フランケンシュタインのリベンジ
同窓会なるものに来てみたけど、かつての友達と軽く挨拶を交わした後は、手持ち無沙汰になってしまった。同窓会を楽しめるそっち側の人間だって、自分を過信していたのかもしれない。まあいいや、結婚式でもない限り、こんな格式高いホテルのご飯なんて食べられないし、全メニューコンプリートを目指すことにした。
そう意気込んで、アヒージョみたいな料理を自分の皿に盛っていたら、後ろから視線を感じる。遅刻してきた知り合いかと思いきや、顔見知りだった。
「おやおや、お釈迦べさんではありませんかー」
目が合っただけでなく、話し掛けられてしまったので逃げられない。うへぇ、気まずいー……。
「よくも、普通に話し掛けてくるね……。お変わりがないようで何より」
「そんな、悪態を突くようなことを言うタイプの人間だっけ?」
「普通に気まずいんだよっ」
縁佳との関係が、もつれにもつれて千切れて、あるいは千切った以降、もう縁佳に振り回されないために、彼女の仲が良かった明世たちとも関係を断ったのであった。それをしたのは高校一年生の冬だから、実に四年ぶり、しかも明世と友達をしていた期間は一年にも満たない、と。そんな浅い関係なのに、平然と話し掛けてきた明世が、私にはよく分からない。
適当に何品か皿に盛り付けてから、机に戻って座ってゆっくり話すことにした、というかそうなってしまった。んー、同窓会を一人で彷徨うよりはマシなのか。
「モロックマも暇してるの?」
「いやいや、暇だからって、優先順位は低いけど仕方なく話し掛けたわけじゃないよ?」
「んまあ、そうなんだろうね。でも私、面白くないよー。身の回りで何も起きてないからね」
「そこまでして会話したくないか」
「謙遜じゃなくて、本気で言ってる。大学生になって自由が手に入ったけどさ、自由って手段なんだよね。夢とか目標とか、そういうのが無ければ意味がない」
「なんか鬱悶としてるみたいだけど、大丈夫?なんか散々な目に遭った?」
「大丈夫だよ。あれ以上に懊悩することなんて、生涯ないだろうから」
「それは良かった……。話は変わるんだけど、せっかくなんだし、私だけじゃなくて他の人とも話してきなよ。ミケとか庵憩ちゃんとか、皆いるよ」
「よ、よっすーも……?」
「えっあぁ、がすよはねぇ、来て、ないんじゃないかな」
明世がわざわざ話題を逸らしたのに、結局縁佳の話に着地してしまった。言い訳をするなら、私と明世たちを結び付ける最大のトピックが縁佳なのである。
でも本当のところは、縁佳とは決別して全部忘れて、別の幸せを手に入れるという理想を空に巣掻く度に、ますます縁佳のことを意識してしまっている。まあ、当時の自分の判断を否定することもできない。新しい彼氏彼女ができるかは置いといても、誰と友達になったって同じだと思っていたんだから。
でも、違うってすぐに判明した。人類の中でも、比較的気の合う人たちとの関係を、私は自ら断っただけだった。手元に残ったのは縁佳に費やしていた時間と熱意だけ、それを向ける先は不在のまま、時々打ち上げ花火のように儚く輝いた日々を見返す。こんな風に灰燼となるなら、せめて縁佳のように空っぽだったら良かったのに。その愁苦を認識しなくて済むから。
「何だかなー、最近また連絡が付かなくなっちゃったんだよなぁ」
「どうしたの?」
「さあー。しまちゃんも頼れないしねー」
「しまちゃんってあの、島袋鏡花?何でよ、喧嘩でもしたの?」
「私にはもう分からん」
「分からんじゃないよっ。……何があったの、本当は知ってるんでしょ」
「えぇー、気になるの?」
明世は表情に陰影を付けて、改めて問い掛けてきた。その高飛車に寄り添う態度で迎え撃たれて、踏み込み過ぎてしまったことに気付く。縁佳のことが気になってしまっているのを自覚する。縁佳の一番の理解者であるという自負が、全然消えていないんだ。
