いざという時には街を囲む堀の一辺にもなることを期待されているので、深ければ深いほど良いのだそうだ。
川の方も、冬の間は流量が減るといっても、工事を中途半端にしておくことは許されない。
もし問題が起きでもすれば、冬に川へ入って処置を施すのは、まだ簡単な小屋とテントしかない状態では危険極まりない。
凍えてしまっては、案外簡単に死につながりかねないのである。
それに冬を無事乗り切ったとしても、春が訪れれば上流の雪解けで水がどっと押し寄せてくる。
運河の完成が不確かなこともあるが、その際に流れを川だけで収められるよう、まだ辛うじて水の中へ入って行けるこの時期に出来ることを済ませておかねばならない。
流れが最初の蛇行を曲がりきれずに溢れれば、中州に関してはこれまでと同じ作業をもう一度繰り返さねばならないのだ。
2
ロンドバルドは今までと同じように、一日も欠かさずに運河の工事を激励して回る。
川の方でもアムテッロが父と同様に、毎日しっかりと監督している。
当初、長男の配置については、マプロで商業を営んでいた時のように、真面目さと人柄の良さだけは期待できると任せてみたのだった。
しかし、いざやらせてみると、毎晩のようにパエトリウスから教えを乞うていたこともあるが、意外にも土木方面の才能があるようでもあった。
今ではパエトリウスも、ある程度はアムテッロに川の工事を任せてしまっている。
しかし、それでも調子に乗ることもなく、夕食の後には進捗を欠かさず技師に報告するあたり、やはり彼はアムテッロ・チェモーニなのだった。
マディは工事する地点が運河か川かに絞られた結果、最近では川の方を選んでいた。
運河を掘った土で作った土嚢を基礎にして、まずは蛇行している箇所から堤防を造ることにしたのである。
土嚢は夏の間に、元々蛇行を修正する工事のために運んであったので、それを堤防になるように積み上げる作業から始められた。
これはあくまで臨時のもので、ゆくゆくは川底をより本格的に掘り下げることと運河の開通で流量を少なくし、最終的には堤防が不要な川になるはずである。
そうなれば次はこの土嚢を、川に何カ所か架ける予定の橋の基礎としなくてはならない。
街が来年につつがなく完成したとしても、工事はまだ何年にも亘って続けられるのだ。
そして、それが一つ完了する毎に、街も大きくなり続けるのである。
パエトリウスはというと、ここしばらくは運河も川も人任せにできたこともあって、中州にできる予定の街の、都市設計に勤しんでいた。
ロンドバルドの考えでは、この街には城壁を築くつもりはないらしい。
誰にでも開かれた都市を目指したいということなのだ。
マグナテラ帝国の第二都市であり、世界屈指の城塞都市でもあるノイベルクに生まれ育ったパエトリウスには、その考えは少なからず衝撃であった。
だが、城壁を設けないことと外敵への備えを期することは、必ずしも両立不可能事ではない。
今回はその両者を、周囲を取り囲むことになる水が結びつけた。
これで高い壁がなくとも、中州と外敵を隔離することが可能となる。
周囲を満たす水の量も、元々湿地になるほど溢れていたのだから、こちらはまず心配ない。
ただし、運河と川の水量を均等に保つため、運河の入口には水門を造る必要があるだろう。
水門に激流が直接当たらないようにするため、中州の北側で川幅を一旦大きく広げて、流れを緩やかにすることも考えねばならない。
そして水門がこの街の堀の役割を左右する重要施設になることは明らかなので、別に防御施設も併設したい。
川に架ける橋も、有事の際に敵が使えないようにするため、すべて木製にせねば。
それらのことを一手に引き受けて考えていると、一日にそれ以外のための時間が残らないほどだ。
けれど、パエトリウスは心から愉しんで、この仕事に取り組んでいた。
自らの手で大規模な拠点を設計できる。
それがたとえ商業都市であったとしても、彼には無上の喜びなのだった。
資金繰りが行き詰る危機にあることは、工夫たちの間でも、ほぼ公然の秘密として認知されていた。
