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③契約会合の署名

会議室の扉が閉まる。

その瞬間、外部の音が遮断される。


だが、静寂ではなかった。

室内にはすでに、複数のメディア関係者が配置されている。


カメラ。

マイク。

記者たちの視線。


そのすべてを囲むように、アダソン家専属のSP警備部が配置されていた。

壁際、出入口、視線の死角——

空間の輪郭そのものが管理されている。

視線は動かない。

だが、すべてを見ている。


フラッシュが焚かれる。

一度ではない。

断続的に、激しく、空気を切り裂くように。


それでも、誰一人として反応しない。

まるで、その光が存在しないかのように。


テーブルの上には、大量の書類が並べられている。

日本語と英語。

双方の契約書。

条項、責任範囲、運用規定、判断権限。

すべてが二言語で整えられていた。


その量は、単なる契約の域を超えていた。

——構造の接続条件だった。


五人は席に着く。

その瞬間——

フラッシュがさらに強く焚かれる。


だが、誰も視線を逸らさない。

空気が変わる。

形式ではなく、判断の場になる。


橘が口を開いた。

「今回お越しいただいた背景について、改めてご説明させていただきます」


一瞬、言葉を選ぶ。

「近年、来場されるお子様から“サイバーサイジング社の仕事を体験してみたい”という声が増えております。また、御社について知りたいという要望も多く寄せられています」


水瀬が続ける。

「我々としても、ぜひ一度ご協力いただければと考えておりました」


夏美が、その言葉を英語へと変換する。

「子どもたちが、私たちの仕事を理解したいと考えています。そのための機会を提供したい、という提案です」


夫妻は、短く視線を交わした。

ここで——

役割が分かれる。


アレックスが先に口を開く。

「つまり、理解のための場を求められている」


それは現状の整理。

判断の起点。


夏美が訳す。

「理解のための場を求められている、という認識です」


橘は頷く。

「はい」


わずかな沈黙。


続いて、アラクネアが言う。

「理解は、体験では成立しません」


その声は静かだった。

だが、否定ではなく——定義だった。

水瀬は思わず顔を上げる。


アラクネアは続ける。

「理解は、構造の中でのみ成立します」


それは長期的視点。

社会的影響。

価値の定義。


夏美が、ほんのわずかに言葉を整える。

「より深い理解には、仕組みそのものに触れる必要があります」

その差異に、誰も気づかない。


アレックスが続ける。

「私たちは、判断を外部に委ねません」


それは最終判断の宣言だった。

「すべての最終判断は、私たちが行います」


即時性。

責任。

停止権限。

現実の制御。


夏美が補足する。

「それが弊社の一貫した方針です」


橘は、ゆっくりと頷く。

合理的だ。

極めて合理的だ。

(……だからこそ)

何かが、引っかかる。


一拍。


そして——

アラクネアが、静かに言う。

「ただし」

視線がわずかに動く。

「その判断は、未来に対して責任を持つ必要があります」


夏美が訳す。

「その判断は、将来に対する責任を伴う必要がある、とのことです」


アレックスが続ける。

「そして、現時点で機能する必要があります」


時間軸の異なる二つの視点。

アラクネアは“未来”を見ている。

アレックスは“現在”を制御している。


そして夏美が、その両方を受け取る。

わずかな間。

言葉を選び、整え、まとめる。

「本件については、実装可能であり、社会的影響も許容範囲内であると判断しています」

それが——

統合された判断だった。


沈黙。

それは確認ではなく、完了だった。


フラッシュが、再び激しく焚かれる。


橘がゆっくりと頷く。

水瀬も続く。

書類が手元へと寄せられる。

ペンが置かれる。


その瞬間——

アダソン家のSP警備部が動く。

五人を中心に、円を描くように配置が再構成される。


遮るのではない。

囲う。

守るのではない。

成立させるための配置だった。


夏美が静かに言う。

「契約の最終署名を、ここで行います」


英語へ。

そして再び日本語へ。


フラッシュ。

アレックスがペンを取る。


迷いはない。

アラクネアも同時に動く。


時間差は、ほとんどない。


その動きは——

まるで最初から決まっていたかのようだった。


アレックス・アダソン。

アラクネア・アダソン。

続いて、夏美サーベラス。

橘恒一。

水瀬綾乃。


五人の署名が、紙の上に刻まれていく。


フラッシュが、止まらない。

光の連続の中で、その瞬間は何度も『固定』される。


だが——

その内容を理解している者は、この場にはいなかった。


夏美が静かに言う。

「契約は成立しました」


英語へ。

日本語へ。


同じ意味のはずの言葉が、わずかに形を変えて広がっていく。


拍手が起きる。

記者たち。

関係者。


だが——

その音は、どこか空虚だった。

すべては公開されている。

すべては記録されている。


それでも——

何が決まったのかを、理解している者はいない。


その瞬間——

契約は成立した。


挿絵(By みてみん)

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