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⑤オープニング初回体験

「これより、オープニング初回体験を開始いたします。ご案内するお子様は、前方のスタッフの誘導に従ってお進みください。」


前列に座っていた子どもたちが、少し緊張した顔のまま立ち上がる。

親たちが手を振り、スタッフが笑顔で迎える。


だが、そのパビリオンの入口だけは、他のどのパビリオンとも違って見えた。

明るく整えられている。

子ども向けに配色も調整されている。

説明パネルも、案内表示も、すべて分かりやすい。


それでも、その奥には『サイバーサイジング社の本物さながら職場』の気配があった。

遊び場ではない。

模倣された職場でもない。

現実を、子どもが入れる温度にまで調整した、別種の空間だった。


案内された子どもたちは、入口でスタッフから緑の帽子と緑のTシャツを手渡される。

それが、このパビリオンでの『制服』だった。

特に決められた制服を持たないサイバーサイジング社において、ここだけに用意された、体験のための装い。

子どもたちはそれを身につけ、少しだけ表情を引き締める。

遊びではない何かに入る。そんな空気が、わずかに生まれていた。


最初の参加者は六名だった。


スタッフによって半円状に並ばされた子どもたちの前に、低い起動音とともに端末が立ち上がる。

画面には、それぞれ異なる役割名が表示されていた。


SYSTEM ENGINEER

IT ENGINEER

SERVER ENGINEER

INFRASTRUCTURE ENGINEER

SOFTWARE ENGINEER

PROGRAMMER


小さなどよめきが起こる。

だが、その体験は、いきなり始まるものではなかった。


「それでは皆さん、まずはサイバーサイジング社について説明を行います。」

水瀬の言葉に合わせて、背後の大型スクリーンが切り替わる。


サイバーサイジング社。

そして日本サイバーサイジング社。

その役割、構造、社会との関わり。

さらにこの企業には、大きく分けて二つの部門が存在していることが説明される。


『総合事務職』、『専門技術職』


「皆さんにはこれから、この二つの部門を、順番に体験していただきます。」

「まず一つの部門を体験し、その後、もう一方の部門へ入れ替わります。」


子どもたちは顔を見合わせる。

一つではない。

二つ。


それぞれ異なる役割を、連続して体験する。

さらに画面が切り替わる。


そこに表示されたのは——

実際の業務事例。


システム障害対応。

サーバー負荷分散。

アクセス制御。

インフラ監視。

ソフトウェア更新管理。

など


「本日は、実際にサイバーサイジング社で行われている業務をもとに、複数のケースを体験していただきます。」

単なる模擬ではない。

現実の業務構造を基にした体験。


その説明が終わった後——

「それでは皆さん、これからチームで一つのシステムを運用していただきます。」

水瀬の説明に合わせて、背後の大型スクリーンにはわかりやすく図解されたシステム構成が映し出される。

だが、その図は単なる説明用のものではなかった。

下層には、実際の運用構造を簡略化した接続図がそのまま使われていた。


「このお仕事では、一人だけでは進められません。情報を確認し、相談し、順番に判断していくことが大切です。」


その言葉に合わせるように、アレックスがわずかに視線を動かす。

それは、司会進行に対する反応ではなかった。

確認だった。

隣に立つアラクネアが、ごく小さく口を開く。


「Priority first.」


誰にも聞こえないほどの声。

だが、その直後、夏美サーベラスが一歩前へ出る。

「最初に確認していただくのは、対応の優先順位です。」


完全に一致していた。

それは、この日だけの特別な構造だった。

子どもたちが体験しているその業務の裏側で、夫妻自身が、実際のサイバーサイジング社と同じように最終判断を行っていた。

子どもたちが何を優先し、どこで迷い、どの順序で進むべきか。

その流れを、夫妻は全体から見ていた。


判断は二人の間で統合される。

