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教えて学ぶ、忙しなく

 次の日には言葉通り一日の自主謹慎が明けていた。


「おはようございます!」


 悠々と入り口を踏み越えたユイネは一番近くにいた部長に挨拶した。するとユイネを見るなり驚きで椅子の車輪が滑った。


「おはよう……! もう大丈夫なのか?」


 部長は目を丸くしながら首を傾げる。


「はい!」


 その様子に他の社員が恐る恐る視線を上げる。その後部長と少し言葉を交わしてから、ユイネは私の隣に腰を下ろした。


 おはようとユイネのパソコンに挨拶を送ると、おはようございますと顔文字付きで返事が来る。微笑ましい。


 しかしそんな余裕を見せたのは最初だけ。仕事の画面に切り替えた途端、昨日の分を取り戻す勢いでこなしていった。

 画面から視線が逸れた瞬間を見たことがないくらいに。


「ユイネ、目疲れてない?」


 画面と結びつけられたかのような視線が心配になって、横からそっと声をかけた。水を差すようで悪いけど……。


「え、ああもうこんな時間に。そうですね、この辺りで休んでおかないと目が悪くなってしまいますね……」


 画面の隅の時計を見て軽く驚き、手を止める。カーソルから手を離すと、肘をついてから指で眉間をぐるぐるとひねっていた。


 二人で休憩を挟んでいると、もうそろそろ昼食にしてもいい時間になっていた。


「昼食の時間はどうしましょう。食堂ってお昼は混みますし、ちょっと時間を遅らせて行きますか?」


「そうだね、この際キリのいいところまで進めてからにしよう」


 そう決めると私たちは画面に向き直った。私たち現代人はまぶたの重い疲れが取れたと思ったら、またすぐブルーライトを浴びに行ってしまう。


 冷蔵庫から弁当箱を取り出してオフィスを出る人や財布を持って食堂に向かう人もいる。私たちは他の人の足音や影を無視してカタカタとタイピングを続けるのみ。


 タイミングをずらすぞ! と固く決め込んで一時間。時計の時間が切り替わった直後ピリオドを打ち、ユイネと顔を見合わせた。


「では行きましょう!」


 ユイネの声で机に手をついて立ち上がる。

 ちょうど昼食から帰ってきた人とすれ違うと、食堂の座席に期待してしまう。けど同じように考えている人もいるだろうから空いてることに期待してはいけない。


 そうして自分を落ち着かせ、入り口から食堂の様子を覗く。人は多いけど座る場所はあるから、トレーを持ったまま探しまわる必要がない。


 自分の皿を取ると、ずらりと並ぶ大皿の前でユイネと横並びになった。オムレツとローストビーフ、野菜も忘れないようにしないと。


 バランスも考えつつ盛っていき、終点で皿を持ち上げる。少し視線を配るとちょうど現在地から近い空席が見つかった。


 二人でその空席に座り、昨日から楽しみにしていた昼食に突入。


「ユイネもローストビーフにしたんだ」


「はい。ここでは毎日でもお肉が食べられていいですねえ。ヒナタノクニではお肉は特別な日に食べるものだったんです。例えば流行病にかかったときとか……」


 ユイネはローストビーフをフォークで畳みながら目を輝かせた。


 病気のときはお肉よりお腹に優しい食べものの方がよくないのかな。気分が悪くなったりしないのかなと思ったけど、ヒナタノクニの人にとってはそれ以上に元気が出るものなのかな。もしかしたらお腹が丈夫なのかもしれない。


 至って健康な私はお肉も卵も次々と食べ進める。ピリッとくるコショウやぎっしりと詰まった卵が仕事で鈍った体にガツンとくる。口いっぱいの卵を噛みながら、もう少しゆっくり味わって食べようと思い直した。



 肉や卵を楽しんでいた私の頭上から、突如あの人の影が落ちてきた。不穏に早まる心臓の音が、欲求に任せていた時間にストップをかける。


「選び終えたらすぐ近くにいたから気になったの」


「ウィルソンさん……こんにちは」


 プレートを挟みこむように腕を置いた。机の上のレポート用紙じゃあるまいしこんなことで隠せないのはわかっているけど……。


「こんにちは!」


「そう……ユイネも肉を食べるのね」


「はい、やっぱりヴィクトリックといえばお肉ですから! あれ、もしかしてウィルソンさんは……」


「ええ、私は肉や魚は食べないの。それらからとられた調味料も使わないようにしてる。ヴィーガンというのだけど、ここは私たちのことも考えたメニューがあっていいわ」


 ウィルソンさんはヴィーガンで、食生活だけでなく日用品まで徹底している。間違えて動物由来のものを食べさせたら大声で問い詰められてしまう。食事の際は細心の注意が必要だ。

 そして新人にも話をして新たな同志を探している。


「そんな方もいらっしゃるのですね……なんということでしょう。魚から出汁を取るのが好きなのでほとんどの得意料理が封じられてしまいます……」


 頬に手を添え深刻な様子で言った。

 あの海っぽいドレッシングはそこからきていたの!?


