光と闇が還る場所。
余りの威力に、最下層から順に崩れていく迷宮。かつてのエルフの都市、文明の跡地、そして今や冒険者達の狩場でもあるそこは、終わりを迎えようとしていた。
「あぁ……お主の予想通りであったな。死神よ」
火竜の背中にしがみつき、迷宮よりも遥か高みに浮かび上がっている司祭。眩い光と共に、自分達の近くに同じ様に転移してきた死神とアリシアを火竜に指示を出して空中で回収する。同時に頭に装着していた輪っか状の兜が音も無く崩れていく。空間転移の魔法が込められている兜の一種だ。本来は転移の魔法はそれだけで術者の身体に負担を掛ける。その反動すら飲み込んで代わりに壊れるという使い捨ての術具だ。
「しっかし、これ付近住民危ないんじゃないの? 夜明け前だし寝ている間に崩落に巻き込まれかねないでしょ」
もごもごと、火竜が喋るのを聞き、司祭は大きく息を吐くと、いきなり祝詞を唱え始める。
『我が忠実たるエクリシアの諸人《もろびと》よ。耳を貸して頂きたい。我が名は、神たる光を運ぶ王ルーク三世。深き迷宮より、闇ぞ来たれり。速やかに退避せよ我が臣民。繰り返す退避せよ我が臣民』
風の魔法か何かなのか、広く拡散された声は、迷宮に隣接している眼下の街にしかと届いた様であった。小さな人形の様にしか見えない人影が、あちこちの建物から出て来ては、こちらを指差し祈り、そして慌てて街から離れた丘へと向かっていく。
「あんた王様だったのかい。随分無謀な王だね」
「それにしても、速やかに動きますねー」
――良い王であるのだろう。随分と自分の身は大事にしない様であるが。
三者三様の反応を見て、顔を赤らめながら反論する司祭こと、王たるルーク三世。
「だから嫌だったのだ……。私はあくまで一冒険者として迷宮に潜り、深層にある真相にたどり着きたかっただけだ」
神託があったのだという。【死の胎動を見逃すべからず】と。曖昧な言葉の様だが、神託とはすべからくその様な物らしい。
「して、まだ終わった訳では無かろう。死神よ。この先の策は?」
――やつが顔を出した瞬間から、最大攻撃を行う。まだアリシアが使っていない武器が多数ある。また、地上であれば神気も強く、聖なる魔法も効果はあろう。そして我が武器、この魂砕きの刃であれば、偽神の魂の結びつきを弱らせる事は出来る。つまり……最後は、私が白兵戦で止めを刺す。どのみち、太陽が出れば消える我が身だからな。
「えっ! お父様どういう事ですか!」
「おいおい! あんた分かってて動いたのかよ!」
「貴様……刺し違えるつもりか」
――負の遺産の、闇の連鎖はもうこれ以上続けなくてよい。ここで奴を弱らせて封印しても、いずれ必ず蘇るだろう。だから、この身に変えてでも。
その時、揺れていた大地が、一層激しく動き、迷宮の一角から空へと巨大な光が立ち上る。そして街へと光の弾が降り注ぐ。だが、そこから魂を表す光は上がらない。退避が完了していた様だ。
『あら、まだいたの。あなたたち。もう諦めなさい。全部食べてあげる。そして私は還るのだから。邪魔はしないで頂戴』
――行くぞ。
司祭の指を強引に動かし、アリシアと自分との繋がりである取り憑きを切る。そして、自由になった身体で、一気に降下して偽神へと突っ込んでいく死神。
「馬鹿者が! 我らも行くぞ!」
「子を泣かす親が、結局駄目なんだよ! なんでいつもあの娘は家で一人で泣いていたと思ってるのさ!」
「お父様ぁー!」
既に戦闘の為の最適化を遂げていたアリシアは、触手の様に大量に生えた腕それぞれに持った火器を片っ端から発射する。火竜は炎のブレスを収束させ、赤では無く、高温の白の炎を光線の様に吐き出す。司祭は連続で死者を成仏させる為の祈りを、最大限の魔力を練り込み投げ放つ。その全てが、死神を回避して偽神へと突き刺さっていく。
『燃料が減った所で、起動さえ出来れば後は転移の為の一手間だけなのよ』
偽神の腕がひしゃげ、胴体が泡立ち、足はもげそうになる。しかし、死神が近付けば、それが徐々に再生していくのが見えてくる。自らの文明が作り出してしまった物とはいえ、醜悪の一言でしか無い。その醜悪さの中で、必死に叫ぶ声が聞こえてくる。
【モットイキタカッタ……】【サミシイ……】【アア……カミヨ……】
――今、解放してやる。その軛から!