そして、その統合された意思を夏美サーベラスが、ここ東京のこの場で、子どもたちにも理解できる形へと翻訳していく。

つまりこの体験は、単なる模擬業務ではなかった。

子どもたちは、夫妻の判断と、夏美の通訳の中で、

実際の業務の流れに限りなく近い構造を体験していた。


子どもたちは、画面を見る。

赤、黄、青で示された複数の通知。

どれも選べそうに見える。

どれから触ってもよさそうに見える。


だが、そうではなかった。

その『順番』こそが、この体験の中核だった。

「まず、何がいちばん重要かをチームで決めてください。」


子どもたちは顔を見合わせる。

「これかな」

「でも、こっちの方が赤いよ」

「サーバーって止まったらだめなんじゃない?」


小さな相談が始まる。

迷いながらも、互いの画面をのぞき込み、言葉を交わし始める。


その様子を、夫妻は静かに見ていた。

見守る、というより観測していた。

アレックスの視線は、子どもたちの表情よりも、判断の順序を追っていた。

アラクネアの視線は、答えそのものではなく、ためらいの場所を見ていた。

そして夏美は、その二人の視線の変化を受け取り、間を置かずに言葉へ変えていく。

「迷ったときは、『止まると一番困るものは何か』から考えてみてください。」

「一つを選んだら、次に誰が動くべきかも決めてください。」

「仕事は作業ではなく、流れです。」


その説明は、あまりにも自然だった。

自然すぎて、誰も気づかない。

それが『その場で発せられた判断』の翻訳であることに。


最初の子どもが、恐る恐るタッチパネルに触れる。

選択された通知が拡大し、隣の端末に新しい指示が渡る。


「わ、変わった!」

「次、こっちだ!」


今度は別の子どもが動く。

画面の状態が連動して変化する。

一人の操作が、他の全員の画面に影響する。

笑顔が生まれる。

緊張が、少しだけ興奮に変わる。


だが、その興奮の奥にあるものは、単なる遊びの楽しさではなかった。

自分の判断が、全体に波及する。

その感覚だった。


その間も——

夫妻は、常に全体を見ていた。

判断を下し、統合し、流れを維持する。

そしてそのすべてが、夏美サーベラスを通して子どもたちへと伝達されていく。

まるで同じシステムの中に存在しているかのように。


会場後方で見守っていた保護者の一人が、小さくつぶやく。

「……本当に仕事みたい。」


その言葉に、隣の記者が無言でメモを取る。

ステージ脇では、橘 恒一が腕を組んだまま、静かにその光景を見ていた。

その表情には達成感があった。

同時に——説明しきれない緊張も残っていた。


スクリーンの端では、さきほど消えたはずの同期表示が、ごく小さく残っていた。


『SYNC SOURCE: CS-000』

『STATUS: ACTIVE』


通常の観客席からは見えない。

だが、ある角度からだけ、それはまだ確認できた。

その表示を、たまたま視界の端に捉えたのは、前方の親子席にいた一人の少年だった。

彼はまだ体験には呼ばれていない。

胸に参加パスを下げたまま、じっとスクリーンを見上げている。


他の子が笑うたびに、会場は明るくなる。

拍手も起きる。

空気は確かに『成功』へ向かっている。


それなのに。

少年だけは、画面の隅から目を離せなかった。

ACTIVEの文字が時折、ほんのわずかに脈打つように明滅しているように見えたからだ。


そしてその瞬間、体験中の子どもの端末のひとつが、予定にはないタイミングで一度だけ暗転した。

ほんの一秒。

誰も問題と認識しないほど短い時間。

だが、その一秒の後。

端末には、最初に用意されていた子ども向け画面ではなく、見慣れない英字のログが一行だけ表示されていた。


『REQUEST ROUTED』

『SOURCE VERIFIED』


すぐに画面は元へ戻る。


スタッフは気づかない。

保護者も気づかない。

水瀬も進行を止めない。

ただ夏美サーベラスだけが、ほんのわずかに目を上げた。

まるでそれを『自分に向けられた反応』として受信したかのように。


挿絵(By みてみん)

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