13.撞球室の会話
「遅かったじゃないですか。
もう来ないのかと思いましたよ」
撞球室に行ってみると、フレデリックがわざと恨めしげに言ってきた。
時計を見ると、14時半を回っている。
バティストと1時間近く玉を突いていたようだ。
喫煙室の隣りにある撞球室は、重厚な内装。
2台ある玉突き台は、側面に象嵌細工でアザミがかたどられ、脚も凝った優美なもの。
「いや、すまない。
レディ・ベアトリスが、興味深い話をしてくださってね」
ルシアンは笑うと、壁際のキューラックに向かった。
球を突くキューも、どれも美しい、見事なものばかりだ。
ソレルが記者仲間と行く撞球場では、まずキューが曲がっていないかどうか、玉突き台の上に転がして確かめるが、ルシアンは太さと重さだけ見て、好みの一本を選び出した。
曲がっているキューなど、ここには置いていないのだ。
ソレルも真似て、軽めの一本を選ぶ。
ちょうど、フレデリック達は新しいゲームを始めたところ。
いわゆる「四つ玉」、4つの球を用い、手球を突いて他の3つの球のうち2つ以上に当てればポイントが入る遊び方だ。
キューをとったものの、ルシアンとソレルはなんとなく観戦に回った。
「なにか、賭けているんですか?」
ソレルは、ビリヤードはそこまで得意ではない。
もし高貴な人々のレートでむしられることになったら、しばらくは窮乏生活確定だ。
「いや。この城では賭け事は厳禁です。
伯父上が、嫌いなのでね」
ソレルがほっとしたのに気づいたのかどうか、フレデリックは自分の手玉、黄色い球をまっすぐ突く。
黄玉は赤玉に当たり、赤玉はバティストの手球である白い玉の方に転がっていったが、ぎりぎり手前で止まってしまった。
1つしか当てられなかったから、ポイントはなし。
次はバティストの番になる。
「あああああ……
やっとバティストがミスしてくれたのに!」
フレデリックは、天を仰いだ。
バティストは笑いながら、次々と球を当てていく。
難しい配置でも玉を思ったとおりに動かし、いとも軽々とポイントを重ねていく様は、まるで魔法のよう。
この調子では、あっという間に勝負が決まりそうだ。
「今回、お二人はなぜこの城にいらしたんですか?」
なにげなくソレルが訊ねると、フレデリックは一瞬詰まった。
「あー……この近くにある崖線が学術的に貴重なものだとかなんとか、バティストが」
「馬で1時間くらいのところにあるんですよ。
地層の褶曲が観察できる、国内最大級のポイントで」
絶妙な角度でショットを決めると、バティストは補足した。
「そうそう。それで夏休みのレポートを書くんだよな?」
勢い込んで乗っかるあたり、やっぱりフレデリックはクレール目当てなのかもしれない。
口実にされているバティストは、気づいているようには見えないが。
「そうだったのですか。
てっきり、母君のもとで夏を過ごされるために来たのだと思ってました」
ルシアンが、キューの先端にチョークをくるくると塗りながら意外そうに言う。
「いや。来てみたら母がいて、びっくりしたんですよ。
夏はトランの別邸に行くと言っていたから、リシャンディエールにも寄るだろうとは思ってたけど」
20歳にもなって、母親の後追いをしていると思われたくないのか、フレデリックはがっつり否定した。
トランというのは、高原にある避暑地。
貴族や富裕な平民の別荘がたくさんあるところで、夏の社交の場だ。
ここからだと、馬車で4、5日はかかる。
ソレルは、厭な可能性に思い当たった。
もしかしたら、イレーナは息子のクレールへの思いに気づいているのかもしれない。
明らかにジョルジェットを嫌っているのに、リシャンディエール城に滞在し続けているのは、息子の初恋の行方を警戒しているのだと考えると腑に落ちる。
これはあとあと、揉め事になるかもしれない。
……まあでも、クレールは8歳下の大学生なんて全然意識していないようだから、フレデリックが変に暴発したりしなければ大丈夫か。
と、ソレルが思い巡らせているうちに、ゲームは終わった。
とにかく、フレデリックは実力差がありすぎるバティスト以外と遊びたいようだ。
まずはフレデリックとルシアン、バティストとソレルが対戦することになる。
