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弟と過ごす日(2)

 学校から帰ると、部屋の前に蒼介が座りこんでいた。


「おかえりー」

 目が合った瞬間、蒼介は立ち上がり、満面の笑みを浮かべた。


「ただいま」と答え、僕はすぐさま尋ねた。

「今日はどうしたの?」

 蒼介が僕の元へ来るのは、祥子さんと喧嘩したときと決まっている。

「喧嘩の原因は?」


 蒼介は笑顔のまま、首を振った。

「違うよ。今日は喧嘩してない」

 そうして「ジャーン」という声とともに、スーパーのビニール袋を掲げてみせた。


「おつかいでも頼まれたの?」

「違うよ。さっきそこのスーパーで材料買って来たんだよ。今日は俺が兄ちゃんに焼きそばを作ってあげようと思って」

「へえ」


 僕はしげしげと蒼介を見下ろした。

 蒼介が料理をする。聞きなれない言い回しだ。どういう心境の変化だろう。蒼介はちょっとしたお手伝いはおろか、脱いだ靴を揃えることさえ面倒がる性分だ。まさか自ら包丁を握ろうとするなんて、想像もしていなかった。


 驚きつつ、

「うれしいな。ありがとう」

 蒼介の頭をわしわしと撫でた。


「俺、ひとりでやるからね」

 部屋に入るなり、蒼介は宣言した。

「兄ちゃんは何も手伝わなくていいからね。向こうで本でも読んでて」


「わかったよ。じゃあ頼むな」

 そう返したもののやはり心配で、僕はちらちらとキッチンの様子を盗み見た。形だけ本を開いて、実際は一行も読んでいない。


 蒼介は慣れない手つきで、キャベツを切る。肉のパックを開けて、「うわ、この肉長い。最初からカットされてあるやつじゃないのかよ」と慌てる。「もやしって洗ったほうがいいのかな」とつぶやきながら、首をひねっている。


「いつも家で焼きそば作ったりしてるの?」

 タイミングをみて、蒼介の背中に問いかけた。

 今日の蒼介は様子がおかしい。何を考えて、突然料理なんかはじめたのだろう。


「うん、何回か作ったよ。お父さんもお母さんもすごい上手だって、びっくりしてた」

「そうか。楽しみだな」

「兄ちゃん、お腹空いてる?」

「空いてるよ」

「もうすぐできるから待っててね」

「じゃあ僕はその間、洗濯物でも畳んでようかな」


 ちっとも集中できないため、読書は諦めることにした。朝に部屋干ししておいたシャツが、たぶん乾いているはずだ。アイロンでもかけておこう。

 ハンガーに手を伸ばしたとき、慌てふためいた様子で蒼介が駆け寄って来た。手には包丁を握ったままだ。みぞおちの辺りがひやりとする。


「包丁持ったまま走らないで」という僕の声を無視して、蒼介はむず痒そうに言った。

「それ、後で俺がやるからいいの!」


「え? やるって?」

「だからあ、アイロンがけ! 俺がやるの! シャツ、そのままにしといてよ。兄ちゃんは何も手を出さないで。お願いだからゆっくりしてて。お風呂掃除だって俺がするし、焼きそば食べ終わったら食器も俺が洗うんだからね」

「え? あ、うん」


 呆気にとられる僕を残し、蒼介はキッチンへと戻っていく。直後、「うわあ、焦げてる!」という声が聞こえてきた。それから何かを床に落としたらしい、けたたましい音が響いた。


