23 ー再会ー (柊子・数馬)
引き剥がされたフードの下のしゅうこちゃんの顔は、数馬を見ていた。戦うでもなく、防御するでもなく、ただ数馬を見ていた。
数馬のすべての動きが凍りついた。
しゅうこちゃんが数馬を見上げるその目に宿っていたのは、恐怖でも憎悪でも、ましてや闘争心などでもなかった。
それはひたすらに、底知れぬほどの深い絶望を潜り抜けた末にしか持ち得ないであろう哀しみの色だった。
その目は、たしかに、こう懇願していた。
かずまくん・・・、わたしを殺して———。
そんなこと・・・・!
できるわけないじゃないか・・・・・
瞬間、数馬は己を、そして全てを理解した。
しゅうこちゃんも、あの扉を開けたんだ・・・。
何があったのかは分からないけど———
僕と同じように、
苦しんで・・・
絶望して・・・・・
そして、あの扉を見つけてしまって———
開けてしまったんだ・・・・・。
今の僕と同じように——。
その理解に達した時、数馬の内面は、凍りついた数馬の外面をかなぐり捨てて逆方向に走った。
全生命エネルギーを使い果たすつもりで、赤黒い炎を吹き出すあの開け放たれた扉に突進する。
あらん限りの力でそれを閉じて、背中で押さえた。かつて「しゅうこちゃん」がやっていたように——。
そのままの姿勢で、口を開け、目を見開いたまま・・・、数馬は声をあげずに震えるように哭きだした。
僕は——!
僕は、『黒』と同じだ!
この扉から吹き出ていたものは——、あの『黒』の妖力と同じものだ!
なぜ、気づかなかった?・・・・いや、気がついていた———。
気づいていたのに、「しゅうこちゃん」が扉を閉めてくれるのをいいことに、言い訳してはそのエネルギーを使っていただけだ!
僕は・・・『黒』と変わらない! いや、彼らが僕と変わらないんだ。
僕が殺した多くの『黒』の人たちだって——、きっと耐えられないほどの苦しみの末に、あの扉を開けてしまっただけに違いない———。
僕に、彼らを殺す資格なんてなかった!
いや、誰であれ、殺す資格なんかない!
何が「ドラゴンの紋章」だ! いい気になって——!
黒の魔導士としてのしゅうこちゃんに出会うまで、気づかないなんて!
これは、僕への罰だ——。
僕はなぜ———
なぜ僕は、しゅうこちゃんの扉の番人になってあげられなかった!?
僕が探すべきなのは「隻眼」なんかじゃなかった。
しゅうこちゃんを探すべきだったんだ! 「隻眼」なんかに拘ってないで、しゅうこちゃんをこそ、探しに行くべきだったんだ———!
ごめん。しゅうこちゃん! ごめん・・・・
いちばんの罪人は、僕だ————!!
フードが引き剥がされ、柊子はかずまくんと目が合った。
なんという再会——。
ただ、柊子にとってのわずかな救いは、かずまくんが柊子を認識したらしいことだった。かずまくんは、覚えていてくれた———。
・・・でも、それだから——?
ごめんなさい、かずまくん。
わたしはもう、ドングリをもらった頃のわたしじゃなくなってしまった———。もう、かずまくんの傍に行くこともできないほど、血で汚れてしまった・・・。
だから・・・・・・
せめて——、せめて、かずまくんの手で目を閉じさせて———。
最期に見るのが、正しいままのあなたの姿でよかった・・・・・。
柊子が、かずまくんに目でそう伝えたその一呼吸後——。かずまくんの魔導力が忽然と消え失せてしまった。
かずまくんは、あたかも幼稚園の頃のかずまくんに戻ってしまったようなあどけない顔になって、しかも、今にも泣き出しそうな表情で・・・・
柊子の方に墜落してくるのだった。
木の葉のように、くるくると回りながら、柊子の胸のドングリに吸い寄せられるかのごとく、一直線に墜落してきて———虚ろな瞳のまま、柊子に、どん、とぶつかった。
支えるほどの力が柊子の中に残っていない。2人して路上にへたり込んだ。
かずまくんはそのまま柊子の胸に顔を埋めて、幼児のように泣きじゃくり始めた。
柊子は困惑した。
どうすればいいの? わたしはどうしたら・・・・。
柊子はほとんど無意識にかずまくんの背中に腕を回し、そっと抱きしめた。
2人の間で、ドングリが微かに熱を帯びたような感じがした。
どのくらい、そうしていたのだろう。
すごく長い時間だったような、数瞬のことだったような・・・。
ピイン、と辺りの空気が変わった。
魔法陣が完成して、結界が張られたのだ。
妖力の供給が止まり、えぐられた脇腹と肩が痛んだ。柊子は少し顔をしかめたが、かずまくんを優しく抱きしめる腕はそのまま動かさなかった。
妖力が無くなった今、この傷では出血多量で死ぬのも時間の問題だろう。
せめて——、
せめて、この子が泣き止むまで———。こうして抱いていさせてください。それまでは命を・・・
神様———!
痛みが、すうーっと引いていった。
どうしたんだろう?
かずまくんを抱きかかえているので、患部を見ることはできない。
しかし柊子は、あたりの空間に青いさざ波のような光が満ちていることに気がついた。何だろう、これは?
周りを見回すと、手足が千切れたような魔道士さえ、それが再びくっついて、ゆっくりと起き上がるのが見えた。
治癒魔法——?
こんな凄いのが、あるんだ——!
