カレージオ兄妹
「私、西地区に住んでるんだ。カイはどこなの」
そう聞かれても、この街にはついさっき足を踏み入れたばかりで、どこに住宅街があるのか、そもそもそのような区画があるのかさえ定かでない。
さも知った風な顔で適当なことを並べていると、どこで矛盾するとも限らない。
他愛のない会話にも、決して迂闊なことは言えないのだ。
そうなると自分からは答えることはせずに、会話を横へと広げることではぐらかすしかない。
「西地区っていうとここの反対側だね。来たばかりでそっち側はよく知らないんだけど」
ティアの口ぶりから、居住区は西側以外にも候補があるのだろう。
うまくその辺りに住んでいると誤解してくれればよいが。
そして、その願いはどうも叶ったようで、目の前の少女はカイの答えに特段不審そうな顔をすることもなく、また話し始める。
質問するというよりは、お喋りが嬉しくて仕方ない、といった雰囲気であるのも幸いしたのだろう。
「どこも変わらないよ、この街は。外側には大きな店が一杯建ってるけど、どれも開いてるの、見たことないんだもの。東側だって一緒でしょ。商人が少ないのよ」
困ったものだという顔をするのだが、それでも上機嫌なのだということは伝わってくる。
よほど今まで話し相手がいなかったのだろう。
自分にはニールやトーニ、アムテッロらがいる。
出会って以来彼らが話を聞いてくれたり、あるいは冗談を言い合ったりしているのだが、以前は同年代の友人などいなかったので、あの頃は自分もどこか物足りなさを感じていたのかもしれない。
「ティアはどうしてクリッジに来たの。家族の商売?」
しかし少女は笑顔で首を横に振る。
桃色の髪は短いが、首を振る度にさらさらと宙に舞う。
「私は兄さんについてきたんだ。ここの仕事に雇われたから。私は兄さんのおまけ」
その言葉と裏腹に、こちらへ向けた微笑みにはまったく僻みなど感じられず、兄を慕っているのだろうことが容易に想像できた。
そして彼女は、自身が元々出てきた店へと視線を移す。
「今日は兄さんと買い物してたんだけど、それだってわざわざ東側まで来なくちゃいけないしね」
その言葉と視線につられて同じ方向を見ると、ちょうど青果店から、もう一人出てくるところらしく、それは背の高い黒髪の男だった。
革を編んだ籠のようなバッグの上からは、果物が見え隠れしている。
男の、半袖の白シャツにズボンという出で立ちは、別に男性ならごくありふれた服装である。
だが露わになっている小麦色の両腕はしなやかな筋肉をまとい、太さもトーニの倍はあろうかというほどなのが目に留まる。
顔立ちは美男としてよいのだろうが、むすっとしたような仏頂面もあって、気難しそうな印象を受ける。
歩き方などの細かな所作もそうなのだが、左側の腰に下げたものからも、一目で剣士と判る。
そして、その男に向かって、ティアは親しげに声を掛けるのだった。
「兄さん、こっち」
なんと、まるで寡黙な黒豹のように思える剣士と、この可憐な少女とは、兄妹なのか。
驚いて何も言えないでいると、男はこちらへ近づいてくるのだが、表情は一切変化することはなかった。
すぐ前へ来てもなお、相変わらずの顔のまま、カイを正面に見据えている。
頭二つほど高い位置から見下ろされているのと、射すくめるような目つきが相まって、尋常ではない威圧感だ。
カイは口を開くことはもちろんだが、その場から身じろぎすらできなくなっていることに気付いていた。
「妹が何か迷惑をかけなかっただろうか」
男がそう言った瞬間、それまでの緊張感がするすると消えていく。
口調が意外にも優しいものだったからだろう。
低い声で抑揚もなかったが、妹、という言葉には、確かに愛情が込められているような気がしたのだ。
「カイだよ、兄さん」
自分を兄に紹介するティアの表情からも、この兄妹の仲の良さはしっかりと伝わる。
そしてこちらを向いて、黒豹を思わせる男の妹は、申し訳なさそうな顔で言うのだった。
「ごめんね、私の兄さん、ちょっと無愛想なんだ」
張りつめたような緊迫感から解放されてすぐのこととて、少年には精々引きつった笑みで愛想笑いをすることしかできなかった。
ティアは、今度は兄をカイに紹介せねば、と思ったらしい。
それまでは二人の間を取り持つように立っていたのが、男の横へと寄って行って、背中に手を回した。
その光景からは、たしかにこの二人が兄妹だ、と信じるに足る自然さと仲睦まじさが見て取れる。
だが、その後の彼女の言葉は、カイをまた、内心驚かせるものだった。
「兄のマウナルドだよ。雇われたって言ったのは、兄さんが剣士なんだ」
剣士なのは見た目からすでに察しがついていた。
だがマウナルドとは、どこかで聞いたことのある名前だ。
マウナルド、剣士、マウナルド・・・。
「マウナルド・・・、カレージオ?」
ふと思い浮かんだ姓が口をついて出る。
そして、それはどうやら正解だったようだ。
自分を見つめるティアの顔に、驚きの色が浮かび上がったからである。
当の本人の表情は、特に変わったらしいところはないようだった。
マウナルド・カレージオといえば共和国の西側では、そこそこ名の通った剣士だったはずだ。
