第38話:黄泉路の親心
『雷針』ゼファー率いる白銀騎士団と、冒険者ギルドが合同で臨んだ賊の討伐作戦は、異形の魔物ルカンの群れが乱入したことで、その本来の目的を喪失した。
賊の掃討という当初の任務は、いつしか生存という目的へと塗り替えられ、敵味方の境界すら曖昧な地獄絵図と化した。
指揮系統が明確だった討伐隊は、ゼファーの采配と、彼が後方待機させていたシルフィアが参戦したことで統制を保った。彼女の放つ氷魔法は、無限に湧き出すかと思われたルカンの群れを凍てつかせ、討伐隊に再起する機会を与えた。
上位種の出現で賊のアジトが崩落し、再び混乱は広がりかけたが、シルフィアの氷魔法によって、無限に出現し続けるように思えたルカンは駆逐された。結果として、負傷者は続出したものの、壊滅的な被害は免れた。
しかし、残された傷跡は深い。
ルカンの爪が有していた未知の毒は、被毒者の魔力を狂わせ、内側から緩やかに生命力を削り取っていく。回復魔法や既存の解毒薬すら拒絶するその毒に、有効な治療法は見つかっておらず、戦場には衰弱死への恐怖が漂い始めていた。
とりわけ、上位種ヴェノム・ルカンの毒を受けたジュノアの容態は深刻だった。 強靭な精神で最期まで戦い抜いた彼女も、今は昏睡から目覚める兆しを見せていない。
一方、討伐されるはずだった賊たちは、ルカンの襲撃によってその大半が命を落とした。 混乱の中で討伐隊との共闘を余儀なくされ、生き残った僅かな者たちは、王都へと移送され牢の中で自らの運命を待つことになる。彼らが結果的に討伐隊の生存率を高めた事実は、罪の減免材料として考慮される方針となった。
戦いの混乱に乗じて姿を消したイザベラ、リリィ、ロロの三名。彼女たちの行方を知る者は一人として存在しない。
そして、崩落したアジトの残骸の下。 賊を率いていた男ディランは、未だその細い息を繋いでいた。
ディランは自らを囮とし、傀儡魔法で操れる限界まで魔物を集めてルカンを引き寄せた。その代償は見るに堪えぬ惨状となって彼の肉体に刻まれている。
「戦いはぁ……、終わった……みてぇだなぁ……」
「ええ。あなたのおかげです、ディラン殿。ルカンの掃討は完了しました」
ゼファーが傍らに膝をつく。ディランの身体は無残だった。密集した魔物たちに圧し潰され、至る所をルカンの牙に食いちぎられている。さらにゼファー自身が放った雷撃の直撃を受け、半身は炭化して煙を上げていた。まだ生きていること自体が奇跡といえた。
「イザベラたちは……逃げ、切ったか……。……あいつ、らは……」
瀕死の男は命懸けで逃がした家族の安否を気にしていた。 既に痛覚は機能していないのか、肺からせり上がる血を吐き戻しながら、ディランは無理やり言葉を紡ぎ続ける。
「おそらくは無事でしょう。……追手は出していません」
「……『雷針』。逃げるあいつ、らを……っ。仕留める、ことも……お前なら、できたんじゃ……ねぇのか……?」
「優先順位の問題です。ルカンという災厄を前に、あなたが自らの命を賭してまで守ろうとした者たちをその餌食にするのは忍びないと思いました」
「……はは、っ、ゲホッ! はははッ!! ッ……後半が、本音か……。甘ぇんだよ、お前は……。……お優しいこった……。だが、……ありが、とうよぉ……」
乾いた笑いと共に、ディランの口端から黒ずんだ血が溢れ出す。
「私に感謝してくれるなら、十年前のグランドヴェルク国境で起きた事件について話してください。騎士団を壊滅させた……造物主とは何者ですか?」
ゼファーの声には、彼が長年抱え続けてきた過去の事件の真相を求める渇望があった。
「……分から、ねぇ。あいつが……何、者だったのか……。今も、っ、……見当もつかねぇ。国境から逃げ戻った……俺たちの報告を……先代の王は聞き入れてくれようとしたが、……あのクソ宰相が、っ……。無駄な犠牲は不要だと……横槍を……」
「……イディウス宰相が、ですか」
ゼファーの顔が険しくなる。
「……副団長……、お前の、親父さんは……。制止を振り切って、……たった一人で国境へ、戻った……。それっきり行方不明だ。造物主がいた、あの……場所に、戻るなんて……、自殺しに行くのと……同じ、だ……」
「…………」
十年前に起きた事件の断片。ゼファーは拳を握りしめ、沈黙の中で痛みを押し殺した。