「あら、魚は食べていたのね。てっきり野菜ばかり食べていたと……」


「はい、でも魚も使わない料理もあります。大豆と塩があればなんとかなる気がしますね」


 確かに豆、特に大豆は便利だ。煮た大豆をとりあえず一品というときに多用するのは、ヒナタノクニでも変わらないらしい。


「また今度魚を使わない料理を教えてくれないかしら?」


「ええ……」


 自分が教えることには乗り気でないみたい。珍しく困惑し下がった調子になっていた。


「そんな大したものではありませんよ……それでもいいなら」


「ありがとう。それじゃまたね」


 ユイネとは反対に軽い調子で手を振って別れを告げた。


 遠ざかる背中を見た後、社交辞令ですよねと苦笑いして確かめてくるユイネに、ウィルソンさんは本気だと言った。食には特に厳しいから覚悟しておいた方がいいと言い聞かせる。


 社交辞令だと捉えていたユイネは途端に目の色を変えた。

 ここの料理の方が、特にお肉は味も濃くて斬新で満腹感が桁違いで……と褒めるユイネに、ウィルソンさんの前では言わないでねと封をした。


 社内で交わされるまた後日という言葉は、ユイネの言う通り社交辞令に終わることもある。しかしやる気が伴えば現実に変わるのだ。


 まとまった休日を得た私たちに、ヒールのないパンプスの静かな足音が近付いていた。


 あ、誰かが近付いている。そう思って振り返り、姿を認めた頃には逃げられない。


「調子はどう?」


「いつも通りです」


「はい、元気です!」


 定型文を返すユイネにウィルソンさんは満面の笑みを浮かべた。


「そうよね! なんたって明日からは休日よ!  十四期生にとってまとまった休日は初めてかしら?」


「えっと、三連休は含みますか?」


「はい、そうですね」


 私は二人の会話に割り込んで答え、ユイネには年次有給休暇のことだよと耳打ちすると、納得したように頷いた。


 ここでまとまった休日と言えば、指導役が年次有給休暇に入ることをいう。指導役のついでに、慣れない国に来て疲れている留学生も同じ日数休ませる。


 この決まりによって、留学生が来る時期に有給休暇がある人は、指導役に選ばれる可能性があるとわかる。


 当時は指導役なんて無縁だと思っていたから、予定表を見せられた時、まさかねと笑い飛ばしながらも冷や汗をかいていた。


「何か予定はある?」


「ううん……なんというか、出かける予定はありませんよ。とりあえず家でゆっくりヴィクトリックのことを勉強しようと思っています」


「つまり二十九日は家にいるってこと!?」


「え、はいそうですが……」


「私その日早く上がるからヒナタノクニの料理教えてもらってもいい!?」


 食い気味のウィルソンさんに目を丸くして仰け反るユイネ。チェックメイトだ。


「はい、大丈夫ですが……いいんですか、貴重な時間を……」


「何を言っているの! こちらこそ貴重な初めての有給をありがとうと言うところよ!」


 親指を立ててウィンクした。



 有給明け私の方が先にきて作業していると、ポケットを膨らませたユイネがやってきた。


「そのポケットは?」


「えへへ、他の方からいただきました!」


 両手を広げて飴やガムなどのお菓子を見せてきた。


「私が充分に食料を揃えられていないと知った途端、次々に……」


「え、食料が揃ってない? どういうこと?」


 家に行った時は大丈夫そうだったのに……。

 話はウィルソンさんに料理を教えていたことから始まった。


 その日ユイネは動物性のものを使わないメニューに悩んでいたらしい。魚の出汁を使わないとヴィクトリックで好まれる濃い味にするのが難しい。


 なんとか出来ないかと悩み、とにかく材料の調達に行こうとしたらヒナタノクニの食材を取り扱うお店が休んでいた。


 代用できるものはないか見て回っていると、ウィルソンさんから電話がかかってきた。


 材料いっぱい持っていくからスペースを確保しておいてね。


 ウィルソンさんはお店にもこだわりがあって、自分のお気に入りのお店から買っていたらしい。ヒナタノクニで使われている食材は買えたけど、肝心のレシピが足りないからユイネに教わりたかったのだ。


