第71話:上官だったから
瞼の裏に光が差し込んでいた。意識が覚醒するとともに、海里は自分が横たわっていることを理解した。
見上げた先には木製の天井。蔓で編まれた壁の向こうから、風が通るたびに木材を打つ音と、エルフたちの短いやり取りが入り混じって届く。どこかの家屋の中であることを、遅れて認識した。
「……海里、平気?」
声のした方へ顔を向けると、寝台の脇に置かれた椅子にリュカが座っていた。長弓と矢筒は壁に立てかけられている。彼女の瞳には隠しきれない安堵があった。
「リュカ……俺、どれくらい寝てた?」
「丸一日くらいかな。アルベールに診てもらったけど、典型的な疲労だって」
「そっか」
ヴェノム・ルカンを追い詰めた際に憑想を用いた時は、三日間眠り続けていた。それに比べれば、今回は短く済んだといえた。
リュカが傍らの水差しに手を伸ばし、木のコップに注いだ水を片手で差し出してくる。海里は身体を起こして、それを受け取った。
「……ありがとう」
「無理しないでいいよ。ゆっくり飲んで」
リュカは言いながら、海里の背にそっと手を添えた。泉での一件以降、落ち着いて彼女と接する機会がなかっただけに、肌に触れる熱に妙な緊張を覚えた。
海里が水を半分ほど飲み干したところで、リュカは少し声を落として切り出した。
「ねぇ、海里。君が転生者だってことは、他の人には話さないほうがいいよね?」
海里の意思を尊重しようとする問いだった。転生者である事実は、確実に周囲へ漏れ始めている。だが、積極的に口外する気にまだなれなかった。
転生直後に捕らえられ売られかけた記憶、それを巡って村一つが吹き飛んだ光景が、今もしこりとなってこびりついている。知られた先に何が待ち受けているか、その不確かさが海里の口を重くさせた。
「……なるべく秘密にしておきたい。皆には黙っていてくれると助かる」
「うん。じゃあ、秘密にしておくね。僕も第一転生者のことはリアム様から聞いたことがあるけど、海里がアステル大陸全体に危険を及ぼすような人には見えない。僕から見れば、ゼイロンのほうがよっぽど危険に思えたし……」
その名を口にした途端、リュカの顔に不機嫌さでぷぅっと膨らむ。
「あの人、勝手に海里のことを観察して、勝手に転生者だって結論付けて、勝手に鏡花って人に報告するって言って、勝手に去っていったんだよ。君の意思なんて、最初から聞く気もないみたいだった」
「……そうだな」
「それに、僕を見た時のあの目。冷たい嫌な目だった。海里に対しては、あんなに丁寧に話していたのに」
リュカらしくない直線的な怒りが、言葉の端々に棘となって現れていた。
「次に会ったら、僕が撃つよ。今度はちゃんと弓を引く。絶対に射抜くから」
戦いが終わってまだ一日だが、変わらず元気な様子の彼女の姿を見て、海里の口元がわずかに緩んだ。
笑われたと受け取ったのか、リュカが唇をむぅと結んだため、慌てて言葉を繋いだ。
「笑ったわけじゃないんだ。ただ……心強いな、と思って」
「……もう」
リュカは顔を背けたが、耳の先が赤く染まっているのを隠せていなかった。
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水を飲み終えた海里は、寝台の脇に置かれていた剣に目を落とした。リュカが運んでおいてくれたのだろう。
「少し、外の様子を見に行きたいんだ」
「うん。起きたらそう言うと思った」
立ち上がると、膝に力が入らず頼りなさが残っていた。それでも歩行に支障はない。戸外へ踏み出すと、そこは里の広場から少し外れた一角だった。里中に、未だ戦いの痕が色濃く残っている。
薔荊蛇に薙ぎ払われた樹々の残骸は端に寄せられ、治療に当たるアルベールが忙しそうに立ち働いていた。
「海里!」
駆け寄ってきたのはレンだった。その後ろからリズ、シルフィア、エヴァン、バルトロメオとカミラも順に集まってくる。それぞれが戦いの後始末に奔走していたようだ。
「起きたのか。良かったぜ、本当に」
「心配かけた、レン。リズも」
「まだ本調子じゃないでしょ。謝る前に、まず座りなさい」
リズに促され、海里は倒木を削って作られた長椅子に腰を下ろした。
エヴァンが一歩前に出て、静かに口を開く。
「まずは礼を言わせてくれ」
