くろ色の日(1)
担任の小林先生は憔悴しきった様子で、生徒たちに安在さんの死を告げた。
安在さんは昨夜、路上で頭から血を流して倒れているところを、通りかかった近所の人に発見された。帰宅途中だったらしい。病院に運びこまれて間もなく、息を引き取った。
教室のあちこちから、嗚咽が上がった。そんな中、突然けたたましい音が響いた。
見ると、小松原さんが床に倒れこんでいた。傍らでは、彼女の座っていた椅子が横倒しになっている。
「想乃!」
近くの席にいた矢田さんが、急いで駆け寄っていく。小松原さんは気を失い、椅子ごと倒れたのだった。
矢田さんと小林先生が呼びかけると、小松原さんはゆっくりと瞼を上げた。
「大丈夫です」
と答える声が、弱々しい。その顔は完全に血の気が失せている。
「少し休んだほうがいいな。矢田、保健室まで付き添い頼めるか?」
先生に言われ、矢田さんはまだふらつく小松原さんを支えた。
寄り添うようにして教室を出て行く二人の姿を、僕は目で追い続けた。
夏の自然教室をきっかけに、小松原さんは安在さんと親しくなっていた。休日に小松原さんが僕の誘いを断るのは、決まって安在さんとの約束があるときだった。安在さんの家にもたびたび招かれていたらしく、彼女の両親からも小松原さんは可愛がられていた。安在さんの両親からプレゼントされたというマグカップを、大事そうに使っているところをよく目にした。
友人の中でも、小松原さんが特に心を許していた相手が、安在さんだった。
その安在さんが、通り魔に襲われ亡くなった。
衝撃に耐えきれず、小松原さんは気を失ったのだろう。
もちろん、ショックを受けているのは小松原さんだけじゃない。クラスメイトは全員、安在さんの死に打ちのめされた。
いつも明るく、誰に対しても公平な態度で接する安在さんを、嫌う人間などいなかった。安在さんはみんなから好かれ、頼られていた。教室の中で、裕司が周囲を和ませるムードメーカーなら、安在さんはみんなの良心だった。いつも周りをよく見て、他人の幸せを願っていた。とても優しい人だった。
朝のホームルームを終えると、全校生徒が帰宅を言い渡された。
一向に解決の兆しを見せない連続通り魔事件に、ナーバスになっている時期だった。在校生が被害者となった今、学校が慎重な対応を取るのは当然のことだった。
寄り道はしないように、帰宅後もむやみにひとりで出歩かないようにと、僕たちは厳しく注意を受けた。明日以降も授業時間を短縮し、下校時刻を繰り上げるという措置が取られる。状況が落ち着くまで、部活動は一斉停止だという。
「家まで送るよ」
保健室まで小松原さんを迎えに行き、一緒に校門を出た。少しは休めたのか、小松原さんの顔色は回復していたが、表情はなく、足取りはおぼつかない。
丁字路に差し掛かったところで、自販機の陰から美南さんが飛び出て来た。
「ジャーン!」
という効果音を口にしながら、両手を広げて見せる。いつもよりテンションが高い。
「おつかれー」
美南さんは右手に通学鞄を提げていた。
「会えて良かったあ。ここで待ってて正解だったよ。想乃んとこもやっぱり学校終わりなんだね。うちもね、今日はもう一斉下校になっちゃったんだ」
美南さんは弾んだ声で言った。
「なんかこの辺りの学校どこもそうみたいだよ? ほら、通り魔事件のせい? でもちょっとラッキーだよねえ。学校休みになるなんて」
まさか従姉の友人が通り魔に殺害されたと知らない美南さんは、やけに浮かれていた。授業が潰れたと喜んでいる。
「クラスの子たちはね、学校出てそのまま遊びに行っちゃった」
美南さんは人気のテーマパークの名前を口にした。平日だと入場料が安くなるので、クラスメイトたちはチャンスとばかりに、連れ立って出かけたのだという。
「わたしも誘われたんだけど、断ったんだ。想乃に勉強教えてもらおうかなと思って。ほら、一応受験生だしね。でも勉強の前に、パンケーキ食べ行こうよ。平日だからお店空いてるよ、きっと」
美南さんは小松原さんの腕を取ると、甘えた仕草で揺り動かした。
「ねえ、いいでしょう? パンケーキ」
「だめだよ、美南ちゃん。危ないから真っすぐおうちに帰らないと」
小松原さんは力のない声で答えた。
「やだ、もしかして通り魔を気にしてる? 平気だよ。夜にひとりで出歩くわけじゃないんだから」
身近で起きている事件なのに、美南さんは驚くほど楽観的だった。自分だけは被害に遭わないだろうという、根拠のない自信が窺える。当然のように、被害者を気遣う言葉もない。
安在さんと面識のない人にとっては、所詮その程度の出来事なのだろうか。人がひとり、死んだというのに?
強い憤りを感じた。僕は咄嗟に、美南さんを非難する言葉を発しようとした。だが途中で思いとどまった。
僕に、美南さんを責める資格はないと気づいた。
被害者が安在さんでなければ、僕だって今頃、美南さんのようにはしゃいでいたかもしれない。この機会を逃す手はないと、どこかへ遊びに出かけたかもしれないのだ。
少し考え、僕は美南さんに声をかけた。
「そうだとしても、毎回通り魔が出るのが夜だとは限らないよ。小松原さんの言う通り、今日のところは家に帰ったほうがいい。何か起きてからじゃ遅いんだから」
「ええー?」
美南さんは不服そうに唇を尖らせたが、僕たちが真剣な顔でうなずくのを見て、
「もう、二人とも真面目だなあ」
絡めていた腕をしぶしぶほどき、小松原さんから離れた。このままおとなしく家に帰ると約束してくれた。
美南さんがきちんと自宅の方向に歩いて行くのを見届けてから、僕たちは小松原さんのアパートに向かった。
美南さんと話している間は気を張っていたみたいだが、別れた途端に小松原さんはまた抜け殻のようになってしまった。
運動公園に入った。少し進むと、林が見えてくる。僕が初めて桐丘を目撃した場所だ。ここを過ぎれば、小松原さんのアパートまではもう目と鼻の先。
園内では、誰ともすれ違わなかった。
カラフルな色で塗られた遊具も、今日は心なしか暗く沈んで見える。
僕たちは黙々と足を動かした。




