第37話:あなたが転生者だとしても
海里は衝撃のあまり、その場から動けなかった。喉の奥が引き攣り、言葉が形を成さない。
すぐ近くに立つ人物は、間違いなく元の世界で死に別れた幼馴染、三澄鏡花。
しかし、その無機質な瞳と静かな威圧感は、海里の記憶にある陽だまりのような少女とはあまりにもかけ離れていた。
彼女の足元には、海里とジュノアが死闘の果てに追い詰めたヴェノム・ルカンの肉片が無造作に散乱し、その異質で強大な力を雄弁に物語っている。
「鏡花……。鏡花も、この世界に……来ていたのか……?」
辛うじて絞り出した弱々しい問いは、血生臭い戦場跡に虚しく吸い込まれていく。 再会の喜びなど微塵もない。ただ、理解の範疇を超えた驚愕が、海里の思考を麻痺させていた。
輪廻教団の七元徳『信仰』と名乗った鏡花は、海里に向かって呟いた。
「……君は誰だ?『雷針』の部下でないなら、冒険者か……」
「えっ……!? 鏡花……俺だ、海里だ。俺が、分からないのか?」
彼女の表情は微動だにしない。鏡花にとって目の前の海里は、元の世界の幼馴染などではなく、この場で偶然遭遇した冒険者の一人に過ぎなかった。
「鏡花が……教団の七元徳? それにさっきの風魔法……まさか、ロルカ村を吹き飛ばしたのも鏡花なのか……?」
海里は断片的な知識を必死に繋ぎ合わせ、答えを求めて縋り付く。
「……私と、あの村のことも知っているのか。宰相殿との取引で、表向きはルカンの仕業としたはずだが……『雷針』から聞いていたか……」
鏡花は淡々と告げた。多くの命を奪ったことへの良心の呵責など、その声には一欠片も混じっていない。
「どうして……どうしてあんな真似をしたんだ!? 恨みがあったわけでもないだろう!」
騙され、監禁された記憶。それでも、あそこにいたのは生きた人間だった。それを鏡花が実行したのだとしたら、問わずにはいられなかった。
「あの村人たちは、転生者を捕らえたと私を呼びに来た。だが、肝心の転生者には逃げられていた。私の時間を無駄にした報いを受けさせただけのことだ」
感情の欠落した論理。鏡花のはずなのに、まったく違う誰かが喋っているようで、心臓の鼓動が激しく脈打って、ひどく気持ち悪い。海里には、これは記憶喪失などではないと思えてならなかった。
海里の動揺を置き去りにしたまま、鏡花はこの場への興味を既に失っていた。
「私はもう行くとしよう。この個体をよく追い詰めたものだ。知っての通り、我々は宰相殿を通してリグリア王国に協力している。余計な干渉をしないのであれば、互いに悪いようにはならないだろう」
一方的に別れを告げ、鏡花は薄い風の魔力を纏って静かに去っていこうとする。
「待て、鏡花! 待ってくれ!!」
連戦の疲労、そして憑想の反動。うまく動かない身体を叱咤し、必死に追いすがろうとする海里を、鏡花は最後に一度だけ振り返った。
「その女騎士を介抱してやることだな。ルカンにやられたんだろう? ……そのままだと、おそらく死ぬぞ」
風が凪ぐ。今度こそ、鏡花は海里たちの前から消え去った。 異世界での幼馴染との再会は、海里に驚愕と混乱だけを残した。
だが、感傷に浸る時間はない。 海里が振り向くと、ジュノアの体が大きく傾くところだった。
「ジュノアッ!」
鏡花の背中を追おうとする未練を断ち切り、海里は倒れ込む彼女の身体を両腕で抱きとめた。腕の中に収まったジュノアは完全に力を失い、その全自重を海里に預けている。
「ジュノア、しっかりしろ! 目を開けるんだ!」
焦燥に駆られ必死に彼女の名を呼ぶ。 先ほどよりもジュノアの状態は悪化していた。青白かった顔色はそのままだが、脂汗は彼女の銀髪をぐっしょりと濡らしている。何より、右腕の傷に浮かび上がった青白い紋様は、内側から彼女を蝕む呪いのようだった。
「うぅ……っ、ぁ……海……里……」
歯を食いしばり、激痛に耐えるジュノアの呻きが、海里の胸を締め付ける。
「いい、喋るな。すぐ、すぐに皆のところへ連れて行く! ゼファーさんなら、きっと何とかしてくれる。だから……!」
海里は震える足で立ち上がろうと力を込める。しかし、それを制するように、ジュノアの震える指先が海里の服の袖を弱々しく掴んだ。