初めて里で顔を合わせた際の厳格な表情は、今や大きく和らいでいた。薔荊蛇という災厄が去った安堵が、その横顔に滲んでいる。
「お前たちが居なければ、薔荊蛇を討つことは叶わなかった。下手をすれば里が壊滅していてもおかしくなかった。アウロラの森のエルフ族を代表し、感謝する」
「……俺たちは自分たちの目的のためにこの森に来ただけです。共通の敵を倒したというだけで、そこまで感謝されるのはむず痒いですよ」
海里が困惑を露わにすると、エヴァンは小さく首を振った。
「動機が何であれ、果たした行いの価値は変わらない」
言葉少なに断じると、エヴァンは視線をバルトロメオとカミラへ移した。二人は一歩下がった位置で、硬直したまま様子を伺っている。
「バルトロメオ、カミラ。お前たち二人にも、伝えるべきことがある」
「……はい」
エヴァンが切り出すと、二人は緊張に息を詰めた。
「お前たちが属する黒曜騎士団は、この里の混乱を助長した。その事実は消えない。薔荊蛇を招き寄せ、リュカを傷つけたこと、全て我らの記憶に刻まれている」
「……はい。申し訳ありませんでした」
バルトロメオが深々と頭を下げ、カミラもそれに倣う。エヴァンは一拍の間を置いた。
「だがお前たちは、言葉で詫びるに留まらなかった。薔荊蛇の襲撃に際し、身を粉にして戦った。最後まで抗い、同胞を助け、自らも血を流した。団の過ちをお前たち自身が償おうとする姿を、私は確かに見た」
エヴァンの声は、硬い声音の中に微かな慈しみを帯びていた。
「言葉は行動で示されて初めて意味を持つ。私はそう信じている。だから森の守護者として、私はお前たちにも感謝している。里を守ってくれて、ありがとう」
バルトロメオがばっと顔を上げた。カミラの目にも、薄く涙が滲んでいる。
「……そんな、俺たちは」
バルトロメオの言葉は最後まで音にならなかった。感情を持て余すように、その両手がわずかに揺れる。焚き火の爆ぜる音だけが、静寂を埋めた。
「受け取ってくれ。お前たちの敬愛する団長に胸を張って報告できるように」
その一言に、バルトロメオは言葉を失った。カミラが震える手でバルトロメオの袖を掴み、彼はそれに気づいて小さく頷く。
「……ありがとうございます、エヴァンさん」
「……俺たちは、その言葉を忘れません」
二人が揃って頭を下げると、エヴァンもまた、騎士が騎士に返すような簡潔な礼を返した。黙って推移を見守っていたレンが、鼻の下を指で擦って小さく息を漏らした。
「……こういうのは、俺が口挟むと良くないな」
「珍しく弁えたわね、レン」
リズの呟きに、いつもの刺々しさは含まれていなかった。
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場の空気が少し緩んだところで、レンが口を開いた。
「なぁ、バルトロメオ、カミラ。海里も起きたし、そろそろお前らのやりたいこと、やっていいんじゃないか?」
海里には何のことか分からなかったが、レンの言葉に頷く二人を見て、既に話し合われていた内容であることを察した。
視線を巡らせると、少し離れた位置に布で覆われた人と思しきものが横たわっている。
「あれは……?」
「レナートの死体だって。薔荊蛇の薔薇に寄生されて襲ってきたのを、あの二人が倒したんだよ」
リュカの補足に、海里は己が預かり知らぬ激闘があったことを理解した。あの二人も何かと戦っていたのは把握していたが、それがレナートの死体だとは気づいていなかった。
「里の外で葬りたいの。リズさん、あなたの炎魔法で協力お願いできるかしら?」
「いいわよ」
カミラの問いに、リズは短く応じた。
「里の郊外に、森へ火が移らぬ場所がある。そこまで案内する、皆ついて来い」
エヴァンの案内に従い、亡骸を担いだバルトロメオが里の外へ向かう。その後を追うように、全員が歩を進めた。運ばれた亡骸は、布に包まれたまま積み上げられた乾いた枝の上に横たえられた。
「リズさん、頼む」
「ええ」
リズが杖の先を掲げると、先端から生まれた細い炎が、積み木のように組まれた枝へと滑り落ちた。炎は布を、その下の身体を包み込んでいく。炎は高く昇ることなく、静かに燃え続けた。
バルトロメオとカミラは、並んで立ったまま動かなかった。森に混乱を招き、死してなお安寧を奪われた男の身体が灰へと帰していく。
