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✐2 パースを固める

 学校から私の家までの道のりはシンプルだったが、梢枝はチョコチョコと緊張した足取りで私の隣を歩いていた。東北線の線路をトンネルでくぐり、それを抜けると高い高架の上を新幹線の線路が通っている。目前に一関の駅があるが、通過していく新幹線はけたたましい音を高架橋から落としてくる。

私はもうそれに慣れてしまっていたが、梢枝はビクンと背筋が伸びて思わず目を見開いていた。

「こんなに響くんだね。私の家、反対側だから滅多にここ通らなくて。」

「私も構えてないと梢枝みたいにビクンってなるよ。」

「そうなんだ。いつかは一人で乗って遠くまで行けるようになるのかな」

「盛岡?仙台?」

「ううん、東京。」

その後もぽつぽつと話はしたが、梢枝はたぶんわざと絵の話はしなかった。


1つしか入っていないキーケースから鍵を取り出して玄関の戸を開けた。

「ただいま~」

私は一応言ってみたが、車が2台とも駐車場に無いから両親とも家にいないのが分かっていた。吸収も反響もしない壁に削られて私の間抜けな声は消えていった。

「お邪魔します・・。七森といいます・・・。」

梢枝の声は私より小さく芋っぽく訛っているが、私より純真だった。

「いないよ。親。お父さん仕事で、お母さんもたぶんパート行ってる」

「あ、そうなんだ。なんかドキドキしちゃっててさ。同級生のおうちに行くことなんてずっと無かったから。」

「友達の家って小学生のときなら何度もあるでしょ。」

「う~ん、そんなに無かったかも。学校では遊んでもらってたけどね。学校終わった後は家に帰ってたから。」

それだけ言ったら梢枝は、エヘっと笑って嬉しそうだった。

「急にどうした?」

「いや、ちょっと嬉しくて。」

「何が?」

梢枝は少しモジモジしているが、少しだけ首を私に向けた。

「渚ちゃん、“友達の家”って言ってくれたから。もうそう言ってくれるんだって」

私はそれを聞いて呆れたため息を出しつつ、無意識ながらその“友達の家”が本心だと自認できていた。私は梢枝といるのが既に楽しいと思えていた。

玄関を上がってすぐ、階段の隣が私の部屋だ。こういうのって普通は二階に自分の部屋があるものだと思うのだけれど、そこはお父さんとお母さんの部屋になっている。こっちの方が広いから我慢できているけど。

飾り気のない扉を開けて私は梢枝を部屋に通した。

「すごい!きれいな部屋!女の子の部屋みたい!」

失礼な奴。 ソックスを脱ぎ捨て、いつもの癖ですぐに着替えようとしてスカートのホックを外そうと手をかけたところで、梢枝の前であることを思い出した。ソックスを拾い部屋を出た。洗濯かごに放り込むついでに冷蔵庫から冷えたルイボスティーとグラス二つを用意して部屋に戻った。梢枝は私が部屋を出たときと同じように、ベッドの端に座って扇風機みたいに首を左右に振っていた。


「さっきのノート貸して」

梢枝の首振りがやっと止まった。鼻孔を広げて脇に置いた鞄に飛び掛かり、例のノートを引っ張り上げた。一枚一枚にしわが歪んだノートの前半はその歪みで厚さが変わっていたが、そのおかげで最新のページは一目瞭然になっていた。

恥ずかしげもなく開いたページにはさっきの絵が迷いを抱えたままそこにいた。梢枝はページの両端をガシッと両手で掴むと、部屋の真ん中のローテーブルにバサリとおいた。私が普段から使っているヨギボーのクッションに座ると、梢枝は私の前に開いたノートを置きなおし、そして私の隣にピタリと座った。梢枝の正座した膝が私の腿にあたっていた。

私はその距離が突然だったので、少し離れてしまった。離れてからそれで、その行為を拒絶だと梢枝に思われるのは嫌だった。誤魔化せているかはさておき、私は理由が欲しかったので、立ち上がって机からシャーペンと鉛筆と定規を取って、またヨギボーに座りなおした。梢枝は私の数歩の移動を顔で追っていたが、その顔に不安はなかった。やっぱりご主人に「待て」といわれた柴犬みたいだ。私が座りなおすと、それでもやっぱり梢枝の膝は私の腿にあたっていた。

