10.殯(もがり)の部屋
二人は大階段を降りた。
ルシアンが従僕を掴まえ、本館内の鍵を持っている執事を呼んでもらった。
すぐに現れた執事にルシアンが耳打ちすると、大階段の影にある、見落としそうになるほど狭い通路に二人を案内してくれる。
そこから半地下へ降り、さらに幾度も角を曲がった先、いくつか並んだ扉の一つを、執事は開けた。
中は、壁も床も石が剥き出しになった、がらんとした部屋。
広さは、寮の二人部屋くらいだが、家具も絨毯もなにもない。
天井に近いところに、ごく小さな明り取りの窓はあるが、仄暗い。
まるで、遺体安置所のようだ。
「ここ……ですか?」
「そうだ。殯の部屋と呼ばれている。
普段は空き部屋で、死人が出た時に、遺体を仮に安置するのに使われているそうだ」
「えええええ……」
遺体安置所のようだと思ったら、そのままだったとは。
戸惑うソレルをよそに、ルシアンは、小さく「ライト」と唱えて、手のひらの上に魔法の光をともした。
すっと手を動かすと、光はルシアンから離れ、白昼の太陽のように強い光が、正面の壁を斜め上から照らす。
「……あ? これは……?」
壁に浮かび上がったのは、等身大よりもやや大きい女性像。
石の壁を磨いて丹念に平らにし、その上に線刻で描かれているのだ。
女性は花冠を戴き、下ろした両手をゆるやかに広げていた。
「……女神フローラですか!」
「そうだ。精霊達もいる」
ゆっくり光の珠が動いて、側面の壁を照らしていく。
右側の壁にも、左側の壁にも、女神フローラの眷属である花の精霊達が現れた。
こちらは、等身大より小さいくらいの大きさで、手をとりあい、踊りながら女神のもとへと向かっている。
女神や精霊達の描線は、素朴。
巧く描ききれなかったのか、ポーズがいびつになっているところもある。
顔はどれもほぼ同じで、描き分けはされていない。
「これは……誰が描いたんでしょう」
「わからない。いつ描かれたかもわからない。
閣下は、大暗黒期中期の手写本の画風と似ているから、その時期に修道士が描いたのではないかと推測されているが」
「ルシアン卿のお考えは違う、と?」
「いや。私も、その可能性は高いとは思う。
ただ、修道士であれば、もっと女神フローラにふさわしい部屋に刻んだのではないかとも思うんだ」
「あー……
ここはちょっと、じめじめした感じですもんね」
女神フローラは、豊穣をつかさどる春の女神。
しっかり日差しの入る、明るい部屋の方がそれっぽい。
「この地方は魔獣襲来が頻発したから、リシャンディエールは何度も放棄されている。
無人になっていた間に、避難民の一団が入り込み、しばらく隠れ家に使ったこともあっただろう。
階上よりも半地下の方が、安心できる。
半地下に隠れ住んでいた間、心の支えとするために、ここに女神フローラを刻んだ……
そんな経緯もありえるのではないか、とね」
「なるほど。その人達は、どうなったんでしょうね……」
ソレルは、今まで見た中で一番素朴な女神フローラを見上げながら呟いた。
故郷を追われ、魔獣から逃げ延びるために、ただ流浪する日々。
人間同士だって、食料を奪い合い、命を奪い合うのが当たり前の時代だ。
そんな地獄の中で、この像を刻んだ者はなにを願ったのだろうか。
「……わからない。
だが、これだけ彫るには、少なくとも数カ月はかかったはずだ。
その間は、ここで暮らせていたのだろう。
この像が彫れるほどの、余裕もあったはずだ」
過去に思いを馳せるように女神を見上げたルシアンは、ソレルにふと微笑みを向けた。
「もう一つ、不思議なことがあってね。
この区画の小部屋は、皆、倉庫として使われているんだが、この部屋だけはどういうわけか昔から空き部屋だった。
それで遺体を安置するならこの部屋、ということになったのだが。
実は、この線刻が発見されたのは、去年のことなんだよ」
「え? そんな最近なんですか!?」
ソレルは驚いた。
「左様でございます。
御者が急に亡くなり、ここに運んで安置しようとした時に、蝋燭の火がたまたま消えまして。
咄嗟に『ライト』を灯したら、壁になにやら文様が浮かび上がって、大騒動になったのです」
執事が説明する。
小さな窓から差し込む、わずかな陽の光では、線刻は浮かび上がらない。
柔らかな暖色の蝋燭の火で、見えるはずがない。
白くぱっきりした魔法の光でないと、線刻は見えないのだ。
「えええええええ……
じゃあ、この絵があるって、ずっとわかってなかったんですか!」
「そうなんだ。閣下が古資料を確認されたのだが、注記のようなものは一切なし。
別に、伝承もなにもなかったのに、なぜかこの部屋は使われていなかった」
「他の部屋は、随分前に棚を造り付けたりしております。
そうなっていれば、この絵は毀たれ、未来永劫、埋もれたままになっていたことでしょう」
執事が頷く。
「……もしかして、なにも知らなくても、ここには大切なものがあると無意識に伝わったんでしょうか」
「そうかもしれないと、少しだけ思っている。
人の心というものは、不思議なものだからね」
ルシアンは微笑んで、「ライト」を消した。
大階段に戻ると、もう昼食の開始時間を過ぎていた。
そのまま、ルシアンに連れられて昼食用の部屋に向かう。
『撫子の間』は、重厚な正餐室とは違い、明るく居心地良さそうな部屋だった。
本館なので窓は少ないが、小ぶりなシャンデリアがいくつか吊られているし、重々しい羽目板張りの壁の一部も、綺麗にドレープをつけたサテンで覆われているので、圧迫感が少ない。
大理石の大きな暖炉には、撫子の文様が彫られている。
壁際のビュッフェテーブルから、美味しそうな匂いが漂ってきている。
窓側には、カトラリーをセッティングした円卓がいくつか並んでいる。
既に、公爵とイレーナ、フレデリックとバティストが左端のテーブルで、ベアトリスとジョルジェットが真ん中のテーブルに座って食事を楽しんでいた。
軽く挨拶を交わす。
カタリナは、いったん部屋に戻ったが、じきに来るはずだとのことだ。
「ええと……」
まごつくソレルの先に立って、ルシアンはビュッフェテーブルに向かった。
冷製料理は、田舎風のパテ、魚のムース、きのこのオイルマリネ、干しブドウと胡桃を入れたキャロットラペ。
メインの温製料理は、仔羊の煮込み、鴨のオレンジソース、鱒のムニエルと付け合せが並んでいる。
別に、ブリオシュとクロワッサン、バゲット、色とりどりの小さなケーキやマカロン、チーズの類もあった。
ルシアンは、給仕に、好みの料理をいくつか指し、まずは冷製料理を皿に盛らせた。
ビュッフェといっても、高貴な方々は自分で皿を持ったりしないようだ。
ソレルも、慌てて真似をする。
ルシアンにくっついたまま空いている円卓に座ると、すぐに皿が置かれ、飲み物を聞かれた。
「あら、わたくしが最後?」
ワインが注がれたところで、カタリナも来た。
淡いベージュピンクのデイドレス姿だ。
髪は、ハーフアップだが複雑怪奇なかたちに見事に編み込まれている。
遅れてきたのは、昼餐の前に結い直させたのかもしれない。
「そのようですね」
ルシアンが立ち上がって、カタリナを迎える。
カタリナは、そのままソレル達のテーブルに着くと、給仕を呼んで「同じように」と頼んだ。
さすが美食に慣れた公爵令嬢、なにが用意されているのか見もしない。




