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誰も好きだと言わなかっただけ  作者: 御子柴 流歌


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前篇: 余ったひとり

 五人で写真を撮ると、だいたい誰かひとりが端に寄る。


 二人と三人に分かれて並ぶときもそうだし、狭いフレームに顔を押し込むときもそうだ。真ん中に入る二人がいて、その隣に収まる二人がいて、最後のひとりだけが少し肩を傾ける。


 僕らの場合、その役はたいてい僕だった。


「律(りつ)、もうちょいこっち」


 窓際に置いたスマートフォンを確認しながら、美(み)月(づき)が手招きする。


「入ってる?」


「半分くらい」


「半分も入ってれば十分じゃない?」


「幽霊みたいになるじゃん」


 美月に腕を引かれ、僕は彼女と颯(そう)太(た)の間に身体を滑り込ませた。


 反対側では玲(れ)奈(な)が湊(みなと)の肩を押している。


「近い近い。暑い」


「おまえが寄れって言ったんだろ」


「顔だけでいいの。身体ごと来ないで」


「難しい注文すんなよ」


 いつもと同じ会話だった。


 少なくとも、外側だけを見れば。


 文化祭前日の午後七時四十分。


 校内に残っている生徒は少なく、廊下の向こうから聞こえるのは、どこかのクラスが机を動かす音と、実行委員の注意を促す声くらいだった。


 僕ら五人は、装飾の終わった教室で記念写真を撮ろうとしていた。


 三年間、何度も繰り返してきたことだ。


 放課後にファミレスへ行き、試験前には誰かの家に集まり、誕生日には全員で金を出し合った。グループチャットの名前は、ずっと『5/5』だった。


 いつだって五人。


 五人のうち、ひとりでも欠けたら五分の四になる。

 それがどうしたと他人(ひと)は言うかもしれない。

 もちろん、僕らの誰かが言い出したわけでもない。


 だけど僕らはそ(・)れ(・)をひどく嫌がっていた。


「タイマー、十秒ね」


 玲奈がスマートフォンを窓枠に立てかける。


 画面の数字が減り始めた。


 十。


 玲奈が湊の隣へ走る。


 九。


 美月が僕の制服の袖をつかむ。


 八。


 颯太が一歩だけ、美月から離れる。


 七。


 その隙間を埋めるように、僕が押し込まれる。


 六。


「待って」


 玲奈が言った。


 誰も動かなかった。


 五。


「颯太、美月と付き合うの?」


 四。


 教室から音が消えた。


 三。


 颯太の顔が、はっきりと強張った。


 二。


 美月が僕の袖を放した。


 一。


 シャッター音は鳴らなかった。


 玲奈がタイマーを止めたのだ。


「……何の話?」


 湊が笑いながら尋ねた。


 その顔を一瞬だけ見てみる。


 ――笑っていたのは口元だけだった。


「玲奈」


 颯太が低い声を出す。


「今ここで言うことじゃないだろ」


「じゃあ、いつなら言っていいの?」


「そういう意味じゃなくて」


「美月とキスしたの?」


 玲奈の声は震えていなかった。


 もちろん、泣いてもいなかった。


 だからこそ、逃げ道がなかった。


 湊が美月を見る。


 僕も、美月を見た。


 美月は数秒間黙ったあと、唇をかすかに噛んだ。


「私からしたの」


 颯太が息を呑んだ。


「美月」


「颯太は悪くない。私が勝手にしただけだから」


「勝手に、って……」


 湊の声が裏返る。


「……それ、いつの話だよ」


「先週」


「先週って……夏休み明けてすぐ?」


「うん」


「なんで?」


 尋ねた湊に、美月は答えなかった。


 答えられないのではなく、答えたくないのだと思った。


 湊も同じことを感じたらしい。


「おまえ、颯太のこと好きなの?」


 とうとう訊いてしまった。


 美月は、今度こそ迷わなかった。


「……好きだよ」


 思ったより間を開けなかったその言葉は、僕の胸の奥でずっと沈殿していたもののようで、それが静かに底へ落ちていくようだった。


 痛いというほどではなかった。


 ――そんな資格は、たぶん僕にはない。


 僕が美月を好きになったのは、いつからだったのだろう。


 二年の冬、僕が風邪で休んだとき、ノートの写真を毎時間送ってくれた日かもしれない。


 それとも一年の春、五人で初めて帰った日に、美月だけが僕の歩幅に合わせてくれたときかもしれない。


 けれど僕の気持ちは、恋と呼ぶにはあまりに温度が低かった。


 付き合いたいと強く願ったこともなければ、誰かに渡したくないと思ったこともない。


 ただ、五人で歩くとき、美月が僕の隣にいると少し嬉しかった。


 その程度だった。


 その程度の好意だから、黙っていられた。


 黙っていれば、何も壊れなかった。


「そっか」


 湊が笑った。


 今度は目元も笑おうとしていた。


「じゃあ、俺が手を握ったときに振りほどいたのも、そういうことだったんだ」


「湊」


「別に責めてねえよ。俺が勝手にやっただけだし」


 美月の顔色が変わる。


 僕はその話を初めて聞いた。


 颯太も知らなかったらしく、湊を睨んだ。


「いつだよ」


「夏祭りの帰り。おまえらがコンビニ寄ってるとき」


「美月が嫌がったなら、そこで終わりだろ」


「終わったよ。ちゃんと」


「終わってないじゃん」


 玲奈が言った。


 湊の視線がゆっくりと玲奈へ向く。


「そのあと、私のところに来たじゃん」


 誰も口を挟めなかった。


 玲奈は、制服のスカートを両手で握っていた。


