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ヴィンタリへの帰還

 マプロの郊外で襲撃を受けて以降、ニールらの一行は、日中はひたすらカーラニア大街道を西へと急ぎ、陽が落ちるとなるべく街の明かりの見える場所で休むこととしたのだった。

 こちらの戦力を身をもって量った連中がまた襲ってくれば、恐らくカイとトーニでは、もはや防ぎきれないだろうと思われたからである。

 二人も並みの剣士と比べれば頭一つ抜けた実力を持ってはいたが、マウナルドはそれさえも凌駕する腕の持ち主だった。

 次に襲われた際には、近くの街に逃げ込んでしまうのが、最も安全な方法なのだった。


 襲ってきた敵の中にマウナルドがいたという事実は、敵の強力なこと以外にも、一行を考えさせることであった。

 マウナルド・カレージオが今はクリッジ市で雇われている剣士であることは、皆が知っていたからだ。

 それならばクリッジ市が関係しているのは間違いないが、今回は単なる偶然だろうか。

 経営が厳しい街では剣士やごろつきを雇って、盗賊行為を働かせて収入とするところも少なくはなかったからだ。

 クリッジ市の経営がうまくいっていないことは、ロンドバルドやカイの持ち帰った情報からも明らかだった。

 だが、そうと決めつけるには敵の剣士の、

「誰が持っているんだ」

 という言葉が皆の胸に引っかかるので、躊躇われもするのだった。

 普通、盗賊が馬車や商隊を襲った際に、金目のものを探すならば、

「どこにあるんだ」

 とでも言うのが自然だろう。

 それを、誰が持っている、とは、いささかこちらの荷のことを知りすぎてはいまいか。

 思い起こせば、連中は馬車にそれほど興味がないようでもあった。

 馬車にも一応金目のものは積んではあったのだ。

 ペルデディカ家の家宝の彫刻である。

 だが幌を被せていなかったので、中に誰もいないのが明らかだったからだろうか。

 結局彫刻は一顧だにされなかったのである。

 つまり、敵は最初からこちらの特定の積荷を狙いすまして襲ってきたということになる。

 しかも〝誰かが持てる〟程度の積荷を。

 その条件を満たすものといえば、二千万セステルの小切手を置いて他にないではないか。


 この結論に、まず一同は憤慨した。その日のうちに情報が漏れるとは、これはリコローニの裏切りに他ならないというのである。

 特にトーニらの直情的な者たちは、自分たちだけでも直談判に戻る、とまで言って息巻くのだった。

 それを静かに諭すのは、一行の中ではカイと並んで最年少のニールなのだった。


「もし叔父に僕たちを害するつもりがあったのならば、僕とカイが屋敷に赴いた時に捕えることもできただろう。僕たちはもはやマプロにはいないはずの人間なのだから、誰に咎められるようなこともないのだからね。後は人質にでもスカラーへ突き出すにも、思いのままさ。あるいは金を貸すつもりがなかったのなら、こんなにまどろっこしい手段に訴えずとも、最初から拒絶しても同じことだ。

