魔獣襲来! 4
聞き覚えのあるその声に集中を乱したアルトは、ばっと後ろを振り返る。
そこにいたのはやはりセリナだった。
見事な栗色の髪はあちこちと絡まり、その額にはきらきらと汗が光っていて、陶磁器のような白い頬に赤みがさしている。
どうやらかなり急いでここまでやってきたらしい。
一瞬でそう分析したアルトは、また後ろに大きく跳んで強引に魔獣との間を空けると、セリナのすぐ傍に着地する。
「いったいこんなところで何をしているんだ君は!!」
そして驚きを怒りに変えて強く怒鳴りつけた。
こんな状況じゃなければ、もっと柔らかい言い方が出来たのかもしれない。
しかしセリナは意に介した様子を見せず、乱れた息を整えながら喋り始めた。
「ミ、ミシェルが鍛えてくれたこの剣を、アルトに届けようと思って……ってアルトその腕の傷!!」
セリナは未だ出血の止まらない右腕を見て顔を真っ青にすると、怪我の具合を診るつもりなのか、持っていた物を投げ捨てて慌てて右手を取ってきた。
――――ミシェルが鍛えてくれた剣?
アルトはセリナにされるがままになりつつも、自分の足元付近に落ちた物体に目をむける。
この場に突然現れたセリナに意識が向いてまったく気づかなかったのだが、それはまぎれもなく剣だった。
しかも凝った造りの柄に黒耀玉石が嵌めこまれている。
黒耀玉石と呼ばれる魔導石には、金属の強度と硬度を高める効果がある。
もちろんそんな地味な機能を持つ魔導石を好んで使おうとする者は少ない……が、アルトは過去に頻繁にそれを使用していた。
他の魔法剣士のように術式の力で、自分の対流させているエネルギーから武器を守ることが出来ないので、どうしても武器の強度や硬度が欲しくなってくるのだ。
そしてミシェルがこんなマイナーな魔導石をわざわざ取り付けてまで自分の武器を作ったというのは、おそらく誰かの差し金なのだろう。
まあ、その誰かは簡単に予想がつくのだが。
とその時、火打石を打つかのような乾いた音がアルトの耳朶を揺らした。
ま、まずい!
アルトは咄嗟に無事な左手を動かしてセリナを後ろに突き飛ばす。
「きゃ!」という小さな悲鳴を無視して地面に転がっている黒耀玉石の長剣に飛びつくと、鞘から抜き放ち、一瞬で星霜剣を展開して前を防ぐようにして構える。
刹那、太い朱色の熱線が構えていた星霜剣にぶつかった。
「ア、アルト……?」
前方の視界が真っ赤な閃光で一杯に埋まる。
背中越しから、セリナの心配そうな声がかかった。
「僕のことはいいから……! 早く、この場から離れろ……っ!」
その返事を、熱線を受け止めながら乱暴に返した。
正直な話、セリナに気を使っている余裕など全くといっていいほど無い。
これぐらいの事は見逃して欲しい。
触れた物を炭化させる程の超高温の熱線に、アルトは融合魔粒子をどんどん練り上げることで対抗していく。
しかし如何せん利き腕ではない片腕だけの抵抗である。今ひとつ踏ん張りが利かない。
おまけに襲ってくる熱を完全に防ぐことは出来ず、また力を入れれば入れるほど右腕からの出血も酷くなっていくので、思ったように融合魔粒子を練り上げることが出来なかった。
剣を握る手が熱い。徐々にだが、体が後ろに押しやられていく。
このままではいけないなと冷静に思っていたその時、
アルトは度肝を抜かされた。
「ア、アルト。頑張って……!」
なんとセリナが、自分の手に両手を乗せて剣を支えてきたのだ。
完全には防ぎきれない魔獣の炎熱で、その陶磁器のような白い手が火傷してしまうかもしれないのを無視して。
「な、な、な……」
これにはアルトも怒ったりや呆れたりを遥かに通り越して、絶句の二文字である。
しかしすぐに気持ちを切り替えて、意識を激しくぶつかってくる前方の熱線に向けた。
今ここで僕と一緒にセリナを死なせるわけにはいかない。なんとしても生きて帰らせる!
