第七十七話:行軍
◆王都→北西街道/ヴァルター視点
行軍三日目。
第三軍団五百名は、王都から北西へと続く荒野の街道を黙々と進んでいた。
隊列は整然として乱れがない。先頭には軍団長ヴァルター・レーヴェが立ち、その半歩後ろに副官のルッツが影のように並ぶ。二十年間、一度も変わらない配置だ。
空は晴れ渡っているが、乾いた風が兵士たちの軍旗をバタバタと荒々しくはためかせていた。
――ピィィィィッ!!
不意に、上空から鼓膜をつんざくような甲高い鳴き声が響いた。
巨大な影が太陽を遮り、街道の前方にズシンッ! と重々しい音を立てて降り立つ。
「前方に魔物! Bランク指定『双頭のワイバーン』です!」
「盾隊、前へ! 魔術兵、迎撃用意ッ!」
突然の凶悪な魔物の出現に、兵士たちにわずかな緊張が走る。
だが、彼らが陣形を組むよりも早く。
「……遅い」
ヴァルターが、隊列の先頭から半歩だけ前に出た。
彼の背に負われた大剣『鉄理』が、鞘から抜かれる音すら響かない。
ただ一閃。
ヴァルターが腕を振るった直後、凄まじい風圧が遅れて街道を吹き荒れた。
「ギャ……ァ……?」
ワイバーンが悲鳴を上げる間もなかった。
硬い竜鱗に覆われたその巨体が、首から尾の先まで、まるで豆腐のように縦に真っぷたつに両断される。
左右に分かれた巨体が崩れ落ち、街道にドシャァッ! と大量の血の雨が降り注いだ。
兵士たちが息を呑み、静まり返る。
ヴァルターは、大剣に付着した血を軽く振り払い、歩みも止めずに背中に納刀した。
「前へ」
その一言だけで、軍団は再び何事もなかったかのように行軍を再開する。
これが、王国最高戦力。S級武人の圧倒的な暴力だった。
「将軍」
「何だ」
「……いえ。何でもありません」
ルッツが口を閉じる。ヴァルターは振り向かない。
二十年間繰り返してきた、いつもの会話だ。ルッツが何を言いたいのか、ヴァルターには分かっている。分かっていて、聞かない。聞けば答えなければならないからだ。
(……スパイの情報を基に動く)
ヴァルターの分厚い軍靴が、ワイバーンの血で濡れた道を踏み越える。
(卑怯か。……いや。命令だ。命令に従うことは卑怯ではない。卑怯なのは、未熟な自分の判断で部下を殺すことだ)
そう、己に言い聞かせる。
だが、鉄の箱に閉じ込めたはずの彼の武人としての誇りが、箱の内側をガンガンと叩いて軋ませていた。
「ルッツ。偵察部隊の報告は」
「先遣隊より報告。北西迷宮の入口に到達。外部に防衛線は確認されず。入口の大扉は『開放状態』とのこと。ただし、内部の魔物の練度が、通常の迷宮を大幅に上回っている模様です」
「……開放状態か」
ヴァルターの険しい眉が、わずかにピクリと動いた。
「門を閉ざさず、入口を開けたまま待ち構えている。……逃げるつもりがないのか、それとも奥へ誘い込んでいるのか」
「双方あり得ます」
「ああ。……どちらにせよ、正面から行く」
「将軍」
「裏口の抜け道を探す必要はない。俺たちは王国の正規軍だ。宰相閣下からの命令は、勇者の回収と迷宮の制圧。ならば、堂々と正面から入り、正面から全てを叩き潰す」
ルッツが、一瞬だけ目を伏せた。
「……了解いたしました」
◆第5階層・迷宮都市/カイ視点
「なあカイ、なんか今日、街の空気ピリピリしてねぇか?」
レオが屋台で買った串焼きを齧りながら、大通りを見回して顔をしかめる。
カイも、肌が粟立つような嫌な気配を感じていた。
第9階層をクリアして、Bランク昇格の報告をした翌日から、迷宮都市の空気が微妙に、だが確実に濁り始めている。
冒険者ギルドの掲示板の前で、人間の冒険者同士がひそひそと睨み合うように話し込んでいる。