梢枝は明らかに私の第一声を待っていた。待たれてみると初めの一言が分からなかった。これから私はこの小動物に何を語るべきなのか。

「七森、はいこれ」

私はとりあえずルイボスティーを梢枝に渡すことで、梢枝から何か話し始めないかというきっかけを作ろうとした。

「ありがとう、渚ちゃん。乾杯する?」

「しないよ」

それでも両手にグラスを抱えて私を見る梢枝は、ルイボスティーを口にしようとせず「待て」をしていた。降参した私は、右手のグラスを言葉なく少し掲げた。梢枝はそれを見て私のグラスに梢枝のものを両手で合わせた。チンと安っぽいガラスの音がして、少し遅れて氷の擦れる音がした。それが「よし」の意味だったのか、梢枝は一気にグラスのルイボスティーを半分まで飲み干した。そしてグラスをなるべくノートから遠いテーブルの反対側に腕を伸ばして置いて、また私の言葉に期待する「待て」の体制になった。

「何から話したらいいのか分かんないな」

私はまた降参して、梢枝の絵の話に入る切り口を触った。すると、話そうと思えさえすればどんな言いかたからでも絵の話はできるように思えた。イラストというものを前にして切り口の多さに気づき、腹が立った。マジックカットじゃん。

「なんで七森が表紙絵描くことになったの?」

イラストには関係ないけど、梢枝が何でもいいから話をしてくれる方が楽だと思った。

「沖縄の修学旅行、委員会みたいなのあるでしょ。クラスで2人ずつ担当するやつ。係決めの時に、私ぼーっと落書きしててね。気づいたら最後まで何の係になるって手を上げなかったから、先生、私が最後に決めるつもりだった修学旅行の係やりたいって思ってるんだ、ってね。それで、なっちゃった。」

梢枝はノートのページを先頭の方まで遡ってイラストを見せた。これがその時落書きで描いていたやつ、ってことなんだろう。

「はぁ。まぁ、それは分かった。んで、その委員会の中でも表紙絵を描くことになったのは?」

それを聞いて、イラストが良くなるわけではないけれど、一度つかんだ会話のラリーを手放したくなかった。

「委員会、何でか分かんないけどね。女子私だけだったのね。男の子たち、いろいろ委員会を盛り上げてくれてね。女子ひとりでも全然平気だったんだけどさ、しおりの話になった時、みんな表紙のデザインみたいなセンス無いよ!って言い始めちゃって。同じクラスの与野くんいるでしょ。同じ委員会なんだけどね。そういえば、七森っていつも絵描いてるじゃん。って言われちゃってね。与野くん、私がいつも描いてること知ってるんだってびっくりしたんだけどね。あ、それはどっちでもいっか。とにかくね、そこまでの委員会、男の子たちに引っ張ってもらってたし、断れなくてね。それに、ちょっと私も挑戦したいかもって思ったりして。」

意外にこの柴犬はよく話す。

「なるほどね。押し付けられたわけじゃ無いなら、私も応援するよ」

「うわぁ、嬉しい!女神様だ!」

まさか1日で2回女神になれると思ってなかった。


「じゃあ、七森はどんなイラストにしようと思った?」

「うーん、学校のしおりだからね。高校生は描くべきかなって思ったり、沖縄だったから、やっぱり綺麗な海と、シーサーと、南の国、みたいなイメージだよね」

自然に絵の中身に話が進んでホッとした。

「そうだね。多分そうやって入れたいと思い付いたものを配置したんだよね。しかも、七森が今言った順番で」

「そう!なんで!描いた順番も分かるの!?」

興奮気味の梢枝が私に顔を近づけた。この柴犬、このまま私を舐めたりしないか心配なくらいだ。

「私が言っても良いのか分かんないけど、七森の描く女子高生、花、シーサーのキャラってすごくかわいいしうまいと思う。でも、置いてある感じなんだよね。広い背景に、それぞれルーツの違うアクスタが並んでるみたいな」

「うんうん!言われるとそう見えてくる!キャラクターと背景が奥行きで繋がってないんだね」

柴犬、結構コトバにできるので驚いた。

「私にはそう見えた。だからパースが合わないというか、それぞれのアクスタは別々の縮尺だから、違和感になる。背景の写真をバックに立つアクスタだから、背景の風とかが感じにくい。平面の背景に立体のアクスタが立つから、すごく綺麗な背景が有限の四角の中に見える」

ここまで言ってハッとした。梢枝の絵の違和感を私は遠慮なしに言い始めていたことに気づいた。自分の絵のここが良く無いと言葉を続けられたら、それが正しくても私なら相手を嫌悪する。それが正しいのは分かっているけど、言い方ないのか?って。