そう思った時、心臓と、その附近にある体内魔粒子を生成、貯蓄する器官である魔臓が、力強く鼓動した。
体内魔粒子が熱の奔流のように生み出されてゆき、膨大な融合魔粒子を一気に練り上げていく。
セリナも握る手に力を込める。
やがて自分達を炭に変えようとした死の熱線は、白い閃光に埋もれて、何事も無かったかのように消失した。
「はぁ、な……なんとか防ぎきれたわね」
セリナは掴んでいた手を離すと小さく息を吐く。
「……君は、いったいどこまで馬鹿なんだ! 下手をしたら僕と一緒に消し炭になってたぞ!」
今になってどっと噴出してきた額の冷や汗を動く左手で拭いながら、アルトは隣にいるセリナを怒鳴りつけた。
だが、セリナが怯んだ様子は全くといっていいほど無い。綺麗な空色の瞳に真剣な光を宿しながら、こちらの抗議に反論してくる。
「だって! アルトが危ないと思ったから、私はいてもたってもいられなくて……!」
「……まあ、危なかったのは素直に認めるよ。でもせっかく人が逃げろって言ってるのに、わざわざ自分から死にに行くことはないだろ! やっぱり君はどこまでも非常識だ!」
「なんですって! 人のことを棚に上げて何言ってるのよ! アルトだって十分非常識なことをしてるじゃない! しかも現在進行形で!」
「僕にとってはこれが常識! 当たり前だろ!」
アルトはそう唸った。
そして目の前の魔獣に気を配りつつ、厳しい口調でセリナに警告をする。
「まだ魔獣は死んでいない! 魔獣が君を破壊対象だと認識する前に、君は一刻も早くここから立ち去るんだ!」
この時まで、まだアルトはセリナという人間を甘く見ていた。
自分が本気で訴えれば、きっとセリナは自分の言うことを聞いてくれる。
明確ではないが、漠然とそう感じていた。
しかしそれはアルトの思い違いで、結果はすぐに裏切られた。
「嫌よ! 私は帰らない!」
セリナが毅然とした態度でそう言い放ったのだ。
「セリナ! お願いだから僕の言うことを聞いてくれ!
確かに君が僕に剣を届けに来てくれたことは感謝しているし、正直助かった。
でも君は僕が誰にも自分の力を見られたくないのを知っているだろう!
それに君がいたんじゃ集中して戦う事なんてできないし、簡潔に言えば足手まといでしかないんだ!
だから、もう帰ってくれ! 今すぐに!」
一時の休憩のつもりなのか、鼻息を荒くして自分達に威嚇をしている魔獣を視界の片隅に入れながら、セリナに帰るよう強く促す。
一瞬セリナの瞳に迷いが生じた。が、すぐにまた強い意志の篭った眼差しを向けて、
「嫌。アルトを送り出した時はああいう風に言っちゃったけど、やっぱり私はアルトと一緒に戦う。
だって、私はアルトのパートナーだから」
アルトは大きく目を見開く。
対するセリナは急に顔を伏せると、なにやら苦渋に満ちた表情で話し始めた。
「ごめんねアルト。私……校長先生にあなたの弱点を聞くまであなたを人としてちゃんと見ていなかった。どこかであなたを、天使の様な完全無欠の存在として見ていた部分があったの……」
こんな時にいきなり何を言い出すのかと思えばそんなことかと、目の前で申し訳無さそうにしている少女にアルトは呆れ果てた。
他人から人としてまともに見られないのは、西に太陽が沈むのと同じぐらい自分にとって当たり前のことなのだ。
酷い時には『来るな化け物!』と罵られて、助けた筈の人から石を投げつけられたこともある。
それに比べればセリナが抱いていた自分の印象なんて、取るに足りないぐらいアホらしい物である。
……というか、セリナはひょっとして僕の事を褒めているのだろうか?
しかしそんなふざけた考えは、すぐに改めさせられることになった。
「でもそれは私の思い違いだって、今日思い知らされたわ。元魔導剣士のあなただって失敗はするし、そんな酷い怪我だってする。私にとってあなたは天使みたいな存在だけど、それ以前に私達と同じ温かい血を流した一人の“人間”だった。
そんな当たり前のことを私はちゃんと自覚していなかった。
アルトはまだ私に対して距離を置いているなって思っていたけど、実際は私もアルトに対して距離を置いていたのよ……」
「……」
「でもこれからは違う! 私はパートナーであるあなたと、正面からちゃんと向き合いたい! あなたの隣に立つことを許されるような人間になりたい!
だからアルトも私を怖がったりしないで! 私はアルトの力に絶望を感じて、死んだりなんかしないから!」
それはとても純粋で、心に真っ直ぐ届いた言葉だった。
嘘なんて針の先程も混じっていない、セリナの魂からの訴えだった。
そしてアルトは、どうして自分が最近になって選抜組との訓練を真面目に受ける気になったのか、その理由を悟った。
セリナの将来を、自分なんかのために潰して欲しくなかったのだ。
自分自身の夢を大切にして欲しかったのだ。
そもそもアルトには夢というものがない。
以前はレオンのような優しくて強い魔法剣士になって、あの二人を幸せにするという夢があったのだが、それはもう自分のせいで粉々に砕けてしまい、二度と叶わないものになってしまった。
だからこそ、アルトはセリナの夢の後押しがしたかった。
セリナには自分と同じような道を歩ませたくなかった。
だが、自分はセリナの夢について薄々感づいていたのではないだろうか?
だからセリナに対して酷いことを何度も言ってきたし、セリナの扱いに戸惑ったりもした。
彼女の夢が、おそらくは自分がこの世で最も憎んでいるものだから――――。
アルトはふぅっと息を吐くと、それから何度か頭を振る。
「はぁ、君には敵わないよ。分かった。そこまで言うなら一緒に戦おう。仮のパートナーとはいえ、パートナー同士一緒に戦わないのはやっぱり不自然だからね」
本当はセリナの言葉に感銘を受けたからなのに、我ながら随分と捻くれた理由のつけ方だとアルトは思った。
それをどのように受け取ったかは知らないが、セリナは歓喜に満ちた表情をぱっと浮かべる。
「ありがとうアルト!