「あれだよ、しまちゃんがミケと付き合った。で、病んで引き籠っている。おおよそそんな感じだろう」
「はぁ、は?ねこはどこから来たのさ」
「二人は同じ小学校出身で、大学も近いし、何より気が合ったんじゃない」
「だけど、島袋鏡花はよっすーのことが好きだったはずでしょ。あの入れ込みようは只者じゃない」
「待て待て、付き合い始めたら、やっぱり違うかもって思うことぐらいあるでしょ」
前のめりに、赤の他人である鏡花の感情を決め付ける私を、明世は両手を向けて宥めようとしてくる。私は軽く咳払いして、冷静さを呼び戻した。
「普通、相手の本性を暴いてやろうって心持ちで近付かないもんね」
「まあ、今回は違うんだけどね。がすよが自らそれを選んだようなものだから」
「ようなものって、どうしてそんな曖昧な言い回しをするの」
「だって、しまちゃんが何度チャンスを拵えようと、どれだけ待とうと、がすよは距離を一定以上詰めることはしなかった。しまちゃんはお釈迦べと同じだよ。もっといい出会いがあるかもしれない、もっと有意義にリソースを使いたい、そう考えたってだけ」
「つまり要約すると、よっすーは馬鹿ってこと?」
「専門家がおっしゃるなら、否定はしません。まあまあ、がすよの話はこれくらいにして、私だけじゃなくて他の人とも話してきたら?」
「あー、えぇー……」
「大丈夫だよー。私も付いていくからさー」
そう言って明世は席を立った。まあ同窓会なんだから、いったん縁佳のことは脇に置いて、当時のわだかまりには目を瞑って、一の懐かしさを十にできるよう頑張ることにした。
よっすーは馬鹿だ、なんて、私は明世に向かって言い放った。それは、身内を下げて言う謙譲語のようなもので、自分は相手から信頼されているから、多少否定して扱き下ろしても許されると驕っているようなもので、とても痛々しく白々しい。同窓会という非日常な雰囲気に浮かれてふいに飛び出た本音を、後から何度も思い出して自己嫌悪が止まらない。
本当のことはまだ分からないけど、つまり、縁佳が鏡花のことをどう想っているのかははっきりしないけど、少なくとも私は縁佳から鏡花と同等の扱いを受けたことなんてない。その上、手に負えなくなって、縁佳に向き合うことから逃げたのだった。それなのに、先に目を逸らしておいて、縁佳からの同意もないくせに、私と縁佳、両者にとって私という存在は特別であると自惚れているだけなのに、今もそのプライドを丁重に抱えている。それがせめて、不可抗力による鎖だったら良かったものを、それで生かされているんだから救いようがない。
知らない街に降り立ち、知らない雑踏に溶け込む。運悪く目の前で信号が赤になって、視界が開ける。それと同時に少し視線を上に移動させる。カラオケに消費者金融、夕暮れを物ともしない色鮮やかな看板が、建物から無数にせり出している。どこもこんな景色なんだなぁと、勝手に縁佳と繋がっているような気持ちになっていた。
同窓会が終わって、せっせと東京に戻ってきた私は、大学の授業が終わった後に、わざわざ三十分ほど電車に揺られて、縁佳の元を訪れようとしていた。明世からどこの大学に通っているのかは聞いたから、それだけを頼りにやって来た。どこに住んでいるのかはおろか、仮に縁佳と会えたとして何をするのかも未定のままだった。
あてもなく、ただひたすらに彷徨う。人混みの中に縁佳がいることを期待しながら、時々スマホで地図を確認しつつ、歓楽街から閑静な住宅地まで適当に跋渉した。
そう簡単に邂逅するはずもなく、暇なので私がこんな事をしている理由を探求してみる。明世が暗に頼んだから、これはあるかもしれない。私の心の中でくすぶっている何かに気付いて誘導した、のだろうか。うぅーん……、何であろうとこんな現況を小耳に挟んだら、私は居ても立っても居られなかった気がする。