彼は、一番弱っているだろう関節部分を重点的に狙い、自らを投槍の様に貫通させつつ、ひたすらに斬り付ける。上空の一行もそれを感じ、関節部分に攻撃を集中する。足が外れ、大地に落ち、少しずつ白い光となって消えてゆく。
「この調子ならば」
「そこっ! 手を止めない! 次行くよ!」
「大技行きます!」
アリシアは胸元、腹の装甲を開放すると、大量に装着していた触手状の部分からも魔力を注ぎ込み、その全てを光の攻撃へと変える。
「はい、王様。ここに聖なる光をおまけで入れて下さい」
「今更、王などと呼ぶでない」
聖なる光へと変わった収束したそれは、巨大な柱となって、一気に偽神へと向かう。それに対抗すべく、攻撃しようと偽神が揃えた指を一息に斬り飛ばす死神。
「お父様逃げて!」
――間に合わん。
死、いや消滅を覚悟した死神だったが、ちょうど差した朝陽により、その光が屈折し、偽神の下半身を焼き払うだけに留まる。
『太陽が出たら勝ちだと思っていたの? それは私のものよ』
既に再生すら始まらない下半身を放置し、両手を広げ祈る様な姿勢になった偽神は、太陽の光を集め輝き始める。
『闇と光の象徴が交わる時、異界への扉が開く』
巨大な転移の魔法陣が空中に展開され、少しずつ粒子の様に偽神が消えて行く。
――行かせてなるものか。貴様の墓場はここ迷宮と共にある。
「ピーちゃん、急いで!」
「おう、最速で行くぜ。捕まってな!」
「行くのか、あれは無事に通れるものなのか」
転移陣が消えた後には、迷宮の跡地、街の残骸だけが朝陽に照らされ、その無残な様子を陰影と共に晒した。
**********
そこは、川の様だった。煌めく光の中で、あちこちで爆発が起こり、またあちこちで、歓喜の様に、何かが弾け生まれていくのが存在として分かる。偽神はその巨体を維持出来ないのか、はたまた弱らせた甲斐があったのか、黒竜へと形を変えていく。死神も気付けば、往年の自身の身体、エルフの研究員であり魔術師の身体へと戻っている。
「ここでは、魂の形になるのか」
声もはっきりと認識出来る。浮遊の魔法に方向性を付け、前を行く黒竜を追う。近づく程に、聞こえてくる何か。――これは魔女の思念か。
『瓶の中の小人などと、勝手に私を喚び出して、私の知識を利用して……』
『私は帰る。元の世界へと帰る。たとえ、幾年月流れ様とも……』
『全てを恨む。自由なる身体、勝手なる縛り付け、閉鎖的な愛。何がアリシアだ……』
彼は思い出していた。自分がかつて、ザカリーという名の研究員であった頃、まだ妻が存命していた頃、まだ魔導という考え方が無く、魔術研究所であったそこでホムンクルスの誕生が成功したという事を。アリシアを宿した妻を連れて、その瓶の中の小人を見に行った時だった。酷く禍々しいものを感じ、所員に尋ねたら、魂はどこか別次元から召還したと、いけしゃあしゃあと答えていた事を。無論、彼は人道にもとると、抗議したのだが、知の小人のもたらす知識は非常に有用だと、国ですらお墨付きを与えてしまった事を。
「お前が、あの小人だと申すのか!」
『人の闇を吸う術を覚え、人の闇を操り、そして魂を集め……私は帰る。還るのだ元の世界へと』