だが、彼らの士気がそれによって落ちるということはなかった。
それは雇い主への信頼もあったが、彼らの多くは二度とマプロに戻らないと決めている者たちなのだった。
その理由は人それぞれではあったが、ここを新天地として望みを託していることでは、皆大なり小なり同じなのだ。
この、交易の要衝となりうる可能性を秘めた土地に、一人に一軒ずつ家が与えられる。
それは彼らの人生に、他ではありえないような逆転のきっかけをもたらすのである。
給料の遅配くらい、もう大した問題ではなかった。
これまでの分を満額支払われたとて、どの道そう長く暮らしていける額ではない。
彼らの心情としては、給料を全額返上しても構わないから、なんとか街だけは完成させたいという思いなのである。
この工事に賭けていることでは、ロンドバルドも彼らも、そう大きな違いはないのだった。
雇用者と労働者の利害が一致していれば、あるいは一致していると思い込ませるでもよいが、事業の効率とは飛躍的に向上するものだ。
粗末な道具と食事だったが、実施した工事はいずれも、驚くほど順調に進行していた。
それは、そろそろ十月も終わりの、つまり冬の訪れを告げる使者の足音でもあるかのような涼しい風の吹くこの日も同じだった。
3
運河の工事現場では、いつものように激励だけに飽き足らなくなったロンドバルドが自分もスコップを持ち、朝から工夫たちに混じって地面を掘り返していた。
そのうち太陽が高くなってくると、朝方に羽織った上着がどうにも暑くてたまらなくなってくるので、脱いでしまう。
長袖のシャツも、袖を半分に捲り上げる。
ロッカが、無理をしないように、と言うのを笑顔で聞き流しながら、三時間ほど汗を流した。
いつも正午からは一時間の休憩を取ることになっていた。
夏場は休憩を二時間にしていたのだが、最近では早く陽が落ちてしまう。
そのため休憩も作業終了時刻も、夏より一時間ずつ切り上げていた。
暗くなってからでは、照明代の都合で作業を続けられないのだ。
寒い、という一歩手前の涼しさなので、少し休めば汗も引く。
再びスコップを手にして四時間も経てば、もう一日が終わってしまうのである。
もうそろそろ休憩も終わりか、という頃のことだった。
中州の方から見張り台の鐘の音が聞こえる。
それから間もなく、運河の西側から、何人かの、馬に跨った男たちが姿を現した。
馬は騎乗用の、中くらいのものである。
その場の工夫たちは二手に分かれ、片方は男たちの方へ、もう片方はロンドバルドの周りへ集まる。
男たちの方へ向かった中にはロッカもいた。
ロッカらがすぐ近くまで来ると、男たちは馬を止め、何かを話したようだった。
それからロッカだけが戻ってくる。男たちからの伝言を預かったとのことである。
「ドゴノフという男だそうで、旦那に会わせてくれ、と」
ロンドバルドは会うことにした。
その名前には、覚えがあったからである。
名前だけでなく、顔も声も知っている。
元はマプロの剣士だったが、本人の凶暴さに惹かれて集まったごろつきと共に、六年前姿を消した男だ。
噂では、その後野盗と化したとのことだった。
マプロにいた時は、性格はともかく、腕は一流という評判であり、ロンドバルドも雇ったことこそなかったが、取引相手の傍らに立つ姿に何度か遭遇したこともあった。
その男が、自分に何の用だというのか。
危険な男には違いない。
だが会わない理由もない。
それに向こうでもこちらに気付いたようで、もう馬を降りて近づいてきているのだ。
二人は面と向かい合って立ち、まずは握手を交わす。
浮かべた笑みには確かに覚えがある。
右頬の大きな傷跡も。
そして、抜身の剣を思わせるように、細くしなやかな身体つきからも、まったく変わった様子はなかった。
しいて言えば、昔はもう少し、茶色の髪が長かったかもしれない。
最初に口を開いたのはドゴノフだった。
馴れ馴れしいとも思えるような、親しげな口調だった。
「やあ、ロンドバルド。久しぶりだ。会えて嬉しいよ」
返すロンドバルドも、相手を窺いながらも朗らかに振る舞う。