じゃあ、その衝動は何によってもたらされているのだろう。一つ思うのは責任であった。あの時、私は鏡花にバトンを渡したつもりなのかもしれない。負けたくないから引き下がった、それだけで説明が付くものでもない気がする。本気で無駄だと感じて、何か抜本的に解決しなきゃって焦っていて、ちょうど縁佳を見守ってくれそうな人が見つかったから撤退した。だけど、その支柱が失われたら、目論んだ私に責任が回ってくるように思う。
おっと、地図を見て、駅からずいぶん遠くに来てしまったことに気が付き、ざっと調べて見付けた、大学生がたくさん入居しているらしいアパートの前で足を止める。……そう都合よく見つかるわけないか。というか、コンビニとか大学の前とか、縁佳が通り掛かりそうな場所で待ち伏せすれば良かった。まあ、カラスが哀愁を運び終える時間になってしまったので、今日の捜索は切り上げて、せっかくだしこの辺でご飯を食べてから帰ることにしよう。来た道を戻ろうとUターンした。
背後には縁佳がいて、道の真ん中でこちらをじっと観察していた。街灯もなく誰そ彼な暗さだけど、見間違いを疑うことはなかった。それはそうと、私に気付かれたら一目散に逃げていくと思ったので、急いで駆け寄って腕を掴んだ。
「ちょ、辞めてよっ」
縁佳は私の非全力の手を全力で振り払い、3歩ぐらい後ろに下がった。彼女に対する後ろめたさが隙となってしまったが、逃げる素振りを見せないので、一旦落ち着いて手を下した。
「なんでこんな所に」
「それはこっちの台詞なんだけど」
微妙に声が揃わなかった。それはともかく、どうしようもないので公平にじゃんけんで解決した。縁佳がグーを出すことなどお見通しなので、私が勝った。
「じゃあ後攻」
「はいはい。ただの帰宅途中」
「さっきまで大学にでもいたの?」
「そうだよ」
「本当は?」
「はぁ、少し気晴らしに散歩してただけ。本当にそれだけ!」
また縁佳の嘘に気付いてしまった。そんなしょうもない嘘をつくに至った理論は不明なのに、自信だけが補強される。
「で、そっちは。ストーカーですか」
「違うけど」
「偶然ってことは無いでしょ。何、私はまたあんたに振り回されるの?」
「そうじゃないっ、けど……。そう、同窓会でモロックマに、様子を見てきてって頼まれたんだよ。あの、うん、断りにくくてさ……」
口調は比較的穏やかでも、オオヤマネコのような鋭い双眸を向けて、縁佳は私を牽制した。でもこればっかりは向こうに理がある。絶交を突き付けたのは私なのだから。だからって、縁佳の良き太鼓持ちとして生きることを選んだとしても、いつかは破滅に向かっていく縁佳を見かねて、手を差し伸べてしまって、縁を切られると思う。私は頭を冷やせる。時間が経てば、二度目のチャンスを作れるかもしれない。そう考えると、私から絶交を言い渡したのは正解だったのかもしれない。
なんて自分を肯定するのはいいけど、畢竟何も解決の糸口を見出せていない。相手が普通の人間だったら、愚痴を聞いて問題を共有してもらい、場合によっては問題を解消するようサポートする。だが縁佳は、愚痴を聞かせてくれないし、相談なんて絶対しないし、問題を解消したがらないし、望まぬサポートは拒絶するし、通常のプロトコルは使えない。
私は縁佳のことを理解しているから、……いや、仕方ないとは言え、縁佳と向き合うことから逃げて、目を離して、そんな私に今さら何ができるのさ。自分の現況に満足できないから、自分の過去の発言を時効にしてまで、縁佳にすり寄ろうとしているだけだ。そう思えてきて、これ以上前に進めなくなった。
「様子は見られた?」
「まあ、命に別状はなさそうだけど」
「では、モロックマにはそう伝えるといい」
「いや、えっと、なっなんで同窓会来なかったの……?」
「なんでって、単純にお金がない。結局、成人式も行かなかったしね。振袖はお金がかかる」
