第1話:月夜の追放宣告
【ヒーローズギルド:市民生活ガイドブック(最新版)】より抜粋
■ ようこそ、至上の安らぎを約束する街『帝都シン・トーキョー』へ
帝都シン・トーキョーは、世界で唯一『正義の最適化』に成功した都市です。
私たちの街では、不確かな個人の善意ではなく、高度な演算システムによって裏打ちされた、確実な平和を全ての(※基準を満たした)市民に提供しています。
■ 私たちが提供する『クリーンな正義』
ギルドが誇る演算システム『SRPI(Survival Rate Priority Index)』は、24時間365日、街のあらゆるリスクを監視しています。
「なぜ、正義に優先順位が必要なのですか?」
それは、限られたリソース(ヒーローの戦力)を、もっとも価値のある地点へ届けるためです。
救助対象の資産価値、納税ランク、社会的貢献度、およびスポンサー企業への影響度を瞬時に数値化。もっとも『救うべき価値』の高い現場から順に、ジャスティス・レイをはじめとする最高峰のヒーローを派遣します。
■ よくあるご質問
Q:救助要請をしましたが、ヒーローが到着しませんでした。
A: 当該事案のSRPIスコアが、ギルドの規定する派遣基準値を下回っていた可能性があります。
当システムは『最大多数の最大幸福』を目的としています。低スコアの事案(※不採算・低価値な救助)は、社会全体の平穏を維持するための『誤差』として処理されます。あらかじめご了承ください。
■ 市民の皆様へのお願い
ヒーロー活動は、多くのスポンサー企業のご支援によって成り立っています。
皆様の納税と経済活動への貢献こそが、次の『正義』を生む燃料となります。
今日も高い価値を創出し、健やかな夜をお過ごしください。
「正義は、市民の皆様の平和を守るためにこそ」
理事長シュバルツ・S・シライシ
(ヒーローズギルド広報部・刊)
――手元のパンフレットを一瞥し、ぞんざいにテーブルの上に放る。
支倉悠凛は小さくため息を吐いた。
くだらない文言。くだらないパーティーだ。
だが、今日だけはどうしてもこの場にいる必要があった。
煌びやかなシャンデリアの光が、クリスタルグラスに反射して会場を埋め尽くしている。
ここは帝都シン・トーキョーの最高級ホテル。選ばれたヒーローと、彼らを支援するパトロンだけが集う、虚飾の宴だ。
「――支倉悠凛。お前は今日限りで、我がチーム『ブライト・レギオン』から除名とする」
バルコニーに吹き込む夜風よりも冷たい声が、悠凛の名を呼ぶ。
声の主は、チームのリーダーであり、国内ランク三位の重力使い――ヘヴィ・レインこと狗道だ。
彼は悠凛の目の前に、一枚の書類を叩きつけた。
「むしろ遅すぎたくらいだな。お前は我がヒーローチームには必要ない」
「理由を……お伺いしてもよろしいでしょうか?」
悠凛は、いかにも“世間知らずな深窓の令嬢”らしく、少しだけ声を震わせて問いかけた。
月光を透かしたような、滑らかなプラチナシルバーの長髪を揺らし、扇子で顔の下半分を隠す。
長く繊細な睫毛の奥に、潤んだ瑠璃色の瞳を浮かべて彼を見上げた。
折れそうなほど細い肩をすくめるその姿は、誰もが“守るべき対象”だと錯覚するほどに儚い。
「理由は分かっているはずだ。お前は役立たずの『無能力者』だからだよ」
狗道は鼻で笑い、周囲に聞こえるような大声で続けた。
「お前の家が出す莫大な支援金と、最新の装備には感謝している。だがな、何の力もない『ただの女』が戦場に突っ立ってるのは迷惑なんだ。お前を守るために、俺たちのリソースがどれだけ割かれているか考えたことがあるか?」
周囲から、くすくすと忍び笑いが漏れる。
――寄生虫令嬢。
――戦場の置物。
聞き飽きた陰口が、心地良いBGMのように悠凛の耳を通り過ぎていった。
「私は……ただ、皆様のお役に立ちたいと……」
「金を出したいならこれからも支倉家から出させればいい。だが、ヒーローとしての資格はお前にはない。この『除名同意書』にサインしろ。大人しく社交界で、誰かに守られるだけの花にでもなっているんだな」
悠凛は震える手でペンを取り、流麗な筆致でサインを書き込んだ。
内心では、こみ上げる笑いを堪えるのに必死だった。
(――ありがとう、狗道。これでようやく、お前たちの『お守り』という退屈な業務から解放されるわ)
悠凛は一礼し、足早に会場を後にした。背後で、チームの連中が「やっと厄介払いができた」と乾杯する音が聞こえた。
ホテルの車寄せには、漆黒の高級リムジンが待機していた。
ドアの傍らには、一点の曇りもない所作で立つメイド――セレスの姿がある。
夜の闇を溶かしたような漆黒の髪を完璧な夜会巻きにし、陶器のように白い肌には一切の感情が浮んでいない。
剃刀のように鋭く整った顔立ちに、深い黒檀色の瞳が、主の帰還を静かに捉えた。
「お帰りなさいませ、悠凛様。……随分と晴れやかなお顔をされていますね」
セレスがドアを開けながら、感情の読めない声で言った。
車内に入り、防音ガラスのドアが閉まった瞬間、悠凛は扇子を放り出し、深くシートに身を沈めた。
「終わったわ、セレス。正式に無能な足手まといとして追放された」
「おめでとうございます。これでようやく、あの低俗な男たちに合わせる無力な人形のお芝居も終わらせられますね」
セレスは悠凛の膝に、タブレット端末を置く。そこには、今しがた悠凛が追放されたホテルの、全ての監視カメラ映像と、狗道たちの通信記録が並んでいた。
「……セレス、さっきのサイン。ペンに仕込んだナノマシンは?」
「順調です。今この瞬間、彼らの全装備のバックドアは私たちが掌握しました。いつでも、彼らを木偶人形に変えて差し上げることができます」
セレスの指先が、悠凛の頬を、なぞるように滑る。
「ようやく二人きりですね、お嬢様。……さあ、帰りましょう。今夜の獲物は、既に裏通りの路地裏に追い込んであります」
その指は氷のように冷たいが、無機質な瞳の奥には、ドロドロとした狂おしいほどの熱が宿っていた。