 結局、食卓には黒焦げの焼きそばが上がった。


「おいしいよ」

 僕は言った。お世辞ではなく、本当においしかった。たぶん僕の舌は、弟が一生懸命作ってくれたものならすべておいしく感じてしまう性質なのだろう。


 蒼介はしょんぼりしていた。

「嘘つかなくていいよ。焼きそば失敗だよ。おいしくないでしょ?」


「おいしいよ」「おいしくない」言い合ってもきりがないので、少し話題を逸らすことにした。


「そういえば、どうして急に焼きそば作りに来てくれたの?」

「え、迷惑だった?」

「ううん、全然迷惑じゃないよ。だけど、なんでかなって」

「なんでって……」

「だって蒼介、ついこの間まで包丁握ったこともなかっただろ」


 家庭科の調理実習では包丁使ってたよ。そう反論してから、蒼介は言った。

「俺が料理できるようになったらさ、兄ちゃん助かるかなって、この前ちょっと考えたんだ」


「ん? 僕が? なんで?」

「俺が兄ちゃんの代わりにごはん作るの。だって兄ちゃん毎日ごはん作るのとか、大変でしょ?」


「いや」

 食事作りを負担に感じたことはない。むしろ料理をしていると心が安らぐくらいだ。

「僕、ごはん作るのは好きなほうだから」


「じゃあ掃除は? 兄ちゃんの代わりに俺が掃除するよ。これからはどんどん頼っていいからさ。俺、洗濯だってできるよ」


 次第に声を大きくする蒼介に向かって、落ち着けという意味で両手を広げてみせる。

「どうしたんだよ、蒼介。今日なんか変だぞ」


 蒼介は不貞腐れた顔になって、口をつぐんだ。


「手伝いをしてくれるのはありがたいけど、蒼介には他にやらなきゃいけないことがたくさんあるんじゃないの?」


「そんなのないよ。だから俺、学校終わったら毎日ここに来て、兄ちゃんのごはん作るから」

 真剣な面持ちで、蒼介は訴えた。


 胸の内にむずむずしたものが走る。申し訳なさでいっぱいになった。弟は優しい。こんな兄のことなんか放っておいてくれていいのに。

 親切にしてくれなくていい。

 僕は君のお母さんを、深く傷つけたのだから。


「うん、ありがとう」

 感謝を口にした後で、慎重に続けた。

「だけど本当に、手伝いはいらないんだ。蒼介は宿題やったり友達と遊んだり、好きなことに時間を使ったらいいよ。こうして時々蒼介が元気な顔を見せてくれるだけで僕は十分うれしいし、助かってるんだから」


 僕が言葉を切るのと同時に、蒼介が叫んだ。

「だめだよ、そんなの! それじゃあ今までと何も変わらないよ!」

 蒼介は目にいっぱいの涙を湛えていた。

「俺たち兄弟なのにさ、俺だけ何もしないで遊んでばっかりだったじゃん。兄ちゃんはいつも家で掃除とか洗濯とか手伝いいっぱいしてたのに。なんかさあ、こういうのって、ふこう――」


 蒼介が言葉を詰まらせたので、

「不公平?」

 僕はそっと問いかけた。蒼介が小刻みにうなずく。

「そう、不公平」


「なんだ、そんなこと気にしてたのか」


 蒼介の言い分を聞いて、おおよその流れが想像できた。

 実家にいたとき、僕は祥子さんへの対抗心に燃えていた。彼女が畳んでくれた服を目の前で畳み直し、掃除してくれたばかりの部屋をこれみよがしに掃除し直した。

 そんな姿を見て、蒼介は僕が家の手伝いをしていると思いこんできたのだろう。そして何かのきっかけで負い目を感じるようになり、さっきのような過剰な気遣いへとつながったのだ。


「洗濯も掃除も僕が勝手にやってただけだよ。蒼介が気にすることじゃない」

「それなら、どうして兄ちゃんは家から出ていっちゃったの?」

「え、どういうこと?」


 なんで今そんな質問が出てくるのだろう。


「わかってるよ。俺のせいなんでしょ? 俺だけ何も手伝いしないで遊んでばっかりでさ、ずるかったから。だから兄ちゃんムカついて家を出たんでしょ? 兄ちゃん本当は俺のこと嫌いなんでしょ?」


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