「まだ親と喧嘩してるの?」
「別に喧嘩してるわけじゃないけど。でも、せっかく自立できる年齢になったんだから。今さら親に泣き付かないよ」
まあ、縁佳のほうも大して変わってない。自分一人でやっていけると思い込み、自分の内面をさらけ出して、誰かを頼るという事だけは命に代えても拒もうとする。明世の言っていたことを完全に理解した。そのいびつな精神構造に踏み込まれそうになり、そこで自分を変える努力を怠り、相手との距離を保ち続けた結果、見限られて一番大切な人の一番大切なポジションから凋落した。失ってからその大切さに気付く、縁佳にしては珍しく、人間らしい感情に苦しんでいる。
「この後バイトだから、一回家に帰りたいんだけど」
「あっ、あっ、達者でね」
「はいよー」
こんな怪物を生み出して、私は何がしたかったんだろう。自分の好きな人がこんなに不憫な目に遭うなんて許せない、やればできるのに皆が認めてくれるのに、あるいは私が好きな人間が、誰に見せても褒められるような、卓越した人間であってほしい、なんて、本気で縁佳の骨の髄まで利用し尽くすつもりだったのかもしれない。今となっては、色んな意味が混ざって経年劣化して、元の色の見当も付かない。他人の生き方を勝手に決めて最低だと思う反面、気まぐれで物に人に当たり散らかす縁佳のままで良かったはずがないとも思う。
安否確認だけで終わらせるのももったいないというか、まだ縁佳を何とかできる力と権利が私に残されていると思っているのか、縁佳の後を付けて、家の位置はしっかりと特定した。これで確実に縁佳と会える……いっそのこと、純粋な気持ちで遊びに行こうかしら。
「洞窟ちゃぁーんっ!」
駅の外に出て、雲間を跳ね回る光に眩んだり、寒さに打ち震えたりする間もなく、叫び声と共に篠瀬によく似た猛獣が突進してきて、抱き着かれた。
「うおおあああっ!?」
「良かった、来てくれてー!」
「約束したんだから、来ないわけ無いじゃないですか」
「まあまあ、元気にしてた?」
「ぼちぼちですかねぇ」
篠瀬はロータリーに止めてある車まで案内した。ひょんなことから、篠瀬の運転で山梨に日帰りの小旅行をしないかと誘われたのである。またあの時のように、人を無視するのは心苦しかったのもあって、わざわざ予定を開けた。
「それじゃ、出発しますよー」
「あ、ちょっと、トイレ行ってきていい?」
「なんで待ってる間に行かないんだよ!お前は膀胱の小さいガキか」
「レンタカーで漏らしたらまずいでしょー」
後部座席に座っていた安栗は、そう言って車を降りた。絶妙に言い返せてない気がするけど、そんな二人のやり取りもまた、懐かしいのかもしれない。
体をよじって、鑓水だけになった後部座席を見る。目を合わせて、軽く手を振り合う。やっぱりそれなりに気まずい。あまりにも突然すぎるというか、まずは過去の身勝手な行いを清算してからだと思うというか、ここ数日で数年のブランクがあまりに不自然に元通りになって、それを素直に受け入れてしまっていいのか不安に襲われている。
そんな風にいつまでもうだうだして、3人の会話に聞き耳を立てるばかりで、一切口を挟まないでいたら、目的地の河口湖に着いていた。公園の駐車場に車を止めて、湖畔に立って湖を一望する。足元を見ると、透明な湖水が鏡に使えそうなほど静かに打ち付けていて、右手には、頭を雲で隠していない富士山が聳え立っていた。普段いる場所よりも空気が澄んでいて、吸えば吸うほど体が浄化される気がする。調子に乗っていたら、寒さで鼻が凍りそうになった。
「あっちの岩場のほうを見てくるー」
「おい、待って、安栗一人で行ったら絶対死ぬからーっ」
安栗とそれを追った鑓水は、湖に突き出た小さな半島へ駆けていった。まあいいや、私はこの、やけに陸の近くを泳いで、時々こちらに視線を送ってくる白黒の鴨でも眺めていよう。
