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宿へ

 色付きの炎が揺れる下で酒を酌み交わす、昼間とはまた違った喧噪を横目に路地へと折れると、たった道一本を挟んだだけで、別の世界へでも来たかに思われる。

 表通りが複数の色でもって刺激的に眼に訴えかけてくるのに対し、こちらはどれも一色の炎が見守ってくれるかのようなのだ。

 これは日中の陽光の下では味わうことのできない感覚であり、そしてマプロのような都会ならではのものでもあった。

 表の居酒屋が競うように炎にくべている魔鉱石は、ほんの欠片といえど高価なので、田舎ではまず見ない光景なのである。


 そこから脇へ逸れて軒先の松明やらが明々と、けれど優しく揺れる路地は、これはこれで心地よく感じられるものだった。

 まだ表通りの陽気は耳に届くのだが、それも歩を進めるにつれて程好く薄まってゆく。

 目の前には橙色で揺れる静寂が続いていた。


 マプロでの宿は、そのように静かな路地の一画の、三階建てほどのものだった。

 周りも二階や三階建ての建物が多くあるので、この辺は東地区のホテル街なのだろう。

 表の歓楽街も、もう少しいけば南大通りがそうであったように、落ち着いた高級ホテルが立ち並ぶ通りになったのである。


 日が沈みきってからすでに一時間は経ったので、宿も軒先に松明を並べ、客を入口へ招じ入れようとしていた。

 周りと比べても特段きれいな風ではないのだが、白塗りの壁は明かりに照らされると清潔感が増して見えるものである。

 今日の途中まで、しばらくは馬小屋巡りか、と覚悟していたカイには、随分と上等の宿に見えもするのだった。



 扉を押して中へ入ると、まず一番奥にカウンターがある。

 その途中にはテーブルを挟んで一組の長椅子があり、そこに腰掛けている少年と幼児のうち、少年の方には見覚えがあった。

 トーニである。


 トーニの方でも扉が開かれたときからこちらを窺っていたようで、すぐに目が合った。

 だが、その場で誰よりも早く声を上げたのは、やや巻気味な黒髪の幼児だった。


「兄さん、アムテッロ兄さん」


 トーニの膝から床へ飛び降りた幼児は、一目散に兄と呼んだ男へと駆け寄る。

 それを待ち受けるアムテッロの顔も、穏やかなのは変わらないが、しかし今日一番の喜びに満ちていた。


 自分の腰くらいの幼児を抱きあげながら、アムテッロはその場で一回転した。

 扉を開けてよりいきなりのことだったが、カイの表情も知らずに緩んでいた。


「クラウ、いい子にしていたか」

「もちろん。ねぇ、ニール」


 同意を求められたニールは、それには直接答えずに悪戯っぽい頬笑みを返した。

 それだけで彼ら三人には、十分であるようだった。

 下にもう一人いる、と言われてはいたが、この子がそのクラウティーノということか。



 兄に優しく床へ降ろされたクラウと呼ばれた子は、そこでようやくこちらの存在に、本格的に気が付いたようだった。

 こういう時、大抵の小さい子は誰かの陰に隠れようとするものなのだが、彼は降ろされたところからそのままこちらを、兄たちと同じ青い瞳で見つめている。

 どうやら初対面の他人に対しては気後れよりも、興味の方をより強く喚起される子であるらしい。

 カイとパエトリウスをまじまじと見回した後、アムテッロのズボンを引っ張るようにして説明をせがむ。


「兄さん、この人たちは誰なの」


 特にニールと似た背格好のカイにはより惹かれるものがあるらしく、説明を待つ間もじっと興味津々といった表情で見つめている。

 兄たちと、そしてこの子の父親と同じ瞳でこうも熱い視線を注がれては、こちらの方がたじろいでしまう。

 自分よりも幾らか背の低い子供に、カイは苦笑いを返すのがやっとだった。


「パエトリウスさんとカイだ。父さんの仕事を手伝ってくれる。二人とも、末のクラウティーノです」


 するとパエトリウスが進み出て、笑顔とともにクラウティーノに握手を求める。

 ナタルーゴの店でカイに投げかけたのと同じ、そしてアムテッロらに対するものとも同じ表情で、彼は相手の年齢で対応を分け隔てることはしない。

 心の広い人物だ、カイは改めてそう思うのだった。


 ただ、パエトリウスはアムテッロよりもなお、身長が高い。

 体格も、遠目からでもわかるほどがっしりとしている。

 そんな男にいきなり目の前へ来られては、子供ならなおさら驚きはしないだろうか。