「久しぶりだな、ドゴノフ。変わりないようで何よりだ」
そして二人はしばらく、社交辞令を交えながらの世間話をした。
ドゴノフはこちらの置かれた状況に詳しい素振りを端々に見せていたが、それでも話の内容は、きっと顔見知りの商人とでもするのと大差ないものだった。
こんなに温厚で当たり障りのない男だったか。
そういった意外ささえ感じられる会話であった。
4
「それで、今日はどのような用事があって訪ねてこられたのだ」
いつまでも続く、中身のあってないような世間話に少々じれったさを感じたロンドバルドが尋ねる。
するとドゴノフは、さして感じる様子もなく、同じような調子で答える。
口許がにやつくのは、以前の印象と変わらない点であった。
「いや、大して用ということもないのだがね。実は今、隣のクリッジに仲間たちといるのだが、貴方がここにいるということを聞いたものでな。ふと、顔を出してみようかと思ったのだが」
そこまで言うと、男が顔を少しばかり寄せる。
まるで耳打ちでもしようというかのようだ。
声もやや落とすようにして続ける。
「あそこはどうにも辛気臭くていけないな。俺たちが留まるには相応しくない街だよ。どこか、他に落ち着けるような街がないかと探してもいるんだ」
なるほど、とロンドバルドは確信した。
この男はあちこちで用心棒を請け負うとでも言って、その分の金を巻き上げているのだな。
そこでクリッジの金払いが不満なので、新しいスポンサーを探しているというわけか。
だが、今は温和を装ってはいるが、この男を招き入れては、後々どのような問題を引き起こすことか。
ここはお引き取りいただくのが得策だろう。
幸い相手は、今チェモーニ家に余分な財産などないことも知っているのだろう。
なにせ自分たちは、今やスカラー家を敵に回しているのである。
「すまないが、ドゴノフ、ここにはクリッジよりもはるかにみすぼらしい小屋が一軒と、後はテントばかりだ。辛気臭いを通り越して、殺風景なくらいだ。君には他の街の方が楽しいに違いないと思うのだが」
そう言って、運河の向こう側の、平坦な土地が続く中州を示してみる。
これにはドゴノフも納得したようだった。
顔つきこそ変えないものの、肩を大きく上下させると、鼻から息を吐き出していた。
「どうやら、そのようだな」
そして後ろを振り向き、下馬していた仲間たちに、再び騎乗するよう手振りを送る。
十人ほどの男たちは、何も言わずに従う。
皆鋭い目つきの者ばかりだったが、それを腕の一振りで思うままにするとは、やはりこの男の実力でねじ伏せたのだろうか。
5
ドゴノフはもう一度こちらへ振り返ると、最後に握手を求めるような格好と表情になった。
ロンドバルドも快くこれに応じたのだが、相手は一歩歩み寄ろうとした際に足がもつれでもしたのか、躓いたようにして倒れかかった。
それをロンドバルドが慌てて受け止める。
受け止めた瞬間、左腕に痛みを感じたような気がした。
棘が刺さったような、そんな痛みである。
しかし気にするほどでもなかったことと、ドゴノフが立ち上がりながら礼を述べるので、それきり左腕のことは頭から消えてしまっていた。
ドゴノフらはそのまま、来た道を引き返していった。
休憩時間を三十分ほど過ぎた程度の、取り立てて感想らしい感想も残らない一時だった。
ロンドバルドが倒れたのは、その日の、夕食を食べた後のことであった。
左腕を中心に痣が身体中にでき、歯茎からは時折血が流れ出た。
また、ひどい高熱も出た。
誰が見ても毒の症状であり、簡単な医学の心得があったパエトリウスの見立ても、まったく同じだった。
もう長くは持たないだろうという見解も、同じだった。
どこまで引き返して来ているか判らないが、とにかくヴィンタリまで、とロッカがペリアー馬に飛び乗る。
工夫たちの中では、彼が昔、地区対抗の競馬の騎手を務めたことがあったからだ。
外を吹く風は、もう冬のものと変わらない冷たさであった。
もう虫も土へ潜ってしまったようで、物音一つしない夜だった。
その中で小屋の明かりだけは、一晩中消えることはなかった。