「洞窟ちゃん?」
「どうかしました、しの先輩」
「鼻をさすって、どうしたの?ぶつけた?」
「あぁ。寒くて仕方ない。東京が暖かく感じますね」
「今日、東京は暖かいからって油断せずに、ちゃんと着込んできて正解だったわー」
「ですねー」
斜め後ろから真横にすっとやって来たかと思えば、篠瀬は次に前かがみになって、私の顔を覗き込んできた。鎖骨は……見えるはずがないから、返事が適当すぎたと反省して、情報を少し付け足そうと試みた。
「いやー、やっぱりヒートテックは暖かいなー」
「あんまり楽しくない?」
「えぇー、そんなことは……どうでしょう」
誤魔化しても得はないって、縁佳から散々学んだ。それを生かす時なのかもしれない。そう思って、口輪筋に力を入れ直した。
「楽しくないわけではないんですが、少し気まずいというか、負い目を感じるというか……」
「長い間、会ってなかったからね。まあいいんだよ、これからもう一回仲良くなれば」
「すごく嬉しいんですが、でもそんな簡単に許されていいのかなーって」
「昔のことでも気にしてるの?」
「きちんと説明することなく、一方的に皆を無視したんですよ」
「それが原因で距離を感じているならもったいない。過去はどうでもいいじゃない。今この瞬間に誠実であることが、最も大切なことだと思うけど」
ふと横を見ると、鎖骨を狙うような末恐ろしいジト目の篠瀬がいた。
「本当に、過去をなおざりにしていいんですか。……どうにも、その勇気が持てない」
「私はいいと思うけど、確かに人によっては、過ぎたことをぐちぐち言ってくるよね。誰のこと?」
「誰って、特定の人物のことじゃないですよっ。ただ……、私は一度、よっすーのことを無責任に見放してしまった。そんな私が、過去を忘れて、今のよっすーだけに向き合うなんて」
「いいに決まってるでしょ。というかむしろ、昔からの付き合いがあるって色眼鏡は、外すべきなんじゃない」
「確かに言われてみれば、何でも分かってる気でいるけど、私には昔のよっすーしか分からない」
「今のよっすーを知って、自信を付け直すことから始めてみたら?」
この場で改めて考えてみても、縁佳が変わったのは一目瞭然だった。誰かが自分の本性に踏み込んでくることを望み、そしてそれを幸せだと思っている。そんな縁佳を私は知らない。だからこそ、未知の感情にあえぐ縁佳を知り尽くした上で、思い上がらないといけない。今はっきりと思い立った。
「というか、背中を押してほしいなら、最初からはっきり言ってよ。私は皆のお姉さんなんだから」
「そ、そうだったんですか、いつの間に」
「とは言ってみたものの、常葉先輩のほうがそれっぽいかもね」
「そうですよねぇー」
鴨が羽ばたいて、真冬に水遊びしている安栗の上を通過していく。水遊びと言っても、湖の中にざっばーんと飛び込んでいるわけではなく、汀で水を掬うぐらいだが、寒くないのだろうか……。
「いいわねー、鑓水も、押して叩き落してやればいいのに」
「鑓水はそんなことしないよっ」
なんて会話しながら、私たちは二人のほうに吸い寄せられていった。心が程よい重さになった。決して軽くはならない、縁佳への想いは消えることがないから。でも、これくらいの枷なら動き回れる、というか中学生の頃はその枷の赴くままに動き回っていた。
縁佳の居場所を失わせはしない。私のように放浪させない。そんな覚悟をよそに、私は大学生らしい思い付き旅行を満喫したのであった。
とまあ色々複合的に悩んでいるようで、結局、私を悩ませるのは縁佳だけだった。その宿痾を少しでも寛解させるべく、あの旅行の後すぐに、縁佳の家に突撃していた。とりあえず、縁佳とたくさん関わろうと思った。
