魔獣襲来! 3
* * *
僕が魔獣と戦ってから、いったいどれだけ時間が経ったんだろう?
魔獣の放った熱線や高熱ガスで、焦土と化してしまった灼熱の大地の上で、アルトは額から露のように流れてくる汗を拭った。
その体は焼滅した広葉樹の炭で汚れ、魔獣の堅牢な鱗や棘で裂かれた小さな擦り傷や火傷の跡が、到る所に付いている。
しかし墨で彩色された枯れ木のような見た目の割に、アルトは到って元気そのものだった。
条件さえちゃんと揃えられれば、多分もう一頭ぐらいは倒せるかもしれないほど余力が残っていた。
そんなアルトが、いったいどうして過ぎた時間を気にするのか?
答えは条件が揃わなければ、第二形態の魔獣一頭を倒すことすら危ういからだ。
アルトは右手で握っている孔雀石の長剣を眺めた。
光のブレードの中で更に濃い輝きを見せている孔雀石の長剣から、小さい音ではあるが金属が悲鳴を上げているような軋む音が聞こえる。
つまり自分の練り上げる強力な魔粒子に耐え切れず、孔雀石の長剣が今にも自壊しようとしているのだ。
もちろん自分の魔法が孕んでいる重大な欠陥について、セリナには何も話さなかった。
話したら話したで絶対ついて行くと言って聞かなかっただろうし、なにより彼女に余計な心配をさせたくなかったのだ。
――――グギャァァァァァ!
とここで、悲鳴にも似た魔獣の咆哮に思考を中断されたアルトは、濛々と立ち込めている前方の黒砂煙の中から無惨な姿を現した、生物種の王者と再び相対する。
半ばで折れた巨角。片方だけ潰れた紫玉の瞳。
その巨大な体を守護するはずの堅固な鱗や甲殻は無惨に切り裂かれて剥がれ落ち、その合間から体表の色とほぼ同じ色の赤黒い血が川のように流れている。
翼のほうに目を向けると、難破船のマストのようにボロボロになっていて、今はもう満足に飛ぶことすら敵わないだろう。
当然これらは全て、アルトがたった一人で行ったことだった。
魔獣のほとんどは圧倒的な再生能力を持つが、何度も何度も堅牢な外殻を突破されるほどの攻撃を重ねられれば、その限りではない。
つまりこの魔獣はすぐに再生できないほど弱っているのだ。
しかし、だからといって油断はできない。
武器がもうすぐ壊れそうだというのもそうなのだが、魔獣との戦いで一番怖いのは魔獣を追い詰めた時だ。
なぜなら魔獣の攻撃が一番苛烈になる時期が、生命の危機に晒されていると魔獣が本能で悟った時だからだ。
それはきっと、人間と同じ生きようとする意志が働いているからなのだろう。
よって少しでも集中という名の紐を解いてしまえば、次の瞬間には死を招いてしまう。
誰も助けてくれない孤独な状況で戦っている以上、その要因で死ぬ可能性は極めて高い。
それが傭兵魔法剣士の最高位たる魔導剣士の戦いで、決して避けては通れぬ道だ。
(でも僕はもう魔導剣士に戻る気なんか無いけどね)
そんな自分が魔獣と戦っているのは本当に妙だと思いながら、アルトは魔粒子で出来た白銀のブレードを持ち上げる。
そして本日何十回目かの疾走を再び開始した。
黒影がぶれて残像を生み出し、一気に魔獣との距離を縮めていく。
魔獣はそんなアルトに対して、所々折れた歯を打ち鳴らし始める。
二、三回鳴らし終えて、僅かに朱の光を灯している口腔を開けると、長い首を大きく真横に動かした。
耳をつんざく雷鳴にも似た轟音が吐き出され、朱を帯びた死の熱線が空間を焼きながら、アルトを薙ぎ払わんとする。
しかし魔獣がどれだけ脅威的な攻撃を仕掛けてこようとも、それが直線的なら運動能力や反射神経に物を言わせて避けることは容易である。あまり怖くは無い。
アルトは黒い大地を大きく蹴って、天高く飛翔する。
特大の熱線が足元を通り過ぎたのを、茶色いブーツとズボンの隙間から這ってくる熱で感じ取った。
膨大な熱量で温められた熱風に身を持ち上げられつつ、アルトは宙で剣を逆手に構える。
(これで、終わりだ!)
それを大上段の位置まで持ってくると、熱線を吐いて隙が出来た魔獣の頭部に勢いよく突き立てた。
しかしその時、ついに恐れていたことが起きた。
――――パキィィィィン!
アルトが魔獣の頭蓋を貫くよりも先に剣のほうが、アルトの魔粒子に耐え切れなくなって粉々に砕けてしまったのだ。
(まったく! あと少しだって言うのに!)
思い通りにならない物への苛立ちに舌打ちをしながら、柄だけになった奇妙な武器を放り投げる。
だが、その時出来た隙を魔獣は見逃さなかった。
魔獣は首を大きく振るって頭部に張り付いているアルトを振り払うと、鋭い爪のついた腕を大きく振り下ろしてきた。
(……まずい!)
アルトは咄嗟に空中で体を捻る。
しかしそれだけでは避けきれず、利き腕である右の二の腕を鋭利な爪でざっくりと切り裂かれてしまった。
鮮やかな血が噴出し、焼けるような鋭い痛みがアルトを襲う。
それでもアルトは冷静に受身を取って地面に着地すると、即座に魔獣との距離を離す。
まさに一瞬の隙が招いた出来事だった。
あのタイミングで剣が壊れなければ、利き腕に負傷を負うなどといったヘマを犯さなかった。
ましてや、他の魔導剣士達ならば武器が壊れるなどといった不祥事態は一切起きずに、今ので確実に魔獣を仕留めきれていただろう。
しかし戦いの場においてたらればを検討してもどうしようもない。
起きてしまったものは起きてしまったものとして素直に受け止めて、また次の手を打たなければ生き残れはしないのである。
アルトは追撃してくる魔獣の攻撃を避けながら、ひとまずは止血をする為に魔粒子活性を開始する。
しかし思ったように傷口を塞ぐことができない。
怪我を治すことに関しては治癒術ほどの威力が出せないことは既に把握済みなのだが、これはどうやら神経まで絶たれてしまっているらしい。
武器の破損に、利き腕の負傷。
崖を転がり落ちたかのようなあまりの形勢の変わりように、魔獣との距離を大きく離したアルトは乾いた笑みを浮かべる。
どうやら自分は徹底的に天から見放されているらしい。
一応魔導石を介さずとも融合魔粒子を練り上げることは可能なのだが、その場合融合魔粒子の威力が格段に下がってしまう。
それに最初の疾星が効かなかったように、この魔獣には遠距離からの魔法攻撃に強い耐性がある。
絶対絶命とはまさしくこのことだろう。
(……まあ、ここで僕が死んでも目的は達成されるしな。気長にやろう)
目の前の満身創痍の魔獣を睨みつけながら、どうやってこいつを倒そうかと思考を始める。
その時だった。
「ア、アルト!!」
「――――っ!?」
一人しかいないはずの枯れた焼け野原に、天使のように綺麗なソプラノが響いたのは――――。