 家に来て、リュックサックから缶詰や袋を次々と取り出すのを見て、ユイネは全然足りると一安心した。

ウィルソンさんがこだわって集めた食材が、ユイネのキッチンで日の目をみる。


 魚に負けないくらいうまみが出るきのこ、サルグソタケ。ユイネに名前の意味を聞いたらかなりひどかったけど、味はいいらしい。


 サルグソタケと昆布から出汁をとり、根菜とがんもどきの煮物に使う。他にもゴボウの胡麻和えやお味噌汁、玄米ご飯などを作った。


 味の方は好評だった。


 美味しそうに食べるウィルソンさんを見て、こういうのもいいかもしれないと思ったユイネは、どこのお店で買っているのか聞いた。ラベンダーマートという世界中から無添加、無農薬の食材を集めたお店だった。


 試しに値段を聞いてみると、毎日となるとちょっと手を出しにくい。


 帰りにウィルソンさんは持ってきた食材をユイネに分けると言った。ユイネは遠慮する様子を見せながらも、本当はヒナタノクニの料理を作ることはないだろうからと思って断ったらしい。


それにしてもなんで故郷の料理を作ることがないと思ったんだろう。いくらヴィクトリックの料理が気に入ったからといって、それは大袈裟な気がする。


 そんな本心は私にしか語っていない。ウィルソンさんは遠慮している様子を信じていた。

 いいと思ったものは他の人にも使って欲しいと思うの。手を出しにくいのはわかっているけど、知らないのはもったいないから一回だけでも試してほしいと思ってしまう。


 だから遠慮しないで、私から何かをもらったら自己紹介のようなものだと思って。


 それでユイネはもらうことにした。

 自分がいいと思ったものへの自信が強い。自己紹介という言い方は、実際に見て確かめることを重視するウィルソンさんらしいと思った。


 こういうものが好きと説明するだけでなく、実際に確かめてもらって何故自分が好きになったか確かめてもらうのだ。


 後日ユイネは買い物先で偶然開発部の人に会い、どうだった? と聞かれた。

 端折って話したら、その人が他の人に回していったらしく、会社に来たらなぜかユイネが食べるものに困るほどお金がないという話になっていた。


 あまりの変わり様に私の頭の中で開発部は伝言ゲーム最弱という説が浮かんだ。


 急遽食べ物を用意するのは無理だけど、とりあえずお菓子だけでも食べてしのいでと次々集まってくる。最初何が何だかわからなかったけど、人の壁にあぶれた人の話し声で、話が変わっていったんだなと察したらしい。


 結局断れませんでした、とユイネは笑ってかばんに移し替える。


 皆さん本当に私のことを心配しながら、自分が美味しいと思うものをわけてくださるんです。ああでもやっぱり本格的な食事までお世話になるのはあれなので、そうなったときに本当のことを言いましょう。


 お礼はいつか、自分がいいと思ったもので返したいです。お世話になった人が多くてたくさん集めることになりますが、足りますよね。ヴィクトリックは素敵なもので溢れていますから、もっと知って吟味したいです。


 ユイネが今までで一番長く話す。その様子は嬉しそうで、声やもらったものを持つ手が優しかった。


「いい人にも会えてよかったね」


「はい、良くしてくださった皆さんから学んで、今度はヒナタノクニに広めていくのが私の役目! そうできる日まで私はどんな困難にも負けないつもりですよ! 初代留学生として有名になって、帰国インタビューなんて受けたときには先輩のことも話しちゃいますよ!」


 奮い立ったユイネは左手で拳を握りしめた後、右手でUSBメモリをマイクのように顔へ近付けてきた。私が反応に迷って無言の間が生まれると、照れてそそくさと差す。


 ユイネは陰湿な嫌がらせも目標のために乗り越えなければいけない。そんな嫌がらせに邪魔されてたまるかとばかりに、日常を謳歌しながら学んでいる。


 初対面では気弱な印象だったけど、ユイネは大きな目標という強い芯が通っていた。小柄で不安そうにしていた後輩が、どこかたくましく、そして少し大きく見えた。

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