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疑われる日(2)

 安在さんの登場で、場の空気が変わった。

 ここまで無関心を決め込んでいたクラスメイトたちは、恥じるように視線を落とした。


 そういえば、安在さんは今までどこにいたのだろう。

 僕が教室に来たとき、彼女の姿はなかったような気がする。はじめから安在さんが教室にいたのなら、加納さんたちもこんな騒ぎを起こさなかったかもしれない。


「大丈夫?」 

 安在さんはそっと小松原さんに声をかけた。それから改めて、加納さんたちを睨み渡した。

「どうしてこんなことしたの? わたしが戻るまで、この件はすすめないでって言ったじゃない」


 どうやら安在さんは、早くから事情を把握していたみたいだ。


「だって、絵里奈どっか行ったきり、なかなか戻ってこないんだもん。わたし、不安になっちゃって」

 加納さんはそっぽを向いた


「だからって、さっきみたいなやり方は良くないと思うよ。みんなでよってたかってひとりを責めるなんて」

「追い詰められなきゃ、自白しないもんでしょ?」

「どうして小松原さんが盗ったなんて決めつけるの?」

「それは、状況的に小松原さん以外ありえないから」

「ありえないって、本当に言いきれるの?」


 安在さんが静かに問いかけると、加納さんは一瞬息を呑んだ。それから少し子どもじみた口調で、

「ていうか、そもそも犯人じゃないなら、もっと堂々としてるはずじゃん! びくびくしてるから疑われるんだよ! やっぱりやましいことがあるからそんな態度なんだって」

 と言い返す。


「そりゃあびくびくだってするよ! 取り囲まれて、あっちからもこっちからも責められたりしたら怖いからね」

「何それ? じゃあわたしらのほうが悪いっていうの? 普段から怪しまれるような態度してるほうにも原因があるんじゃないの?」


「そ、そうだよ」

 矢田さんが加納さんに加勢する。

「小松原さんも本当に盗んでないなら、変に黙ってないでさ、もっとはっきり自分は犯人じゃないって言えば良かったじゃん!」


 間髪入れずに、安在さんは言い返した。

「言えば、真緒たちは聞き入れたの? 本当ははじめから小松原さんの話を聞く気なんてなかったんじゃないの? だからさっきみたいなやり方で小松原さんを責めたんでしょ?」


 厳しい指摘に反して、安在さんはとても悲しそうな顔をしていた。

 クラスメイトの対立に、心を痛めているのが伝わってくる。


 加納さんたちは揃って黙りこんだ。

 静まり返る教室。


 安在さんは我に返ったように、

「ごめん、わたしこそ今決めつけるような言い方しちゃったね」

 と謝り、加納さんをフォローした。

「真緒が焦る気持ちもあるのにね。ごめんね」


「みんなから集めたお金だから、早く取り戻さなきゃって……」

 加納さんがぼそぼそと言った。額にかいた汗を拭う指先が、かすかに震えている。


 はっと、僕は胸を突かれた。

 もしかしたら、加納さんは昨日からずっと怯え続けているんじゃないか。

 プレゼント代を集めていたのは加納さんだ。お前の管理が悪いから盗まれたんじゃないか。そんな声がいつクラスメイトの間から上がるかと、気が気でないのだろう。


「先生のお祝いとか、本当ならクラス委員のわたしが先に気づいてみんなに声かけるべきだったよね。真緒は優しいから、わたしの仕事が増えないように気を回して、発案者になってくれたのかな」

「ううん、違うよ。わたしが好きではじめたことだし」

「そっか。真緒、普段からクラスのこととかよく考えてくれるもんね」


 安在さんは加納さんを認めた後で、穏やかに言った。

「だから尚のこと、真緒には疑いを持ってほしくないんだ。この教室の中に、みんなのお金を盗むような人はいないって、信じてほしい」

 それから小松原さんに向き直ると、

「もう大丈夫だからね」

 目配せをして、小さな手帳を開いた。

「さっきまで他クラスの友達や先輩に訊いたり、調べて回ってたんだ。昨日の五限、小松原さんの他に、隣のクラスでも体育の途中で早退した子がいるよ。それから――」


 安在さんの調べで、盗難のあった時間、一年五組が自習だったことがわかった。自習監督の先生が教室にいたのは、最初の十分間だけだという。つまりやろうと思えば、五組の生徒も、無人だったこの教室に侵入できた。


「それにね、生徒の中に犯人がいるんだとしても、わたしたちと同じ学年とは限らないよ。先輩に訊いたけど、二年生は昨日の五限、選択授業だったんだって。あちこち教室移動があったから、ひとりや二人授業を抜けても、誰も気づかなかったんじゃないかな。こっそりうちの教室に侵入した人がいたのかもしれない」

 そこでぱたりと手帳を閉じ、安在さんは顔を上げた。

「どうかな? 昨日の五限、真緒のロッカーからお金を盗めたかもしれない人は、学校にたくさんいるんだよ。この短時間に調べただけでも、五組の生徒や二年生にだって犯行は可能だったってわかった」