「すごーい!デジタルで描く時さ。レイヤーとか分けるから、わたし、それぞれが別々のものって無意識にしてたんだ」

梢枝は違った。今日で一番喜んでいた。感心を飛び越えて感動になっていたようだった。

「光源はどこ?」

まだ線の絵だからではなく、梢枝の絵には光源がわからなかった。

「左上と、右の真ん中、かな?」

梢枝の答えは意外なものだった。

「え?2つ?」

「そうだよ、2つ」

屋外の昼間で砂浜ならば、光源は太陽ひとつのはずだった。だから違和感があった。でも、梢枝のいう場所に2つの光源があるなら、この線絵の背景の違和感は確かになくなることに気づいた。

毒々しい雲から雨粒が落ち始め、締め切った窓を濡らしていた。

「なんで2つ?」

梢枝が今度は驚いた。

「え!2つってだめだったかな?」

梢枝の頭が私とノートの間に入り込んだ。梢枝が光源だと言った場所を指で指して確認しているらしかった。

「渚ちゃん、やっぱり2つだよ」

梢枝の頭が引っ込んだ。光源の場所を指した指はそのままだ。

「海だもん。反射するよ、ここに」

私はそれを聞いて、頭の中でアクスタを取り除いた背景の絵だけを思い起こした。すると、梢枝の言う位置で、確かに太陽が反射して水が明るくその周辺を照らしていることが分かった。

「ほんとだ。ごめん、七森。2つだよ、光源」

柴犬が主人に勝利した瞬間だった。梢枝はそれを喜ぶでも誇るでもなく、ホッとした様子だった。


車のテールランプが部屋に入ってきて、暖色の白色LEDで照らされていた部屋は一瞬の間だけブレーキランプの赤が混じった。窓の外から濡れた傘を振って水滴を払う音がして、直後に玄関の鍵穴に正しい鍵が入る音がした。しかしシリンダーを回しても空転した軽い響きだけが家に鳴った。

「たっだいま~」

無理に明るい声が、また家の廊下に吸い込まれた。ダイニングテーブルに鞄とスーパーで何か買ったのであろうエコバックを置く重たい音が鳴り、足音の後で私の部屋の扉は開かれた。

「渚!ドアの鍵、開けっ放しはダメじゃん!」

お母さんが一つのためらいもなく部屋に首だけを差し込んで言った。

言ったそばからいつもと違う景色に気付きながらも、思ったよりもあっけらかんとしていた。

「おぉ、友達?渚が連れてくるなんて珍しいね」

「これ、七森。今日初めて話した」

「そう」

驚かないんだ。そこに興味はないみたい。

「お、え、あ、えー、お邪魔しております。七森梢枝といいます。渚さんに仲良くしてもらってます!」

梢枝は正座のまま頭を土下座の勢いで下げた。あ、“伏せ”したのか。

「今日から仲良くしてるんでしょ?ありがとね。長いこと遊んであげてね」

「はい!長いこと、遊ばせて頂きます!」

あとでしつけが必要だと思った。

「何の繋がり?」

「絵」

「あぁ、なるほどね」

「何が分かった?」

「何にも。でも、渚には貴重だってことは分かった」

お母さんは下手くそなウインクをした。

「遅くなり過ぎないようにね。渚、沼ると出てこないから」

「わかってる」

梢枝は私とお母さんの会話を、話者が変わるたびに首を向けながら黙って聞いていた。壊れた扇風機。

「じゃ、梢枝ちゃん。ごゆっくり」

お母さんがあっさりと“梢枝”と呼ぶのが少しむかついた。

「はい、ゆっくりします!」

やっぱりしつけが必要だ。

再び閉められた扉の向こうはさっきの無音ではなくテレビや水道のノイズが鳴る世界に変わった。雨音はもう部屋に響かなくなった。

「七森さ、無理に話しなくてよかったのに」

「いや、無理してないよ。頑張りはしたけど」

私はヨギボーに全身を預けて大きなため息を吐いた。

いつもの天井に少しおしゃれだと思って取り付けたライトが下がっている。もう見慣れてしまって、それが取り換える前の味気ないシーリングライトと大差ない気がした。横目に見ると梢枝は、さっきのお母さんとの会話を思い返して、何やら反省しているようだった。分かればよろしい。

私はヨギボーに寝そべったまま、右手で床を探った。そして、リングの感触を見つけてその一冊を引き抜いた。

「スケッチブック!渚ちゃんと同じの、私も使ってる」

朝、足で寄せた私のスケッチブックは、リングの床面が擦れてそこだけ銀色に光りつつあった。


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