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ただいま謹慎中

「あの二人に会うことはないけどな……きっと嫌な思い出が残ってしまっただろうな」


 ユイネの欄に印がない名簿を見て、部長が悔しそうにカーソルを回した。

 時間が経てば経つほどくるのが怖くなってしまうのでは。学校の場合でも、風邪で数日休んだ後は教室に足を踏み入れるのに勇気がいるし。


 指導役として黙って見ているわけにはいかない。私はユイネに電話をかけるためビルから出た。


 出入り口から少し離れ、ビルの足元を彩る花壇に歩み寄る。息を吸うと、初夏の空気が私の胸の中を涼しくする。車の出入りが多い駐車場の近くだから、排気ガスがちょっと混じっていたけど。


 覚悟を決め、電話帳をスクロールして押す。一番下の自分が設定した軽快な音楽と、向こうの震えるような電子音が混ざっていた。


 呼び出し音が延々と続くだけなのでなんとなく出入りする車を眺める。もう出ないかもしれない。


 諦めるという選択肢も出てきた時、受話器を取る音が耳と手に伝わってきた。


「もしもし。先輩、会社を休んでごめんなさい」


「謝らなくていい! ユイネは悪くないから。もうあの二人は当然会社にはこないし、もう誰もユイネを悪く言ったりしない。そう言ってもまあ、怖い、よね……」


「わかっています。怖いというより、私が来てもいいのかと思いまして……いえ、こんな風に暗いところを見せる方が駄目ですよね。私、会社にくることは怖くありませんし、今も全然平気です」


 申し訳なさそうに窄んだ声を無理矢理持ち上げていた。


「怖くないなんて……正直に話していいの。怒らないし、怖かったら部長も私も……あまりオフィスにはいないけど同じ部署の人は全力でユイネを守るつもり!」


「私なんかにそこまでしていただかなくても……」


 思わず携帯にぐいっと顔を近付けて決意表明してしまうと、それがユイネを遠慮させることになった。


「自分では大したことないと思っているのかもしれないけど、ここの人は留学生を重要だと思ってるし、ユイネを評価してる。守りたいと思わせる力がユイネにはあるの」


「……私には構わず自分のすべきことをしてください。きっと構えば構うほど私という人間のつまらなさに気付いてしまいます」


 つまらないだなんて、逆だ。ユイネと過ごしていると新鮮な気持ちを覚えることが多い。


 私の言葉では何を言っても無駄なのかもしれない。正直な気持ちを伝えてきたけど……


 それではユイネの心を動かせないなら、私はただひたすらに無力だ。


 なんと言えばいいのか考えていると、画面がふと暗くなっていた。まずい、スリープする!  慌てて人指し指で叩き起こそうとしたら別の指が触れたのか、受話器を戻すボタンが反応した。受話器を戻す音を模した電子音が鳴り、電話帳に戻される。


「なんでこんなときに限って……」


 自分の指の動きや携帯の対応を恨んだ。気がすむまで恨み節を浮かべてから自分の行動を振り返ると、電話での成果は無いに等しいとわかった。むしろユイネをもっと落ち込ませてしまった。


 効果的な励まし方なんて人それぞれで、誰でも簡単にできるパターンなんてものはない。私だけでは無理だから、他の人に協力してもらうしかないかな。


 しかしそれを認めたくはなかった。私一人で頑張って時間がかかるより、出来る人がすぐに解決した方がいいのはわかっているのに。これは指導役の意地?


 意地繋がりで、私と違って負けず嫌いの妹を思い出した。大人に対しても噛みついた妹を今日のところはそこまでにしなさいとたしなめていたのがおじいちゃんだった。


 おじいちゃんは私に役に立つのか立たないのかわからない話をしてきた。


 たとえば、面と向かって話すと表情で言葉の真意が見えてくるとか。同じ言葉でも全然違う意味を含んでいることがあるから、知りたいと思うなら直接話してみろって言い聞かせた。


