エピローグ
それは、特別な出来事ではなかった。
どこにでもある、ありふれた日常の中で起きたことだった。
ある家庭のリビング。
テーブルの上に置かれたタブレット。
子どもが一人、画面を見つめている。
「どっちにする?」
親の声が、後ろからかかる。
画面には、二つの選択肢が表示されている。
どちらも間違いではない。
どちらも、正しいとされる選択だった。
子どもは、しばらく指を止めたまま動かなかった。
考えているのか。
迷っているのか。
それとも——
ただ、待っているのか。
やがて、指がゆっくりと動く。
迷いのない動きだった。
選択が、確定する。
その瞬間、子どもは小さくつぶやいた。
「これでいいんだよね」
誰に向けた言葉でもなかった。
親は、その声に気づかない。
画面も、何も答えない。
ただ静かに、次の画面へと切り替わる。
子どもは、そのまま操作を続ける。
もう迷うことはなかった。
それが、自分の判断なのかどうかを、確かめることもなく。
部屋の外では、いつも通りの生活音が続いている。
遠くで車が走り、どこかで誰かが話している。
世界は、何も変わっていない。
——そう見えるだけで。
その判断が、どこで行われたものなのか。
それが、誰の意思だったのか。
この時点では、まだ誰にも分からない。
だがその選択は、確かに行われた。
そしてそれは、どこにも記録されないまま、次の判断へと接続されていく。
気づいたときには、すでにそこにある。
それは、与えられたものなのか。
それとも、自分で選んだものなのか。
その境界は、誰にも見えない。
見えないまま、使われている。
そしてその構造は、もはや外には存在していない。
——内部にだけ、残されている。
それは、誰のものなのか。
その問いは、ここでは終わらない。
(終)