開幕、緊張したソレルは、キューが手球に当たらないというやらかしを披露してしまい、急遽、バティストにキューを支えるブリッジの組み方から教えてもらうことになった。
艶のあるダークグリーンの羅紗の上に左手を置き、完全に固定してからキューを乗せる。
右肘は後ろに張って固定し、動かすのは肘から先だけ。
手の力は抜き、軽く振る。
仕切り直して、もう一度。
今度は無事、手球が的球に当たってくれた。
続くショットは、普通にしくじったが。
自分の番が来たバティストは、ソレルにコツを解説しながら、びしばしとポイントを取っていく。
「……ところで、ソレルさん。
レディ・カタリナは、どうして結婚されないんですか?」
最後の構えに入る前に、バティストはさりげなく聞いてきた。
「いやー……そのへんのことは、さっぱり。
あの方と知り合って、二ヶ月くらいですし」
「ああ。じゃあ、私が知り合ったのと同じ頃だね」
ちょうど近くにいたルシアンも、軽く話に入ってきた。
隣の卓は、ルシアンが圧倒的な強さを見せているようだ。
「そうなんですか」
バティストは、妙にほっとしている。
どうやら、ルシアンも警戒対象だったようだ。
フレデリックが笑った。
「カタリナが結婚しないのは、する必要がないからだよ。
未婚の令嬢といっても、彼女は自由に行動できる。
おまけに、サン・ラザールの娘のままでいれば、王都一の邸宅に住んで、ドレスも作り放題だ」
「たし、かに……」
バティストは、視線を泳がせた。
彼は子爵家の嗣子だが、今、カタリナが享受しているレベルの贅沢をさせるのは無理だろう。
カタリナは、一度着たドレスで別の舞踏会に出たことがないと言われている。
ファッションに詳しい同僚は、さすがに全部一から作っているわけではなく、仕立て直しもしているようだと言っていたが、それも公爵家が優秀なお針子を何十人も抱えているからできることだ。
ルシアンは首を傾げた。
「しかし、公爵家はレディ・カタリナに結婚してほしいのでは?」
「できることなら、してほしいとは思っているでしょうけど。
カタリナは、結構前から公爵の名代を務めていたりするんですよ。
公爵夫妻も兄君達も、なんだかんだで彼女をあてにしてるんじゃないですかね。
色んなつきあいやら領内のあれこれを、身軽に動いて片付けてもらえるんだ。
本音を言えば、もう手放したくないんじゃないかな」
サン・ラザール公爵領は広い上、飛び地もある。
領内で催されるさまざまな式典には、公爵かその名代が出席しなければならないものもたくさんある。
それらをカタリナが担ってくれるのなら、公爵家としては大助かりだろう。
本当なら、カタリナの次兄がその役目を果たさなければならないのだが、彼は王都の魔導院で研究に邁進している。
「彼女が結婚するとなったら大ニュースですが、そんな気配はない、と?」
つい記者根性で、ソレルは確認してしまった。
「僕の知る限りでは。
ああ、もし彼女の結婚話が出たら一報入れるよ。
次のゲームの相手をしてくれたらね」
「それはぜひ!」
それから、フレデリックとソレルは「四つ玉」を楽しんだ。
フレデリックの方がソレルよりだいぶマシだが、それなりにいい勝負になった。
ルシアンとバティストは、上級者向けの「赤赤」──相手の手球に当てずに、2つの的球に当てなければならないので、「四つ玉」より戦略性が桁違いに高い──を始めた。
技術的には二人の腕は拮抗しているようだが、ルシアンの方が相手がやりにくい形にするのが巧い。
二人とも、手球をジャンプさせたり、真上から手玉を突いて回転をかけ、鋭いカーブを描かせたり、もう全開で戦っている。
肩甲骨くらいまで伸ばした栗色の髪をうなじでくくった、どことなく曲者感も漂う、大人の色気たっぷりなルシアンが、腰を半分撞球台に載せて、上から手球を突く。
若々しい魅力にあふれたバティストは、ゆるくカールした黒髪をかきあげながら真剣な表情で、相手の手球をぎりぎりですり抜ける難しいショットを決める。
二人が玉を突く様子は、そのまま絵にしたいくらいだ。
最近王都で増えている、俳優同士の絡みにきゃーきゃー言う令嬢達が見たら、失神しかねないな、とソレルが余計なことを考えていると、もうすぐお茶の時間だ。
せっかく興が乗ってきたところだが、遅れるとイレーナがうるさいとかで、四人でぞろぞろと向かう。