「……落ち込む、のは……早ぇぜ。……イザベラから……聞いた。アリーナポリスに……。近年、副団長らしき男が……あの自由都市に、出入りしてる、ってよ……」
「……本当ですか、それは?」
ゼファーの顔が驚きに染まり、その表情には、冷静な騎士の仮面を剥ぎ取られた一人の息子としての顔が覗いていた。
「確証は……っ、ねぇ。だが、俺は……あの人が死んだとは、思ってねぇ。……情報が集まる場所だ……アリーナポリスなら……、っ、……何か、出来る、ことが……あるん、だろうよ……」
「……貴重な情報に、感謝します」
「なぁ、『雷針』。……親父さんが……っ……お前ら兄弟を、捨てて……リグリアを、去ったこと……、恨んで、るか……?」
ディランは朦朧とする瞳でゼファーを見つめた。それは死の淵に立った者の純粋な問い。
「自分でも、分かりません。私がなぜ任務の傍らで父を探し続けているのか……その理由すら、今は」
「はは……黄昏んなよ……。……再会、できたら……思ったことを、言ってやりゃ、いいんだ……。バカ野郎……とかな……」
「……品位に欠ける言葉です」
「……クソ、真面目め……。なぁ、っ……『雷針』。……伝言を……頼みてぇ」
「誰にでしょう」
「……クソ宰相様に、だ。……くたばれ……クソ野郎……ってなぁ……」
「王国騎士として、政を担うイディウス宰相に暴言を伝えるかは……保留とさせていただきます」
「……気が、向いたらで……いいわ。……俺は……、先に……寝るぜ。……リリィ、ロロ……夜更かしは、っ……ほどほどに……しろよ。……イザベラ……、……あんまり、あいつらを……怒るんじゃ、ねぇ、ぞ……」
ディランの途切れ途切れの呼吸とともに最期に紡がれた言葉は、血の繋がりを超えて愛した者たちへの慈しみだった。
それを最後に、彼が再び言葉を発することはなかった。
動かなくなったディランの瞼をそっと閉じ、その胸元で両腕を組ませると、ゼファーは独り言ちるように呟いた。
「血の繋がらぬ者たちを案じて逝くとは……。父というものが、私には分からなくなります。ですが、あなたの言葉は確かに預かりました。機会があれば、あなたが案じた家族同然の者たちに伝えましょう」
騎士団長としてではなく、一人の男として、ゼファーはもう喋らないディランの遺体に語りかける。
「『操魔』ディラン殿。あなたの魂が安らぎに包まれますように」
静かな弔いの言葉を添え、ゼファーはディランの遺体に向かって深く、一度だけ一礼した。
その後、炎魔法を扱える騎士を呼び、その遺体を炎で包ませた。野ざらしにして魔物に冒されることを良しとせず、せめて灰にして土に還そうという、彼なりの最大限の敬意だった。 ディランの身体が炎の中に消えていくのを最後まで見届け、ゼファーは静かにその場を後にした。
背後で赤々と燃え上がる炎は、崩落したアジトの影を長く伸ばし、戦場の血生臭さを一時的に焼き払う。その熱を背に感じながら、ゼファーの胸には、ディランが遺した父の生存の可能性が燻り続けていた。
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「話は終わったの、ゼファー?」
ディランとの最期の対話を終え、騎士団員や冒険者たちの待機場所へと戻ったゼファーを、シルフィアの穏やかな声が迎えた。彼女の澄んだ瞳は、ゼファーが抱え込んだ心労の深さを静かに見透かしていた。
「ああ、シルフィア。……色々とね。ディラン殿は多くのことを話してくれたよ。十年前の事件、それから異形の魔物の造物主の存在……。今の私には、少々情報が過密すぎるようだ」
ゼファーはひどく疲弊した溜息を吐き出し、シルフィアにだけその弱音を零した。
「無理は禁物よ。今は少しでも心を休ませて。あなたが倒れてしまっては、それこそ取り返しがつかないわ」
シルフィアは優しく微笑み、慈しみを込めた眼差しをゼファーへと送る。
「……君にはいつも頭が上がらないな。感謝しているよ、シルフィア」
ゼファーの口元に微かな苦笑が浮かび、種族も立場も超えた二人の間には、言葉を尽くさずとも通じ合う絆があった。
ひとしきりゼファーの容態を慮った後、シルフィアは杖の先で、戦場の端に鎮座するルカンの氷像群を指し示した。
「ねぇ。ルカンを数匹、氷漬けにしたけれど。……すべて王都へ持ち帰るのでしょう?」