黒竜の輪郭が崩れていき、黒い熊になり、黒い狼になり、どんどん縮んでいく。それでも触手状の黒い物体が時々攻撃をしかけて来る為、油断せず距離を詰める彼。
『……たしは……カエ……』
存在を維持出来なくなってきたのか、さらに小さくなるそれを、気付けば必死に手でくるみ、慈しむ様に彼は護っていた。
「すまぬ! 貴様のやった事も私は許せぬ! だが、だが! そも原因でなったであろう我が国の愚かさにも、私は許しを与えられぬ事は分かる。すまぬ!」
手の中の黒い塊は、少しだけ脱力した様に、動いた様な気がした。
気付けば、どこかの草原の上に横たわっていた。
「空気が違う……。魔力の質も違う。ここは一体……」
手の中を見ると、小さなカラスがもがいている所であった。しばし、見つめていたそれを彼はそっと手放す。カラスは、自由を喜ぶかの様に、空へと羽ばたいていった。
「あぁ……嗚呼……。願わくば、彼の者に、今度こそ平穏たる生を……」
一体この四百年はなんだったのだろうか。命を殺め、魂を集め、そして……。
「お父様! むぎょ……」
「おう、いたいた父ちゃん……ぐげ」
「ここにいたか死神……ぶはっ」
空中から降ってきた三人に驚いていると、折り重なった三人も改めて彼の姿を見て驚く。
「お父様! 元の身体に!」
「そういうアリシアこそ、きちんとした元の身体に」
「あたいは、なんかこー。なんだいこの弱そうな身体」
アリシアも、あの川を渡った影響なのか、機械人形の身体では無く、エルフの当時の身体になっている。竜の女は、少し筋肉が落ちて何故か胸部が増している。
「各々、それが元の姿なのだな」
唯一、見た目が変わらない司祭が、まじまじと見つめる。
「そうだ、先の移動の最中に神託を賜った。【闇の脅威を取り去りし者共に褒美として自由を。好きな様に生きるが良い】と」
「許されてよいのだろうか、私は……。死神であったのだぞ」
それに笑って答える司祭。
「他ならぬ、あの世界の創造主たる我が神の言葉だ。許されたのだろう。あのまま放置していれば、あの偽神は近隣を食い荒らし、さらには好き放題【燃料】にしたであろうしな」
そして、しばし言い淀む。
「して、お主はなんと呼べばよいのだ? さすがに死神と呼び続けるには、酷であろう」
「そうだな。元の名であるザカリーでいい」
それを聞いて驚愕する司祭。
「何だと! あの魔導研究から、魔術の真髄、魔術会の至宝と呼ばれたエルフのザカリーか!」
そんなに有名なのかと、呆気に取られる彼を強引に立たせると、鼻息も荒く顔を近づける司祭。
「王として命ずる。どうか、我が国の王宮魔術師に」
「お父様は私と静かに暮らすのです!」
「おーそうだそうだー。あたいも四百年分楽して暮らしたいぞー」
ギャアギャアと言い合う一行を、空の太陽が、静かに優しく見守るのであった。
完結まで長い間かかってしまいました。
これにて、終演でございます。
恐らくこの後彼らは、二つの世界も行き来しつつも、幸せな生活を送って欲しいなと思っております。
おまけ
娘 アリシア(Alicia 誠実な者)
司祭 ルーク (光を運ぶもの)
父 ザカリー(神は忘れない)
竜 ピア (信仰心の篤い)
それぞれ意味があったりしました。