 叔父が関与していないと言い切るのは難しいが、少なくとも彼自身の差し金ではないよ。分かればトーニは落ち着くように」


 こうも淡々と論理立てた説明を並べられては、トーニには反論するなどできはしない。

 そして最後にぴしゃりと窘められると、それきりしゅんとしてしまったのだった。

 これが、トーニがニールは弟扱いをしない大きな理由なのだった。

 だが、ニールとて彼の叔父を擁護したというわけではない。

 むしろ状況を整理するに、叔父がこちらに関する情報を意図的に漏らしたのは確実だろう。

 そしてそれがクリッジ市へと漏れていた。

 恐らく間にはコアディ家がいるのだろう。

 あのトゥホールがこちらと事を構えるとは思えないが、莫大な債務を前にしては、個人的な友情などは取るに足らないものなのだろうか。

 ニールには、トゥホールが父を前にして見せた、人の好さが滲み出るような笑顔が、一瞬にしても思い出されるのだった。


 そして、そのような会話の間のカイはというと、耳を傾けているようで、その実上の空であった。

 あの夜以来、カイにはリコローニもトゥホールも、心の内ではどうでもよかった。

 ただ、あの少女のことが頭の中で、常にどこかに見え隠れしては、その都度彼を考え込ませるのである。

 できればもう一度会いたい。

 会って互いのことを、少なくとも自分のことを包み隠さず伝えてしまいたい。

 そうすればこの胸のあたりでつかえているような、もやついた気持ちが晴れるだろうか。

 彼女に済まないと思う気持ちが、少しでも伝わるだろうか。

 それ以外のことは、今のカイには興味の湧かないことばかりなのだった。

 ただ一つ、ニールの身の安全を除いては。



 一行の心配を他所に、ヴィンタリまでの道中では、その後危険に見舞われることはなかった。

 幸いなことにロノの脚の傷も、熱を持つことも化膿することもなく、もう歩けるまでになっていた。

 日毎に夕暮から日没までと、一日に進む時間を延ばしてもいたため、旅程にも大きな狂いは出なかった。


 昼過ぎにヴィンタリへと到着した一行は、旅の疲れも陽が暮れるまでは忘れることにして、その日のうちから動き出すのだった。

 ニールはカイを連れて銀行へ行く。

 小切手の二千万セステルを、商人らの口座へと分割して振り込むためである。

 ニールとしては、リコローニが小切手の履行を停止してはいないかと内心どきりとしたのだが、それも無用の心配であった。

 商人らへの支払いを済ませて、残った分はチェモーニ家の口座へと預金しておく。

 ヴィンタリはケンプロ家と縁遠い商人までも反スカラーを掲げる者が多いため、マプロやコンクデリオからの圧力で口座が凍結される惧れもない。

 全てにおいてマプロの時より高くついてしまうのは痛いところだが、もうチェモーニ家にとっては、本拠とすべき街はここヴィンタリしかないのだと痛感するのだった。

 トーニらはロノを病院へと連れて行ったが、こちらは包帯の交換だけで済んだようだった。

 その日は市内に宿を取って、久しぶりのベッドで皆存分に眠る。


 翌日もニールは大忙しだった。

 マプロの銀行の口座が使えなくなったため、工夫たちに支払う給料を振り込むための講座を、ヴィンタリで作らなくてはならなかったからだ。

 これはカイや工夫たちには手伝い様のないことだったため、その間にカイとトーニは剣を研ぎに出しておく。

 二人ともマウナルドの重たい一撃を何度も受けて、もう随分刃こぼれしてしまっていたのだ。

 これに関してはニール曰く、経費、とのことである。


 午後になっても口座を作る作業には終わりが見えなかったため、出発は明日となった。

 つまりこの日は、ニール以外にとっては休日となったのだ。

 工夫たちは早速自分たちの口座から金をいくらか引出し、トーニも連れだって酒場へ行ってしまった。

 カイは酒が飲めないこともあって同行せず、日がな一日いつも通り、自分の仕事を続けようと思っていた。

 しかしニールが、

「せっかくだからカイも遊んでくるといいよ。ここなら僕の身も安全だろうから」

 と言うので、そういうことなら、と甘えることにしてみたのだった。

 その際に、ヴィンタリの条例で、カイの年齢ではまだ口座が開けなかったため、それまでの給料を現金で手渡されたのだった。

 雇われてからすでに七カ月が過ぎていた。

 それならば袋の中は大体二千セステルくらいだろうかと開けてみると、デナリア銀貨が二十五枚と、セステル銅貨が十八枚、そしてアッス小銅貨が四枚入っていた。

 どうやら日給の他に特別報酬が認められていたようである。

 今度はいつぞやのように掏られてしまうわけにはいかない。

 腰帯の内側にしっかりと仕舞い込む。

 そして特にあてなどなかったが、主人の勧めに従って、とにかく街へと繰り出してみるのだった。



 ヴィンタリでも東大通りに面する銀行を出ると、なんとなくなのだが、まずは南大通りへでも行こうか、という気分になる。

 この辺りはマプロからの商人も多く、ために銀行街なのだ。

 ヴィンタリ商人にとって、反スカラーということが即ち反マプロに結びつくということはないらしい。

 互いの都市は反目しあいながらも、活発な交流が途絶えないのである。

 そもそもヴィンタリ市が二百八十年前に建設された目的は、マプロとホルトの中継都市となることを期待してのことなのだ。

 当時のスカラー家当主の姉を母に持ったジュニーロ・ケンプロという若者を市長に据えたのが、この街の歴史の始まりなのだった。


 東大通りと比べると、南大通りは、どこの街も大体がそうなのだが、アグバール商人が多い。

 そのため、店の種類や扱われる品物も他の通りと比べて華やかである。

 特に欲しい物がない時には、装飾品や敷物などならば見ているだけでも楽しいだろうと思ったのだ。

 マプロと比べると小さな街というが、それでも実際に歩いてみると、そんなことは関係とでもいわんばかりの人の多さである。

 共和国の誇る五大都市の大通りならば、結局どこだろうと変わりはしないのである。

 その人の群れが中央広場から四方へ、多少長いか否かの違いでしかないのだ。


 宝石を扱う露店や、一面色とりどりのタペストリーで覆われた店などは、普段土と草しか目にしないカイにとって、遠目にも愉しい。

 それらの合間に絵画などを扱う店が多いのは、やはりヴィンタリならではといったところか。

 このまま陽が暮れるまで店を冷かして歩いて、宿へ帰ろうか。

 そう考えている矢先のことだった。

 露店と露店の間の路地の向こうに、小さな店があるのが目に入ったのである。

 特段目立つ店構えということもなかったのだが、そろそろ溢れかえる色や模様の刺激に疲れを感じ始めていたこともあって、落ち着いた様子の店内に少し入ってみることにしたのだった。


