タイムリープ
景色は目まぐるしく変化する。
何の感触も伝わってこない道を、僕は辿る。音はなく、とても静かだ。暑くも寒くもない。どれだけ歩き続けても、ちっとも疲れない。
小松原さんへ宛てた手紙のことを考えた。
僕の部屋に置いてきたそれを、彼女は見つけてくれただろうか。あるいは未来が書き換わった影響で、手紙はもう消滅しているかもしれない。
このタイムリープで、僕は大切な人たちの過去を変える。
過去を変えれば、未来も変わる。新しい未来では、小松原さんと僕は出会わないかもしれない。僕自身、どんな状態になっているかもわからない。僕という人間が存在しなくなる可能性だってある。
それでもいい。
小松原さんが笑って過ごせる未来が訪れるなら、僕自身どうなったって構わない。
深夜の病室で、桐丘は僕にタイムリープの方法を示唆した。
自殺に失敗すること。
それを実行する資質が僕にあると、桐丘は見抜いていた。
父や祥子さんとの関係に悩んでいた時期は、度々考えていた。
死んでしまえば楽になれるのかな。
一時の気の迷いだった。しかしあの頃確かに、僕は死に焦がれていた。
小松原さんもそうだったのだろう。
美南さんを傷つけた罪に苦しみ、現実から逃げたいと思った瞬間が、あったのかもしれない。
同じく裕司も、困窮から一家心中を考えていた。
小松原さん、僕、裕司。
死を意識し、自ら近づこうとした三人。
それが僕たちの共通点であり、桐丘を視認する条件だった。
一度でも死に魅せられた経験があるならば、踏ん切りをつけるのは容易い。
だから僕は実行できた。
真冬の川に身を投げて、見事生死の淵をさまよった。肉体はまだ生きているはずだけど、そこに僕の精神はない。
肉体を持たない今の状態を、桐丘は思念と表現していた。
ではさっきから歩き続けている僕のこの体は、なんなのだろう。思念が実態化した、仮の肉体というものだろうか。
とにかく僕はタイムリープの世界に入りこんだ。
もっと超人的な力で、念じた瞬間にスパッと目的の時間に飛べると想像していたが、実際やってみると、タイムリープの工程は地味で、現実的な色合いが強かった。
目標とする過去まで、自らの足で歩いていく。
僕を取り巻く景色が変化するのは、過去の場面が流れていってるからなのだろう。
僕は安在さんが命を落とす日まで移動した。裕司が加納さんのロッカーから盗みをはたらく日まで移動した。
はなから小松原さんと桐丘が対面する場面まで移動して、彼女が能力を使うのを阻止するのが、簡単な方法だろう。そうして変化させた未来では、安在さんも裕司も、幸せな毎日を送っているかもしれない。僕が過去の世界で二人を救ったことは、無駄になるかもしれない。
それでも、僕は二人を救いたかった。起きてしまった不幸な出来事を、取り消しておきたかった。
この後は、美南さんが事故に遭うのを阻止しよう。
事故が起きなければ、小松原さんと美南さんの仲はこじれない。二人はずっと仲の良い姉妹のような関係を続けられる。
だが、あるところまで来ると、強い力が僕を阻んだ。前へ進もうとしても、押し返されてしまう。透明な膜でも張られているみたいに、そこから先へは進めなくなっていた。
これが桐丘の言った、「二年以上前には戻れない」という感覚なのだろうか。
ぞわぞわと全身の毛が逆立つような感じがして、落ち着かない。胸騒ぎというやつだろうか。意識の奥で、今すぐ引き返せと警報が鳴った気がした。僕はそれを無視する。
行く手を阻む見えない膜へと、一歩踏み出す。タイムリープの空間では痛みも苦しみも感じないことを逆手にとって、僕は無茶をした。体全体をねじこむようにして、無理やり進んだ。そんなことを続けるうち、ふっと何かが体から離れた気がした。それは空中ブランコでいえば命綱、ヘンゼルとグレーテルの物語でいえば道しるべのために落とした小石。そういった類のものを失ったのだと、僕は理解した。
これでもう完全に、現在へは戻れなくなった。
僕に残されたのは、過去へと遡る道のみだ。
■ ■ ■
美南さんを事故から救い、僕は再びタイムリープの空間に戻った。
さらに道を進む。
次はいよいよ、小松原さんが桐丘の感覚を消し去ってしまった日へと向かう。