普段は獣人と一緒にパーティを組んで笑い合っていた男たちが、今日は人間だけで固まり、特区の方を冷たい目で見やっていた。
「ねぇ、カイ。あそこのパーティ、いつも獣人の弓使いさんを入れてたよね。今日はいないみたい」
ミナが小声で指差す。
「……気のせいかもしれないけど、最近『獣人特区が理不尽に優遇されてる』って不満の声、よく耳にするようになったわね」
セラが眼鏡を押し上げながら、冷静に周囲を分析する。
「優遇って……。あそこの工房通りは、ボグスたちが抜けて空いてた区画を割り当てただけだろ? 前にリアナさんが説明してたじゃんか」
「事実はそうよ。でも、『そう見えない人』がいる。……噂の出所が特定できないのが、ひどく気味が悪いのよね」
カイが通りを見渡した、その時だった。
「おい、ふざけんなよ! そこは俺たちが先に見つけた納品依頼だぞ!」
「あぁ? ギルドのルールは早い者勝ちだろうが。お前ら人間がモタモタしてるから、俺たち獣人が先に受注しただけだ!」
少し離れた荷捌き所で、人間の剣士と狼人の運送員が、互いに胸ぐらを掴み合って怒鳴り声を上げていた。
周囲の人間と獣人たちも、それぞれを庇うように集まり、一触即発の空気が膨れ上がっていく。
「おい、やばいぞ……!」
カイは反射的に駆け出していた。
この街が好きだ。人間も獣人も関係なく、みんなで笑い合えるこの場所が。
それが、こんな得体の知れない噂や疑心暗鬼で壊されていくのを、黙って見ていたくなかった。
「やめろ! 二人とも落ち着いて――!」
カイが二人の間に割って入ろうとした、まさにその瞬間だった。
――ウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥンッ!!!!
突如として、迷宮都市の空気を震わせる、鼓膜が破れそうなほどの巨大なサイレンが鳴り響いた。
青空を模していた天井の魔法灯が、一斉にドス黒い『赤色』へと反転する。
『――緊急警報。緊急警報』
空から、無機質な、だが絶対的な権限を持った声が降り注いだ。
『第1階層外周に、大規模な武装勢力の接近を検知。
これは演習ではありません。現在、迷宮内に滞在中の全ての冒険者および関係者に通達します。
直ちに、安全なルートを通り、迷宮外への【一時退避】を推奨します』
「……なっ!?」
「武装勢力だと!? 魔物のスタンピードじゃねえのか!?」
怒鳴り合っていた剣士と狼人も、パニックになって周囲を見回す。
血の凍るような赤い警報ランプの下で、カイは戦慄した。
街が、内側から壊れかけているこの最悪のタイミングで。
外から、本物の『戦争』がやってきたのだ。
◆迷宮核の間/黒瀬視点
「ご主人。迷宮の外周警戒網を、目標が突破しました」
「規模と内容は」
「大規模な軍事編成。推定五百以上。……王国正規軍です」
俺はコーヒーカップをデスクに置いた。陶器が当たる、カチンという乾いた音が核の間に響く。
「……王国が、ようやく重い腰を上げたか」
メインモニターを切り替える。
遠方から土煙を上げて接近する、冷たい軍旗と分厚い鎧の光。整然とした隊列。完全に訓練され尽くした歩兵の群れ。
「ナノ、あの軍旗の紋章は」
「王国第三軍団。軍団長ヴァルター・レーヴェ。個人戦闘力『S級』認定。大剣『鉄理』の使い手であり、戦場での部隊指揮と前線での白兵戦、その双方において王国最高クラスと評される、生粋の武人です」
「S級……か」
俺は背もたれに体を深く沈めた。
(来たか。予想はしていた。国家の最高戦力である勇者を三人も匿った以上、王国が動くのは時間の問題だった。だが、いきなり軍団長クラスのS級を送り込んでくるとはな。王国も、完全にうちを『潰す』つもりらしい)