インターフォンを鳴らしてみる。一回で出てくれるわけが無いので、何度も繰り返し鳴らす。不在だったらただの近所迷惑だが、仮にあの時連絡先を交換していたとしても、アポが取れるなんて思えないので、直接私の存在を見せつけるのが一番効果的だった。
縁佳の部屋のインターフォンで様々な拍子を刻んでいると、騒音に耐えかねたのか扉が開いた。ドアチェーンを付けたまま、隙間から髪がぼさぼさの縁佳が睨み付けてくる。
「や、遊びに来ちゃった」
「はぁ、そうですか」
縁佳はわざわざ足元を見て、私の足があることを確認してから、ある程度は容赦しつつドアを閉じようとした。
「痛った!」
「どう考えてもそっちが悪い」
まさしく縁佳の言う通りだが、だからってここで引き下がるつもりもないので、そしてその意地は向こうにも伝わったようで、部屋に上げてもらえた。
「どうしたの、体調悪いの?」
「いや、二日酔いでね……」
そう答えると縁佳は、私が来る前と同じようにベッドに転がり込んだ。部屋の隅にうずたかく缶が積まれた袋があって納得する。
私はベッドに寄り掛かって、足を存分に延ばして座った。足の踏み場だらけで、綺麗に整頓されていて快適だ。まあ、縁佳という人間を表象するように、物がないだけなんだけど。あの棚とか、中に物が入ってるのかな。得体の知れない謎の箱の台座になっているんじゃなかろうか。
「お酒を飲んだら、嫌なことを忘れられる?」
「こんな魔法があるなら、もっと早く出会いたかった」
「コストは寿命だけどね」
「いいよ別に、長生きしたってしょうがない」
縁佳には少なくとも私より長生きしてほしいが、長生きした経験はないので、そのメリットだけをチェリーピッキングして高らかに説くというのは諦めた。
「何しに来たの」
「だから、遊びに来たんだって。友達の家に遊びに行くのは普通でしょ?まして、一人暮らししてるとなれば、どんな暮らしぶりだか気になるじゃない」
「友達って、絶交したんじゃないの、もういいの?」
「もういいよ」
「あいにく、今は友達を募集してないの」
縁佳にとって友達とは、自分を慕ってくれる存在でしかない。となると、大学とかバイト先とかでも何かやらかしているのだろうか。それらも失恋も全部、まとめて忘憂の物で流そうとしていると考えるのが自然か。
「あれだけせがんできたのにね」
「いつの話だと思ってるの、それ」
「じゃあ絶交も帳消しね」
「うるさい、調子に乗るようなら、部屋からつまみ出すよ」
「よっすーと私、筋力なら互角だと思うけど」
身の程を弁えているのか、私と対話するのは無理だと判断したのか、縁佳は何も言い返してこなくなった。おおよそ後者だろうな。仕方ないので一回休みをあげた。
「ところで、学業のほうは順調ですか?まさか、留年してないよね」
「せっかく静かになったと思ったのにっ」
「ただの一回休みだからね」
「は?何の話?」
「で、どうなの」
「憐れむつもりなら帰って。私は、あんたに憐れまれないといけない程、落ちぶれてなんてないんだから!」
「普通に話してるだけなのに、いちいち怒らないでくれる?」
「そうやって、他人を見下すことが、洞窟ちゃんにとっては普通なんだ。ずっと私を見下してたんだね。そんな人間と、友達になるわけないでしょ」
「そうやって思い僻めるの、よっすーの悪い癖だよ」
「無くて七癖有って四十八癖、治せません」
「そういう意味じゃないでしょ、そのことわざ」
私が何を言おうと、縁佳は聞く耳を持たなかった。そうこうしている内に、布団に包まって、アルマジロのように外敵から身を守るように体を丸めて、今度こそどんなに憐れんでも黙り込むようになってしまった。突いてみようか迷う。……辞めよう、指の骨が折れても文句は言えない。
