思いがけない日(1)
「どうして……」
はっとして、僕は空を仰いだ。手のひらをかざしてみたけれど、水滴は落ちてこない。雨は降っていない。
ならば、なぜ桐丘はここにいるのか。なぜ僕の傍に姿を見せた?
雨が降るときに限り、桐丘は小松原さんの前に現れる。僕が知る限り、この法則が破られたことはない。
慌てて周囲に目を凝らした。桐丘が狙うのは小松原さん。ということは今この場所に、彼女が来ているのだ。
「小松原さん! どこにいる!」
呼びかけに反応する声はない。周囲に人の気配も感じられなかった。
立ち上がり、尚も声を張り上げた。
「小松原さん!」
近くにはいないのか? この状況はなんだ? 一体、何が起きている?
混乱する僕を、桐丘は冷静に観察している。
最悪の想像が、頭をよぎった。
「まさか――」
僕が桐丘の出現に気づく以前に、小松原さんと桐丘は相対していた?
すでに桐丘は彼女への攻撃を終えている?
雨の間、小松原さんは桐丘を警戒し続けている。だからまともに攻撃をくらうことなど考えられない。
だがイレギュラーの発生までは、考えていなかっただろう。
予期せぬ攻撃に対し、平時の反応できなかったとしたら?
小松原さんは深手を負ったのかもしれない。
僕の呼びかけにも答えられない状態で、今このとき地に伏しているのかもしれない。
「たぶん違うよ」
桐丘が言った。猫の舌を連想させる、ざらついた声だった。
「え?」
「たぶんだけど、君が想像しているのとは違う。雨は降っていないだろう? 小松原想乃は今頃、テントの中で眠っているはずだ。今日俺は、小松原想乃ではなくて、君に会いに来たんだ、的場綾人」
「どうして僕の名前を」
「この間のことを謝りたくて。綾人の腹に穴を空けたこと。本当にごめんなさい」
桐丘は座ったままで、ぺこりと頭を下げた。
僕は初めて、攻撃以外の動作をする桐丘を目にした。
「痛かったでしょ? ごめんね」
僕は黙って桐丘を睨みつけた。
「ねえ、俺を怖がらないで。何もしないよ。だから、ね? 座ろう?」
懇願するように言われ、僕は迷った末、桐丘から距離をおいて腰を下ろした。桐丘の口からふうっと息が洩れるのを聞いた。まさか僕に謝るのに、緊張でもしていたのだろうか。
僕はそっと桐丘の様子を窺った。薄闇の中で、桐丘の白い髪は発光しているように見えた。乾いた皮膚、骨ばった身体。攻撃のとき、独特の凄みを放っていた瞳も、改めて見れば、老人めいた疲れのようなものがにじみ出ていた。反面、口調や仕草からは幼さが感じられた。外見と中身で、ちぐはぐな印象な受ける。
「痛かったです」
僕は慎重に発言した。
「あなたに撃たれて、すごく痛かったんですよ」
「ごめんね」
「そんな軽く謝らないでください。僕、死にかけたんですから」
「許してね」
「何言ってるんですか。そんなすぐには許せませんよ。まあ、あなたからしてみれば勝手に飛び出して来た僕も悪いのでしょうけど」
「ううん、綾人は何も悪くないよ。撃ったのは俺だから、俺が悪いんだよ」
「悪いってわかってるなら、どうしていつも小松原さんを狙うんですか?」
「ごめんね、痛い思いさせちゃって」
「あの、それはもういいです。それより答えてください。どうしてあなたは小松原さんを狙うんですか?」
「でも、ちゃんと治してもらえたんでしょ?」
「え?」
「腹の穴、小松原想乃に治してもらったんじゃないの?」
その問いを耳にした瞬間、足元からぞわぞわと、不快なものが這い上がってきた。
桐丘は、小松原さんに治癒能力があることを知っているのだ。
「まさか……そういうことですか?」
僕は再び、桐丘を睨みつけた。
「怪我をしても死にかけても、自分で治せるから? 傷ついても必ず治るなら、損はないと? だからあなたは小松原さんを襲う。そういうことなんですか?」