 だが、そんなカイの心配をよそに、クラウティーノはにこやかに技師の手を取る。

 まったく、先ほどから物怖じのしない子だ。


 そしてパエトリウス技師に次いで、カイもクラウティーノと握手を交わした。

 考えてみれば自分と同じくらいの歳の子供さえ稀な世界に身を置いて、これくらいの歳の子と触れ合うのは何時ぶりのことだろう。

 この子は十歳くらいだろうか。

 二年前に養父と護衛した隊商の家族に似たような歳の子がいたのが、たしか最後だったろう。

 あの子は今も元気だろうか。

 自分の手を握りながら満面の笑みのクラウティーノを前に、ふとそのようなことが思い出されるのであった。



 少し屈みながら最も若い雇い主の活発な挨拶に微笑ましいものを感じているうちに、ふと視界の隅に昼間からすでに見覚えのある服の端があった。

 その服の主に、カイはいまだどのような人物評を下すべきか、とうとう図りかねていたのを思い出した。

 望まぬ騒ぎに巻き込んだ張本人であるのだが、その騒ぎがなければロンドバルドに自分の存在をアピールできなかっただろうので、職を与えてくれた恩人の一人という考え方もできる。


「全員揃ったみたいだし、旦那たちも待ってる。夕食にしよう」


 トーニという少年は改めて眺めると、背はアムテッロと同じくらいなのだが、身体はよりほっそりして見える。

 だがそれは彼の筋肉が引き締まっているからであって、特に気負って立っている風でもないのに、微塵も弱々しさを感じさせない。

 腕も細くはあるが、華奢には程遠く、まるでしなやかに唸る鞭のようである。

 ほんの僅かに浅黒く陽に焼けた肌からも、全身鋼の鞭という印象が実に正しいものに思われた。

 それと同時に酒場での身のこなしと躍動感のようなものも思い出される。

 この少年は剣の腕はもちろんのこと、抜群の身体能力の持ち主なのだろう。


 これから同僚の一人となるのだし、年齢でも役目の上でも、先輩にもあたる少年である。

 なるべく好意的な評価をしておくべきであろう。

 そう考えてカイは、わだかまりとなる思いには蓋をして、微笑みかけてみせることにした。

 その視線に気付いたトーニは、食堂の方を指差して皆を促しながら、こちらへは朗らかな笑みを返してくるのだった。


「よう、金髪」


 せっかく良い関係を築き上げられるかと思っていた矢先のトーニの言葉は、カイを憮然とさせた。

 昼間散々人を振り回しておいて、挙句に名前さえ覚えていないというのか、この茶髪は。

 応える際にも、その抗議は顔に隠すことなく表してやる。


「カイだよ。酒場でも名乗ってる」


 この反応にはトーニも少々ばつの悪そうな表情になる。

 どうも彼にしてみれば、冗談を言ってみたつもりのようであった。


「ああ、覚えているさ。すまない。気を悪くしたか」


 そう言って、頭に手をやって申し訳なさそうに苦笑いをするトーニからは、彼の素直な心根も伝わってくるのだった。

 向こうから差し出された手を握る頃には、カイの顔からも不満の色は消えていた。


「旦那は滅多に剣士を雇わないんだが、久しぶりに雇ったと思ったら俺より年下なんだものな」

「トーニだってまだ若いじゃないか」


 どうやら目の前の少年は機嫌を直したらしいことを察したトーニは、昼間のようにカイの肩を抱いて自分へ引き寄せる。

 また何事か、と呆気に取られるカイに、トーニは大袈裟なほどにっこりと笑いかけた。

 酒場でもそうだったが、気が付けば身体を奪われているとは、驚くほどの俊敏さである。


「そう、俺たちは若い。だから旦那たちを守るには二人で力を合わせなきゃならん。これからよろしく頼むぜ、兄弟」


 まったく調子のいいことだ。

 肩を組んだまま、嬉しそうな顔でぐいぐいと自分を押して歩くトーニに、カイはもう彼の思うままにさせておくことにした。

 そしてこのような扱いも、二度目ともなれば慣れてきたのか、あまり嫌な気分はしなかった。

 それどころか、兄弟、という言葉には、何やらむず痒さのようなものも感じるのである。

 顔では困った表情を装ってみたものの、その実どこか満たされた気分でもあった。


 食堂の扉の向こうからはニールとクラウティーノが、遅いと思ったのだろう、顔だけ出して二人を待っているようだ。

 明るい部屋と暖かい食事を、大人数で囲むのは、カイにはもう随分久しぶりのことになりそうだった。

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