「美月に振られたみたいになって、それで私に電話してきた。家に誰もいないからって。……独(・)り(・)で(・)居(・)た(・)く(・)な(・)い(・)って」


「玲奈、やめろ」


「どうして?」


「今言っても仕方ないだろ」


「私たちが寝(・)た(・)ことも?」


 夕方の光が、完全に消えた。


 誰かが電気をつけるべきだった。


 けれど、誰もスイッチの方へ動かなかった。


 暗くなり始めた教室で、僕らの顔から少しずつ色が失われていく。


「一回だけだけど」


 玲奈は続けた。


「一回だけだから、なかったことにできると思った?」


 湊が前髪を乱暴にかき上げた。


「そういうつもりじゃなかった」


「じゃあ、どういうつもりだったの」


「俺にも分かんねえよ」


「私は分かってたよ」


 玲奈が初めて声を震わせた。


「私はずっと湊が好きだった」


 僕は思わず颯太を見た。


 見るべきではなかった。


 颯太の顔には、隠しきれない痛みが浮かんでいた。


 玲奈もそれに気づいた。


「……何、その顔」


「別に」


「別にじゃないでしょ」


「今は俺の話じゃない」


「じゃあ、いつならあんたの話をするの?」


 さっきと同じ問いだった。


 玲奈はきっと、ずっと誰かにそれを訊きたかったのだ。


 今でなければ、いつなのか。


 友達でいるうちは言えない。


 誰かが誰かと付き合ったあとでは遅い。


 関係が壊れてから口にすれば、どうしてもっと早く言わなかったのかと責められる。


 だから僕らは、誰も言わなかった。


 言わないことを優しさだと思っていた。


「俺は玲奈が好きだよ」


 颯太が言った。


 玲奈の目が見開かれる。


「ずっと前から」


「嘘」


「嘘じゃない」


「だったら、なんで美月とキスしたの」


「されただけだ」


「拒まなかったじゃん」


「突然だったから」


「私のこと好きなら、突き放せたでしょ」


「そんな簡単にできるかよ!」


 颯太の声が教室に響いた。


 廊下の向こうで、誰かの足音が止まる。


 それから、何もなかったように遠ざかっていった。


「美月が泣いてたんだよ」


 颯太は俯いた。


「湊に手を握られて、気持ち悪かったとか、そういう意味じゃない。自分だけがみんなに嘘をついてる気がするって。俺に、好きなやつがいるのかって聞いてきて、それで……」


「答えなかったの?」


 玲奈が訊く。


「答えられなかった」


「どうして」


 颯太は玲奈を見た。


「おまえが湊を好きだって知ってたからだよ」


 僕らは、それぞれ少しずつ知っていた。


 美月が颯太を見る回数が多いこと。


 颯太が玲奈の荷物だけは黙って持つこと。


 玲奈が湊からの返信を待って、何度もスマートフォンを確認していること。


 湊が美月の隣に座るため、自然を装って椅子を選んでいること。


 きっと僕のことも、誰かは気づいていた。


 知らないふりをしていたのだ。


 僕らの友情は、何も知らないから成り立っていたのではない。


 み(・)ん(・)な(・)が(・)知(・)っ(・)て(・)い(・)る(・)こ(・)と(・)を(・)、誰(・)も(・)口(・)に(・)し(・)な(・)い(・)か(・)ら(・)成(・)り(・)立(・)っ(・)て(・)い(・)た(・)。


 友情ではなく、停戦だったのだ。


 最初に境界線を越えたのが誰なのかは分からない。


 美月の手を握った湊か。


 湊を家へ入れた玲奈か。


 颯太にキスをした美月か。


 それとも――。何もせず、全部を見ないふりしていた僕か。


「律は?」


 そんな流れで、美月が言った。僕に向けて言った。


 四人の視線が僕に集まる。


「何が?」


「律は、誰か好きな人いないの?」


 尋ねた美月の表情は、縋るように見えた。


 ここで僕が笑えばよかった。


 いないよ、と。


 おまえら面倒くさいな、と。


 五人の中には、ひとりくらい恋愛と無関係な人間が必要だった。


 誰の味方でもなく、誰にも選ばれず、最後には全員を仲直りさせる人間。


 僕はずっと、その役を演じていた。


 けれど、もう遅かった。


「美月が好きだ(・)っ(・)た(・)よ」


 僕は言った。


 美月が息を止める。


 湊が顔を上げる。


 颯太が何かを言いかける。


 玲奈だけが、静かに目を伏せた。


「たぶん、ずっと」


「……だったって、何」


「そのままの意味」


「今は違うの?」


「分からない」


 僕は窓際のスマートフォンを手に取った。


 画面には、撮影されなかった写真の代わりに、暗くなった教室が映っていた。


 フレームの中には誰もいなかった。


「僕は美月と付き合いたかったというより、五人でいたかったんだと思う」


 口にしてから、それがいちばん残酷な言葉だったと気づいた。


 美月を好きだった。


 でも、美月よりも五人の関係を優先した。


 美月が誰を好きでも構わないと思うことで、僕は自分を安全な場所に置いていた。


「ごめん」


 何に対する謝罪なのか、自分でも分からなかった。


 教室を出ようとすると、美月が僕の名前を呼んだ。


 振り返らなかった。


 廊下に出た瞬間、背後でシャッター音が鳴った。


 誰かがもう一度タイマーを動かしていたらしい。


 十秒前まで五人が並んでいた場所を、カメラが撮影する。


 きっとそこには、誰も写っていない。


 五人の写真は、最後まで撮れなかった。

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