ありとあらゆる生命を救おうとする生命の魔法。
柊子は、ふと世界の広さを思った。
自分はこれまで、なんという狭い世界に住んでいたのだろう——。
どれくらいの間、そうしていたのだろう。
数馬はようやく、自分が扉の前ではなく、しゅうこちゃんの胸で泣いていることに気がついた。
わずかな羞恥をその頬に宿らせて眼を上げると、そこに昔と変わらないしゅうこちゃんの顔が、心配そうに数馬を覗き込んでいた。
「・・・しゅうこちゃん・・・・、ごめん・・・ごめん。 僕は・・・」
涙が止まらない。
なぜ、しゅうこちゃんは、こんなに優しい目で僕を見てくれるのだろう?
僕は・・・彼女の仲間をこれほど殺してしまったというのに・・・・。
なぜ・・・・・。
「僕は・・・・、僕は・・・いちばんの罪人は僕だった。」
柊子は、かずまくんの、その弱々しい第一声に戸惑った。
どういう意味だろう・・・?
その時、2人の頭上を無数の銀色の光が越えていくと、結界の外で荒れ狂っていた黒い嵐が、一瞬で消え去った。
朝の光が、2人の頬に眩しく戯れていった。
「ドラゴンが・・・顕現したのか——。」と数馬がぼんやりと呟いた。
(ガライ・・・)
柊子は、その少し気弱な師匠のことを想いやった。・・・この中にいれば、助かったかもしれないのに——。
柊子は、なぜ自分のようなものがここで生きていられるのだろう、と思った。
「私は・・・・たくさんの人を・・・」
柊子がそう言いかけた時、2人の頭上の青空から、2人の足下の大地から、降るようにして湧き上がるようにして、その声は届いた。
『そも、敵も味方もない。小さきものも含め、この戦いにて斃れた全ての魂に、未来への転生を約束しよう。あらゆる魂に来世こそ幸あらんことを———!』
それが、顕現したドラゴンから発せられたものであることを、2人は、いや、そのあたりにいる全ての者たちは確信できた。
なんとなれば、その一音一音が、朝陽を浴びて銀色にきらきらと輝いていたからだ。
銀のドラゴンの確実な誓約——。
2人とも、不思議なほどそれを信じることができた。
この存在は、生と死を、善と悪を超越して、生命そのものと魔法のエネルギーを体現しているように思えた。
『銀のドラゴン』とは、そうしたエネルギーの一部が、目に見える姿になって現れたものなのかもしれなかった。
その場にいる戦い疲れた誰も彼もが、『白』も『黒』も、放心したように空間を舞うその銀のきらめきを眺め、呼吸している。
やがてそれは、ビオトープの草木や、そこに棲む小さな生き物の1つ1つに、最後の一粒まで吸い込まれていった。
消し去られた小さな妖魔たちは、このビオトープに再び小さな生き物として生まれ出ずることを約束されたのか・・・・。
ならば———、
僕の両親も、僕が消し去った多くの『黒』の人も・・・?
私が殺した何人もの人たちも・・・? ひょっとしたらガライも・・・?
そして・・・コーウェル老師でさえ・・・?
また、ちゃんとした命として生まれることができるのか——?
(この声の主は・・・・たぶん、竜崎センパイだ———)
(そうか・・・。リセットできるのはドラゴンだったのか———)
「いっぱい・・・・。かずまくんに、いっぱい話すことがある——。話さなきゃいけないことが、ある———。」
それだけ言うと、柊子の目から涙がぽろぽろとあふれ出した。
本当に、本当に、長い時を経て——。涸れていると思われていた泉が、再び甦ったように・・・。
数馬も、またこぼれ始めた涙を隠そうともしない。
「僕も・・・、言わなきゃならないことが・・・・たくさんある———。・・・でも、今は・・・ありがとう——、しゅうこちゃん。
ありがとう・・・本当に・・・・生きててくれて・・・」
「なるほど・・・。そうか——。そういうことだったのか・・・。」
頭上で声がして柊子が見上げると、そこに柊子の知らない中年の男性が、この世にこんな慈愛に満ちた眼差しがあるのか、と思うほどの優しい眼をして立っていた。
「あっ、笹島軍師・・・!」
数馬が慌てて目をこすった。
「いいよ、いいよ。もう戦いは終わったし——。それに・・・できたら、もとどおり課長に戻してくれないか? 居心地悪いんだよ。」
笹島はそう言って笑ってから、柊子の方を見た。
「ありがとう。下条を守ってくれて———。」
柊子は、そのあまりにも意外な言葉の意味が分からずに戸惑った。
数馬には、——分かった。
ひょっとして——、と数馬は思った。
課長は老師と同じように、全部わかってたんだろうか・・・。
「あ——。一応、皆には黒の魔導士を拘束するように言ったんだが・・・」
と笹島課長は、わざと少し間の抜けたような声を出した。
「おまえはたぶん聞いてなかったと思うから、別枠で個人的に言っとくわ——。」
それから、やや意味ありげな優しい眼差しで2人を見下ろして、ゆっくりと、2人が理解できるように、その『命令』を口にした。
「彼女を拘束しなさい——。できれば生涯にわたって。」
そのあと、ちょっと照れたように背筋を伸ばして空を見上げた。晴れ渡った空を、大きな翼を拡げて、朝陽をその鱗の上に踊らせながら飛んで行くドラゴンの姿が見えた。
「もちろん、2人の自由意志ではあるんだけど———。」
了
第1章はこれで完結です。
このあと続けて、第2章(ガライの物語)に入ります。




