侵入前夜
ニールらの一行はマプロへ直行することはせず、途中でヴィンタリに立ち寄った。
商人たちにロンドバルドからの言葉を伝えるためである。
それぞれの下へ出向いて直に話し合ったのだが、必ず融資を受けるから引き続き資材の注文を続けてほしいと言われても、皆そのまま納得した態度であったのに、カイは少々驚いた。
自分の身に置き換えて聞けば、いささか都合の良過ぎる話だと思っていたからだ。
そのことをニールに話してみると、
「彼らはもう僕らの船に乗ったんだ。今さら船から降りても、溺れ死ぬだけさ」
と、さらりと言ってのけるのだった。
そして、それはもしかして自分もなのだろうかと思いもしたのだが、しかしこれは彼の中ではさして問題にならなかった。
それがどんな船であれ、カイはニールが乗るのなら自分も喜んで同乗するだろうことを知っていたからである。
自分がいつも左後ろを守る友人は、いつ頃からかカイには付き従うのが当たり前の存在にもなっていた。
側からは主従のように見えるだろう。
だが自ら従うカイ自身には、そのような感覚は薄くしか感じられない。
彼が前回のヴィンタリ行きや今回などでも異議一つ唱えず付いて行くのは、もしニールが危険な目に逢った際に自分が傍にいなければ、きっと自分自身が後悔するだろう、と思ってのことなのだ。
心を通わせられた友人の価値は、これまで大人しかいない世界に生きていたカイにとって、そして実はニールにとっても、計り知れない程大きなものなのである。
ヴィンタリには三日滞在した後、再びカーラニア大街道を西へと進む。
本当ならば二日で終わらせて一刻も早くマプロに辿り着きたい旅路なのだが、マイウス・ペルデディカがケンプロ家主催の狩猟会に出掛けていたため、帰りを待っていたのである。
あの薄幸なペルデディカ家の当主は意外にもリネオーロ・ケンプロに気に入られたらしく、本人も以前の閉塞感から解き放たれたのか、身体中に生気が戻ったようにも見えた。
彼の父親が芸術通であったのも、ケンプロ家に受け入れられやすかった理由だろう。
マイウスにとっては、何も遺さなかったかに見えた父親からの、思わぬ形での遺産であった。
もはや敵対したとさえいえるマプロに再び向かう理由は金策のためなのだが、もはやチェモーニ家に融資をするような銀行などあるのだろうか。
答えは原則として否である。
ただし、ただ一つの例外は考えられた。
ニールら一行は、そのただ一つの例外になりうる銀行家を頼るために、捕えられるやもしれぬ危険を冒してでも、潜り込む必要があるのだ。
その奇特な銀行家とは、すでにチェモーニ家へ最も多額の融資をしているリコローニだった。
リコローニ銀行を営む商人であるパオロ・リコローニはロンドバルドの妻の従兄にあたる。
その縁でチェモーニ家は一千万セステルもの融資を受けることができたのだ。
さらにリコローニ家はペルデディカ家と同じく旧家だったが、こちらはスカラー家の後継者争いの行く末を見誤ることはなかったため、昔からの勢力を保っていた。
そのため、リコローニ銀行はマプロにある銀行の中でも十指に入ると謳われ、個人資産は八十億セステルに及ぼうかというほどである。
そして、これがロンドバルドが最も重視した点なのだが、リコローニ家は伝統的にスカラー家とは一定の距離をとっていた。
様々な商人がスカラー家に近付いては遠ざけられるのを繰り返す傍で、リコローニ家は代々友好的中立とでも呼べるような態度で一貫してきたのである。
マプロのあらゆる商人がチェモーニ家を見放した状況下で、これらの条件を兼ね備えた存在は、まさに一縷の望みなのだった。
普通は十日間の道のりを、馬車を曳く二頭のペリアー馬を急かしながら、なるべく短縮しつつ進む。
ゆったりとした動作だが、何しろ馬格が他の馬より一回り以上は大きな種別なので、常に足を動くよう仕向けておけば意外と速いペースで進んでくれる。
御者席にはトーニとカイが交代で座った。