 その店はどうやら装飾品を扱っているようだった。

 だが表の店とは違って、こちらはそれほどきらびやかな品は置いていなかった。

 精々が銀製のネックレスに宝石が一つといった程度なので、他はもっと地味なものばかりなのである。

 品揃えに比例して店内も静かで、ほっと一息つく思いになる。

 しばらく真鍮の腕輪やベルトの金具などが並ぶのを見ていたが、そのうちカイはある一角に目を留めた。

 落ち着いた店と品々の中で、さらに控えめなその一角には、女性用のアクセサリーが置いてあった。

 最初はぐるりと見回すうちに見飛ばしていたのだったが、なぜかもう一度、じっくりと見てみる気になったのである。

 全体的に細く薄く造ってある指輪や首飾りを適当に眺めていると、小さな髪留めが目に入った。

 それは親指ほどの大きさの、鳥の羽を模したものだった。

 どうしてかそれから目を離すことができないでいると、急にある顔が頭に思い描かれる。

 ティアの顔だった。

 髪は耳にかからないくらいの長さだったか。

 それならばこれくらいの大きさでも、十分留めておけるだろう。

 なにより、クリッジで出会った時の、彼女の足取りの軽やかさに、鳥の羽はよく似合うと思えた。


「これ、いくらですか」


 店に入った時から居眠りをしているらしい店主に、そっと声を掛ける。

 この店では普通の話し声でも不似合と感じられるほど、静かな空間だった。

 店主も一度で起きてくれたので、まだちゃんと開ききっていない眼差しの前に、髪留めを差し出す。

 それで、もうカイの四倍以上も生きていそうな老人も、承知がいったような顔になるのだった。


「買いなさるね、お客さん」

「はい。あまり高くないといいのですけれど」


 そう言ってからカイは少し頬が赤くなるのを感じた。

 我ながらなんとも、間抜けな言葉だった。

 どうも気が緩んでいたらしいのだ。

 しかし店主は気を悪くした様子もなく、優しい表情を浮かべたままである。


「物はいいがね、高くはないさ。三十セステル貰うよ」


 商談は二つの暖かな微笑みとともに、成立したのだった。



 ヴィンタリに着いてから三日目の朝、一行は見送りに来た商人たちの視線を背中に、南へと向かう。

 彼らには前日のうちに工夫たちがニールの言葉を伝えに赴いていたのである。

 金策が無事済んだことを伝えると皆安堵の表情で、特に家宝を再び手にしたペルデディカ氏の喜びは、大変なものだった。

 家宝のことを話してから、ケンプロ家当主のリネオーロに、早く見たいものだと、ここ数日催促されていたのである。

 無事献上できるようになって、彼自身の面目も保たれる運びとなったのだ。


 石畳で舗装されていない道を往くのは、随分と久しぶりのことのように思えた。

 舗装された道路ではありえない振動には苦笑させられたが、どこか懐かしくもあった。

 もう長いこと、あの中州を後にしていたような気がする。

 帰ればすぐに諸々のことを報告し、さらにクリッジ市のことについても、残念だがロンドバルドに伝えねばならないだろう。

 これからは警備を強化する必要がありそうだ。

 パエトリウスに頼んで、砦のようなものを造れば、いざという時に安心だ。

 中州への道中では、そのような話で毎日盛り上がるのだった。

 

 カイも、もうティアのことに心を奪われるようなことはなかった。

 髪留めを買った日から、どこか考えに整理がついたような気分なのである。

 それで、ここ最近はカイも積極的に会話に参加していたのだった。


 中州まで後半日という距離まで来たときにも、馬車の中は連日の内容の会話で持ち切りだった。

 そのため御者席のトーニが一組の人馬に気付いたのは、それが地平線から半分ほどもこちら側に近付いてからのことだった。

 大柄なために機敏な動きの不得手なペリアー馬を急かして走ってくるのは、ロッカだった。

 そのままの勢いで駆け寄ってきた額は汗に濡れていたが、顔色は上気しているにしては赤みがない。

 その顔つきからも、彼の額から頬へ流れ落ちる汗は、どうやら馬を急がせた疲れだけが理由ではないようだった。

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