「ご主人。対応方針の決定を」
「ああ。まず確認するが、現在、一般のお客様は何名入場中だ」
「第5階層の都市部を含め、計三百名。うち、第6階層以降の深層エリアに十二名です」
「深層の十二名は強制転移で都市部へ戻せ。その上で、全冒険者に対して迷宮からの一時退場を『推奨』する通知を出せ。……あくまで強制ではなく推奨だ。残るか逃げるかの判断は、各自に委ねる」
「了解です。……ただし、強制退去にしない場合、グレンさんたち『暁の連盟』や、カイさんたち『夜明けの芽』が、この街を守るために残留を希望する確率が極めて高いと推測されますが」
「分かってる」
俺は立ち上がり、メインコンソールに両手を置いた。
「全従業員に通達。営業モードを終了。戦闘配置、インシデント防衛モードへ移行する」
タターンッ! とエンターキーを強く叩く。
各階層の守護者への一斉通信が走った。
「バルログ、ジグ、ロク、ポヨ。全守護者を防衛ラインに配置しろ。――ただし、絶対に殺すな。一人残らず、心を折って退かせろ」
『……ほう。向かってくる兵士を殺すなと?』
通信越しに、バルログが不満げに喉を鳴らす。
「そうだ。相手は正規軍だ。ここで兵士を皆殺しにすれば、王国との全面戦争になる。あくまで、二度とうちのサーバー(迷宮)に繋ぎたくないと思わせるまで、徹底的に弾き返せ」
『了解した』ジグの短く力強い声。
『承知いたしました。非致死性の制圧兵装を展開します』ロクの無機質な声。
『ポヨォーーン!』ポヨの呑気な声。
『……ふん。生殺しにしろとは、ご主人も人が悪い。だが、本物の戦士の心を折るのも、悪くない余興だ』
バルログの声だけが、獰猛な喜びに満ちていた。
「バルログ。テンション上がってるところ悪いが、ミスって殺したら一ヶ月戦闘禁止だからな」
『……善処する』
「善処じゃなくて遵守しろ」
通信を切り、モニターに視線を戻す。
「ナノ。エルドラさんに連絡を入れてくれ」
「すでに送信済みです。たった今、回答がありました。読みますか?」
「頼む」
ナノが空中にメッセージを展開する。
『面白くなってきたのう。だが主よ、今回は自分でやりな。ヌシがこの箱庭で何を育て、何を守れるのか、我は特等席で見物させてもらうぞ』
俺は小さく舌打ちした。
「……エルドラさんは静観か。まあ、そうだろうな」
(つまり、SSS級の助っ人なしで、S級の軍団長と五百の正規軍を相手にするってことだ。うちの戦力で足りるか?)
頭の中でリソースを計算する。
守護者は、A級上位相当が二体(バルログ、リリ)。A級相当が二体(ジグ、ロク)。特殊枠が一体。加えて各階層の通常魔物が数百。
総合的な力では互角以上だが、相手は正規軍だ。連携と規律がある。個々の強さではなく、組織としての巨大な力で押し潰しにくる。
(だが、こっちには『システム』がある。迷宮というフィールドの環境、ギミック、その全てを俺がコントロールできる。ホームグラウンドの管理者権限は、使い方次第でS級の差すら埋められる)
「ナノ。迷宮全体の防衛プランをロードする。作戦名称は――」
俺は、モニターの向こうで整然と進軍してくる鉄の軍団を見据え、不敵に笑った。
「オペレーション『ブラック・ディフェンス』だ」
「……ご主人。いつも思うんですが、その厨二病みたいなネーミングセンスについて、一度真面目にフィードバックの時間を設けてもいいですか」
「却下だ。緊急事態だぞ」
「知ってました」
モニターに映る王国の軍勢は、刻一刻と迷宮の入り口へと迫っていた。
嵐が、来る。




