ターゲット
「ごめんね、別れたいの」
電話越しに、彼女の柚希が言った。
「は? お前、何つまらない冗談いってんだよ」
ダイチはベッドに寝転んだまま、意味が分からず眉をひそめた。
柚希は小さな声で答える。
「冗談じゃなくて。……他に好きな人ができたの」
ダイチは勢いよく起き上がった。
「誰だよ!そいつ!」
「言いたくない。マジでごめんね」
「あ!?俺の知ってる奴かよ?」
「知らない人」
柚希のまともに答える気のない感じがが、何より腹立たしかった。
「おい。そいつ連れて来いよ!」
「ごめん、もう無理だから」
一方的に電話が切れた。
ダイチは通話終了の画面を睨み、スマホをベッドへ叩きつけた。
◇
[ 都内の某高等学校 ]
翌朝。
ダイチは始業時間ぎりぎりに教室へ入った。
明らかに機嫌が悪く、鞄を乱暴に机へ置く。
「どうしたんだよ」
金髪頭のショウが声をかけた。
その隣にいたケイタとユウマも、ダイチの席へ近づいてくる。
「柚希に振られた」
「マジで?」
「他に好きな男ができたんだと」
「誰?」
「知らねえよ!」
ダイチは椅子を蹴るようにして立ち上がった。
じっとしていると、昨夜の柚希の声が何度も頭に浮かんでくる。
「あー、むかつく!」
ダイチが無意味に吠える。
教室の端では、レンジが一人で本を読んでいた。
ダイチは迷わず、その席へ向かった。
そして、いきなりレンジの机を思いきり蹴り飛ばした。
大きな音が教室に響く。
机が体にぶつかり、レンジは椅子ごと床へ倒れた。
周りの生徒たちが一斉に振り向く。
だが、誰も動かなかった。
目を逸らし、何も見なかったふりをする。
レンジは黙って起き上がった。
倒れた椅子を戻し、机を元の位置へ直す。
床に落ちた本も、何も言わずに拾った。
「レンジ、なんか文句あるのかよ」
ダイチがレンジの髪を掴んで、睨みつける。
レンジは苦痛の表情でその手を抑える。
「別に……ないよ」
小さな声でそれだけ言う。
ダイチは、笑いながら自分の席へ座った。
◇
レンジがダイチからいじめを受けるようになったのは、高校2年生になった半年前からだった。
きっかけは、ダイチたちがクラスの男子生徒をいじめていたことを、担任に伝えた。
しかし、その話はなぜか本人たちに漏れた。
それ以来、男子生徒は登校拒否となり、代わりにレンジが新しいターゲットになった。
ダイチたちは、問題にならないように少しずつやり方を変えている。
教師もクラスメートも、いじめがあることは知っていた。
それでも、誰も助けようとはしなかった。
ダイチを中心に、ショウ、ケイタ(通称:デブゴン)、ユウマの四人がつるんでいる。
主犯はパワー系のダイチ。
金髪頭のショウは悪知恵を出す。
元いじめられっ子のデブゴンはパシリ。
イケメンのユウマは少し離れた場所から笑って眺めていた。
四人は性格も立場も違う。
それでも、レンジにとっては全員同じだった。
◇
午後の社会科の授業。
レンジが教科書を開くと、ページは悪口や落書きで埋め尽くされていた。
本文はほとんど読めない。
「少し見せてもらってもいい?」
隣の女子生徒に声をかける。
しかし、彼女は黒板を見たまま、目も合わせなかった。
以前は普通に話していた相手だ。
レンジは黙って教科書へ視線を戻す。
やがて男性教師が通路を歩き、レンジの横で足を止めた。
落書きだらけの教科書に目を向ける。
それでも何も言わず、そのまま通り過ぎていった。
レンジは、冷めた目で教師の背中を見送った。
いつもの事だった。
◇
放課後。
レンジが鞄を持って教室を出ようとすると、後ろからデブゴンに呼び止められた。
ケイタは太った体格から、ダイチ達からデブゴンと呼ばれている。
「レンジ。ちょっと来いよ」
「用事があるから」
「来なかったら、明日はもっとやばいぞ」
デブゴンは周囲を気にしながら、小さな声で脅してくる。
レンジは少し考えたあと、黙って後をついていった。
連れてこられたのは、校舎裏の人気がない場所。
そこではダイチとショウが待っていた。
少し離れた場所には、見張り役のユウマもいてヘラヘラ笑っている。
「金持ってるだろ」
ダイチが手を差し出した。
「持ってない」
「財布見せろよ」
レンジが首をふる。
ダイチの表情が変わった。
次の瞬間、背後へ回り込み、レンジの両腕を押さえつける。
「デブゴン。こいつに思い知らせてやれ」
「えっ、おれがやるの?」
デブゴンはわざとおどけたように言う。
「聞こえなかったのか?」
ダイチが低い声を出す。
デブゴンは迷いながら、レンジの前に立った。
「早くしろよ」
ショウは笑いながらスマホを構えていた。
デブゴンは目をつぶり、拳を振り抜く。
鈍い音が響いた。
レンジの体が大きく揺れる。
「おお、やるじゃん」
ショウが笑った。
「もう一発いけよ」
「おい、誰か来たぞ」
離れた場所にいたユウマが声を上げる。
ダイチはすぐにレンジを突き放した。
「余計なこと言うなよ」
四人は笑いながら、その場を離れていく。
レンジは地面に手をついたまま、しばらく動かなかった。
「大丈夫?」
声をかけたのは、若い女性教師だった。
教師はレンジのそばにしゃがみ込む。
「何があったの?」
レンジはゆっくり立ち上がり、制服についた土を払う。
「遊んでいただけです」
「でも……」
「失礼します」
それ以上は話さず、レンジは鞄を持って歩き出した。
女性教師は何も言えないまま、その背中を心配そうに見つめていた。
◇
夜。
駅前に、私服姿のレンジが立っていた。
帽子を深くかぶり、人目を避けるように周囲を見ている。
やがて、一人の少女が駆け寄ってきた。
「レンジ!」
「おっす、柚希」
レンジの頬に残る傷を見て、すぐに表情を曇らせる。
「その傷、どうしたの?」
「ちょっとぶつけただけ」
レンジは笑ってごまかした。
二人は駅から少し離れた公園へ向かった。
ベンチに並んで座っていると、柚希のスマホが鳴る。
画面を見た途端、困ったように眉を下げた。
「やだ、ダイチからだ」
「まだかかってくるんだ」
「うん。ごめんね、別れたいって伝えたんだけど」
レンジの口元が緩む。
「可哀そうだから、出てあげたら?」
柚希は迷ったあと、通話ボタンを押した。
『柚希、今どこにいるんだよ』
スマホから、ダイチの声が聞こえてくる。
そのとき、レンジはそっと柚希の肩を抱き寄せた。
驚いた柚希と目が合う。
レンジが静かに顔を近づけると、柚希は少し戸惑う。
それでも、逃げようとはしなかった。
二人の唇が、短く重なる。
スマホの向こうでは、ダイチが何度も柚希の名前を呼んでいた。
柚希はレンジを見つめ、今度は自分から顔を近づけた。
怒鳴り声がまだ聞こえている。
レンジはその声を聞きながら、ゆっくりと目を細めた。




