②夫妻の暗殺の一報と転売問題
そのとき。
「……え?」
誰かがスマートフォンを見つめたまま、動かなくなる。
「ニュース……」
画面が、次々と開かれていく。
――創業者夫妻、死亡。
――暗殺。
――世界的システム停止。
――通信障害。
言葉が、現実に追いつかない。
また、キッザニアの日本サイバーサイジング社パビリオンで配布されていた「体験用社員証カード」が、フリマアプリなどで高額転売されている問題が再び拡大。
部では数十万円規模の取引も確認。
運営側は注意喚起を行うも、対応は難航。
「え……?」
誰かが小さくつぶやく。
そのカードは――昨日、ここで子どもたちに配られていたものだった。
実は、この問題は今回が初めてではなかった。
日本サイバーサイジング社のパビリオンが開設された当初から、一人一回一枚しかもらえない。
という特別な仕組みがあった。
それは、体験の価値を守るため――そして同時に、 転売を防ぐためでもあった。
だが、それでも完全には防げなかった。
フリマアプリには『未使用』『美品』『限定配布』といった説明とともに、子ども向けに配られた『体験用社員証カード』が並び中には複数枚を出品しているアカウントも存在していた。
運営側は何度も対応に追われ、 ニュースでもたびたび取り上げられていた。
そして今その状況は、まったく別の意味を持ち始めていた。
会社そのものが、消えようとしている。
それでも、カードは、売られ続けていた。
画面の中で。
『最終入手機会』
『現存数わずか』
『今後価値上昇確実』
実際の社員たちにとって、そのカードはただの記念品ではなかった。
出入りのための証であり、 働く場所へ入るための鍵であり、生活そのものとつながっていたものだった。
そして今、 子ども向けに配られた体験用の社員証が、その『本物と同じ形』をしているという理由で、値段をつけられて、「商品」として並んでいる。
中にはそれを見て、言葉を失った社員もいた。
「それ、昨日まで自分たちが使っていたものと同じなんです。」
「それがないと、会社にも、家にも戻れない人もいるのに。」
「それが……売られているんですか?」
そのカードは、職場の入館証であると同時に、 支社ごとに存在する居住施設の鍵でもあった。
社宅や寮を持つ支社もあれば、 宿泊施設として整備されている支社もある。
ドアに触れるだけで、開く。それが、当たり前だった。
日本サイバーサイジング社には、 社宅や寮は存在しない。
だが、その代わりに、 長期滞在も可能な宿泊施設が用意されていた。
夫妻の暗殺以降、 カードは反応しなくなった。
そしてその扉もまた、開かなくなっていた。
職場だけではない。
戻る場所にも、入れない。
外に立ったままの人間が、静かに増えていった。
誰かの生活だったものと、それを模して作られた体験の記号が、同じものとして扱われていた。
それは、 どこかで線が越えられてしまったような、 静かな違和感だった。
「……これ、昨日のだよね?」
子どもが、母親のスマートフォンをのぞき込む。
そこには、自分たちと同じカードが映っていた。
値段がついていた。
もう使えないカードに。
もう存在しない会社のカードに。
値段がついていた。
それは、 ただの転売問題ではなかった。
現実と記憶のあいだに、価値のズレが生まれている光景だった。
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第6章は、こうして終わる。
パビリオンは停止した。
接続は途切れ、応答は失われ、その中心にあったはずの判断は、消えた。
世界中で同時に、同じ現象が起きている。
だがそれは完全な停止ではなかった。
機能は失われている。
だが、痕跡は残っている。
判断の順序。
選択の基準。
優先の感覚。
それらは、消えていない。
むしろ切り離されたことで、はっきりと残っている。
それはもはや、どこかの装置に属するものではなかった。
場所に依存せず、接続にも依存せず、個々の内部に定着している。
だがそれは、共有されない。
誰もそれを説明できない。
誰もそれを確認できない。
ただ、それぞれの中に、同じように残り続けている。
そしてその状態は時間とともに、別の形へと変わっていく。
構造は消えた。
だがその影響は、消えていない。
むしろ、外部が失われたことで、その存在だけが、はっきりと浮かび上がっている。
そして第7章では、その痕跡だけが残された世界の中で、人々が何を見て、何を残し、何を失ったのかが描かれることになる。
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