たしか三年程前から耳にするようになったのが、若いが腕の立つという噂だった。
コンクデリオのギルドに所属しているということだったので、同じ稼業だが今まで接点がなかったのだが、まさかこのような形で出くわすとは。
そして、コンクデリオのギルドということは、つまりコアディ家のお抱え剣士ということでもあった。
「どうして兄さんの名前を知ってるの、カイ」
ティアが怪訝な顔で尋ねる。
無理もない。初めて会ったのに、いきなり名前を聞いて姓を言い当てたのだ。
「それは・・・。有名だからだよ、君のお兄さん。クリッジに腕のいい剣士がいるって」
我ながら苦しい言い訳だったとも思うが、なんとか妹の方はごまかせたようだった。
カイの言葉に兄の方を見て、へえ、などと誇らしそうにしている。
だが、これ以上この場に留まれば、一体どのようなボロを出すか知れたものでない。
マウナルドのことも、本当は見当も付かないようなふりをした方がよかったのだ。
「俺、言い付けられてた用事を思い出したから、もう行くね」
そう言ってその場を去ろうとすると、ティアの眼に一瞬切なげなものを感じる。
だがそれは、自分の心の中の罪悪感が、そう見せたのかもしれなかった。
自分でも思わず、顔をあらぬ方向へ向けてしまう。
「じゃあまた今度、お話ししようね」
再び向き直った先に見た顔は何ということはなく、変わらない無邪気さであった。
互いに手を振って別れると、少し歩いたところで呼び止められる。
ティアの声ではない。
あの兄のものだ。
もしや、彼はすべて見抜いていたのか。
何も言わないでじっとこちらを見つめていたのは、不審だという確信を得ていたからか。
カイは意を決して振り返ることにした。
駆け出してみたところで、逃げ切れる気がしなかったのだ。
悲壮な覚悟と共にマウナルドの方を向くと、胸のあたりに何かが投げつけられた。
受け止めてみると、それは真っ赤なリンゴであった。
「形も色もいい。きっとうまい」
無愛想な表情のままではあるが、穏やかな口調に、好意からくれたのだろうことがわかる。
隣ではまだティアが手を振っていた。
ほっとしたのと、なにやら背中のあたりがむず痒く思われるのとで、カイも手を振り返しながら、今度こそ駆け出した。
行く先は待ち合わせ場所しかないだろう。
まだ陽は十分高いが、もう偵察などしていられる状況ではなかったし、そんな心持ちでもなかった。
リンゴをとっくに食べてしまった後も、街はずれで待っていると、三人が戻ってきたのは空に赤みが混じるよりずっと前だった。
結局彼らも三時間程度しか街にいなかったということだ。
カイが待っているのを見つけると、トーニが馬を少しだけ急がせて近寄ってくる。
傍までくると、まるで飛ぶようにして馬から降り、剣を返してくれた。
その後にやってきた二人に、簡単に見聞きしたことを話すと、四人と三頭は再び草原へ向けて、朝来た道のりを引き返すのだった。
周りを緑の景色に囲まれた頃、前に座って手綱を握るトーニが、弾んだ声で口を開く。
「マウナルド・カレージオってのは、どんな男だったんだ」
その問いに答えようと、あの男について思い出すと、まだ呼び止められた時のことでどきりとしてしまう。
しかしそれもカイの勘違いだったのだし、別れ際にくれたリンゴのこともある。
きっと根は優しい人なのだろうな、とも思うが、トーニが求めている情報は、マウナルドのことでも剣士としてのものだろう。
「大きくて、強そうだった。腕もトーニの倍くらい太かったよ」
「剣は腕で振るものじゃないさ。とにかく一回戦ってみないとわからないな」
引き合いに出された本人は、強がりか、はたまた本心か、とにかく興味をより強く刺激されたことは口ぶりから伝わってくる。
「敵うかな」
思わずそう漏らしてしまうが、あの威圧されるような感覚を、身を持って味わったカイにはごく自然な感想だった。
だがトーニはそんなことは知ったことではないとでもいうように、勝てるさ、などと楽しげなのだった。
適当に相槌を打ちながら、カイは並んだ兄妹の姿を、それも特に妹の方を思い出していた。
また今度、と言っていたが、その今度はいつになるというのだろう。
楽しみにさせてしまって、悪いことをしてしまった。
こちらの街が無事完成したら、旅立つ前にもう一度クリッジを訪れて、謝っておこう。
あるいは工事の最中でも、暇を見つけて本当に話し相手になりに行けないものか。
だがそれは無理な事だろうというのも、痛いほどわかっている。
胸の中になにやら、小さな棘が刺さったような気がするのだった。
一方、二人の前を行く親子の顔つきは、険しくもないのだが楽しさとは無縁のものだった。
「カレージオがいるとなると、コアディの手は、やはり相当に伸びているようですね」
「まあ、わかりきっていたことだ。それより今日もコンクデリオへ行っているという、ダライランという男。あれがどうも気になるな」
「疑っているんですか、父さん」
「アンドレアは良い友人だが、昔から人が好過ぎるところがある」
そうして一行が運河を工事していたロッカや工夫たちに出迎えられたのは、どうにかマディの言い付け通り、陽が沈み切る直前のことであった。




