ユイネ・シュナン
空港には異国へ旅立とうとする若者たちが集まっていた。しかし集団から少し離れて立つ。
「見送り、ありがとう」
向かい合っている少女に対し、申し訳ない気持ちを隠し切れない。忙しい中来てくれたことだけでなく、もう一つ心に引っ掛かかるものがあった。
本来なら二人の立場は反対だったのだ。
「当たり前だよ。だって大切な教え子であり、親友だからね」
焦げ茶色の髪を垂れさせ、腰に手を当てて笑う。
いつも通りのその姿に、旅立つ少女も今日に相応しい笑みを浮かべる。
待ちに待った日だったのだ。
そして見送りに来た少女の手助けがなければ、自分は今ここにいない。
「いってきます!」
「いってらっしゃい」
キャリーバッグをゴロゴロと引いて列に戻る。その足取りに、もう迷いはなかった。
いざ留学へ、場所は地上の楽園とも言われる、ヴィクトリックの首都ソーサラー。
複数回の検査を越えて、飛行機を待つ。
日常でよく使うヴィクトリック語を頭の中で反芻しながら、足を揃えて座っていた。
やがて入口が開き、若いキャビンアテンダント三人が留学生たちを誘導する。
留学生は飛行機までの通路にある窓ガラスを覗き、他の飛行機や車を見てはしゃいでいた。
今は飛行機というだけで胸が高鳴ってしまう。それでもいつか、乗り慣れたと言えるような人になりたい。いや、ならなければいけない。
窓ガラスに映るのは、長い黒髪の童顔な少女。我ながら国を背負うという気迫は感じ取れなかった。
自分の容姿のコンプレックスはキリがないから割愛するが、気迫という点は一部を除けば似たようなものだ。
それでも自分は変わる。
はしゃいで前をつかえさす人たちとは違う。
前に向き直り、厳しい視線を投げかけた。
サイファという大きな国を中心に見て、東に少しだけ視線を移すと、ヒナタノクニという島が南北に伸びている。そのはるか西にまわると、ヴィクトリックという大国がある。
ヴィクトリックは最近、安い労働力として、またその国の市場を狙って外国人留学生を多く受け入れている
株式会社フラッシュ。本社をヴィクトリックのソーサラーに置いている。主に食器用洗剤などを開発、販売しており、その国の市場を狙って積極的に留学生を受け入れている。
会社にはまた、新しい外国人留学生が来ていた……。
「みんな、耳だけでいいからこっちへ」
主任のメリー・ブルックが手を叩き、社員の意識を動かす。メリーの隣には顔を真っ赤にし、手を震わせる新入社員がいた。金や赤など鮮やかな髪色が多い中、真っ黒な髪が逆に存在感を放つ。
「ヒナタノクニからの留学生よ」
メリーは留学生を手で指し示す。すると留学生の震えが止まったが、顔は一層険しくなる。ヒナタノクニは外国との交流が活発ではなかったため、外国人に囲まれる状況には慣れていないのだった。
こじんまりとした見た目で、異様に緊張している様子に、社員の興味が集まってしまう。
「あっあの……」
直立不動で床の一点を見つめる。もしかしてヴィクトリック語が話せないのか、とざわついた。
「大丈夫! あまり時間は取れないから、後でもいいけど……」
「いいえ大丈夫です! 覚悟は決まりました」
覗き込んだメリーに対して手のひらを向け、目を固く閉じる。
「ユイネ・シュナンと言います! ご迷惑をおかけしないよう頑張ります!」
舌足らずなヴィクトリック語だが声量だけは十分だった。吐き出した分の空気を大きく取り込むと、顔色がじわりと戻っていく。針金を入れたかのように固まった腕は、ぶらりと元の力加減を思い出す。
自己紹介が終わると社員は一斉にパソコンに向き直った。
「えっ」
ユイネは反応の薄さに驚いて硬直した。
ヒナタノクニでは自己紹介の後、質問や名刺交換、最低でも聞いた印として拍手は返ってくるのだ。
「さっ、名前はわかっただろうから、業務の説明に移るわよ」
「あの、何も反応がなかったのですが……私、何か悪いことしましたか?」
ユイネが自分を指さして伺うと、メリーはあっけらかんとして答えた。
「いいえ何も。いちいち返事する時間がもったいないだけよ」
話が終わった途端背を向け、付いてくるよう促す。
ユイネは友達から、ヴィクトリックの人は無駄が嫌いだと聞いていた。それを実感すると、不安は進んだ国への羨望に変わる。
勉強になります!と、無駄な返答を心の中で付け足した。