「海里……あなたは、やっぱり……転生者……だったんだね……」
ジュノアの瞳が真っ直ぐに海里を見ていた。 海里の動きがぴたりと止まる。
「ジュノア……? やっぱりって……君は、気づいていたのか?」
問い返す海里の声は、自分でも驚くほど震えていた。 だが、ジュノアの瞳には動揺はなかった。今この瞬間に点と線が繋がったのではなく、もっと前から、彼女は気づいていたというように。
「初めて……あなたに会った、あの日の夜に……亡くなった幼馴染の名前が鏡花って教えてもらった。その時に、どこかで……聞き覚えがあるって思って……いたの」
「えっ……!?」
「何で……聞き覚えがあったのか、その時は分からなくて……ゼファーさんに聞いたの。リグリアに来ている転生者、七元徳の名前を。あなたの口から……幼馴染の話を聞くたび、同じ人なんじゃないかって、その疑問がずっと……頭の片隅にあったの……」
ジュノアは毒に侵されながらも、海里の動揺する顔を見つめ続けていた。彼女が語る一言一言が海里の足場を崩していく。
「ふふ……。憑想なんて、誰も知らない力を……あなたは使うんだもの。直接、転生者を知らなくても、あなたと接していれば分かるわ……。この戦いが終わったあとに、あなたの口から聞きたかったけれど……」
ジュノアの言葉に海里は返す言葉を失う。 転生者であると隠していたこと、それが露見したこと。それ自体は、今の海里にとって些事だった。
彼が今、最も恐れていたのは、自分が転生者だと知ったジュノアが、この大陸をかつて混乱に陥れた第一転生者と同じく、災厄として自分を見るのではないかという恐怖だった。
そんな海里の内心を透かしたかのように、ジュノアは痛みに耐えながら、どこか慈しむような笑みを浮かべた。
「ねぇ、海里……。あなたが、転生者だと名乗らなかった理由は、察しがつくわ」
ジュノアは震える声で言葉を紡ぐ。それは実直な騎士ではなく、一人の少女としてのものだった。
「海里。あなたは、今も禍根を残す第一転生者と同じじゃないわ。……あなたが転生者かそうじゃないかは、私には関係ないわ。私が知っているのは……目の前にいる海里という一人の人だけよ」
微かに震える彼女の手が、海里の頬に触れた。その掌はもう冷え切っていたが、そこに込められた信頼に海里は呼吸を忘れた。
「あなたは……ルクスの最期を看取って、そして、絶望しかけた……私の心を救ってくれたわ。……リグリアでのあなたの歩みを、私はずっと見て、聞いてきたわ。あなたが望んで誰かを……傷つけるような危険な人間でないことくらい……分かっているわ」
その、どこまでも誠実で、自身の目で見聞きした事実に基づいた信頼。それは、海里の持つ不安を静かに溶かしていった。
「ジュノア……」
そこまで話し終えたところで、ジュノアの限界が訪れた。指先から力が抜け、その瞳がゆっくりと閉じられる。 彼女は最後に海里の服を僅かに握りしめて意識を手放した。
腕の中で眠るジュノアを前に、海里の思考は飽和していた。
そこでふと、まだ離れた場所から自分を呼ぶ複数の声が近づいてくる気配を感じる。 視線を向けると、血脂に汚れながらも、必死の面持ちでこちらへ駆けてくるラルフ、レン、リズ、三人の姿があった。ルカンの群れを掃討し、分断されていた溝をようやく突破してきたのだろう。
彼らの無事に安堵が湧き上がるよりも早く、混乱のほうが勝っていた。 自分と同じ転生者でありながら別人に変貌していた鏡花。
加えて、自分が転生者であることにとっくに気づいていて、その上で受け入れてくれていたジュノア。
そして今この瞬間も、彼女の命を蝕むルカンの残した毒。
立て続けに訪れた衝撃に、海里の頭の中はぐちゃぐちゃにかき乱され、激しい眩暈が襲ってくる。
海里は、意識を失ったジュノアを壊れ物を慈しむように、その腕の中に固く、固く抱きしめた。 憑想の行使による極限の消耗が彼の意識を塗り潰していく。
(嫌だ。……ジュノアを……死なせたくない……ッ!)
名前を呼ぶ声がすぐ耳元で聞こえたのを最後に、海里はジュノアを抱いたまま、糸が切れたように、そのまま意識を失った。




