9.雨の朝
一服終わったところで、女性陣のところに合流し、しばらくおしゃべりを拝聴して、解散となった。
ルシアン達と一緒に客室棟に戻ったときには、だいぶ眠くなっていた。
かろうじて着替え、寝台に転がり込む。
翌朝、ソレルはいつになく早い時間に眼が覚めた。
枕元に置いた旅行用時計を見ると、まだ6時過ぎだ。
カーテンを開いて外を見ると、雨がしとしと降っている。
天気は残念だが、雨の庭には独特の風情があった。
動物をかたどったトピアリーが配置された幾何学形に区切られた花壇の向こうには、廃墟を模した煉瓦造の壁や柱、アーチがあり、蔓薔薇かなにかが絡みついているのが見える。
その庭園を挟んで、公爵夫妻や親族が使う主棟が見える。
主棟の一番先には、ぐるりとバルコニーが巡らされている。
あそこが、公爵夫妻の部屋なのだろう。
その真下の部屋も、1つ手前の部屋も、テラスから部屋に出入りできるようだ。
ちょっと羨ましい。
ふと、右手を見て、本館の半地下から直接地上に上がれるようになっている階段があるのに、ソレルは気付いた。
上がりきったところで、誰かが跪いているのが見える。
地味な紺のドレス姿だが、公爵家のお仕着せとは違うようだ。
髪は黒だし、クレールだろうか。
東に向かって、祈っているように見える。
東といえば、知識の女神メメンティアが、この世に起きたあらゆる出来事を記し続けているとされる、霊峰エーテルムの方向。
毎朝、クレールはメメンティアに恩寵を願っているのかもしれない。
真面目な人だなと感心しながら、ソレルは流れるように二度寝した。
コンコンと控えめなノックの音で眼が覚める。
はっと時計を見ると、もう9時過ぎだ。
「ど、どうぞ!」
やばっと跳ね起きると、年配の従僕が朝食を満載したワゴンを押して入ってきた。
「おはようございます。
ご滞在中、お世話させていただくロジェと申します。
ソレル様、ご気分はいかがですか?」
「いい感じです!
うわあ……朝から大ご馳走だ……」
ガウンを羽織りながら、もそもそとベッドから出たソレルは、眼を丸くした。
深皿には、ゆで卵とオリーブ、茹でてほぐした白身魚のサラダ。
別途、ドレッシングが2種添えてある。
細切りの野菜がたっぷり入ったコンソメスープ。
カゴに盛った小さなパンとペストリー類。
角切りの果物をたっぷり載せたヨーグルト。
銀色のポットはコーヒーだろう。
ハーブを浮かべた鉱泉水と、いかにも濃厚そうなオレンジジュースのグラスもある。
「別に、卵料理をお持ちします。
オムレツでよろしいでしょうか?
具はラタトゥイユか、ほぐし肉をグレービーソースで和えたものがご用意できます」
「あー……」
それなりに腹は減っているが、普段はバゲットをコーヒーで流し込んで終わりのソレルは迷った。
しかし、オムレツ、めちゃくちゃ美味しそうだ。
「ほぐし肉の方でお願いします!」
「かしこまりました」
テーブルに料理を並べると、ロジェはいったん下がった。
というか、ふと鏡を見ると、ポマードでオールバックにされたまま寝たので、赤毛が四方八方に跳ねたまま固まって、我ながら凄いことになっている。
よくロジェは噴き出しもせず平然としていたなと感心しながら、ソレルはまずはシャワーを浴びた。
朝食をぱくついていると、銀色のドームをかぶせた皿が恭しく運ばれてきた。
ぱか、とロジェが蓋を取ると、バターの香りが立ち上る。
黄金色の卵を割ると、中からグレービーソースをたっぷりまとった、牛肉をほぐした具が溢れ出た。
とろとろの卵と混ぜながら、ソレルは夢中で食べた。
ヤバい。無限に食べられそうだ。
とは言っても、限界はあるもので──
「ごちそうさまでした……」
けふ、と大満足したところで、傍に控えていたロジェがにこにことコーヒーを注いでくれた。
「こういうお城に滞在するのは初めてなんですが。
食事は、どういうスケジュールになってるんですか?