透き通った氷の中に閉じ込められたルカンは、生きていた時と同じ凶悪な姿のまま静止している。シルフィアの魔法の精緻さを物語る、いっそ美しいといえる保存状態を保っている。
「ああ。これがあれば、異形の魔物の存在を否定できないだろう。十年前から存在していたのなら、今後も別種が現れる可能性は高い」
ゼファーが氷像の重要性を語っていた時だった。
「見事な手際だ。この凍結の仕方は美しくすらある。私では細かく刻んでしまうから、肉片を持ち帰るのが精一杯だろう。君は良い部下を持っているな、『雷針』」
不意に、第三者の声が会話に滑り込んだ。
いつからそこにいたのか。一人の女性が立っていた。七元徳『信仰』の鏡花。彼女は外套を羽織り、ルカンの氷像に細い指先で触れ、その保存状態を確かめるように検分している。
「…………ッ!」
唐突な出現にゼファーは驚いたものの、振り返った鏡花の視線を正面から受け止めた。そして、彼女が口にした認識の誤りを訂正する。
「七元徳『信仰』の鏡花殿。シルフィアは私の部下ではなく協力者です。対等な立場なので誤解なさらぬようお願いします」
「ふむ、そうか。彼女が部下であれ協力者であれ、その成果は称賛に値する」
その鏡花本人は、ゼファーの訂正を特に気にしていない。彼女の関心はルカンの氷像に集中していた。
「鏡花殿。あなた方、輪廻教団に参戦は打診していなかったはずです。何故ここへ? 」
ゼファーは、鏡花がこの場にいる意図を測りかねていた。
「参戦したのは宰相殿の要望だ。出遅れたが、ルカンの上位種がまだ生きていたおかげで無駄足にならずに済んだ」
鏡花は、宰相イディウスの思惑があったことを明かした。
「いずれにせよ、ご協力感謝いたします。お一人のようですが、信徒たちは連れて来ていないのですか?」
「私一人のほうが速いからな。君も宰相殿への報告に同行しないか?」
「そうさせていただきましょう。私もイディウス宰相に報告することが多々あるので」
ゼファーは鏡花の提案を受け入れ、彼は討伐隊に撤収の指示を下す。
「撤収を開始する。生き残った賊は厳重に護送せよ。それとルカンの氷像は負傷が少ない者が運搬を担当してくれ」
彼の指示を受けた騎士団員たちは、迅速に行動を開始し、彼らは皆、リグリア王都へと戻っていく。
先に歩き出した鏡花の背を眺めながらシルフィアが呟く。
「彼女が七元徳の『信仰』……。私たちが知る者とはだいぶ違うわね。転生者だからかしら?」
「そうかもしれないね。今のところ、彼女と敵対する理由はないけれど……」
輪廻教団とリグリア王国の関係性は決して不変ではない。それを理解しているゼファーはシルフィアとともに鏡花の背を追って、リグリアの王都へ帰還していく。
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ゼファーからの撤収の指示を受け、討伐隊の面々は疲労が滲む足取りで王都への帰路についていた。
数体のルカンの氷像が荷車に揺られながら運ばれていた。その氷像を眺めながら、一人の騎士が疲労と安堵の混じった声で呟いた。
「この化け物が、俺たちを襲ってきていたのか……」
「もう動かないと分かっていても、悍ましく見えるもんだ。こんな奴らが、一体どこから湧いてきたのやら……」
応えの出ない静寂の後、不意に、荷車の近くにいた若い騎士の一人が疑問の声を上げた。
「なぁ、氷像の数が出発前より減っていないか?」
その問いに別の騎士が怪訝そうに眉をひそめた。
「そんなはずはないだろう?皆で確認しただろう?」
しかし、氷像の数を指摘した騎士の疑問は晴れない。
「いや、やはり一匹足りない」
周囲の騎士たちも不吉な予感を感じ取り、互いに視線を交わす。彼らは妙な空気を感じながら、ルカンの氷像の数が足りない件も報告に加える必要があると共通認識を持った。
その時、進む道の脇にある樹々が、風もないのに揺れているのが目についた。
何かいるのか?と、騎士の一人が反射的に剣の柄に手をかけた。慎重に藪の中を剣で突いてみたが何の反応もなかった。
「……やはり見間違いか」
疲労から、その違和感を気のせいだと頭から追い払うことにした。一々立ち止まっていては、王都への帰還が遅れる。
「早くしろ、置いていくぞ!」
別の騎士に促され、彼はもう一度樹々に視線を向けるが、樹々はもう揺れていなかった。