 ユイネは自分のすべきことをしてくださいと言った。私がするべきことはユイネが安心して会社に来れるようにすること。


 居ても立っても居られなくなって、携帯片手に会社を出ようとした。しかしかばんを提げて営業へ出て行く人を見ると勇み足を止めてしまう。


 さすがにそれはだめだ。最低限財布くらいはないと困るし何よりユイネの住所を知らない。


 萎んだ気分でオフィスに戻り、住所を教えてもらってから必要なものをかばんに入れる。そして気持ちを新たにユイネの家へ足を進めた。


 ユイネの家は住所を見る限り会社から近いところにある。ユイネの家に近付いてきたら、通り過ぎてしまわないよう速度を落とし、表札がないか見て回る。


「あった、ここか」


 表札ではなく、番地が書かれた小さな立て看板で判断した。

 それなりの広さなのにプランターも装飾もない前庭があり、その向こうに赤い屋根のこじんまりとした平屋がある。


 漂ってくる向きを考えてユイネの家からで間違いない。開けっ放しで網戸がむき出しになっている窓を見て確信した。何やら料理のいい匂いがする。


 呼び鈴を鳴らすと、窓からばたばたと足音が聞こえてきた。


「はいはーい、先輩!?」


 それから間も無く、ユイネは陽気にドアを開けてから目を見開いた。確認もせずにドアを開けていたよね。呼び鈴の下のカメラはどうしたの。


「あの、話したいことがあって来たんだけど……」


「ああ、お話ですか。立ったままは疲れますし、入ってください。ちょっと匂いが残っていますが……」


 ユイネはエプロンの蝶々結びを揺らして中へ案内してくれた。電話の向こうでは沈んだ声だったのに、今見ているこの日常はなんなの。


「あ……美味しそうだね。何作ってたの?」


 繰り広げられる日常の前には、そんな普通のことしか聞けなくなっていた。


「ヴィクトリックらしい昼食です! 今までは作り慣れた料理や市販のものという感じでしたが、時間ができたことですし練習しようと思って」


「そっか、話は昼食食べてからにするよ」


 その間に考えをまとめたい。延々と考えていたはずのことが、家に来てから吹き飛んだから。


「待って下さるんですか? ありがとうございます。そうだ、初めて作ったのでヴィクトリックらしい味付けになっているかわからないので、少し味見していただけますか?」


「いいけど……」


 まあいいかと答えると、ユイネは狭い台所に向かって一人分にしては大きなサイズのお皿を持ってきた。


 野菜やチーズ、牛肉を小麦粉で作られた薄い皮で包んでいるものがどんと三つ並んでいた。斜めの切り口からぎっしりと具が覗いている。


 まだあるらしく両手に小皿を持ってきた。一つはマカロニにチーズをかけたもの、もう一つはサラダ。


「マカロニは作りすぎたので夜も食べることになりそうです」


 そうはにかんでマカロニの皿を置いた。マカロニは皿の真ん中にきゅっと身を寄せている。続いて置かれたサラダは、大きめに切られた野菜がこんもりと重なっていた。


「とりあえずフォークです」


「ありがとう」


 ユイネが着々と食事の用意を進め、机の上が充実していく。味見するんだなという実感がわいてきた。


 最初に選んだのは夜も食べるというマカロニ。表面はパリパリ、中は滑らかで予想よりあっさりした味だった。


「あっさりした感じで美味しい。チーズが苦手な人でも食べやすいかも。あ、ヴィクトリックっぽくするならもっと濃い味かな……」


 次は存在感のある大皿から、ユイネがナイフで一口分に切っておいたものを刺し取る。


 皮はとてももちもちしている。甘辛いソースが染み込んだ牛肉は、舌だけでねじ切ることもできそうなくらい柔らかい。


 口の中全体が甘辛くなりそうなところにみずみずしいレタスととろとろのチーズが間にくる。


 ヴィクトリックとはまた違う味だけど、そのことを伝えたら変えてしまうんだろうなと思うともったいない。

 ヴィクトリック風の歯ごたえがある厚切りの牛肉もいいけど、こっちも捨て難いよね。


 最後はサラダ。シーフードが入っている様子はないけれど海のにおいがする。この塩辛いドレッシングからだ。海の匂いが気になって野菜の味がよくわからない。


 いつも食べているのとどこかが違う……そういえばこのサラダにはコショウがない。ヴィクトリックでは大抵コショウをかけていることに改めて気付いた。


 ユイネは私の簡単な感想にも聞き入るので、個人の感想だし料理にそこまで詳しくないよと付け加えた。


 ヒナタノクニではレシピ本というのは一部の人が残しているだけで、親から聞いたり友達同士で情報を交換してレパートリーを増やしていたらしい。


 ユイネは留学前からヴィクトリックで食べられている料理を練習していて、食べたことのある人の感想や自分で食べたときの記憶を頼りに作った。


 それだけでここまで作れるものなの!? と耳を疑った。本当なら飲食店も開けそうだ。


 驚きの事実が詰まった料理を食べ終えて一息つき、本題に入る。


「あの二人の親が謝りに来たけど、もしも顔も合わせたくないというなら私たちが言うけど……」


「顔も合わせたくないというより……会社から追い出すことになってしまいましたし、私はそれで充分なんです。いやー別にそんなつもりはなかったのですが、あの二人の評判を落とすことになってしまいましたねー。ということでこの話は終わりだと伝えておいてください」


 電話越しではそのことについて申し訳なさそうにしていた。のに、今は困ったように眉を寄せながらも嬉しそうだ。


「じゃあ会社は……」


「明日は普通に行きますよ。自主謹慎明けますし」


 あっけらかんと答えた。電話中の、もう二度と来ないかもしれないと思うほど重苦しい空気が消え失せていた。


 私がユイネの家に来てからどんなことがあったか。まずご飯の味見をし、ユイネにとってあの話は終わりで、自主謹慎も終わると知った。


 それからは明日社食を食べてみたいですねぇと言うのでメニューについて話していた。


 電話との温度差はなんなの……。

 また明日と手を振って家を出た後、今までのことを振り返ったら不思議な気分に包まれた。


 でも明日会社に来るならもういいのかな。

 昼の青空はいつのまにか黄色がかって、澄み渡る日光が優しく輝く。空を見ていたら心は明日の方を向いていった。

 社食、楽しみだな。

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