晩餐は20時開始、ですよね?」
この際、話しやすそうなロジェに確認しておく。
「朝食はそれぞれのお好みでお運びして、昼餐は本館2階の『撫子の間』と呼んでおります部屋で、ビュッフェで供しております。
閣下が、堅苦しいのを好まれないもので。
時間は12時から14時、お好きな時にいらしてください」
「あ、はい」
本来は昼食も、晩餐ほど形式張っていなくとも、着席してサーブしてもらうものらしい。
公爵がビュッフェにしておいてくれてよかった。
「お茶の時間は、16時あたりから。
本館2階の『雛菊の間』にご用意いたします。
そのほか、お飲み物や軽食などの御用がありましたら、随時、そちらのベルでお呼びください」
ロジェは、ベッドの脇を指した。
タッセルのついた珠が、壁から吊り下げられている。
壁の中を通したワイヤーで、使用人の控室のベルが鳴るのだろう。
「ご丁寧に、ありがとうございます。
まごまごして、わけがわからないことをするかもしれませんが、よろしくお願いします」
へこっと頭を下げると、「どうぞ、ご自宅のように気楽になさってください」とロジェはにこやかにお辞儀を返した。
「今日は、残念なことに雨ですね。
リュイユール伯爵閣下が、ソレル様のお支度が済みましたら、本館を案内したいとおっしゃっていました」
「ええええええ!? そ、それは急がないと!」
「いえいえ、ごゆっくりとのことでしたので」
とはいっても、彼を待たせるわけにはいかない。
ロジェがワゴンを下げると、入れ違いにアドバンが現れた。
じろりと、ふわっふわになった赤毛を睨む。
「……案の定、自由闊達に爆発させていますね。
お召し替え、お手伝いさせていただきます」
ソレルは、またまたポマードをたっぷり塗りつけられ、首元をがっつり締め上げられることになった。
今回は、前髪を斜めに流してがっちがちに固められてしまった。
支度が終わって外に出ると、客室棟の小サロンで、ルシアンが雑誌をめくっているのが眼に入った。
ソレルと同じく──といっても、生地の艶が全然違うが──生成りの麻のスーツ姿だ。
長い脚を軽く組み、ほのかに微笑みを浮かべている様は、いかにも優雅な紳士といった風情で、そのまま一幅の絵になっている。
「おはようございます、ルシアン卿」
そっと声をかけると、「おはよう」とルシアンはにこやかに返して、立ち上がった。
すっと一礼して、アドバンはどこかに消えてしまう。
「ここは庭園も素晴らしいんだが、この天気だからね。
本館をぶらぶら見学するのも、良かろうと思って。
ソレル君、つきあってくれるかな?」
ルシアンは、本館の方へ歩き出した。
「も、もちろんです。ですが、ルシアン卿はもうご覧になっているんじゃ」
「公爵閣下に、一通り見せていただいた。
大筋、把握したと思うんだが、人に説明することで、自分の理解が深まることもある。
それに、閣下はレディ・カタリナと展覧会の打ち合わせで忙しいようだし」
少し拗ねたような口ぶりだ。
要は、暇を持て余しているのだろう。
「なるほど……では、お供します」
というわけで、昨日、ざっくり説明してもらった部屋を、ソレルは巡った。
玄関ホール。
そこまで広くはないが、立派な雰囲気の謁見室。
初代国王夫妻の肖像画が、どどーんとかけられた応接間。
華やかな内装の舞踏室。
そして、細長いギャラリーには、さまざまな絵画や彫刻が飾られていた。
絵画の多くは、名の知られた画家が描いた歴史画。
部屋の真ん中に並べられた、ガラスケースのついた平台には、公爵が蒐集している手写本が並んでいる。
歴史画は、有名な魔獣との戦いを描いた大作が多い。
「エルデ陥落」「ローデオン攻防戦」「大聖女ギネヴィアの奇跡」──
時代や、場所は違っても、描かれるのは似たようなものだ。
逃げ惑う無辜の民。
その多くは傷つき斃れ、あるいは生きながら喰われようとしている。
魔獣の群れに立ち向かい、押し返そうと奮闘する騎士達。
そして、強大な魔法を駆使して、魔獣を殲滅しようとする魔導師達。
空に浮かんだ巨大な魔法陣から、光の矢が今にも魔獣の群れに降り注ごうとしている瞬間を描いた作品もある。
「あれ? このあたりはリシャンディエール城の絵なんですね」
見たような丘の上に、見たようなシルエットが描かれた作品が、何点か並んでいる。
「そうだ。これは、過去の姿を想像した絵だがね」
ルシアンは、その中の一枚を指した。
馬車から見た風景そっくりだが、城ではなく修道院が描かれている。
「もともと、大暗黒期以前、ここは大修道院だった。
魔獣襲来が頻発するようになって、避難所として整備し、やがて籠城もできる巨大な砦に改修された。
大暗黒期の末、この地に進出した王家が手に入れ、防衛拠点として強化するべく城として整えた、と」
ルシアンは、順々に絵を指していく。
角度を変えて、主棟や客室棟がつけくわえられた、現在の姿を描いた作品もあった。
「なるほど……
歴史の積み重ねで、今のリシャンディエール城があるんですね」
玄関ホールが妙に武張っていた理由が、ようやくわかった気がする。
「と、いうことだ。
数十年前、防衛拠点としての役目は終わったから、廃城にしようという議論もあったそうだが、王家の居城の一つとして遺すことになって本当に良かったと思う。
ああそうだ。この城で、もっとも価値のある遺物も見に行こう」
「え。まだ凄いお宝があるんですか?」
「いや、今のところ金銭的な価値は、まったくない。
だが、この上なく貴重なものだ」
謎めかして言うと、ルシアンは微笑んだ。