「私から見れば、レナートは疑いようのないクズだった。あなた達も脅迫されていた。疎んだこともあったはずなのに、亡骸を葬ろうと思えるものなの?」
シルフィアの疑問に、バルトロメオは短く答えた。
「……俺たちの上官だったから。それだけです」
「そう。私と戦った時も、『黒鋼』から副団長に任命されたことに誇りを持っていたわ。馬鹿ね、自分を評価してくれる存在も、堕落しても離れなかった部下もいたのにね……」
話を聞いていたリュカは何も言わなかった。ただ腕を組み、炎をまっすぐ見つめていた。その横顔が、彼女なりの答えだった。
リュカの様子を視界の端に捉えながら、バルトロメオは告げた。
「だからこそ、俺たちは同じにはならないと肝に銘じます。そして、このことも国境にいる団長に伝えに行こうと思っています」
「ええ。覚えていなさい」
炎が完全に消えて、レナートの死体が灰になるまで、その場を動く者は一人もいなかった。
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里に帰り着いた頃には、陽はすっかり落ちていた。
姿を見せた海里たちに気づき、負傷者の治療に当たっていたアルベールが歩み寄ってくる。その腕には、手折られたばかりの薬草の束が抱えられていた。
「アルベール先生。リアムさんの様子は? あの人の魔法のおかげで決定的な隙ができたので、お礼を言いたいんですが……」
問いかけに、アルベールは眉を寄せ、言い淀むような間を置いた。
「今は寝込んでいるから安静にさせてあげてくれ。薔荊蛇を抑えるために、かなり魔力を使ったからね。命に別状はないけれど、魔力の回復は、リアムさん本人が時間をかけて戻すしかない」
「わかりました」
そこまで話すと、アルベールは海里についてくるよう促し、長老イストールの家へと向かった。
魔石の灯が室内を照らす小さな居間で、イストールは椅子に腰を下ろし、海里を迎えた。その隣にはエヴァンも同席している。
「呼びつけてすまんのう、海里くん。まだ本調子ではないだろうに」
「いえ、大丈夫です」
「単刀直入に言おう。海里くんたちは明朝、翠玉の涙の採取に向かうんじゃ」
海里の肩が僅かに跳ね、反射的に顔を上げた。
「俺は、里の復興も手伝えると思って……」
「アルベール殿も渋ったが、里を想うてくれる気持ちは嬉しい。が、それはお主らがこの森に来た目的ではなかろう」
「……はい」
「毒に苦しむ者を救うために、お主らはここまで来た。その目的を、里の復興のために遅らせてはならん。里のことは、我らエルフが総出であたる」
イストールは、杖の先で床を軽く叩いた。
「それに、もう一つ」
彼は一度天井を仰ぎ、再び海里へと視線を落とした。
「リュカから話は聞いておる。ゼイロンという男が『信仰』の鏡花の元へ報告に戻るのなら、教団の次の動きはリグリアで起きる可能性が高いじゃろう。お主が王都に早く戻ることは、友のためだけでなく、リグリアそのもののためにもなる」
「……」
「ワシらがリグリアの動静にまで口を出すのはお門違いじゃが、森の外の火の粉はいずれこの森にも届くからのう」
エヴァンが横から短く言葉を添えた。
「海里、アルベール殿。本来の目的を果たし、リグリアに戻れ。森の奥地に行くときは、またリュカを案内役に付ける。シルフィアも同行を志願していた。アルベール殿も、薬草の見極めに同行すべきだろう。他の者たちは里で作業を手伝うと既に申し出を受けている」
海里は姿勢を正し、二人に頭を下げた。
「ありがとうございます。明朝、出発します」
「うむ」
イストールは穏やかに頷いた。
「お主は、己の戦場に集中すればよい。ここには、お主の仲間たちと、ワシらがおる」
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イストールの家を出ると、夜風が頬を撫でた。復興作業を終えたエルフたちの笑い声がぽつりぽつりと聞こえてくる。里は未だ傷を負ったままだ。それでも、人々は前を向いて夜を過ごそうとしている。
海里はその声を遠くに聞きながら、明朝の行動に思いを巡らせた。
翠玉の涙を採取すれば、ジュノアを救う道が開ける。昏睡したまま医院の寝台に横たわる彼女の姿が、海里の脳裏を離れなかった。