幌を張ったために、不審者が近寄ってでも来れば御者席がいち早くそれを察知できる場所だったからだ。
早朝と日が暮れた後は風を切って進むと寒さが身に染みるので、トーニは毛布を、カイはマントを纏う。
シェッドのくれたマントは、座った状態ならほぼ全身を包み込んでくれたので、夏場は思いもしなかった利点を知ることにもなった。
食料は必要最低限と思われる量だけ積んでいたが、味気ないか塩味の強い保存食しかないので、旅程に余裕のある日は街道沿いの街々で別に買い付けながら進んだ。
水気の多い野菜や果物は、栄養もさることながら、食事に華を添えることで不安を少しでも落ち着かせる効果があるものだ。
さらに、これらの食料品が簡単に買い求められたことで、自分たちがスカラーの勢力圏全体でお尋ね者になっているわけではないことも判明した。
中にはロンドバルドの縁者だと明かしたところ、鷹揚になって値引いてくれた店主もいたほどである。
どうやらチェモーニ家への悪意は明白だが、少なくともそれはスカラー家の総力を挙げてのものではないらしい。
ただし、ニールが情報収集も兼ねて街へと赴く際は必ずカイが後ろに付き、周囲への警戒には今までにないほど気を配り続けた。
二頭は主人たちの気持ちを汲んでくれたのか、それほど強いずとも歩き続けてくれた。
そのおかげで、マプロに十ロンガまで近付いたことを示す標識が見えたのは、ヴィンタリを出てから七日後の夕暮のことだった。
そこで一行は大街道を南へと外れ、西門と南門の中間にあたる場所の木立に馬車を隠すことにした。
これからのことについては、協議の結果、夜明けを待って行動を開始することとなる。
潜り込むならば夜の方がよさそうに思えるのだが、城壁の上に思いのほか早く動き始めた松明が、彼らの考えを改めさせた。
恐らくヴィンタリへ逃がした商人たちの脱出行以来、夜間の警備が強化されたのだろう。
それでも忍び込めないこともなさそうだったが、もしつつがなく市内へ入れたとして、陽が落ちてからではリコローニも扉を簡単に開いてはくれまい。
その間に市中警備の者にでも見咎められれば面倒だ。
そこで、あえて早朝、城門が開く時間を狙うことにしたのである。
マプロ市などの城門は日没とともに閉ざされ、翌日の日の出で再び開かれる。
そのため夜間にマプロ近郊へたどり着いてしまった商人などは、城壁の外で夜を明かす必要があった。
そして、それらの商人たちや、あるいはマプロから出発する商人なども、日の出とともに城門へと殺到するのが常なのである。
その混乱に紛れてしまえば、むしろ見つかる可能性も低くなるというものだ。
陽が昇れば、ニールとカイは当初の予定通り、リコローニの屋敷へと向かう。
トーニと数人の工夫は、差し押さえられたペルデディカの屋敷へと潜入することとなった。
ヴィンタリに寄った際、持ち出すのを忘れた家宝があるとのことで、売り払われていなければ回収を頼みたいというのだ。
残りの工夫たちは自分を知る者があまりいない地区を中心に、情報を集めることとなった。
ペリアー馬は、そのうちの一人の工夫が商用を装って、城門近くの宿に預けることとする。
馬車は引き続いて木立の中へ隠しておくこととなった。
街道が整備されている分、少々外れたこの場所へは誰も通ることはないだろうと判断されたからだ。
幌を畳み、葉を被せておけば、日中も目立たないだろう。
これらの手筈を確認した後、皆眠りにつく。
明日は誰もが細心の注意を払い続けねばならない一日となるのだ。
それでもカイは、夜の間中深い眠りにつくことは一度としてなかった。
ニールを横にして、剣を片手にして座り、木に寄りかかって眼を瞑っていた。
これが自分の最も重要な責務だと思うからである。
そして、そうしていられれば、彼はその時の状況がどういうものであれ、満足を感じることができるのであった。
同じくトーニはというと、こちらは工夫たちに交じって熟睡していたのだった。