ところで勢いでつい言っちゃったけど、私まだ魔獣と本格的に戦ったことが無いの。いったいこれからどうすればいい?」
アルトは目の前の瀕死状態の魔獣を剣で差す。
「あれを見て分かると思うけど、あいつはもう随分と弱ってる。すぐには再生できないほどに。だからあと一回だけ、魔獣の急所に強い攻撃を加えることができれば、あいつを倒すことが出来る」
「ふぅん。それで?」
「だから君にはそのための隙を作ってもらいたい。要は君の本気の魔法をあいつにぶつけて欲しいんだ。もちろんそれだけじゃあの魔獣は死なない。でもあれだけ傷ついていれば、君の魔法であいつを怯ませることぐらいはできるはずだ。そしてその時に出来た隙を使って、僕が確実にあいつを仕留める。
……今度はもうこんなヘマをしないから」
そう言って血だらけの右腕を見る。
「分かった。私に任せて。こうみえて私、攻撃魔法が一番得意なんだから」
セリナは得意げに言うと、拳を作ってアルトの目の前に持ってきた。
一瞬きょとんとしたアルトだったが、すぐにセリナの意図に気づいて、それからほんの少しだけ微笑むと、
「うん、知ってる」
小さく呟いて、長剣の柄を握っている左手をセリナの拳にこつんと軽く打ちつけた。
とここで目の前の魔獣の動きに変化があった。
カチン、カチンと再び歯を打ち鳴らし始める。
どうやら性懲りも無くまた熱線を吐くつもりらしい。
「やらせるか!」
アルトは融合魔粒子を長剣に注ぎ込みながら、それを斜めに大きく振るう。
その次には夜闇を眩しく照らし出す、巨大な三日月型の光が宙を走った。
後の光跡に太く白い帯を残し、星屑のような細かな光を振りまいていく。
それが熱線を吐こうとしていた魔獣に直撃すると、視界をいっぱいに埋め尽くすほどの閃光と、普通の疾星の比ではない巨大な爆発が巻き起こった。
結果として魔獣は爆発の衝撃波に押されてあらぬ方向へ熱線を吐いてしまい、アルト達を焼くことはおろかその体にかすりもしなかった。
「セリナ! 今のうちに!」
「ええ、分かってるわ!」
アルトが声をかけると、セリナは翠玉石の細剣を儀式で使う錫杖のように持ち、紫色の術式を手に燈しながら、詠唱を唱え始める。
清水のように透き通っていて、教会で歌われる賛美歌のように神々しい声だった。
『天空より生まれ万雷を束ねる雷神ゼノムよ。
我は汝が力をこの地に具現させるものなり。
天と地二つを繋ぐ鏡門によりて、彼の者に永遠の苦痛を与えよ。
そして大いなる神の裁きのもと全てを灼き払いたまえ』
セリナが詠唱の句を唱える度に、魔法エネルギーの放つ波動がどんどん強くなっていく。
そして詠唱が完成され、魔法名を唱える。
『ライジング・テンペスト!!』
セリナが魔獣に向かって細剣をさっと振ると、魔獣の頭上とその足元に紫色の巨大な魔法陣が出現する。
瞬間、その魔法陣が辺りを埋め尽くすほどの閃光を発したかと思うと、その次には上下から魔獣を挟み込むような形で、膨大な量の紫電の雷が吐き出された。
――――ガシャァァァァァン!!
雷音というよりは爆音に近い音が、剥けた大地に鳴り響き、太い紫色の雷光が魔獣の体に集中していく。
この魔獣が普通の状態なら、このセリナの魔法を跳ね退けながら反撃に及んでいただろう。
しかし今はアルトによって、その体に無数の傷をつけられている。それも生半な魔法を一切寄せ付けない硬い甲殻や鱗が断たれてしまうほどの。
よってその傷口からセリナの雷を侵食させる余地を与えてしまい、魔獣は痛みでひるんでしまう。
(今だ!)
そしてそれをアルトが見逃す筈がなかった。
足の筋肉をたわめて一気に跳躍。風を穿ち、紫電が放つ閃耀の中を突き進みながら、白銀のブレードを逆手に持ち直す。
(……ごめんね。君はただ単純に生きていたいだけのかもしれない。ここで君の命を奪うことは、ひょっとしたら不条理なことなのかもしれない。
でも……)
その状態のまま融合魔粒子を剣身に収束させていくと、光のブレードが一際大きい輝きを帯びはじめた。
「アルト!」
アルトが十数メートルの高さまで上がった事を見届けたセリナは、魔法エネルギーをカットして魔法を解除する。
上下の魔法陣がふっと消え、執拗に魔獣を襲っていた紫雷が急速に拡散して無に帰っていく。
アルトは宙で光剣を大きく振りかぶった。
(でも僕は、どうしてもこの街の人達を見殺しにすることができないんだ!)
そして魔獣の頭部に向かって、力のあらん限りに振り下ろす。
やがてアルトは長かった一日の終わりをしっかりと確信した。