私は深々と理解した。いや、最初から喧嘩腰だったから、今さら分かったことじゃないけど……。縁佳と素面で話すのは不可能だ。まあ、この程度で諦めたりしない。私には縁佳しかいないのだから。それに、相変わらず私からのプレゼントを大切にする縁佳が、そういう苦しみながら生きることに一生懸命なところが、私の運命の示す先を引き寄せる。あまりに手厳しい物言いを浴びせられて、心の奥底から変に活力が湧き出てくるのを感じながら、体勢を立て直すべく、いったん縁佳の部屋を後にした。
「何度来たって、私を怒らせるだけだよ。私に癇癪を起させたいならどうぞ」
「いやいや、今日はいい物を買ってきたんだよ。一緒に飲もー」
心が折れ始めているのか、はたまた近所迷惑を考慮しているのか、結構すんなり通してくれた。
机の上に、コンビニで買ってきた多種多様なお酒とおつまみを展開する。とにかくたくさん種類を用意した。まあ、縁佳に好き嫌いがあるとは思えないので、様々な需要に応えられるようにする必要はなかったかもしれない。
「ここまでしたって、何も出ないよ」
「宴は楽しむもの、よっすーを憐れみに来たわけじゃない」
「宴というのは古今東西陰謀の場だと思うけど」
縁佳はベッドに座って、背後から私を冷めた目で睨み付けてくる。いつも通り、大して怖くない。むしろその美しい顔立ちを堪能させてくれて、ありがたいぐらいだった。で、何だっけ、毒見しろってこと?いいさ、やってやんよ!自分にアルコールが向かないことを自覚した上で、一番度数の高いやつを、一缶、は無理だ、半分で限界だった。あー、なんて大学生らしいんだー。
私が悶えていると、それを肴に縁佳も飲み始めた。飲酒に対して快楽を求めているわけではなく、生きるために必要だからやっている、縁佳らしくて面白い。それが面白いのは私だけだろうけど。
「洞窟ちゃん、もう辞めなよっ」
「えぇ?」
「私の家で倒れられても困る」
「でも、私が飲まないと、よっすーも飲んだくれてくれないでしょ」
「あぁーっ、めんどくさいめんどくさい、飲むよ、飲めばいいんでしょ」
そんな会話を最後に、酔いが回って気が付くと眠ってしまっていた。意識がわずかに戻ってきて、重たい瞼を何とか開こうとする。世界が一次元になったかのように、全然視界が開けない。天井が見える、眩しい、良かった、縁佳の部屋から追い出されてはないみたいだ。呼吸は問題ない。息を吸う度に、霞んでいた自分という存在が浮かび上がってくる。
最低限、自分の姿勢を把握したら、次は縁佳の状況を調べにかかる。痛いような鈍いような頭を、シーツに擦り付けるように振り回して、縁佳がベッドに横たわって、こちらを据わった眼で見ているのを確認した。
私は二日酔いの同床異夢が見たかったわけではない。ここまで体を張った意味を必死に思い起こす。再び朧げになっていく意識を信念を、がむしゃらに手繰り寄せる。縁佳の本心を知りたい。縁佳の為になりたい。そのためなら私は、限界に挑戦するし、肉体を極限まで酷使するし、精神をすり減らし犠牲にする。
「よっすー……?」
「なんだよー、急に喋らなくなったと思ったら、急に喋ってー」
舌足らずに言っていたような気がする。ちゃんと酔い潰れてるな、よし。
「島袋鏡花のこと、好き?」
「はぁ?鏡花?大っ嫌い。裏切者、詐欺師、浮気者」
「ひどい言い様ね」
「だって、そうじゃん。信じてたのに、あんな簡単に覆すなんて。……どうして、なんで私は、鏡花の言葉を信じてしまったのだろう。妖しかったのに、なんで……」
正誤というのは、はっきりと決められるものでもない。全て私の手の内だった、と驕ってみるのもいいかもしれない。私は縁佳が好きだ。好きだからこそ、縁佳が幸せになれば何でもいい。最後に私がいるかどうかは関係ない。この世界線では縁があったというだけだ。
この関係が縁佳にとって苦難や呪縛から、かけがえのない紐帯となりますように。そして私は、縁佳の本心を朝起きた時までに忘れていませんように。縁佳の話は、やっぱり十まで聞く価値がないので、さっさとまどろみの中へ引き返した。