「てことは要するにさあ、疑わしい人が増えて解決が無理めになったわけじゃん?」

 矢田さんが言いにくそうに口を挟んだ。

「絵里奈が色々調べてくれたのには感謝だけど、情報が増えたせいで望みが持てなくなったというか……」


「犯人、見つけられるのかな」

 矢田さんの横にいる、髪を頭の上のほうでひとつにまとめた女子がぽつりとこぼした。


 安在さんは励ますように言う。

「犯人の特定は正直、難しいと思う。悔しいけど。でもこの教室の中に盗んだ人がいるって考えるより、別のところに疑わしい人がたくさんいるほうが、わたしはいいと思うな。だってこのクラスでまだ十ヶ月近く過ごすんだよ? このギスギスした空気のまま十ヶ月なんて、想像しただけでしんどくない?」

 だから、こう考えるのはどうかな、と安在さんは提案した。

「このクラスに盗みをするような人はいない。今回のことは、どこかの心の貧しい人がやったことなんだよ」


 誰かひとりが傷つくような結論を避け、みんなが等しく痛みを負うことを選ぼうというのが、安在さんの考えのようだった。

 プレゼント代はひとり百円。どこかの誰かが悪い気を起こしたせいで、僕たちのクラスは全員等しく百円を失った。ショックではあるが、全員が被害者だと考えれば、傷は浅い気がする。自分だけが損をしたのではないのだからと、折り合いをつけられる。


「あれ? でも待って」

 何か気にかかることがあるらしい、矢田さんが首をひねった。

「真緒がプレゼント代集めてたこと知ってるのは、このクラスの人だけだよね?」


 教室のあちこちから、あっという声が洩れた。

 みんなで小林先生の誕生日をお祝いしよう。

 加納さんがそう提案したとき、クラス全員で話し合った。せっかくだからサプライズで祝おう。そのほうが断然盛り上がるに違いない。

 僕たちは、当日まで計画についても洩らさないことを取り決めた。どういったルートで小林先生の耳に入るかわからないから、家族や友達にも誕生祝いの件は秘密だ。

 クラス外の人間は、プレゼント代の存在を知らない。

 知らなければ、そもそも盗みに入ろうとは考えないんじゃないか?


「となると、やっぱり怪しいのは……」

 ちらりと、矢田さんが小松原さんほうを窺う。


 再び教室に緊張が広がりかけたとき、ひとりの男子が手を上げて発言した。

「あ、はい。えーっと、犯人がプレゼント代を狙ってたと決めつけるのは、おかしくない?」


 その隣で、別の男子がうなずく。

「ああ、そうだよな。最初は普通に財布とか狙って、無人だったうちの教室に忍びこんだのかもしれないじゃん。それでたまたま加納のロッカーから誕プレ代を見つけて盗んだのかも」


 すると今度は女子のひとりが、

「そういえば先月、うちの部室から財布が盗まれたことあったんだ。もしかして今回も同じ犯人なんじゃない?」

 と言い出した。


 なぜもっと早く、その情報を明かしてくれなかったんだ。

 僕は歯ぎしりしたい気分だった。 

 早い段階で他にも盗難騒ぎがあったと判明していたら、小松原さんが疑われる状況にはならなかったんじゃないか。


 クラスメイトたちの声が大きくなる。


「常習的に盗みとかやってる人が、生徒の中にいるのかもね」

「ヘアピン使えば、ロッカーの鍵なんて簡単に開けられちゃうしね」

「え、そういうもんなの?」

「うん。中学のとき部室のロッカーの鍵なくしちゃったことがあってね、器用な子がヘアピンで開けてくれたよ。その子が言うには、コツさえ掴んじゃえば、こんな鍵簡単だよーって」

「加納さんも運が悪かったね。普通はさあ、鍵のかかるロッカーに保管しとくのが一番安全と思っちゃうもんね」

「それで、どうするよ? プレゼント代集め直すの?」

「あ、俺今百円持ってるよ」

「わたしもある。ねえ、もう一回みんな百円ずつ出そうよ。やっぱりサプライズでお祝いして、コバセン驚かせたいし!」


 少しずつだが、いつもの活気が戻って来た。


「じゃあプレゼント代は集め直しってことでオッケー? また加納さんにところに集めるのでいいかな?」

「う、うん」


 加納さんがうなずき、これで解決だと、みんなは考えたのだろう。教室の空気がゆるむのを肌で感じた。またたくまに日常がかえってくる。他愛のないお喋りが飛び交い、あちらこちらで笑い声が上がる。

 その光景を、僕はむかつきを覚えながら眺めた。

 誰もが、さっきまで出来事を忘れたように振る舞いはじめていた。


 僕は小松原さんのほうへと視線を動かした。

 彼女と目が合った瞬間、腹の中で何かが燃え上がるのを感じた。


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